第二十四話 褒美!



 王都で行われた戦勝式典では、俺の勲功が賞されることはなかった。


 これは当然だ、俺の手柄はあくまでも非公式なものだからだ。内外に自分たちの勝利を宣言する式典に、傭兵の手柄は必要ない、逆に勝利にけちをつける。


 勲功第一に選ばれたのは殿下の代わりに戦死したカイリエンだった。


 これにも異存はなかった。一人の英雄の死によって、東パンジャリーはその結束をより強くするだろう。嫌らしい考え方をすれば、勲功第一を死者に与えてしまえば、生者たちがそれを巡って嫉妬することはない、とも言えるが、さすがにそれは穿ち過ぎというものだろう。


 その周囲が歓呼に沸き返るイゼナの王宮は、もともとブロンダート殿下の領地における私邸として使われていた。ゆえにその規模は決して大きなものではない。


 俺たちがそこで行われる、あくまで私的な、晩餐会に招待されたのは式典当日の夜である。


 これはさすがに過ぎたる厚遇であるとも思えた。


「何を食わせてもらえるんかね」

「たぶんお前が食ったことのねえようなもんだ。それから超偉い人の前だからな、あんまガツガツすんじゃねえぞ」

「う、あまり旨いものを出されると自信がない」


 この辺の機微はティラガにはわからないだろうが、俺はもっと待たされるだろうと覚悟していた。傭兵の優先順位など一番最後で当然だ、それがイゼナに来ていきなりのお招きなのだから、これはよほど高く評価されたと見て間違いはない、その分相応の覚悟も必要になった。


 何より、俺たちを晩餐会に招いたのは、ブロンダート摂政殿下ではなく、クロウザン国王陛下だったからだ。もちろん殿下も同席しているが、主人ホストはあくまで国王陛下である。


「国王陛下、お初にお目にかかります、山猫傭兵団事務長、ウィラード・シャマリでございます。この度はお招きに与りまして、光栄至極に存じます」

「お、同じく、ティラガ・マグスであります」


 部屋に通され、最敬礼をする。


 そこは十人程度で使用するような、こぢんまりとした場所だった。これは落ち着く。あまり育ちのよろしくない俺たちに、配慮したもののように思えた。


 中には国王陛下、摂政殿下、そしておそらくは摂政妃殿下が待っていた。メイドにはその次の席に案内される、それでこの場の出席者は全員だった。


 リリアレットのような喋りやすい相手がいないのは少々気づまりだが、摂政妃殿下の手前、摂政殿下の愛人が同席することは考えられまい。


 それにしても妃殿下もなかなかに美しい、殿下と並べば絵になる夫妻だ。


 ――まあ偉い人は美人をいくらでも抱えられるんだろうが。


 ブロンダート殿下はその身分にしては、あまり多くの妾を囲っているようではない。それでも男としては羨ましい限りではある。俺もいつかは、とは思わなくもない。


「余がパンジャリー国王、クロウザンである。この度は叔父上の、ひいては余の、そして我がパンジャリーの力となってくれたこと、感謝している」


 最上席の国王陛下が名乗った。これは血筋か、線は細いが、殿下に似て端正な顔つきで、若いながらもそれなりに威厳も備えている。殿下の薫陶の賜物か、こちらを見下すような雰囲気は見せない。


「もったいなきお言葉でございます」


 とはいえ、それほど恐縮しなければならない相手とは思ってはいない。


 何と言っても国王陛下は、世間ではまだまだ若造である俺たちよりも、さらに三つほど若いのだ。


 礼儀さえ守り、恥さえかかなければいいと思っていたが、国王の側から、


「できれば、緊張などはしないでほしい」


 との言葉が、笑顔とともに与えられた。


 畏まった空気に食事を味わうどころではなかったティラガは、これでいっぺんに安心したようだ。


 会食自体は、和やかな空気の中で始められた。


 だが数十分の間は、会話は弾まなかった。なぜなら食べることに忙しかったからだ。


「戦陣では粗食で申し訳なかったが、今日は心ばかりのものを用意させてもらった」


 そういって殿下が運ばせた皿は、まずは焼いた肉に何かを乗せて何かのソースをかけたもの、次に蒸した肉に何かを乗せて何かのソースをかけたもの、続けて炙った肉に何かを乗せて何かのソースをかけたもの、さらには煮込んだ肉に何かを乗せて何かのソースをかけたもの、その名も知れぬ料理のいずれもが大きく、そしてべらぼうに旨かった。


 加えて山盛りのパンが食い放題だった。これにも皿に残ったソースをつけて、ひたすらに食った。


 殿下たちの前に出されたものは、俺たちの前にあるものとは違う、何かちょびっとした野菜の料理などが並べられていたが、別にうらやましくもなんともなかった。


「俺もう明日死ぬんじゃねえか」


 とは、胃の中にたらふく肉を詰め込んだティラガの弁であるが、俺もこれほど旨い肉をしこたま食ったのは初めてで、腹の皮が破れて、死ぬのは今日かもしれない。それでも喧嘩で死ぬよりは、よほど幸せで意義ある死に方だ。


