ある雪女の話

家葉 テイク

第1話

 むかしむかし、あるところにひとりのおなごがいました。

 おなごのなまえはおゆきといい、とてもすなおでやさしいおなごでした。


 おゆきにはもともとやさしいおやがおりましたが、あるときお母さんがなくなり、お父さんはやがて村長の妹とけっこんし、子どももできました。

 しかしこの村長の妹がひどい人間で、いつもおゆきのことをせめたていじめぬいていました。

 いじめは家の中だけで行われていたので、村の人たちは気づきもしません。

 しかもひどいことに、おゆきの父はでかせぎのためあまり家におらず、すなおで正直者すぎるため村長の妹のいじめを見ぬくことすらできませんでした。


 ちょうどそのころ、おゆきの村は雪になやまされていました。

 こどもたちはのんきに雪で遊んでいましたが、村のおとなたちは雪のおもさで家がつぶれないように冬の間は毎日雪かきをするばかり。そこで、村の人たちは考えました。


『山の神さまにお供えをして、雪を少なくしてもらおう』


 ですが、山の神さまへのお供えです。もちろんふつうのものではいけません。

 村の人たちがお供えするものになやんでいたそんなとき、村長の妹は言いました。


「うちのむすめを使うといいよ」


 村の人たちははじめこそ反対しましたが、村長の妹に逆らうのがおそろしくて、けっきょく村長の妹のいうことにしたがいました。

 そしてけっきょく、おゆきはお父さんの知らないうちに山にたてられたそまつな小屋にほうりこまれ、そこでさむさのあまり死んでしまいました。

 死ぬまぎわ、おゆきはぼんやりとした心の中で、せめて自分のかわりに父さまはしあわせになってほしい……と思いました。


 それからいく日か。

 雪はますます強くなるばかりで、このままでは村そのものが雪にうもれてしまいそうでした。

 山の神さまは、村のお供えを無視したのです。


 そんなとき、山から一人の女がおりて来ました。

 旅人を名のる女は『つかれているのでこの村に少しだけとめてほしい』と言ったので、おゆきが住んでいた家に少しのあいだとまることになりました。

 おゆきの家には村長の妹やその子のほかに、やまいにふせったおゆきのお父さんがいました。

 おゆきのお父さんには、おゆきはでかせぎに出ているあいだにやまいで亡くなったと伝えていたので、手しおに育てたむすめがやまいで亡くなったことのショックときびしいさむさで体をこわしてしまっているのでした。


 これを見て、女はしずかに言いました。


「わたくしは仙女です。この村を助けるために山からやってきました。村の人たちをよんでください」


 これを聞いて大よろこびしたのは村長の妹でした。

 せっかくおゆきを人柱にしたというのに、雪は収まるどころか強まるばかり。村の人たちはおさないこどもをいけにえにしたことに悪いことをしたと思い、だんだんと村長の妹は立場がわるくなっていたのです。

 村長の妹は女の言うことにしたがって、家の前に村の人たちをのこらずあつめました。

 全員があつまったのを見ると、女は低くおごそかな声で村の人たちに言います。


「きさまらは、自分たちのためにひとりのおなごをころした」


 それは、女が山からやってきたのでなければ絶対に知るはずのないことです。村の人たちはおそれおののきつつも、この女が本当に山の神さまなのだと思いました。


「しかし神さま、そうしなければわたしたちは雪のためにみな死んでいたのです。どうかおゆるしください」


 村の人たちのひとりが雪に頭をつけてそういうとつぎつぎとほかの村の人も同じようにしてゆるしをこいます。女はそれらをただじっとながめていましたが、やがて口をひらきました。


