第三十四話 フェリーズ遠征



 三ヶ月ぶりに、再び山猫傭兵団の団旗がパンジャリーの地に翻った。


 青い空と緑の草原に、この元の色すらなんだかわからない薄汚い茶色は、少しも映えない。


「やめようぜ、こんなの」


 俺としてはこんな使い古した手拭いのようなものは、みっともなくて金輪際掲げたくなかった。持ってきてもいないはずだった。


「景気づけだ」

「つくかい」


 思いっきり嫌そうな顔をしてみせたが、全く意に介されず、それを密かに持ってきていた古参の団員たちに、無理やり押し切られてしまった。


 本来団旗を掲げるのは、戦の時だけだ。こういった単なる輸送の任務には使用しない。しかし今回は、おそらく盗賊との戦いになるであろうことは、あらかじめ団員たちに周知してある。だったら戦と同じだ、とそういう理屈である。


「だいたい、同じ場所に新しいやつが置いてあっただろうが、なんでそっちを持ってこねえ」


 前の時にあまりにみすぼらしく思ったので、帰って早々に新団旗を注文していた。少々奮発して、大きさも拵えもなかなか立派なやつだ、それが先々週ぐらいに完成し、届けられてあった。


「あっちは団長が戻ってきてからだ」


 まあ、団長不在時に新団旗のお披露目、というわけにもいくまいが、それならそれで、ナシでもいいじゃねえか。


 この古いやつを、捨てるには忍びねえ、伯父貴が死んだ時にでも一緒に墓に埋めてやろう、そう考えて取っておいたのが仇になった。


 それが今、荷馬車の前を、シュミテルを旗手にして、堂々と進んでいる。


 俺たちは今、スカーランを出発し、フェリーズ王都へと向かう途上にいた。


 ビムラでの準備に三日、そこからスカーランまでの移動に四日、そこでまた準備に一日を費やし、俺が傭兵ギルドでソムデンに掴みかかってから、都合一週間ほど後のことである。




 結局賞金首の件は、うやむやにされた。


 傭兵ギルドの最も重要な仕事は、裏切り者への制裁である。これがギルドに対する信頼の根本になっているからだ。


 そもそも、傭兵ギルドの成り立ちにしてからが、そうだった。


 傭兵という職業自体はさらに昔からあったが、その数が急速に増え始めた百年近く前には、傭兵ギルドは存在せず、その契約はすべて依頼人と傭兵の間で直接に結ばれていた。


 当然、依頼の途中放棄や報酬の持ち逃げ、裏切りなどは頻発していた。現在から思えば隔世の感がある、よくそんな状況で職業として成立していたな、と不思議に思えるほどだ。


 その状況に一石を投じたのが、のちに初代の傭兵ギルド長となった、エミルゴだった。彼もまた、もとは一介の傭兵団長に過ぎなかった。


 彼の最初の発想自体は、そう革新的でもない。


 依頼に背き、裏切りを働いた傭兵を、捕縛、あるいは殺害し、依頼者のもとへ届け、報酬を受け取る、いわば傭兵専門の賞金稼ぎ、それを専業としただけだった。


 だがそれは、裏切られた側の復讐心を満たすとともに、傭兵の仕事を担保するものが欲しい、という時代の要請に合致していた。また彼にはそれを高確率で成し遂げる才覚もあった。


 彼がその仕事を始めて数年ののちには、その縄張りの範囲内では、報復されることを恐れて、傭兵の裏切りの事例は激減したという。


 その時点では、このままでは商売が先細りになる。とエミルゴは考え、この仕事から撤退しようとしていたらしい。しかし彼に止められて以前のような状態に戻っては困る、そう思った顧客である為政者や大商人たちが、撤退することを許さなかった。


 彼らの強い後押しにより、いつしか、エミルゴを介して、他の傭兵に仕事を依頼する、契約違反があった場合は、エミルゴの傭兵団が制裁を行う、だんだんとその仕組みが固まっていった。これが傭兵ギルドの始まりである。


「ですから、こちらとしても建前上放っておけないわけで」

「だからって何で俺を餌にする! せめて前もって言っとけ!」

「だって、言ったら逃げるじゃないですか」

「あたりまえだ!」


 そんなわけのわからない奴に狙われると知っていたら、俺も初めから芋洗傭兵団なんかと事を構えようとは思わなかった。新規の団員の採用はしばらく後回しにして、なるべく敵視されないように、ほとぼりが冷めるのを待っていたと思う。


 それはソムデンにとっては望ましくないことだった。


 芋洗傭兵団はこいつの成績にとって邪魔だし、賞金首のネクセルガとやらは、傭兵ギルドにとっては生かしてはおけない標的だ。


 そこでこいつは一石二鳥を画策し、ことさらに俺と山猫傭兵団ウチが危険だ、という評判を流して、芋洗傭兵団がビムラを狙うなら、山猫傭兵団ウチ対決せざるを得ない、そう思い込むような状況を作ってきた。そうでもなければ、本来なるべく身を潜めておきたい立場のネクセルガも、尻尾を出してくることはなかったのだろう。おそらくは仲間内で、俺を倒してくれ、そんな強い要請があったに違いない。