 最後に甘いものが出されたが、それを残すようなことはするはずがなかった。


 テーブルがきれいに片づけられた後、ようやく歓談の時間が持たれた。


 クロウザン国王は、こちらに対してしきりに質問を投げかけてきた。


 王立大学院アカデミーのこと、ヴェルルクスのこと、傭兵のこと、自分の興味のまま貪欲に知識を取り込もうという姿勢には、好感を覚えた。


 その中で、何度かブロンダート殿下に向けて、目で合図を送っている。それは、何かを言いだすようにと催促をしているようだった。


 その何回目かで機は熟したと思ったのか、あるいは諦めたのか、殿下よりさりげなく本題が切り出された。


「それでウィラード、このまま、もしくはいずれ、我が国に仕えてもらうわけにはいかないか」


 ついに来た、と思った。


 この話が出ないわけがないだろう、と思っていた。


「直ちに答えが欲しい、というわけではない、充分に考えてもらって構わない。だが我が国は建国したばかりで、まだまだ人材が足らぬ。使える人間はいくらでも、何より国王陛下の右腕となるべき人物が欲しい」


 そう、俺の目標である宰相殿下への道が、手の届く範囲に早くも示されてしまったのだ。


 嬉しいか嬉しくないかと言えば、嬉しいに決まっている。もちろん今すぐになれる、というわけではないだろうが、これは望みうる限りの最大限の評価に等しい。


 俺の胸に去来した言葉は、ありがてえ、ではなく、ありがとうございます、だった。


 しかし、これを承諾することはできなかった。そのことには、ここに来る以前から答えが出てしまっていた。


 その評価に対し、こちらも最大限に姿勢を正した。


「王立大学院アカデミーの学生としてのウィラード・シャマリには、貴国にお仕えする資格がございません」


 王立大学院アカデミーでは、未だ卒業していない者が、どこかの国に仕官することを認めていない。それを認めてしまえば、青田買いが横行し、王立大学院アカデミーの存在意義が危うくなる。その規律を破るものがあれば、直ちに除籍処分となり、今後一切、王立大学院アカデミー卒業生としての恩恵は受けられなくなる。


 それはパンジャリーにとっても、望むところではないだろう。


「また傭兵としてのウィラード・シャマリには、まだなすべき事が残っております」


 さらに俺には、くだらない仕事が残っていた。あのろくでもない連中に、毎日腹一杯のパンと肉を食わせるという仕事には、まだ何の目途もついていなかった。


 放り出したい、だが放り出すことはできない。


 男が一度決めたことだ、これを放り出してしまえば、誰が何といおうと俺自身が、自分が一国の宰相となる資格を認められない。


「なにとぞ、ご理解を賜られますよう、お願い申し上げます」


 一言、一言に、できるだけの誠意を込めたつもりだった。


「……む、やはりか。そのような気はしていた」


 どうやら殿下には俺がここで断ることは、そう予想外のことでもなかったようだ。


「だが、今すぐ、というわけでもない。卒業後でも、自らの仕事をなし終えた後でも、そなたのための門はいつでも開いておく」


 ブロンダート殿下は信用の置ける人物だ、上司として仰ぐには申し分ない。クロウザン国王陛下も、今日会った限りでは、それほど悪い資質を持ったようには見受けられない、これを名君とすべく担ぐのも、やりがいはありそうだ。


 ただ、パンジャリー自体がもともと大国というわけではない、それがさらに二つに割れてしまっている。贅沢なことを言うようだが、一生をここに捧げるのは、少し物足りないような気がしないでもない。


 パンジャリー再統一までは目指せても、近隣諸国を圧倒するような大国になる、というほどのお国柄でもないだろう。


 ここで人生の一大事を軽々に判断するわけにはいかなかった。将来の選択肢としては残しておいてくれる、ということは、たいへんありがたい言いようだった。


「……ご厚情、感謝の言葉もございません」


 うむ、と頷いた後、殿下はティラガに向き直る。


「ではティラガ、そなたはどうだ。お主の大剣を我が国のために奮ってもらうことはできぬか、ここで将軍を目指すつもりはないか」


 これもまた、当然の要請だった。あの武勇を知れば、どこの国でも欲しがるに違いない。パンジャリーが得れば、カイリエンを失った穴はたちどころに埋まるだろう。


 ティラガが何かを求めるようにこちらを見るが、これは自分で決めることだ、俺が口出しすべきことは何もない。断りの言葉も、自分で考えるべきだ。


 どう言うべきか、しばらく言葉を選んだ後、ティラガもまた口を開いた。


「あ、ありがたきお言葉ですが、俺、いや自分には、仲間がおります。それを捨てることは、できません」


 それは、俺の予想した通りの答えだった。いいとも悪いとも思わない、それは俺があの馬鹿どもを見捨てられないという気持ちの、もっと強いものだ。だが、いずれこいつの為には何かをしてやらなくてはいけないような、そんな気がしていた。