「わたしは、神ではない。わたしは、きさまらがころしたおゆきだ」


 すべての村の人たちが驚き、言葉をうしないました。

 そんななかで、ひとりだけが声をあげます。


「おゆき……おまえか、おまえなのか!」


 それは、おゆきのお父さんでした。

 やまいでねこんでいたおゆきのお父さんは、おとなの女となったおゆきの言葉をきいてとびおきたのでした。


「そうです……。お父さま。わたしは、お父さまを助けるためによみがえったのです」


 やさしい声でそういったお雪は、つぎにきびしい声で村の人たちにいいます。


「いいか。きさまらはゆるされないことをした。よってつぐないをしなくてはならない。だが、わたしはやさしい。とくべつに、ひとりの命できさまらをゆるしてやる」


 おゆきは、人ごみの方を指さしました。


「きさまだ。きさまをいけにえにすれば村人はゆるし、この村をおそっている雪をおさめてやろう」


 おゆきの指がさしているのは、村長の妹でした。


「そんな、なんでわたくしが!」

「なにをしらじらしい。いいか、きけ皆のしゅう! こやつは今までひとりのおなごをいじめぬき、まんぞくな食べ物すらあたえずにあつかってきた! あげくのはてに、こやつはそのおなごを人柱にたて、雪山のさむさでころしたのだ!」


 人柱のことは知っていた村の人たちでしたが、おゆきをいじめていたことまでは知りませんでした。おゆきのお父さんはかわいいわが子にそんなしうちをしていたことにおどろき、そして村長の妹をうらみました。

 村の人たちも、ひどいしうちをした村長の妹におこります。

 そして、とうとう村長の妹は、自分が送り込んだ山小屋の中におしこめられ、おゆきと同じようにさむさで死んでしまいました。

 また、村長の妹の子どもたちも村の人たちから仲間はずれにされ、さびしい一生を送ることになりました。


 おゆきは村をおそっていた雪をおさえてやり、あたらしく作った山小屋でお父さんと一しょに末永くしあわせにくらしました。


 めでたし、めでたし。




   ◆ ◆ ◆




「……はあっ」


 少女は溜息を吐いた。

 ふわり、と少女の吐息が白く曇る。まるで、彼女の頭上に広がる空と同じように。

 降り積もった雪の上を歩きながら、少女は未練がましく後ろを振り返った。

 針葉樹に囲まれた山道は、もう半分を越えたあたりだ。今から引き返しても下山している途中で夜になる。そうなれば、彼女がどうなってしまうかなど分かり切っている。どうせ、此処を進んで中腹にある山小屋に行かなくてはならないという訳だ。


 深雪みゆきの住む村は、とある山の麓にあった。

 この山に関して、一つの警句がある。

 ――山に深入りするな。山で夜を迎えたが最期、雪女の怒りを買う。


 雪女の怒りを買う――というのは、凍死するということだろう、と深雪は思う。

 深雪は子供だが、幼くはない。人並み程度に常識は備えている。雪女なんてものはいないし、いたとしても雪山で一夜過ごせば死んでしまうのはどのみち至極当然のことである。


「……ただし雪女に愛された者だけは、生きて帰ることができるだろう――か」


 埃の被った昔ばなしの一説を呟き、深雪は頭を振った。

 現実逃避していることは自覚していた。

 この村に来てから、伯母の子供達が真剣に言っているのを聞いただけの話だったが、当時はその話を聞きながら、そんなことを大真面目に聞いている伯母の子供達を内心で嗤っていたのだ。そんな理不尽な話があるか、と。

 だが、自分の置かれているこの状況もまた、十分に現実離れした理不尽さだ。少しくらいは許してほしい、とも思う。


「いまどき、義母の嫌がらせで殺されるなんて御伽噺どころか笑い話にもならないよ」


 途方に暮れて、深雪は空を見上げた。

 深雪の心の中と同じく、空はどんよりと曇っていた。




   ◆ ◆ ◆




 深雪は一三歳になるこの歳まで、自分の親戚というものを見たことがなかった。クラスメイトが盆休みや正月休みに『実家』という田舎に住む祖父母の家に遊びに行くのを見て、『うちに「実家」はないの?』と尋ねたことがあったが、両親は曖昧に答えるだけだった。『うちはそういうものなんだ』と、深雪は子供らしい純粋さで納得していたものだ。

