第二十二話 予期した決着 予期せぬ顛末
俺たちは街道の森を抜け、開けた場所に出た。
敵はブロンダート殿下を斃したと信じているだろうから、再度の奇襲を恐れる心配はそれほど大きくなかったが、万全を期して二の矢、三の矢を配している可能性はあった。しかしここまでくれば、完全にそれはないと考えていいだろう。
この場所から、遠くにスカーランの町が見えた。
空の色からそれは疑いようはなかったが、やはり町は燃えていた。炎は全体に広がっているのか、それともこちら側から見える一部だけなのかは、まだわからない。敵からすれば、こちら側に近い方から火を放つのが、理に適っている。
もはや町の中で何が起こっているかは決定的だ。
あとは今晩、あの町が地図上から消え去るか、そうはさせないかだ。
先鋒隊はすでに町のすぐ近くまで、中軍もその後ろまで到達しているが、その動きから察するに、それを迎え撃たんとする敵は、町の外まで出てきてはいないようだ。すでに退却したのか、まだ町の中で工作を続けているなら、ここからは市街戦、そしておそらくは掃討戦になるだろう。
俺はリリアレットに先行する許可をもらった。
「殿下の護衛にティラガを置いていく、先に行かせてもらっていいか?」
「何だ? 略奪に加わりたいのか?」
リリアレットは少しだけ呆れたように、それを認めた。
俺は隊列から離れ、馬の速度を上げた。
彼女は冗談を言ったわけではない。
俺はこの戦いの前に、本陣において、スカーランでの略奪の許可を求めていた。
但し、敵兵、および敵軍の傭兵からの、だ。すでに奪われたものを分捕り返す、それについては奪った者の所有を認めろと迫っていた。
「略奪は許さぬ、と言っておいたはずだが。そなたは本気で言っているのか」
「ああ、本気だ。本気で、正気だ」
「民の財産は民のものだ、例え奪われたものとはいえ、それを取り戻すことができたなら、もとの持ち主に返すのが当然だろう」
「理屈じゃその通りだ、だが一度奪われちまったもんは、もう誰のもんだかわからねえ」
一度何らかの形で接収されたものを、特定の一部だけならともかく、その全部をいちいち所有者を探して、返却するというような話は、聞いたことがない。もしかしてブロンダート殿下とその配下の者ならば、そんな面倒くさく、一銭の得にもならないようなことをするのだろうか。
……やらないとは言い切れない。
「ふむ……。ただ金が欲しい、というわけでもなさそうだな」
「わかるかい」
「そなたは口は悪いが、強欲ではな……い……、ん? いや、計算高くはあるか……。でもそんな者が
捨ててねえ。あと計算高いとか言うな、失礼な。
「……ん、んんっ、まあ、長い付き合いではないが、そなたはそんな短絡的な利益を欲しがるような人間ではない、と思っている。だが理由は聞かせてくれ」
「簡単だ、欲に目が眩んだこっちの傭兵を戦力として使える。むこうで略奪して回ってる連中に当てればいい」
「その相手をするのが正規兵ではいかんのか?」
「手の空いた分、正規兵を消火や住民の保護に使えるだろ。まあ傭兵は逃げた敵までは追っかけないだろうから、敗残兵を掃討するのはそっちの仕事になるが。や、敵の首に賞金でも出してくれるってんなら、それもさせられると思うが」
「…………なるほど」
しばしの黙考ののち、一応の納得はしてもらえたようだが、さすがにこれ以上の判断はリリアレットの一存、というわけにもいくまい。俺はしばらく待たされ、その間に別の場所でブロンダート殿下、パラデウス将軍らとの協議が行われたようだ。
「そなたの言い分はわかった、略奪、ではなく、敵の所持品を奪うことは認める。ただの戦利品として扱うがよい」
戻ってきたリリアレットが言った。
「ありがてえ」
「言っておくが、殿下も我々も、そういうことは大嫌いだ」
「俺だって好きじゃねえよ」
「しかし背に腹は代えられぬ、なるべく多くの人命と財産を守るためだ。ただし敵からだけだぞ、民間人や無主の財産を奪おうとする者は、敵味方関係なく容赦なく斬る、構わぬか」
「全然構わねえ、ぜひそうしてくれ」
こうして、パラデウス将軍の指揮する中軍に、一〇〇〇名の傭兵が配置された。当然ながら傭兵たちには、その目的はぎりぎりまで知らされることはない。先鋒軍の突入後、中軍の到着の時点で、現場での最終判断をもって、その命令が出されることになっている。もちろん状況によっては中止もあり得る。
