第三章 フェリーズの盗賊団
第二十五話 漂う悪意
季節は夏になった。
これから暑くなるにつれ、物流が減り、その方面の仕事も少なくなる時期である。また、秋の収穫までは、食品の値段が上がり続ける時期でもある。
本格的に高騰する前に、大量の穀物を蓄えておけたのは幸運だった。
パンジャリー内戦後、その帰途において、半壊したスカーランに立ち寄り、燃え残った倉庫にあったものを、思いっきり買い叩けたからである。
上等の物からそうでないものまで、内容は色々だが、その数およそ四〇〇〇袋、これは五〇〇人の人間を一年間食べさせていけるだけの量になる。その資金の出どころは当然、今回の功により賜った褒美からだ。
仕官を断ったにも関わらず、東パンジャリーは気前よく五十枚もの金貨をくれた。その意味するところは様々考えられるが、恩義には感じておいて、深くは詮索しないことにした。
それにしても期待以上のどえらい大金だ。銀貨に直すと一〇〇〇枚にもなるか、たかだか一週間の労働で各国高官の年俸並だ。
これは俺自身に与えられたものなので、全額自分の懐に放り込んでも何の文句を言われる筋合いもない。しかし、さしあたっての要りようもないので、先々返してもらうつもりで、ひとまずは団の為にと投資しておくことにした。
通常ならば、いくら金があったところで、そのような買い方はできない。それぞれの町には食品ギルドや問屋ギルドがあり、よそ者や一見の客が大量の商品を買い付けるようなことは許されない。
だが、この時のスカーランはギルドの空白地帯だった。
町の復興が進むにつれ、それらのギルドは再建されていくのだろうが、この時点では横槍を入れてくるような者は存在していなかった。
すでに他の町へ逃げていた、倉庫の中身の権利者たちにとっては、未だ情勢不安のスカーランに戻り、商品の移動を手配するよりは、少々買い叩かれてもさっさと金銭に換えてしまった方が、よほど手間が省けたのだろう、その交渉は難しくなかった。
本来ならば、倉庫の管理や警備の人間を用意しなければならなかったのだろうが、これもうまい具合に、治安維持の一環として、スカーランに駐留するパンジャリー軍に押し付けることができた。
これには事態が落ち着くまでの守備隊長に任命されたのが、ハーデオンだったことも幸いした。
俺がハーデオンの立場ならば、こんなまとまった兵糧はさっさと自軍に取り込んでおくところだが、奴はそういう部分ではあまり目端の利く性分でもなかったらしい。まあそういうことは、軍人の仕事とも言えないのだが。
ということで、腐らせることを考慮に入れなければ、
もちろんこれを、ただ食いつぶすようなことはしたくない、折を見て高く売り払えるならそれに越したことはない。だが、それをするにも、現状では密売という形にならざるを得ない。大金に換えるためには、どこかでギルド破りをする必要があった。
――どっかでこっそり潰れかけの商店でも手に入れられねえかな。
正式にギルド員の資格さえ得てしまえば、そんなことを考える必要はないのだが、例え俺たちが首尾よくどこかの商店を買収できたとしても、裏で傭兵団が経営していることが明るみになれば、おそらくギルドからは締め出されてしまうことになるだろう。
まあ今回の分は最悪パンジャリー軍に売れば、買った以上の金額にはなるはずだ。そこまではスカーランのギルドが早々に復活したとしても、口出しすることはできないだろう。
しかし、
――俺は何をやっとんだ。
とは思わなくもない。考えている内容は、とっくに傭兵団の運営を大幅に逸脱してしまっている。
そんなことより真っ先にしなければならないのは、俺の後任の育成なのだ。これについてはいつまでたっても、誰を、という目星がつかないでいた。
「これで本日の授業を終了する、各自次の授業までに宿題を済ませておくように」
恒例となった貝殻亭での夜の勉強会も、本日の分が終了した。
三々五々と帰っていく見習いのガキどもは、それなりに進歩している。だがそれを今後取りまとめるような、大人の出現が待ち望まれていた。
イルミナではやはり難しい。大人の男と話せない、というのは昔からずっと変わっていなかった。あいつと話せる大人は、伯父貴以外は、子供の頃からの知り合いだけで、今のところそれが変化するような素振りは見えてきていない。
「ちょっと、わからねえところがあるんだが」
ティラガもあれから律儀に出席してくれていた。なかなか熱心だし、物覚えも悪くない、見習い以外の人間では一番出来がよかった。
しかしこいつを事務長なんかに据えてしまうのは、さすがにもったいないと思う。自分のことだけを考えるなら、そんなことを気にしてやる必要はないのだが、こいつがでかい体をぎゅうぎゅう机に押し込めて、ちまちまと帳面仕事だけをするような姿は、あんまり見たくない。
簡単な質問に答えてやったあと、まだ何か話があるようだった。