 そんな生活が一変したのは、とある事故だった。

 盆休み、帰郷しない代わりにテーマパークに行こうと車で遠出をしたのが間違いだったか。運転を間違えた反対車線の車と正面衝突し、深雪の両親はあっけなくこの世を去った。後部座席できちんとシートベルトを締めていた為にほぼ無傷で生還出来たのは、幸運だったのか不運だったのか。少なくとも、深雪は『あの時パパとママと一緒に死ねていたら良かったのに』と今まで何度となく思っていたが。

 両親が死んだあと、深雪は二人の死に呆然としたまま過ごしていた。呆然としているうちに、さまざまなことが勝手に決まって行った。まず、深雪の後見人。ニュースで両親が死んだことを知ったのだろう。今まで会ったこともなかった親戚の伯母が、深雪の世話を引き受けてくれた。

 その時になって、深雪は何故自分の両親に『実家』がないのかを知った。

 両親は、『駆け落ち』していたのだった。

 駆け落ち。つまるところ、自分達の肉親と縁を切ってまで大切な人と結ばれるということである。何故、両親がそんなことをしてしまったのか、もはや深雪には分からない。ただ一つだけはっきりしているのは、そのことで両親は彼らの肉親から酷く憎まれていて――、


 その憎しみの捌け口として、深雪が使われている、ということだけだ。


 ざくざくと、雪を踏みしめながら深雪は思う。

 最初は、どうして両親が駆け落ちなどという向う見ずな真似をしたのか分からなかった。親戚が出てきてくれたから良かったが、その為に自分は孤児院とかに送られるかもしれなかったのだ。一時の感情で飛び出すなんて馬鹿げている。思春期らしい感情と論理でそう思った。

 だが、実際に引き取られて分かった。『』と。『たとえ駆け落ちしないで二人の恋を諦めても、その先に未来なんてないことが分かり切ってたんだ』と。


 義母――深雪の伯母は、引き取った深雪を小間使い以下に扱っていた。

 娘たちが学校に通っている間、深雪は家中を雑巾で綺麗にしなくてはならない。二階建てで、大きいとは言えないがそれなりの広さはある家だ。一三歳の少女が掃除をするには、あまりにも広すぎる。まして、この季節。冬になると雪害との戦いが始まるこの村では、濡れ雑巾片手に数時間も掃除を続けるのは途轍もない苦痛だった。

 食事も、与えられるのは朝と夜の二回、それも粗末なものだけ。部屋も当然ながら伯母一家の住む一軒家ではなく、その近くに建てられたあばら家だった。当然、寒さなど凌げようはずもない。

 そんな状況でも、深雪は生活できていた。痩せ細ってはいるが病気をするほど悲惨というわけでもなく、少なくとも死ぬことはない程度に『加減』されて痛めつけられていた。ただ、少しずつエスカレートはしていたのだ。

 この責め苦では死なない。ではもう少しだけ酷くしよう。まるでチキンレースのような娯楽に気を取られ、ついに今日、深雪の伯母は明確に


「……山の中腹にある小屋を掃除して来い、って言うんだもん。そんなのどうしようもないじゃん」


 それは、何の目的で建てられたんかも分からないような山小屋だった。ただ、どれだけ粗末でも小屋は小屋だ。それなりに広いし、当然放置されているので中もボロボロに決まっている。あれやこれやしているうちに日が暮れるのは当然のことで、そして小屋では夜の雪山を生き延びることなど到底不可能だ。


