第三十七話 現れた脅威



「てめえらあ! 人に言われて盗賊なんてやってんじゃねえぞ! やめちめえやめちめえ、そんなんだったら傭兵なんかさっさとやめちまえ!」


 ――傭兵を辞めてできる仕事なんかねえよ。


 そんなことを思ったがもちろん口には出さない。


 イリバスによる、旧土竜傭兵団の団員たちへの説得。それはイリバス自身が、強く望んでいたものだった。


「もし首尾よく子分どもを寝返らせたら、あいつらを山猫傭兵団ここで面倒見てもらえやすか?」


 それがどう転ぶかは、判断がつかないでいたが、その要望を呑むことにはやぶさかではなかった。俺の方から機会を作ることはできないし、戦いの流れによっては手助けすることもままならないかもしれないが、イリバス自身の判断で、好きな時にそれを実行することは認めていた。


 ――どう転んでも大きな損にはならないだろ。


 そんなふうには見積もっている。


 元団長の呼びかけに応えるか否か、向こうの体勢が盤石ならば、そんなことは一瞬たりとも顧慮されることはない。


 それでも最悪、問答無用でイリバスが射殺いころされたりするぐらいで、大した損害にはならない。例えそうなったとしても、イリバスとしては本望だろうと割り切ってもいた。


「そんなとこはさっさとやめて、こっちにつきやがれ! 俺なんてめちゃめちゃいい飯食わせてもらってんぞお!」


 イリバスの怒鳴り声はよく響く。この怒号と喧噪と混乱の中、その声が敵陣に届いた時点で、勝利はほぼ手中に収めたと確信している。


 言葉による寝返りなどというものが、簡単に成功するわけがない。


 そもそも連中は、山猫傭兵団ウチに対して恨み骨髄のはずで、それが晴らせるなら、喧嘩でも略奪でも、なんでも喜んでやるだろう。


 旧団長のイリバスについても、どう思っているか知れたものではない。イリバス自身は今も、もとの子分たちを大事にしてやりたい、という気持ちは残っているようだが、向こうからしてみれば、団を潰して逐電した、無能で無責任の親分だという気持ちは拭えまい。それまでの情やら恩義やらと相殺して、どちらの感情が優先するかまではわからない。


 しかし、彼らも今の自分たちの現状にも、満足していないはずだ。


 せっかく次の所属先が決まったというのに、やらされていることは盗賊だ。上司にあたる者から、たとえ今一時のことだと言いきかされていたとしても、危険であることには変わりはないし、胸を張れることではもっとない。同じ盗賊をするにしても、他人に飼われてするぐらいなら、自分たちで始めたほうがまだましというものだ、


 加えて、フーデルケンらの扱いを考えてみても、芋洗傭兵団が新参を大事にするとは思えない。時間が経つにつれ俺たちへの恨みが薄れ、また新たな恨みが別に生じてきていたとしても不思議ではなく、それが久しぶりにイリバスのハゲ頭を見たことによって、急に里心がついてもおかしくはなかった。


 要するに俺としては、寝返ってもらうまでもなく、動揺か混乱か、そんなものが誘えさえすればそれで良かったのだ。


 結果、この時点で敵の足並みはすでに揃ってはいない、一部の出足は大きく鈍り、前と後ろで距離ができつつあった。


「おおおおおおッッッッ!!!」


 逃げる敵を追いかけながら速度を上げ、そのまま俺たちは敵陣の中に躍り込んだ。


 敵の増援は、勇んでやってきたにも関わらず、初撃を加えるまでに半数が動揺し、さらに目の前からやってくるのは敵ではなく味方、そしてその後ろから来る我が軍に相対しなければならなくなっていた。


 これでまともな抵抗ができるはずもない。もともと数を恃んで、一方的に弄るつもりでやってきているのは、増援の連中も同じだった。自分たちが攻撃にさらされることには、極めて薄っぺらい覚悟しか持ち合わせてはおらず、それは俺たちの突撃に対して、ほとんど無力だった。


