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 本来魔導は、詠唱であったり呪具がなければ発動させることはできない。自然の現象を故意に引き起こす魔導は、魔力を増幅させるそれらの媒介がなければその力を発揮することは不可能なのだ。


「リリットとジオバンニを一撃か。素晴らしい能力だ――ようこそセイム・ミズガルズ、私が最終試験の試験官、ノーヴルだ」


 頬が微かに熱を帯びる感触に、セイムは思わず身じろぎした。熱を持つそこに触れれば、ぬるりとした質感の液体が指先を伝う。イヴァンにノーヴルと呼ばれた人形は、主人と同じように薄らとした笑みを浮かべながら指先に火花を灯した。

 

 一見して、呪具の類は見当たらない。頬を裂かれたのは一瞬のことだったが、詠唱もなかったはずだ。

 発動には媒介を介すべしという魔導理論の一切を覆す攻撃を、セイムは確かに食らった。先んじて対戦したリリットやジオバンニとは全く違う魔力の質に、思わず呪具が指先から零れ落ちそうになる。


「私は、恐らく君に期待をしているよ。先ほどジオバンニの魔導を跳ね返したときは、胸がすくようだったからね」

「試験は、まだ始めてもらえないんですか」

「……せっかちはよくないな。物事をしっかり見つめなおすにはそれなりに時間が必要だよ。セイム、君には才能があるのだから、それを活かす努力をしなければならない」


 最終試験官――ノーヴルの何処か人を食うような言葉遣いは、何処か師のそれを思い出す。しっかと呪具を握り直して、セイムは頭の中で繰り返し模擬戦闘を行っていた。何度も試合を見て分析を繰り返したリリットやジオバンニと違って、ノーブルはあまりに実戦で残った記憶が少ないのだ。


「まあ、若い人はそれが魅力的でもあるんだけれどね。でも、焦りは命取りだよ」


 その瞬間に何が起きていたのか。この様子を眺めていた他の受験者はそれさえ考えることが出来なかった。


「ほら、おいでセイム。皇帝陛下に謁見するんだろう? だったら早く、私を倒さなくちゃ」


 結界の中を吹き付ける熱風に、セイムは思わず目を閉じた。ようやく薄らと目を開いたときには、既にノーヴルの体よりも大きな炎が、狼の形を取って喉を鳴らしている。右手の指輪が青く光をともした時、ようやくイヴァンが声を張り上げた。


「それでは最終試験、セイム・ミズガルズ対ノーヴル――はじめ!」


「蒼玉の星々よ、四ツ目の蛇が詠う古の光よ――」


 宣誓と詠唱は、ほぼ同時だった。術の完成を早めるために詠唱破棄という方法をとることも出来たが、詠唱と呪具とを合わせた魔導よりは明らかに攻撃力が低下する。セイムは、そんなことをしていてはノーヴルに勝つことは出来ないと考えていた。

 しかし詠唱を唱えれば、それだけ時間を食うことにもなる。

 案の定、指輪から駆けた水蛇はあっという間に炎の狼に食われて蒸発してしまった。


「っ……!」

「いいよ、良い魔力だ。遠慮はいらないから君の全力をぶつけておいで」


 ノーヴルの挑発に乗ってはいけない。素早く鞄の中からいくつかの呪具を取り出すと、今にも飛びかかってきそうな狼に向けてそれを掲げた。あれだけの速さを併せた火炎魔導なら、目視でとらえることも難しいだろう。唇をかみしめると、セイムは無色の玉石が嵌った呪具を取り出した。