「私、死ぬのかなぁ」


 深雪は、ポツリと呟いた。

 宙に浮いたみたいに、現実感のない声色だった。

 それでいて、しっかりと、素朴な実感を込めて、少女は誰にも伝わらない弱音を漏らす。


「……嫌だなぁ」




   ◆ ◆ ◆




 山小屋は深雪の想像よりもボロボロだった。

 埃が全面に満遍なく積もっているのは勿論のこと、床板はところどころ腐り、屋根など雪の重さで今にも倒壊しかねない有様だった。幸い梯子があったので、それで屋根の上に上っては雪を持ってきた雪かきでかきおろし、それが終わったころにはもう日は沈みかけていた。


「……うっ…………、小屋の中、片付けないと……」


 もはや日没前の下山は絶望的。そんな状況に置かれても、深雪はまだ小屋の片づけを放棄しようとは思わなかった。小屋の中にいれば寒さをしのげて生き残れるかもしれない、という打算は働いていなかった。そもそも、深雪はその気になれば山に行くふりをして一か八か村から逃げることだって出来た。深雪がそれをしなかったということは、つまりそういうことだ。

 生きることに疲れていた。言われたことにただ従う程度の気力しか残っていなかった。

 単純な、しかし絶望的な無気力が少女から活力という活力を奪っていた。


 だから、深雪は寒さで固まった身体が梯子から足を踏み外した時も、特に狼狽することなく『それ』を受け入れた。


「あっ……」


 致命的に体が傾いでいく感覚。

 反射的に何かを掴もうと伸ばした手を見て、自分にまだそんな『本能』が働く余裕があったのかと頭の片隅で思う。やがて浮遊感と虚脱感が深雪の身体を支配し――、


 どすん、という音と共に人生の終わりを予感した深雪だったが、そうはならなかった。

 かき下ろした雪が、落下した深雪を守るクッションとなったのだった。


「……たすかった」


 自らの悪運に苦笑した深雪は、起き上がってそこで驚いた。


 目の前に、時代錯誤の素朴な和服を身に纏った女性が佇んでいたのだ。


 真っ直ぐ降ろした黒髪は深雪が今まで見た誰よりも美しく、化粧一つしていないはずの肌は雪のように白かった。雪の中を歩いて来たはずなのに彼女の身体は服を含めて不自然なほどに濡れておらず、この気温の中なのに寒そうな様子は欠片も見せていない。

 端的に言うと、人間離れした美しさを持った女性。

 決定的だったのは、女性の吐息がこの寒空の下で白くなっていなかったことだった。


 深雪は直感的に確信した。

 この人が、雪女だ。


「おやおや、騒がしいと思って来てみたら、まだこの時代に殊勝な人間が残っていたのねぇ」

「……あなたは、」

「気にしないで。随分前に引っ越したからそこは空き家だけど、掃除してくれるというのなら願ったりよ。さあ、続けなさい」


 殺されると何となく思った深雪だったが、意外にも雪女は深雪に手を下すことはなかった。自分が手を下すまでもなく寒さで死ぬと思っているのか、また別の思惑があるのか。不思議に思いながらも、その重圧に押されるようにして深雪は小屋の中に入っていく。

 奇妙な気分だった。これまで、深雪の人生は運命という強固なレールの上を走るだけだった。もう既にそのレールは『雪山に放り出される』という絶対的な死で終わっているのに――途切れてしまっているのに、レールから飛び出してなお暴走しているような感覚。

 いわゆる『やけくそ』と呼ばれる感情だった。


「最近は、村の連中ときたら私を忘れたかのように振る舞うものだったから、そろそろ祟りの一つでも起こしてやろうかと思ってたんだけど、全く。寸でのところで思い出せたみたいね。祟りは許してやらんでもないわ」