「賞金首を倒してうちに持ってくれば、銀貨一二〇〇ですよ、大金ですよ。鴨が葱を背負って来ると思えばいいじゃないですか」

「思えるか! 来るのはそんな生易しいもんじゃねえ!」


 銀貨一二〇〇枚は確かに大金だ。傭兵の給料から考えれば、十年は何もしないで暮らせる金額で、何か別の商売を始めるにしても、充分な元手になる。しかし、命まで賭けて挑戦するほどではない。そもそも俺は将来、そんな危険なことはしなくても、それぐらいの給金を受け取る身分になるつもりでいるのだ。


「大丈夫ですって、賞金の額は強さとはあまり関係ありません、あれは逃げている期間が長くなればなるほど上がっていくものです」


 それだけ傭兵ギルドは本気だ、ということを見せつけなければいけませんからね、とソムデンは説明した。


「そうなのか?」


 後ろの二人に確認をとると、イルミナとディデューンは揃ってふるふると首を振った。


「やっぱ違うって言ってるじゃねえか! 強えんじゃねえか!」




 しかし、いつまでも傭兵ギルドで激昂していたところで、何かが解決するわけでもない。そう思ってあの場はとりあえず引いたが、思い返すとまた怒りが蘇ってきそうになる。


 ただまあ、考えようによっては、さっさと決戦することにして良かったといえなくもない。ビムラの街中で、いつどこから襲ってくるかわからない敵にびくびくしながら暮らすより、こうして見晴らしのいい戦場で相対したほうが、その姿が見える分だけ気が楽だ。もしそいつが完全な暗殺者で、戦場には出てこないような奴なら、更に楽だ。この機会に芋洗傭兵団の意図を挫き、山猫傭兵団ウチと競うことを諦めさせてしまえば、これ以上俺を狙ってくる動機もなくなるだろう。


 スカーランからフェリーズまでは、そう遠くはない、わずか三日の距離だ。道行きは二日目を迎え、昼過ぎにはパンジャリーとの間にある、国境の関所を越えた。


 関所を守る兵たちは人数も少なく、両国とものんびりとした雰囲気だった。これは現在のこの地域の治安は悪くない、そのことを象徴している。スカーランからの物流は激減している、それは襲うべき荷物がないということだ。もしこの近辺に、これまで他の盗賊たちがいたとしても、とっくに狩場を移動しているはずだ。


 ――怪しい連中がいたら、その時点で先制攻撃だ。


 それぐらいの気構えでいて、問題ないだろう。向こうもまさか、抵抗や反撃は予想できても、こっちから先に仕掛けてくるとは予想できまい。


「ほんとに来るのか」

「まあ来なきゃそれまでだ、普段の仕事だと思やいい」


 横を歩いていたティラガの疑問にそう返す。この荷を無事にフェリーズに届けるだけでも、損はしないどころか、ぼろ儲けではある。


 もちろんここで後顧の憂いを断ち切るに越したことはない、そのために準備してきたのだから。


 前回襲われたときとは違い、先頭の一輌だけは馬車を仕立てている。その後を十八台の荷車が続き、それぞれを四名で運んでいた。


 ティラガ、ディデューン、イルミナはもちろん、他の腕利きたちも揃えてきている。あとは新戦力としてイリバス、土竜傭兵団の元団長の力も、大いに発揮してもらいたいところだ。


 ただし急に決まった話だ、二日程度の準備期間では全ての人員を、山猫傭兵団ウチで用意することはできなかった。輸送隊総勢八十名余りのうち、二十名はスカーランで雇ったよその傭兵だ、実際に戦闘が始まった場合、こいつらはあてにはできない。


 前の輸送隊は、およそ一五〇人で襲われたという、それがそのまま来たならば、戦力差は倍以上、下手をすれば三倍になる。それでも、


「これで勝てるのか」


 という心配は、誰もしていない。これで勝つのだ。


 午後の移動もそれなりに距離を稼いだ。そろそろ休憩させるか、そう思い始めた頃、放っていた斥候の者が戻ってきた。


「怪しい連中がいたぜ」


 報告によれば、俺たちの進行方向に、三人ばかりの傭兵らしき者たちがいた、ということだった。


手前てめえの姿は見られたか?」

「面目ねえが、こっちも見つかっちまった」

「や、それは構わねえ、そんでどうした?」

「向こうもすぐに戻っていきやがった」


 単なる仕事中の傭兵なら、こちらの人影を見つけたところで、戻る必要はない、これはおそらく偵察同士がかち合った、と見て間違いないだろう。ならば今頃向こうの本隊にもこちらの様子が伝えられているのだろうか。