他の任務に充てられている傭兵たちには気の毒だが、我が山猫傭兵団は、当然その中にねじ込んであり、伯父貴にだけはこっそりその因果を含めてある。これぐらいの余禄はあってもいいだろう、そうでなければ提案した甲斐がない。俺だって団の利益は確保しておきたいのだ。
正規軍に傭兵部隊をぶつける、それを考えていたのは、あちらさんばかりではなかった。
俺が金を出したわけでもないが、せっかく雇った傭兵を、遊ばせておいても損だ。その方法も目的も異なるが、つい先ほどこの眼で見てきた通り、統率されていない相手ならば、傭兵でも充分勝ち目はあるのだ。その場合に足りないのは戦意だが、それを欲で埋めた。
「何しろ傭兵って奴は、弱い奴には滅法強い」
「ふむ、弱い者いじめか。さすがに悪者らしい」
ついて来いとも言わなかったが、ディデューンが並走してきていた。
「嫌なら付いてこなくていいぞ」
「いや、私も悪者の仲間だからな、さあ悪いことをするぞ!」
これが馬鹿にしているのでなければ一体何だ、という話だが、この馬鹿が役に立つことは嫌になるぐらいに証明されている。こんな馬鹿が役に立つ、というのはそれはそれで腹立たしい。
あの時見せた咄嗟の指揮、そしてその切れを見る限り、こいつは本質的には馬鹿ではない。これは馬鹿を演じているのか、馬鹿になりきろうとしているのか、これまでの生活で抑えていた素の馬鹿を解放しているのかは、まだ判断がつかない。
俺が腹立たしい理由は、自分がこれだけ気苦労を抱えているのに、こいつがその馬鹿をやるのが、実に気持ちよさそうだからに違いなかった。
俺がスカーランに急行しようとしているのも、自分の目論見がどうなったかを確かめねば、との使命感に駆られたものだったが、ここにきて気が変わった。
「…………暴れるか!」
「ようやくその気になったみたいだね」
そういうことなら、一緒になって馬鹿をやるのに、こいつほど楽しい相方はいないのかも知れない。
「急ぐぞ」
二騎の馬はさらにその速度を上げた。
スカーランに到着したとき、こちら側からの侵入口は、すでに炎に閉ざされていた。先行する部隊は二手に分かれ、それぞれ南北から侵攻を開始している。
風はほぼ無風だが、やや南からの風を感じ、俺たちは風上から入った部隊の後を追った。
町の様子は、ほぼ俺が想像した通りの様相を呈していた。放火、略奪、そして撤退。それらの事態が、半ばは達成され、半ばは味方の軍によって途中で阻止されている。
戦利品を抱えて逃げようとする敵兵と敵傭兵、それを味方の傭兵が追いかけるような状況がそこかしこで繰り広げられている。
向こうには、抗戦の気配は完全に失われている。今この町に残る敵兵には、荷物を後生大事に抱えたまま後ろから追いつかれて斬られるか、そうなる前に荷物を捨てて逃げるか、その選択しか残ってはいない。
俺たちが到着する前に、戦の大勢は定まっていた。この時点で正規軍の半数は消火活動に、残りの半分は敗残兵の掃討に移っている。
東パンジャリーとしては、ここはなるべく敵を叩いておかなくてはならない。あまり多くを還してしまうと、後日近いうちに再戦を企てられる。今、敵兵を倒せるだけ倒しておけば、その後を圧倒的に優位に進められる。
だが、一部でだけ、大乱闘が行われていた。なぜかそこだけは、こちらの正規兵もまったく相手にしていない。
「何だよ、あれ」
「何か戦ってるね」
「あんなことが起こるはずはないんだが」
ここまでくれば、敵軍は総崩れでもいいはずだ。一部が抵抗を続けているといっても限度というものがある。
近づいてみれば、戦っている連中の中に、見知った顔が多くあった。
「
何でこんなことになっているのか、わけがわからない。慌てて近づくと、その戦いの輪から伯父貴がひょっこり顔を出した。敵と切り結んでいる、その相手は傭兵だった。
さらに意味がわからない、どうして傭兵が抵抗を続ける必要があるのか。
とりあえず伯父貴と話をするために、その相手を馬上から攻撃する。騎馬から狙われたことに恐れをなしたか、それは剣を交えることなく、ここからは退散した。
「おう、来たか」
「来たかじゃねえよ、何でこんなことになってんだよ」
「や、お宝を頂戴しようとしたら、相手が
「マジか! この前の意趣返しか!」
ここで行われていたのは、本来の戦争目的とは全く関係のない身内の大喧嘩だった。あの夜は二人対五人だったものが、傭兵団同士の総勢五〇〇名にも及ぶ大乱闘となっていた。
この戦場で偶然その相手に当たっているとは、何という運の悪さか。いや、この前あんな無駄な喧嘩をしていなければ、こんな無駄なことはやらなくて済んだのに!