「……、」


 深雪が持ってきた箒で床一面の埃を掃いている間、雪女は窓枠に腰かけてそんなことを言っていた。


「思い出してなんて、いないよ」


 床を見つめながら、深雪は暗い気持ちでそう言った。

 雪女は何も言わない。


「私は、殺される為に此処に来たの。山小屋の掃除に行けば、絶対に山で一夜を過ごすことになる。そんなことになれば私は絶対に凍死するからって」

「おや。お前もしかして罪人?」

「……かもしれないね。あの連中にとっては」


 深雪は卑屈な笑いを浮かべ、


「両親が村から出て駆け落ちした。村の連中にとっては、私は脱走者の娘」

「……なるほど」


 たとえ私自身に何の落ち度がなくても――とは、流石に言わなかった。

 雪女は罪の清算に『冬の山小屋掃除』という手段が選ばれることに、何ら違和感を抱いていない。もしかしたら、駆け落ちしたら一族郎党皆殺しという考え方にも違和感を覚えていないのかもしれない。そう思ったら、わざわざ自分の心の裡の怒りを吐き出す気にもなれなかった。


(……? 怒り? 今さら、そんなこと……)

「手が止まっているわよ。しっかり働きなさい」

「……っ、はい」


 言われて、自分が考え込んでいたことに気付いた深雪は、慌てて掃除を再開する。


「………………」


 埃を掃くと、どうしても少しだけ埃が舞ってしまう。それが煙たくて深雪は少し咳ばらいをした。そうしていくたびに、自分の中の思い出が少しずつこぼれていくような気がした。

 彼女の両親は、『相手の立場になって考えるのよ』とよく言っていた気がする。学校の先生も、『人の気持ちを考えて行動しましょう』と言っていた。なるほど、それらは大事だ。もしこの世界の全員が学校で教えられたことをしっかりと守れているなら、今頃深雪はこんなところにはいなかったのだから。


「にしても、酷い連中ねぇ」


 朽ちかけた窓枠に腰かけた雪女は、深雪の不幸を舌の上で転がすような調子でそううそぶいた。

 深雪は集めた埃を持ってきたビニール袋に入れながら、耳だけで雪女の言葉を意識する。

 殆ど無視するような形だったが、雪女はまるで気にした様子もなく言葉を続けた。


「こんな幼気な子供を雪山に放り込んで……。禁忌を犯した大罪人にだってそんなことはしなかったのに。これは本当に、村の連中に私を覚えている人間がいなくなったってことで良いのかしらね?」

「……此処は、心霊スポットとして扱われてるよ」

「しんれいぃ?」


 雪女は目を丸くした。思いのほか感情豊かな人だな……人? と一通り考えて、深雪は何だか面白くなった。妖怪相手に命知らずも良い所な言動だと思うが、どうせ死ぬのだからという自暴自棄が彼女に素直な行動をとらせていた。


「私も聞いた話だけどね。村の若い人は、夜になる前の夕方くらいに此処まで来て、一通り騒いでから帰るんだって」

「……呆れた。私の居ない夜にそんなことしていたのか、あの恩知らずの末裔どもめ」


 憎々しげに言うが、雪女は言葉ほどの怒りを覚えている様子はなかった。というよりこれは……興味がないのだろうか。先程から『恩』や『祟り』など雪女らしからぬ言葉が飛び出ているのもあって、深雪はおそるおそる問いかけた。


「もしかして……あなた、神様?」

「みたいなものよ。というか、どっちでも変わらないし関係ないんじゃないかしら?」


 当たり前のように問いかけられて、深雪は小さく頷いた。妖怪と神様では妖怪は害のある存在で神様はご利益のある存在のように感じられるが、深雪は実際に二つの存在を見比べた訳ではないし、あるいは両者に違いなどなく、ただ人間の尺度ではかった結果そう呼んでいるだけなのかもしれない。