しばらく手持ち無沙汰を持て余した後、貝殻亭の一階に人がいなくなってから、ティラガは、言いにくそうにその口を開いた。
「……あんたへの評判が、また悪くなっている」
「そうか」
「俺も気づいたら注意はしてるんだが、あんまり効き目がない、すまん」
そのことには、実は気づいていた。
パンジャリー内戦から戻ってそろそろ一月になるが、それで戦死した団員たちの葬儀を済ませたあたりから、また俺に対する悪評が立ち始めていた。
その内容は、パンジャリーの内戦で団員の戦死者が出たこと、多くの怪我人が出たことの原因は、俺が余計なことをしでかしたからだ、というものである。
スカーランでの略奪許可が、俺の発案だということは特に大っぴらには話されてはいないはずだが、そのことは何とはなしに漏れてしまっていた。
まあ、因果関係から言えば、それが俺の責任だというのは、それほど誤りではない。反論する気にもならない。お前らが馬鹿だからだ、というのはあの場でも言ったし、今さら改めて言ったところで、
「そうか、俺たちが馬鹿なのが悪いのか、ごめんなさい」
などと反省してくれるわけもない、だから言いたいようにさせていた。
あとは、事務長の立場を利用して自分ばっかりがいい目をみている、ということもその内容に含まれていたか。
――こんなのがいい目なら、いつでも代わってやったっていいが。
お蔭様でいろいろといい勉強はさせてもらってるが、ここの事務長をやっていて、ああよかった、などと思ったことは一遍もないっ。
パンジャリーへの仕官話は、他人からすればそれは確かに悪くない話に聞こえるだろうが、俺にとっては、初めから手の届かない場所にぶらさげられたニンジンだ、ということは最初からわかっていた、うまい話でも何でもない。
「あんたが自分への褒美を全部俺たちの兵糧に換えた、ってのは言ってるんだがな」
「全部じゃねえよ、ちゃんとヘソクリの分は別にとってある」
そこまで一切合財をはたいてやるほども。お人よしじゃねえよ。
「あとはまあ、イルミナのこととかも言われてるな」
「何でイルミナが関係あんだよ」
「関係はないが、普通にやっかまれてるぞ。団長の娘みたいなもんだと思って手出ししなかったら、事務長が早々に自分の女にしやがった、って」
「バッ! あいつとはそんなんじゃねえ!」
「違うのか? ウィラード様、とか呼ばせてるくせに」
「それはガキの時分からだ! それにお前だって血縁でもねえのに兄さん呼ばわりだろうが!」
「山猫傭兵団ここで見習いをやった連中は、全員俺の兄弟分だっての。イルミナだって俺の妹で間違いはない」
そういう趣味じゃなかったのか。や、そんなことで喜ぶような奴には見えないけども。
「ったく、あれが俺の女だったら、今頃もうちょっと色気が出ててもいいと思うぞ」
「ははっ、確かに。あれは子供の頃とちっとも変わらんな」
「だろうが」
「まあ今後はよろしく頼む」
「何をだよ!」
冗談はさておいても、これだけ俺への悪評が長く続く、というのは正直予想外だった。
スカーランで得た食糧は、そこそこ良いものから引き揚げてきていて、これを現在は賄いとして団員たちに提供している。ちょっといいものを食わせておけば、不平不満はそのうち治まっていくだろう、と楽観していた。
それがむしろ悪化してきている、これは単なる不満ではありえない。
――こりゃあ後ろで誰かの思惑が働いてんな。
現在のところはそう判断していた。
傭兵の離合集散は珍しいことではない。独立して自分の傭兵団を構える、待遇のいい他の傭兵団に移籍する、あるいはただの喧嘩別れなど、傭兵人生をひとつの傭兵団で過ごす、という奴の方が少数派だろう。
俺の次の打つべき手は
「
ことだと考えていた。団の規模を大きくして、仕事の効率を良くし、ビムラでの影響力を強めていく、同時に後任の候補をその分だけ多くの中から選べるようになる。
それが、内側からの独立の動きか、外側からの引き抜き工作か、それらのもので邪魔をされるのは、到底歓迎できることではなかった。
伯父貴を中心とする古参の団員は、その待遇が確かに改善されていることもあって、おそらく現状に大きな不満を持っていない。
――中堅の連中を見張る必要があるな。
彼らはどこからか流れてきて、それぞれの理由で現在、
まずは団内でどのような動きがあるのか、それを見極めなければならない。
面倒な仕事に終わりは見えなかった。
次の日の午前中、俺は久しぶりに傭兵ギルドに顔を出すことにした。
内側の情報も調べなくてはならないが、他の傭兵団の動向も探る必要もある。
ソムデンがどれほどの情報を出してくれるかはわからないが、いまのところそこ以外に心当たりのある場所もない。
出がけに貝殻亭の一階にたむろっている、五人ばかりの連中に声をかけられた。
「おや、事務長、呑気にお出かけですかい?」
