第三十九話 目覚めれば、勝利
勝利を確信した後、どうやら俺は倒れていたらしかった。
全力以上の力で走り、暴れ、それから安堵したのだ、おそらく頭に血が回らなくなったのだろう、格好は良くないが、まあ仕方ないとも言える。
後頭部に何となく柔らかい感触があり、ゆっくりと目を開けると、そこには逆さまになったイルミナの顔があった。
「…………マジか!」
「お目覚めですか?」
声も表情も、相変わらず不愛想だが、こいつは別に感情がないわけではなく、それが表に出てこないだけだということは知っている。心配したとか、もう安心だとか、そういうものを受け取りながら、俺が意識を取り戻したのは、イルミナの膝枕の上だった。
「この寝覚めは心臓に悪い」
こんなことは、今までにされた経験はない。俺からは何度も、頭を撫でまわしたり、特にいやらしくない意味で、べたべたと触りにいったことはあるが、イルミナの方から何かをしてきたというような記憶には、心当たりがなかった。
だが慌てて起き上るのも、照れくさくてみっともない。もはやガキではないのだ、太ももの柔らかさを確かめるように、そのままの体勢で話しかけた。
「どのくらい寝てた?」
「ほんの少しだけです」
「戦いはどうなった?」
「追撃に出ていた皆さんが、そろそろ戻られてきています」
そうか、と言いながら体を起こす。よく確かめた結果、イルミナの太ももは寝心地はいいが、そんなには柔らかくはない、ということがわかった。
「ありがとな」
背中にいくつか受けた傷も、手当てがされていた。体を動かしてみても、痛みも支障も感じられない。
「今度ばっかりは、さすがに死ぬかと思ったがな」
少し離れた場所に、ネクセルガの死体があった。
寝ている間に
少し思うところがあって、その死体に近づいた。
――あんたも、ツイてなかったな。
ネクセルガが、どんな思いで俺を狙ってきていたのか、今となっては何もわからない。結局、一度も言葉を交わすことはなく、俺にとっては天災のようなものでしかなかった。こいつにはこいつの意思があったのだろうが、その最期の様子からも、読み取れそうなものは何もなかった。
その腰には、さっきまで俺の命を奪おうとしていた二本の剣、それらが誰かの手によって、鞘に納められていた。
「振ってみな」
それを再び引き抜き、重さと刃を確かめてから、イルミナに手渡す。
名のある者が使っていただけあって、短くて、軽くて、切れ味も良さそうだ。いつものナイフ以外に、こういうものも持っていていいかもしれない。
それを手にしたイルミナは、少し思案していたが、一度動き出せば、ひゅんひゅんと、いい音をさせて、見事に二剣を操ってみせた。もちろんネクセルガには到底及ばないが、それでもなかなかのものだ。
「いいじゃねえか、貰っときな」
「よろしいのですか?」
「構うもんか、誰が何と言おうと、それはお前の戦利品だ」
やがて、俺たちの周囲に、追撃を終えた仲間たちが集まってきた。結構な戦果があったようだ、武器や防具、その他何らかの戦利品を抱えた者が多い。
「こいつはどうするよ」
ティラガらの手によって、小包みのようにぐるぐる巻きにされ、地面に投げだされたのは、バイルゾンだった。
――生きてやがったのか。
俺が、というよりイルミナがネクセルガを討ち取ったのと、ほぼ時を同じくして、こいつもまた、馬上から姿を消していた。
その後は敵も総崩れになり、この戦いの勝敗は完全に定まっていた。俺の記憶があったのは、どうやらそのあたりまでだった。
それから相手の半数ほどは逃げ散り、怪我人などを含めた残りの半数は、武器を捨てて降伏したらしい。
もちろん死者も大勢出ている。正直なところ、バイルゾンにもその中に含まれていてほしかった。
こいつがビムラの傭兵業界を牛耳る、そんな余計なことを企んでいなければ、このような事態にはなっていなかったわけだし、俺が死ぬほど危ない目に遭うこともなかった、俺にとってはまごうことなき疫病神だった。