 そんな深雪の心情を読んだのか、雪女はそれ以上その話題には拘泥しなかった。


「…………………………………………………………」


 沈黙と吹きすさぶ冷風の音が、しばし二人を包み込んだ。

 やがて、それらを押し流すように雪女が特大の質問を投げかける。


「あなた、そいつらのこと、恨んでる?」


 雪女は、窓枠に腰かけた体勢のまま愉快そうな笑みを深雪に向けた。


「……は?」

「だからね」


 小屋の外の風が強まる。

 雪女と会ってから意識していなかった冬の寒さが、此処に来て蘇ったような気がした。


「両親が死んだかと思えば、いきなり見ず知らずの馬鹿どもに引き取られて小間使い以下の待遇。その様子だと、ここまでで随分と『摩耗』してしまってるんでしょう? 挙句の果てには雪山に人柱まがいの放逐と来た。……そんなことをしてきたヤツらのことを、恨んでいないの?」


 笑みを浮かべた雪女は、どこか少女の面影を思わせる。

 深雪はその面影に自分を重ね、そして目を閉じて考えた。都会で何不自由なく暮らして来た彼女には、何よりも苦痛で屈辱的だったあの日々を。義母に虐められ、義姉妹には省みられず、ただただ人間以下の扱いを受けたあの日々を。

 自分をよそに、当たり前のように幸せな笑みを浮かべる村人たちの姿を。


「……壊したいって、思うでしょ?」


 雪女の笑みに、決定的な何かが彩られる。

 深雪は、その言葉を、その表情を受け止めてから、もう一度考えた。


 自分が村の人々に何か『報復』ができるとしたら、一体どんなことがしたいのか。

 恨みならいくらでもある。そもそも罪は義母一家に留まらない。他の者も同罪だ。

 普通は出来ないような仕返しでも雪女の『祟り』なら可能にできるかもしれない。

 仮に自分の命と引き換えになるとしても、それは十分価値のある選択にも思えた。


「…………私は、」


 そして。


「……私は」


 そして。


「私は」


 そして。




   ◆ ◆ ◆




 幸せなんかじゃ、なかった。

 お父様は寒さで崩した体調が戻らず、あれから数年もしないうちにお母様のもとへと行ってしまった。

 村の人達は私のことをおそれ、毎年供物をし続けてきた。

 時には、あの継母の子供が供物として出されることもあった。ヤツらは皆一様に絶望し、涙で顔を歪め、自分の母を殺された恨みを噛み締めた瞳で私を見据え、寒さわたしに殺されていった。

 継母の子供のことを慕っていた村人からは、私は恐れられた。それでも村人の大多数は雪害を抑えてやった私に感謝し、私は誰かに必要とされていることが嬉しくて――お父様がお母様のもとへ行ってしまっても、自分が存在し続ける意味はあるんだと思って頑張れた。

 ……でも、その供物も年が下るにつれてなくなっていった。

 私の心には、あの時の子供たちの瞳だけが残った。


 この村から離れよう、とも思った。

 でも、離れるにはこの村を離れるには捨てがたいものが多すぎて、できなかった。

 この村に溶け込もう、とも思った。

 でも、溶け込むにはこの村には殺したいほど憎いものが多すぎて、できなかった。


 何度死にたいと思ったことか。

 人の身でなくなった、化け物の私は何度も山から身を投げて、そのたび傷のない身体に絶望した。

 私は、わたしは、ただ祈っただけなのだ。お父様の幸せを。なのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 いっそ、あの時すべてを終わらせてしまえば良かったのだろうか。

 聖人ぶってあの女の命ひとつで終わらせてやることなんてなかった。

 私のことを殺すと決めたあの村すべてを雪に覆いつくしてしまえば良かったのだ。そうすれば、愚かな未練など捨てて、こんな雪山に縛られることなく自由に生きることができたはずなのに。


 そんな時、ひとりの少女が古い山小屋にやってきた。

 あの日、あの女が私を殺したあの山小屋に。

 あの日、私があの女を殺したあの山小屋に。


 何をするつもりなのかと思って、私は気になって少女を眺めた。

 少女は何を思ったのか、小屋の屋根に乗った雪をかき落とし始めた。もうすぐ日も暮れる。夜になれば、山小屋の中だろうと当然寒さはしのげない。次の日には、寒さに凍えて死んでしまうだろう。私や、あの女や、その子供のように。