 殿下もそれ以上は、強く望むことはなかった。


 俺に対してもティラガに対しても、具体的な待遇の話は一切出さなかった。これは体面の問題もあるのだろうが、今日のところは単に水を向けるだけにしておいて、いずれまた折を見て、という気持ちの表れなのだろう。


 国王陛下はまだ諦めきれない、という顔をしている。もっと強く勧めよ、とも。これは若さであるだろう。


 しかしそこで殿下の指示によって葡萄酒が運ばれてきた、ということは、これ以上は難しい話にはならないということだ。


 その酒もまた、極上の物に違いなかった。


「エールのほうが良かったかな」


 そう尋ねられたが、無料タダで出されたものを選り好みする習慣はなかった。


 酔っぱらうわけではないが、そのままいい気分で、たわいもない歓談は続けられた。


 そろそろ辞去の頃合いか、というところで、おもむろに殿下が口を開いた。


「これはもしそなたがよければ、であるが」


 そこでいくらかのタメが入る。


「我が娘と婚約する、というのはどうだろうか」

「!!!!!」


 さすがにその申し出には度肝を抜かれた。口に飲み物が入っていれば、間違いなく吹き出してしまっていた。ほろ酔い気分であったものが、いっぺんに醒めた。


 最大限に評価されている、と思っていたが、さらにその上があったとは!


 これはいきなり、王族になれ、と言われたのと同然だ。


 いやもちろん、王立大学院アカデミーの頃から、俺自身その野望はあった。高級官僚として功績をあげ、王族や貴族に連なる妻を娶る、それは王立大学院アカデミーの学生の多くが夢見る将来設計だ。


 しかしこれは、いくらなんでもありえない。俺が想像していた王族とは、国王の五番目の王子の三番目の娘、くらいのものだ。それがブロンダート殿下の一人娘とあれば、王族といっても本家本流に近すぎる。


 不敬の極みであるが、クロウザン国王はまだ結婚もしていない、その国王に万が一のことがあったならば、俺とその姫との子がパンジャリー国王になることも充分に考えられるのだ。


「え、あ、う……」


 もはや言葉も出てこない。


 ここで殿下はニヤリ、と笑った。してやったり、という気分でもあったのかもしれない。


「……む、さすがに気が早かったか。余としても娘を手放すのは痛恨の極み、だがそなたであれば、義理の息子とすることに不満はないのだが」


 こうまで言われては、断ったことが惜しくなってきた。そこまでの立場をくれるというのであれば、パンジャリーが国として穏健な路線を望んだところで、俺自身の気概でそれを覆して天下に挑む、ということすらできなくもない。


 いやいや、先走りもいいとこだ。


 しかし、この殿下と妃殿下の娘ならば、その容姿にも期待が持てる。これは当たりくじかも知れない。この先いくら他の王族との婚姻の機会があったところで、ハズレを引かされるのはご勘弁願いたい。


 いやいやいや、先走るなっての。


「はっはっは、さすがに心が動いたか」


 内面の動揺まで見透かされてしまっている。


「よいよい、返事は要らぬ、ただ顔合わせくらいはしておいてもよかろう」


 そう言ってメイドに合図を送った。


 ――仕込んでたのかよ!


 無意識に席を立とうとしたが、どこにも逃げ場はない。


 今さら焦ったところであとの祭りである。これは事と次第によっては完全に外堀が埋められてしまう。嫌ではない、嫌ではないが、こっちにも心の準備というものがある。もう終わったと思った話を蒸し返されて、いきなり結婚まで含めた将来を決めてしまうわけにはいかない。


 困る。困るって!


 あたふたと、どうにもできないうちに、ガチャリ、と部屋の扉が開け放たれた。


「ウィラード様、お初にお目にかかります、アメリディと申します」


 現れたのは、両親の血統を色濃く受け継ぐ可憐な少女。


 華やかな衣装に包まれた、まるで童話の中に出てきそうなお姫様だった。


「ガキじゃねえか!!!」


 ゴハッ、と変な音が出たが、叫びそうになったのをギリギリで押しとどめた。


 そこにいたのは厳密には少女ですらない、俺の年齢の半分にも満たない幼女だった。


「お父様の命をお救い下さり、ありがとうございました。


 純真な瞳に見つめられながら、舌っ足らずな声で、そう感謝された。


「あ……う……どういたしまして」


 ――担がれた!


「「「ワッハッハッハッハ」」」


 部屋の中に爆笑が響く、メイドすらも交えて全員が大笑いだった。


「くそったれが!」


 この場所は、そう叫ぶことも許されてはいなかった。


 このどうしようもない空気を俺の側に引き戻す方法は、積極的にこの幼女との婚約を受け入れてしまうことだが、そこまでの度胸が、俺にあるはずもなかった。

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