おそらくは間接的にとはいえ、こいつはソムデンに唆されて、その矛先を
それでもこうなってしまったのは、誰のせいでもなく、こいつ自身の選択によるものだ。そのことについては、今さら恨み言も命乞いも聞きたくはない。
だがこうして捕虜になった以上、大将同士、何らかの言葉を交わさなくてはならないのだろう。しかし話さなくてはならないことは何もなく、こんな奴相手に勝ち誇りたいわけでもない、あまり気は進まなかった。
拘束された今のバイルゾンに動かせるのはその口だけだった。何やら喚き散らしているが、ほとんど聞き流している。まともに聞き取れたのは最後の、
「殺せ!」
それだけだった。それすらも意に介する価値などなかった。
「偉そうにすんな。何で負けた
死んでいてくれ、とは思ったが、それはこういった後処理が面倒だからであって、ムカつく奴だが、殺したいほど憎いわけではない。
こうして抵抗できなくなった以上、一方的に断罪する、というのには気が引けた。
これは俺がまがりなりにも、
もちろん、傭兵の流儀で、ここでこいつの首を落としてしまったところで、芋洗傭兵団の本体は別として、それ以外のどこからも文句が出てくることはないだろうし、こいつ本人の恨みを買う後腐れもない。それでもなんとなく収まりが悪い。単なる弱い者いじめをしている気分にもなる。
「何か勘違いしてんじゃねえのか? 手前てめえらはただの盗賊だ。それを俺たち山猫傭兵団が退治したんだ。こうやって捕まえたんなら、あとは官憲に引き渡すだけじゃねえか」
くっ、とバイルゾンの顔が屈辱に歪んだ。
これはこいつが想定していたような、傭兵団同士の対等な抗争でもなんでもない、退治する者とされるべき者、その正義がきちんと果たされた、とまあ、そういう構図であることを指摘してやる。個人的な腹癒せはこんなもので充分だった。
何より、勝利以上に胸のすくことはそうそうない、もう満足してしまっているのだ。
今回は、単純に倍、実働でいえば五倍といっても差し支えないような相手に対しての勝利で、大勝利といってもいいだろう。そのことにわざわざ自分で気分の悪くなるようなことをして、ケチをつけなくてもいい。
あとは然るべきところが、盗賊として処分してくれるだろう。斬首はないにしても、何年かは牢にぶち込んでくれる。こいつが牢から出てくる頃には、俺はどうせどこかの宮廷に仕えるようになっていて、迂闊に手出しできない身分になっているはずだ。
宣言した通り、バイルゾン以下捕虜にした連中は、このままフェリーズまで連行し、そこで軍に引き渡す。怪我をして自力で歩けないような者は、このまま放置して野垂れ死ね、というのも残酷だ、とりあえずは動ける奴に背負わせて連れていくしかないだろう。
捕虜どもを縛り上げ、一ヶ所に固める、それを済ませてから、全体を整列させた。
俺は整然と並んだ面々に対し、威儀を正して向き直る。
号令をかければ、こうして整列ができるようになった、それこそが今回の勝利の要因だった。もちろん正規兵の軍には及ぶべくもないが、見よう見まねで並んでいる、寝返ってきた土竜傭兵団の連中と比べれば、その練度の差は歴然だった。
当然これができていなければ、こうして戦おうとも思わなかったわけだが。
「よくやった! 俺たちの勝利だ!」
天に向かって拳を突き上げ、改めて勝ち鬨をあげると、
「「うおーっ」」
と腹の底に響くような歓呼が応えた。
それが収まってから、
「イリバスさん」
先頭の列にいるイリバスを指名した。
「へえ」
「今回の一番手柄はあんただ、あんたが仲間になってくれて、本当に助かった」
一歩前に出たイリバスに歩み寄り、その肩を叩きながら、功をねぎらう。