これでは東軍の正規兵が相手をしていないのも当然だ。
「知らん! もう勝手にやれ!」
せっかく『暴れてやれ』と勇んでやって来たら、こんなくだらないところで、事態はまたも俺の予想を超えていた。こんなことをしているうちに、目ぼしい物はどんどん余所に持っていかれてしまう。
そうこうしている間に、ディデューンは嬉々として戦いの渦中に飛び込み、伯父貴もまたその中に戻っていってしまう。確かに、
「やめた」
と言って止むものでもないのだ。
このまま俺も加わらざるを得ない、こんなことならティラガの奴も置いてくるんじゃなかった。
「どちくしょうが!」
腹立ちまぎれに二、三人をぶった斬る。特に大きな被害を与えたわけではないが、それらもまた泡を食って逃げ出した。
ここで馬に乗っていることは圧倒的に有利だった。土竜傭兵団がどの程度のものかは知らないが、火神傭兵団とは比べるには値しない。その能力は二枚も三枚も落ちる。そんな中に騎兵と戦ったことのある奴がそういるわけもない。
突如現れた二騎の増援により、互角に近かった戦況はたちまちこちら有利に塗り替わっていく。ディデューンが手向かう者逃げる者の区別なく、景気よく敵を斬り散らかしていた。
「それ! どこからでも来るがいい! 私がディデューン・ミクトランジェルだ」
堂々と名乗ってもいた。この場でなら、そうと知られてまずい奴に聞きとがめられることもないだろうが、それにしても堂々たる馬鹿っぷりだ。まあせいぜい自分の悪評を巻き散らかしてくれ。
俺はと言えば、甘いと言われるかも知れないが、何人かを倒した時点で、自分のあまりの優位を自覚し、それ以上をするのは気の毒な気がしてきていた。
してきてはいたのだが、
「死ねぇぇぇぇえ!」
こちらが騎馬であるにも関わらず、勇敢にも突っ込んでくる奴がいた。その不細工な面を見ると、そんな気持ちはまたたく間に吹っ飛んだ。
「お前が死ね!」
これぐらいで許してやろうと思ったら、何だその態度は!
そもそもこいつらが追い剥ぎなんかを企まなければ、こんなことにはなっていなかったわけで、そうなればディデューンは土竜傭兵団の一員となっていて、敵に回していたのかも知れないし、そいつがいないことで、ブロンダート殿下はあえなく命を落とすことになっていたのかもわからないが、そんな因果関係はどうでもよく、その寝惚けた頭をカチ割ってやることに、何の躊躇もしないぐらいにはムカついた。
剣を思いっきり横薙ぎに払う、敵の不細工な面はさらに歪み、そのまま死に面になった。
「どいつもこいつも馬鹿ばっかりか!」
どうやら自分でも気づかないうちに、かなりの鬱憤を溜め込んでいたらしい。一旦本格的に怒りに火が点いてしまえば、それを燃え広がらせるための燃料は、いくらでもあった。
今日は朝から、俺がどんだけ気を揉んできたと思ってんだ!
俺があれだけ危ない目に遭ってきたにも関わらず、こいつらはこんなどうでもいい喧嘩をしていやがる!
これだけお膳立てを整えてやったのに、こいつらが馬鹿であったがために、そのいいところは全部余所に持っていかれてしまった!
「クソがッ! 馬鹿がッ! ド阿呆がッ!!!」
乱戦の中に馬を暴れ込ませ、そのまま斬って、斬って、斬りまくった。
味方は斬らなかったと思うが、斬って、斬って、斬りまくった。
「おい、事務長がキレたぞ」
「うちの事務長、あんな強かったんか」
「わっはっは、洟タレのくせにいい戦いっぷりじゃねえか」
「ウィラード、大活躍だな」
外野の声がうるさい。もとはといえば手前てめえらが馬鹿なのがいけねえんじゃねえか!
「こんのクソったれどもがァァァァァァッ!!!」
こちらの有利が、たちまちのうちに圧倒的有利にまで広がった。
それが敵の潰走に変わるまでも、そう長い時間は必要とはしなかった。
土竜傭兵団が去ってしまうと、スカーランの町には敵はいなくなった。
町の外では、今も追撃戦が行われているのだろうが、そこまではさすがに、俺の関与するところではなかった。
ブロンダート殿下率いる後詰の隊も到着したが、勝ち鬨を上げる間もなく、今後は総出で町の消火活動にあたることになる。
町の三分の一は、すでに燃え落ちてしまっていた。
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