「こっちは怪我の具合が悪くて遊びに行く余裕もありませんや」
「今度は誰も死なねえ仕事にしておくんない」
一様に嘲弄の響きだ。俺は、
「おう」
とだけ返事をして、それ以上は相手にしなかった。背後から、
「事務長は胸のない女がお好みですかい、いっぺんこっちにも味見させてくんな」
「バカ、事務長様はアッチの趣味なんだよ。そんなこと言ってっと、手前てめえの尻ケツが味見されちまうぞ」
などと聞こえてきたのは、さすがに言葉が過ぎた。
自分のことだけならまだしも、イルミナのことまで侮辱されて黙ってはいられない。
戻ってブン殴ってやろうかとも思ったが、小走りだったので、勢いあまって扉を出てしまった。そこで、ディデューンと鉢合わせになった、どうやら自分の馬の世話をしていたらしい。
「いいのか、言わせておいて」
悪意のない奴に話しかけられたことで、沸騰しかかっていた頭が少し冷えた。
「う……。構わねえよ、今は好きにさせとく」
「私はああいうのは大嫌いだ、今後もしばらく悪者をするつもりだが、あんなことはしたくはないぞ」
「お前にまでやられちゃ堪んねえよ、今のままで充分悪者だ」
「喧嘩をするなら加勢するぞ」
「ありがてえが、また今度な」
手を振って、そのまま本来の目的地に向かう。
――しかし、何を考えていやがる。
傭兵ギルドまでの道々で考えた。
連中は俺を怒らせて何がしたいのか、それでいいことは何もないと思う。あいつらは俺に仕事を干される、などとは考えないのだろうか。
あの場で喧嘩になっていたら、さすがに五対一では勝ち目はないが、あとで人数を集めて仕返しをされるかも、などと想定して、怖くはならないのだろうか。こっちの年齢を侮って舐めているのかもしれないが、それぐらいには立場に差がある。
後先を考えずに、悪口を言いたくなったから言う、馬鹿にしたくなったからする、ではいくらなんでも三十を超えた大人のすることとは思えない。傭兵というものの程度の低さにあらためて辟易する。
――それとも独立や引き抜きの話がいいとこまで進んでんのかね。
例えそうであっても、絶望的なまでに馬鹿であることには変わりない。忘れてしまえばその限りではないが、俺は覚えている限りちゃんと仕返しはする主義だ。
「山猫さんの評判? そんなの悪いに決まってるじゃないですか」
ソムデンの仕事部屋に通され、開口一番、そんなふうに言われてしまった。
「あ、顧客様には上々です、次もまた山猫さんにお願いしたい、ってお話は結構いただいてます。ですが、他の傭兵団からはかなり嫌われてますよ」
「え? 何で?」
「何でもなにも、山猫さん? いや、ウィラードさんのせいで、パンジャリー内戦に西軍で参加した傭兵はほとんどただ働きですよ、恨まれないわけないじゃないですか」
なるほど、西軍は傭兵たちにスカーランで略奪することを許すことで、その賃金の大半を賄おうとしてたってわけか。西軍としては契約通りなわけで、そのアテが外れたところで、余分に賃金を補填してやるいわれはない。
「じゃあ傭兵ギルドも手数料を取りっぱぐれたってことか」
「や、それはありませんけど。略奪なんていくらの収益になるかわかりませんからね、ちゃんと別で決められた料金をいただいてます」
それはそれは抜け目のないこって。
「あ、それから、火神傭兵団の件は個人的にお礼を言っときますね」
「え? 俺が何かしたか?」
「ほら、ブロンダート殿下を守っていただいたじゃないですか」
「それは東軍の他の連中がやったことだ、何で俺の手柄になってんだ」
「あれ? こっちの報告には山猫傭兵団に邪魔された、ってことになってますけど。ウィラードさんの名前も挙がってきてますよ」
「何でだよ!」
と言いかけて、心当たりがあった。あの晩、俺は確かにギリスティスに向かってそう名乗っていた。
――ひょっとしたらこれも恨まれてんのかね。
俺は実はものすごい勢いでそこら中に敵を作ってしまっているのかもしれない。
「……それで、俺がそっちの邪魔をして、何で礼を言われるんだ?」
「や、あの仕事はパンジャリーの傭兵ギルドで受けたもんでしてね、あれを成功されてたら、先月の成績でパンジャリー支部に抜かれるところでした。いやー、危なかったです。ウィラードさんがビムラに来て以来、これで三ヶ月連続で地域一番の目標達成率ですよ、ウィラードさんは私にとって福の神かもわかりませんね」
「……どういたしまして」
ソムデンに嬉しそうにされるのは、何となく釈然としないが、恨まれて敵に回すよりは少しはましか。いや、この男は敵でも味方でも、どっちに回してもろくでもない奴な気もする。
「そのかわり、って訳じゃないですけども。ウィラードさんのお知りになりたいこと、何でも聞いちゃってくださいな、情報料はサービスしときますよ」
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