この親爺を一番手柄に選んだのは、幾分団内の政治的な意味合いもあるが、それでもあの寝返り劇を見事に達成させたことは、敵味方に与えた衝撃が大きかった。これについては、奮戦したティラガにもディデューンにも、もちろんイルミナにも異存はないだろう。
「せっかく皆が戻ってきてくれたんだ、良かったら土竜傭兵団を再興したらどうだい? まあ金はねえだろうから、その分は融通してもいいぜ」
これは別に親切だけで言ったわけではない。今回の寝返りに応じてきた人数は八十名程度、これはいかにも多い。この先
「いえ、若旦那のお言葉はありがてえでやすが、こっちも一度団長さんを親分に仰いじまった以上、それを簡単には水にはできやせん。今後ともせいぜい頑張らせてもらいやすんで、どうぞお見捨てなきようお頼ん申しやす」
しかしその目論見は簡単に外された。まあちょっとした思いつきで、強く望んだわけでもない、こうまで言われてしまっては、これからも団員もろとも、こちらで面倒を見るしかないだろう。派閥を作らせないように、というのは少し手間だが、それも注意しておくしかないだろう。
「じゃあ今回の褒美に、銀貨百枚だ。こいつは受け取ってくれ」
「うえっ! そんなにですかい!」
団長を務めていたかつてのイリバスならば、はした金のはずだ、しかし今の素寒貧のイリバスにしてみれば、かなりまとまった大金だ。この金でせいぜい以前の子分たちにいい格好でも見せてやればいい。
「あとは、今回仲間になった連中には、支度金として全員に銀貨二枚だ」
これにはその背後からも、おおっ、とどよめきが上がった。
おそらく破格ではあるだろう、だがそれくらいは出す価値がある。先のことを考えれば、
……まあ、こんな裏切りを奨励するようなことは、傭兵団だからできることでもあるのだが。
「それから、他の皆もよくやってくれた。今回の仕事とは別に、銀貨十枚ずつ、これはフェリーズに着いたらすぐに渡す」
その後に起こった歓声は、さらに大きかった。
今回は団員たちにはそれなりに無理をさせた。団体行動、規律ある行動、それらは傭兵のもっとも苦手とする分野だ、それを普段の仕事もやらせながら、訓練させてきた。
内心では不満がなかったわけではないだろう、それでもついてはきてくれた。
俺の言うことを聞けば、勝利の暁にはこれほどの見返りはある、そのことも示しておかねばならなかった。
最後に、俺は改めて姿勢を正し、皆の前で深々と頭を下げた。
「今回もまた、俺のせいで、何人かの仲間を死なせてしまった」
どこをどうすればこの事態は避けられたのか、それはよくわからない。
ただ、スカーランの戦いで死者を出してしまった後、
「うちの連中はどいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」
と、そう自分の中だけで片づけてしまったことが、その原因のひとつである気がしていた。あの時、もっと団員たちの気持ちに寄り添っていれば、ジョエルズ、フーデルケンらの造反者を出すこともなく、もっと万全の形で今日を迎えられたのかもしれなかった。
今回、隊列を外れたことで、敵に討ち取られてしまった連中を、馬鹿ゆえの自業自得と断じてしまえば、それはまた未来へ禍根を残すことになるだろうと、そう思った。
「…………済まなかった」
この行為に、どれほどの意味があるのかはわからない。いくら頭を下げたところで、死者が蘇るわけでもなく、彼らにこの謝罪が届くわけでもない。ただ自分が赦されたがっている、それだけなのかもしれなかった。それでも、頭を下げずにはいられなかった。
そのうちに、ぱち、ぱちと、手が打ち合わされる音が聞こえ、やがてそれは、万雷の拍手となって、俺の体を包み込んだ。それでもまだ、頭を上げることはできなかった。
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