「不惑の水晶、時を司る黎明の魂よ――我が求めに応じて産声を上げよ。彼の者の四肢に清廉なる呪縛を」


 一瞬、吹き付ける熱風が治まった。唸りを上げる狼の四本の足は、地面に縫い付けられたままピクリとも動かない。困惑するように、狼がひときわ大きな雄たけびを上げる。

 セイムが使ったのは、相手の動きを止める呪縛系の魔導だ。ある程度簡単なものではあったが、込めた魔力の量と呪具の品質の高さがその効果を最大限にまで引き出してくれる。


「蒼玉の星々よ、四ツ目の蛇が詠う古の光よ」


 今度は、成功した。

 指輪から抜け出た二匹の蛇が、瞬く間に狼の体を絡めとりその炎を凍り付かせていく。

 むせ返る様な暑さだった結界の中は、忽ち凍てついた氷の世界になった。


「ふむ、氷雪魔導が得意なのかい?」

「火炎魔導には氷雪魔導を、相性のいい属性の魔導を扱うのは、基本中の基本です」

「君みたいに器用な子ならそれも出来るかもしれないがね……世の中には一点集中型の人間というのもいるものさ」


 涼しい笑顔のノーヴルが、すぐに左手を振り払った。地面が揺れたその瞬間、石畳を突き破って幾つもの火柱がそびえ立つ。先程とは比べ物にならない熱量が外にも伝わったのか、イヴァンの手によってさらに一重結界がつかされた。

 それに貫かれ焼き焦がされないようにセイムも走るが、魔導の速度に体がまるで追いつかない。気休めで放った魔導はどれもそれに吸い尽くされてしまった。


「なんであんな――詠唱も呪具もなしにだなんて、まるで」


 理論をすべて無視した形で魔導を発動させられる人間を、セイムは一人しか知らない。

 否、恐らく国内、大陸中を探したところで、そんな人間はたった一人しかいないだろう。長く髪を伸ばした彼女の師が、どこかでほくそえんでいるような気さえしてきた。


「お師様みたい……」


 構えた呪具に魔力を注ぎ込み、焦点を合わせる。

 爆発音とともに咲き誇ったのは氷の花だった。魔力同士のせめぎあいで歪んだその花の中心に立つ二人は、息を上げることもなく対峙しあっている。既に炎の柱は氷柱へと姿を変えていたが、セイムの攻撃の手は止むことがない。


「海神の蒼玉、瑪瑙の三角――」

「させはしないよ。セイム!」


 水と風、親和性がある二つの属性の魔導は絡み合って確かにノーヴルまで届いたはずだ。だが彼はまるでそよ風を感じるように魔力を体にまとわせると、その攻撃自体を相殺した。どんな魔導を組み合わせたのか、セイムに推し量ることはできない。

 しかし、ノーヴルがそれを受け流した時には既に別の攻撃が用意されていた。


「いい爆発力だ。だが、……っ!」


 大輪の氷花の下からセイムの求めに応じたのは、鎌鼬を宿した双頭の蛇だ。女性術士が操るとは思えないその禍々しい魔導に、思わずノーヴルも眉をひそめる。


「まだ!」


 風を纏った氷の蛇が、ノーヴルの体を締め付けようとその巨躯を伸ばした。それすらも回避しようとした美しい人形の真後ろには、先程ノーヴル自身が呼び出したものと似通った炎の狼が、彼の体を噛み砕こうと口を広げて待っている。結果、あっさりと彼は狼に飲み込まれてしまった。

 属性が相反する三つの魔導を同時に発動させることは、相当のテクニックと集中力を必要とする。少女の身でそれをやってのけたセイムに、結界の外側がざわついた。

 魔導令師イヴァンでさえ、その様子に目を見開いて固まってしまっている。


「やったの……?」


 大量に流れる汗を拭うこともせず、肩で息をしたままセイムは燃える氷の山を眺めていた。結果としておびただしい量の魔力を放出することになったが、これで向こうに、一切の傷がついていないということもないはずだ。

 ノーヴルを倒した。その現実に、セイムの体が小刻みに震える。


「やっ、」

「まだ――まだだよセイム。君の魔導は素晴らしいけれど、無駄が多すぎる」


 その声は少女の希望を打ち砕くように、渦を巻く炎の中から聞こえてきた。

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