 寒さで手が固まったのか、屋根から転げ落ちた少女の下に雪のクッションを敷いてやって、私は少女から経緯を聞いた。


 そして、呆れた。


 この村は……この村の人間は、まだこんなことをしていたのか。それも、今回は村ぐるみと来た。あの女とその子供この手で間違いなく殺したと記憶しているが、……いや、そういえばあの女の兄である村長の血筋の方は断っていなかった。

 まあどのみち、この村の人間というものは本質的に『そう』だったということなのだろう。

 ずっと燻っていた私の心の中の何かが、すっと消えていく感覚があった。


 私は少女に尋ねた。

 いや、それは殆ど提案だったのかもしれない。


「……壊したいって、思うでしょ?」


 それに対して、あの時の私と同じくらいの少女は――、




   ◆ ◆ ◆




「……思う、よ」


 深雪が答えた瞬間、雪女は笑みを深めた。

 それは、まるで何かを壊すかのようですらあった。


「でも、壊したりはしない」


 だから。

 次の瞬間、雪女は破壊的な笑みを浮かべたままの表情で、一瞬だけ思考が空白に染まった。


「……は?」

「確かに……憎いよ。壊したいよ。私だけこんな目に遭っているのに、あのクソババァたちだけがのうのうと幸せに暮らしていると思うだけで、心の中に嫌なものが溜まっていく感じがする」

「じゃあ、どうして……」

「でも、壊したら同じになっちゃう」


 深雪が言った瞬間、雪女は自分の頭に血が上るのが分かった。実に数百年ぶりの激情だった。


「き、さまっ……」

「残された人たちは、私と同じ思いをしちゃう」

「……! ……」

「だって、そうでしょ? 村の人達の関係は、村の人達だけで完結してる訳じゃない。村の他にも繋がりはあるし、私の見ている一面だけがあの人達の全てだとは思わない。……きっと、私の知らない『良い所』だってあるんだと思う。慕っている人達だっているんだと思う。……


 雪女は、青褪めていた。

 それは、遠い昔の過ちをいまさらになって知ったかのような様子だった。

 それは、あの日子供たちの瞳に浮かんでいたものの正体に、自分が村人から恐れられていた理由に本当の意味で気付いたからだ。

 深雪には、詳しい事情は分からない。

 だが、何故だか目の前にいるこの女性の姿をした少女の気持ちが何となく分かる気がした。

 きっと、この少女は自分の在り得た未来の一つだ、と深雪は強く自覚する。

 何か一つでもボタンを掛け違えれば、深雪はこんな風になっていたのだろう。

 特に、『相手の立場になって考えろ』なんていう、小学校で教わるような陳腐な『教え』がなければ。


 それを自覚した上で、深雪は言う。

 ただの薄っぺらい綺麗事ではなく、自分の憎しみの深さを理解した上で正しいと思える答えを。


「きっと、これがただの『お伽噺』だったら私は何をやったって正しいことになるんだろうけどさ」


 外の雪風の音が、


「実際には違う。そうじゃない。あのクソババァにだって良い所はあって、死ねば悲しむ誰かがいて、もしもそういうことを気にせず全部壊して……あとからそのことに気付いたら、私はそれでも自分が元々抱えてた『綺麗なモノ』と……パパとママの思い出と向き合えるほど、強い人間じゃない。きっと……ずっと後悔し続けると思う」


 外はすっかり真っ暗になり、吹雪は今にも小屋を吹き飛ばさんばかりに強くなっていった。

 最後に、深雪は目の前の雪女に対して呼びかける。


?」

「……ッ!!」


 その直後、吹雪が山小屋の扉を吹き飛ばした。

 凍える風が屋内を蹂躙し、今までの肌寒さを上から乱暴に塗り潰すように、痛みすら覚えるような寒さ――否、『冷たさ』が深雪のことを襲う。頬の水分が凍り付いて引っ張られる感覚がするが、深雪はただそれに任せていた。今までのような自暴自棄ではなかった。何かの信頼のようなものが、いつの間にか目の前にいるとの間に芽生えていた。