 三隊は一丸となって敵中深く入り込み、存分にかき回したうえで、その背後までを完全に貫いた。特に相手の区別はしていない、もともと芋洗傭兵団に属していた者だろうが、イリバスの子分だった者だろうが関係なく、平等に的にかけた。そもそも俺たち自身では、そいつらの区別は見てもわからない。


 充分の距離で隊を返しながら、今度は三隊がばらばらになって、さらに再突入の場所を窺う。


 そこでイリバスがさらに叫んだ。


「またあんなのとやりあうつもりか! 勝てるわけねえだろうが!」


 元土竜傭兵団の連中の頭の中には、スカーランでさんざんに打ちのめされた時の記憶が蘇ったに違いない。あの時は俺とディデューンとで思いっきり斬り散らかしてやった、今回の突撃はその時に比べてさらに強烈になっているはずだ、その肝っ玉はどれほどまでに縮み上がったことか。


「こっちだ!」


 イリバスはジジイらしからぬ軽い身のこなしで、荷車の上から飛び降り、自らの頭上に剣を掲げた。


「こっちへ来い!」


 それはもはや説得でもなんでもなく、恐怖の淵にもたらされた、救いの糸だった。イリバス自身も、打算ではなく、助けてやりたい、そういう已むにやまれぬ思いから、自然に体が動いた、そんな風だった。


 土竜傭兵団の連中はそれに縋るように、もといた場所を離れ、イリバスの周囲に集まった。その数は思ったよりも多い、たちまちのうちに優に五十を超えて膨れ上がった。


「よおし、てめえら、敵はあっちだ! 行くぞ!」


 それらはイリバス隊とでも言うべきものを形成し、もとの味方に対して攻撃を開始した。その裏切り行為については、大した疑問も持っていないようだ。傭兵はその習性として、あまり自分で主体的に動いたりはしない。立場が上の者や、強い者の命令に従って行動するか、それすらしないかだ。


 今回彼らは、もとの団長の剣幕にあてられて、その命令に本能的に従った。失われていた戦意は、勝ち馬に乗った、という意識に塗り替えられて、再び昂揚し始めている。


「イリバスさん、やってくれたな」


 その姿が俺の方からも見えた。いくつかの要因が、説得の域を超えて、彼らの寝返りを実現させ、それが向こうの戦意をみるみるうちに挫いていく。


 これで兵力差は、ほぼなくなった。戦況については、考えることもバカバカしいぐらいにこちら優位になってしまっている。敵の増援は攻撃らしい攻撃を一度も繰り出すことなく、早くも敗走する者が出始めていた。


「クソがッ!!!」


 その中で、敵陣の中でひときわ大きく吼える声が響いた。


 ――バイルゾン。


 フーデルケンらの首を土産に。貝殻亭に宣戦布告に来た男が、敵中に一騎だけいる馬の上で激昂していた。


 山猫傭兵団ウチの内部をかき回し、団員を削り、挑発をかまし、輸送品を奪う、先手を取ってそれらの嫌がらせを次々と成功させてきた、そのつもりだったのだろう。


 他の脆弱な基盤しか持たない傭兵団には、それで充分打撃にはなったのだろうが、山猫傭兵団ウチに対しては、相手が悪かったとしか言いようがない。


 ――一体誰が事務長をやっていると思っていやがる!


手前てめえがクソだッ! 俺の苦労を舐めるな!」


 これまでろくな反撃をしてこなかったことで、今回も舐めてかかってきていたのだろうが、ここいらでそのツケは利子をつけて清算してもらおうか。


「あいつだ! あいつを狙え!」


 バイルゾンの剣が指す先には、当然のごとく俺の姿があった。


 ――まあそれしかないわな。


 ここで起死回生の方法があるのなら、それは俺を倒すことしかない。喧嘩はどれほど不利な状況であっても、大将を倒しさえすればそれで終わりだ。


 それはもちろんこちらも条件は同じだ。


 すでに大局は決しているとはいえ、あの男を倒せば、というのは変わらない。


 バイルゾンを中心に、敵の中でまだ戦意の残っている者が、俺に向かって一斉に移動をはじめてきた。


 むろんそれは、そう上手くはいかない。彼らはイリバス隊と交戦中であり、さらにはティラガとディデューンの隊も波状的に攻撃を仕掛けている。俺のところに到達するまでに士気が壊滅するか、バイルゾン自身が討ち取られるか、それらは充分にありえた。