 俺は辺りを見回した。


 ――ここらで待ち構えるか。


 現在地は完全に平野、岩や草木、遮蔽になるものはまばらにあるが、この場所なら奇襲を受ける心配はないし、こちらが望んでいた野戦ができる。


 全体を停止させ、充分に休憩を取らせた後、戦闘準備を整えた。隊内に緊張が高まり、そこかしこで用足しが行われている。


「いよいよだ」


 俺は馬車を曳く三頭の馬のうち、一頭に飛び乗り、繋いでいた綱を解いた。


 こいつは歴とした軍馬だ、荷駄馬ではない、スカーランに駐留するパンジャリー軍に、無理を言って借りてきたものだった。馬車にも繋いでいただけで、実際には曳かせていない、ゆえに元気はあり余っている。


「整列!」

「「おう!」」


 手にした槍を掲げ、号令をかけると、それに応えて俺の後ろに十人ばかりの兵が並んだ。


 彼らも手に手に槍を構えている。それらは同じ長さ、同じ規格、そういうものを買い揃えた。


 傭兵がそれぞれ使う武器に、特別に決まりはない。誰もが、好きなもの、得意なものをてんでばらばらに持っているのが普通だ。


 大抵の奴が持っているのは、俺と同じく、剣だった。それが一番、汎用性が高い。町中で槍は、持ち運びに不便だし、振り回すのも邪魔だ、そんなものを喧嘩で使っている奴は見たことがない。


 だが野戦なら、攻撃範囲の広い槍が強い。それを使ったことがない者にも、最低限の使い方を教えてある。


 その上で今回は、集団戦闘を意識している。


 ディデューンは実家にいた頃、ミクトランジェル家の私兵を率いていたらしい。あいつの指揮能力は、その時に養われたのだという。


 その経験を頼りに、パンジャリー内戦後、団員の軍事調練を依頼していた。


 正規兵の訓練に比べれば、それは日々の仕事の合間をぬって行われる、ままごとのようなものに過ぎなかったが、それでも集団になって動く、ということだけは叩き込んだ。


 傭兵、あるいは盗賊の戦闘というものは、所詮は個人の武勇の総量を問うものに過ぎない。そこには指揮、用兵、戦術と言ったものは存在しない。先に士気の尽きたほうが潰走する、それだけの実に単純なものだ。


 であるからこそ、集団で動くことを前提とした正規兵には、野戦では絶対に勝つことができないのだ。


 俺はそのことを、火神傭兵団との戦いで学んでいた。


 あの時のあれができるならば、傭兵相手の戦などは軽いものだ、倍の兵力差どころか、十倍でも怖くはない。


 ただし、あの時率いることになったのは、パンジャリーの正規兵で、今回率いる連中はそれより随分落ちる、ということだけは忘れてはいけない。今はまだ、戦意も高く見えているが、いざ敵を目の前にすれば、屁垂れることがないとはいえない。


「まったく、ウィラードはいい経験をさせてくれる」


 ディデューンの言うことには、正規兵に選ばれる者に比べて、傭兵の兵としての資質は、圧倒的に劣っていて、その訓練にはこれまでにしたことがないぐらいに難儀したらしい。それは体力や精神力といったものばかりではない。


「まさか、右と左がわからない連中が、こんなに多いとは思わなかった」


 呆れたように言われたが、全く同感だ。それでもちゃんと仕込んでくれている、少なくとも俺の目にはそう見えた。自分の馬に跨るディデューンの後ろにも、ディデューン隊ともいうべき連中が整列していた。


「……大丈夫かよ」


 平素と変わらないディデューンに比べて、ティラガにはいつもの大胆不敵さが失われている。


「らしくねえな」


 普段のこいつなら、百人の敵相手に独りで突っ込むぐらいなら、平気でやる。百人が千人でもやるかもしれない。


 しかし今回ばかりは臆していた。恐怖にではない、隊を率いて戦うことにだ。それは俺がブロンダート殿下の護送任務をしたときに感じたものと、同質のものだろう。


「本当に俺でいいのか?」

「お前がやんなくて、誰がやるんだよ」


 先を考えるならば、こいつには当然、将となってもらわねばならない。そのために今回も、隊長としての役を割り当て、訓練も積ませた。今はこんな弱気なことを言っているが、別に心配はしていない。どうせ戦闘が始まれば、今言ったことも忘れて、先陣切って大暴れしてくれるだろうことは、確信している。俺が吹っ切ることができたものが、こいつにもできないわけがない。


 やがて、丘の上から、こちらに向かってくる人影が見えた。


 ひとつ、ふたつ、数える間もなく、それは十になり、二十になり、五十を超え、さらにその数を増した。

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