「知った風な……知った風な口を!! お前は殺されていない!! その先にある長い長い孤独を知らない!! 世界の残酷さを、お前はこれっぽっちも分かっちゃいない!!」

「そうかも、しれないね」


 寒さが体温を奪っているのか、顔を白くしながらも、少女はあくまで穏やかだった。


「だから、私に教えてよ。一つずつで、良いからさ」


 深雪には、この女性の姿をした少女の事情など何一つ分からない。だが、深雪と同じように此処に置き去りにされ、そして深雪と違って此処で死んでしまったのだろうということだけは何となく分かる。

 それからずっとずっと――――長い間、滅亡と傍観の両方の間で天秤を揺らし続けていたのだ。

 深雪の一件がきっかけになったかは知らないが、少女の心の天秤は確かに傾いた。その結果、少女は深雪をそそのかしたのだ。『私は村のすべてを壊したい』と言うように。

 だが、これはおかしい。

 少女自身がそうしたいと願っているなら、黙ってそうしてしまえば良いはずだ。よそ者とはいえ深雪はあの村の人間なのだから、少女からしてみれば同類以外の何者でもないのだから。

 それをせず、あくまで『深雪に自発的な決断を促す』形をとったということは。


「知って、欲しかったんだよね」


 自分と同じ状況に置くことで、その心情を理解してほしかった、ということ。

 同じ感情を共有したかった、ということ。


「でも、ごめん。それはできないよ。だって……結局、傷つくのはあなた自身だから」


 深雪は、寒さで言うことを聞かない身体に鞭を打って立ち上がる。

 関節が古びたからくり人形のようにギシギシと不安な音を立てるが、ゆっくり、ゆっくりと確かめるように深雪は歩く。


「あ……、」

「私には、これ以上あなたに背負わせることは出来ない」


 少女の前に立った深雪は、ゆっくりとその白い頬を撫でた。

 吹雪の中にいたのに、少女の肌は驚くほどに温かかった。


「だから……私に、分けてよ。一気には無理だけど、少しずつ頑張る。私の一生をかかっても、じっくり付き合うから」

「……人の一生は、短いわよ」

「そのときは、人をやめるよ。あなたみたいに」


 深雪は、笑みを浮かべた。この村に来て初めて、まともに笑えたような気がした。

 吹雪はもう、止んでいた。


「名前」

「……ん?」


 ふいに、少女が呟いた。


「名前、教えてちょうだい。……長い付き合いになるんだもの。その間ずっと、『お前』で通させるつもり?」


 少女の頬に、赤みが差す。

 深雪は何だかそれがおかしくなって、ついつい吹き出してしまった。


「ふふっ……ああ、ごめん。名前、か。私の名前はね――――」




   ◆ ◆ ◆




「深雪、かぁ……」


 雪山を下りながら、お雪はふいにそう呟いた。あたりは暗く、月明かりがなければ足元さえおぼつかない有様だったが、不思議とあたりに吹雪はなかった。


「お雪ってさ。多分全部漢字にしたら『御雪おゆき』でしょ?」

「口で言っても伝わらないよ。まあ、何となく分かるけど」

「読み方を変えたら、御雪みゆきにならない?」

「……それで?」


 くだらない洒落を聞いて、どことなく白い目でお雪を見る深雪に、お雪は気にせず笑って言った。


「んーん。ただ何となく、お揃いだなって思っただけー」


 名前の割に、雪が解けたみたいに蕩けた顔してるね――というツッコミは、彼女の名誉の為にも心の中に締まっておこうと思う深雪だった。

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