「受けて立つか」


 あの野郎には個人的にも恥をかかされた、その借りはきっちりと返しておきたい。むしろ俺の方から仕掛けてもいいぐらいだった。騎馬同士の戦いなら、おそらく俺の方に分がある。


「ダメです。来ます」


 しかし、隊を進めようとする俺を、イルミナが制した。


 何が、とは聞くまでもなかった、そんなものはアレに決まっていた。




 存在を忘れていたわけではないが、これまで傭兵ギルドの処刑人ハンターの目をかいくぐり、逃亡を続けてきた賞金首だ、危険には敏感なはずで、このような負け戦ならとっくに逃げ出していてもおかしくはない、そう思っていた。

 だがそれは、イリバス隊の何人かを切り裂き、血煙とともに現れた。


 ――ネクセルガ。


 この時点では、俺はまだその名前しか知らない。


 両手に短剣を持ち、尋常ではない速さでまっすぐにこちらに向かってきている、その男がまさにそうであろうことは確信できた。


 その姿は、大きくもなく、取り立てて力強くもない、ごく普通の傭兵だった。バイルゾンともに、貝殻亭に来ていたというが、やはり俺の記憶には残っていない。若いのか老いているのか、それすらも定かではない、そんな特徴のない風貌をしていた。


 それでも今となっては、奴がその能力を隠していたということには疑いはない。その正体が暗殺者かどうかまでは定かではないが、もしそうであるとするならば、暗殺者はいかにも暗殺者らしい姿などではなく、あのようにどこにでもいるような、そんな目立たない姿であるべきなのだろう。


 しかし、このような戦場で、その身を晒して戦うことは、やはり暗殺者の流儀ではあるまい。そこに付け入る隙があるか、そう思った時、いち早く危険を察知したティラガの隊が、ネクセルガに対して横合いから攻撃をかけた。


 その隊列はネクセルガの姿を、完全に飲み込んだかに見えた。


 だがどのように身を躱したのか、それが過ぎ去った後も、奴はまだそこにいた。再び先ほどまでと同じ速さでこちらを目指し、間違いなく俺を狙ってきていた。


 ――付け入る隙なんてねえか。


 あの日三人が警戒したように、やはり奴はギリスティス並みに強いのだろう。そのことは自分では判断できないが、三人の見立ては信頼できる。


 もはやティラガの援護は期待できない。


 隊列を翻す、あるいはティラガ単独で追いかけてきたとしても、おそらくこの速さには追いつけまい。ディデューン隊も遠い、ここにはしばらく駆けつけては来れない。


 ――俺とイルミナと、ここにいる十人ほどで対抗できるか?


 常識的に考えれば、それは不可能ではないだろう。いかに豪勇、神速をもってしても、ここまでの人数差は覆せまい。


 だがもちろん危険はある。あれを討ち取るには、何人かが斬られることは覚悟しなくてはならない。例えばこの人数でティラガと戦うとして、やはり無傷とはいかないだろう。


 そして斬られるのが俺だったとしたら、この喧嘩はそこでおしまいだ。命が惜しいのはもちろんだが、全体のためにも、何があっても俺はやられるわけにはいかないし、できれば誰も斬られて欲しくない。


 ――ならば逃げるか。


 ここで大将の俺だけが敵に後ろを見せたとしても、我が軍がたちまち総崩れになることはないだろう。敵が潰走するまで逃げ切れればいいだけで、そしてそれはそう遠い話ではない。


 俺は決断を迫られていた。

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