第二十一話 戦況流転



 後方より疾駆する巨獣の斬撃、いかに豪勇ギリスティスといえど、さすがにこれほどのものは簡単に弾き飛ばすとはいかなかった。どっしりと腰を落とし、渾身の力をもって受け止める。


「ぬおう!」


 それでも助走をつけた分だけ威力があったか、少しだけティラガが押した。同時に俺たちに対する無言の威圧が消え、金縛りに近い状態にあった体の自由を取り戻した。


 俺もイルミナもティラガの巨体に隠れるように位置取りを変えた。


 ギリスティスもすでに俺たちを相手にしてはいない、大きく一歩を飛び退り、完全にティラガだけに照準を据えた。


「遅い」

「すまん、手間取った」


 俺がこぼした文句に、ギリスティスから目線を切ることなく、ティラガは答えた。


 ようやく戦場に追いついたその姿は、上から下まで泥と土埃に塗れている。まさか土砂に埋もれてたんじゃねえだろうな。


「落石に押し潰されるところだった」


 その通りかよ。だが汚れているだけで、無傷だ。どんだけ頑丈なんだ。


「強いぞ、援護は要るか?」

「要らん、任せとけ」


 どこから来るんだよその自信。


 それでも、それは頼もしい言葉だった。思わず訊いてしまったが、援護を頼まれたところで、どうしていいか困るところだ。断るつもりはなかったが、足を引っ張るようなことだけはしたくはない。飛び道具でもあれば別だが、格闘戦で俺の身を気遣うようなことをさせて、こいつが全力を出せないならば本末転倒だ。


 イルミナを見たが、手振りで投げナイフも品切れであることを示された。ここはティラガに完全に任せるより、他はなかった。


 俺には正直、こいつの強さの底がわからない。事務長をやり始めてから何度か、腕が鈍らないように、剣の練習相手をしてもらったことがあるが、その本気の欠片も引き出すことはできなかった。


 このギリスティスも、剣を交わすまでもなく、その強さがわかってしまうほどの恐るべき豪傑だ。戦えばどちらが勝つのか、自分には全く予想できない。


 ティラガはただ一度、互いの剣を交差させただけで、自分が勝てると思ったのだろうか。それとも責任感か、まさか単なる無鉄砲でもあるまい。


 俺の心配をよそに、剛勇同士の睨み合いは、ごくわずかの間だった。


 両者の膨れ上がった闘気が重なり合った、次の瞬間には互いの猛攻撃が始まっていた。


 巻き込まれないよう慌てて距離を取る。


 ガガガガガガガガッ!


 立て続けに剣が打ち合わされる音がする、どちらが攻めているのかも見て取れない、いや、どちらも攻めているのだ。攻めることが、守ることになっているのだ。


 ガガガガガガガガガガガガガガッ!


 音は続く、それは互いに呼吸を止めての連打だった。


 先に息を吐いた方が負ける、そのように思えた。ならばより若いティラガにこそ勝機はあるのだろうか。


「くぁっ!」


 乱打の終りは、予想したとおり、ギリスティスが先に息を吐いたことによって訪れた。


 若干の不利を悟ったのか、ティラガの体を足で蹴って距離を取ろうとする。


 その足の、膝から下が、なくなったように見えた。


 ブウン!


 上半身だけで交わされていた刃が、最後に一度だけ下方を薙いだ、ティラガはその足の動きを狙っていた。


「ちっ」


 その意図にいち早く気づいたギリスティスは、辛うじて足を引っ込めている。その隙を突いて逆にティラガが蹴り飛ばした。俺が食らえば、しばらく息ができないような前蹴りだが、ギリスティスにダメージはほとんどない。両者の間合いが開いて、仕切り直しの格好になる。


 このまま戦いの行方を見届けたかったが、俺にはしなければならないことがあった。それにここは、全体の戦局とは全く関係のない場所だ、身内の命を賭けさせていい所ではない。


「やばかったら逃げろ、それからイルミナは下がってろ」

「おう、ちゃんとやっつける」


 人の話聞かねえな。まあ死ななかったらそれでいいが。


「………………」


 イルミナは文句を言いたそうにするが、手持ちの武器がなくなった奴は付いてこさせない、それは本人も分かっていた。


 俺は再開された激戦を迂回し、戦場の中心部へと馬を進めた。




 ブロンダート殿下の周りには、もはや十名以下の兵が付き従うのみだった。


 それを二十名ほどの敵本隊が圧倒しようとしている。味方たちはじりじりと後退しながら、それでも決定的な壊滅を避けていた。


 すでにそれらは親衛隊でも後詰の隊でもない、生き残った者たちが集まっているだけだ。それでも烏合とならず、一丸となって決死の防御を固めている。


 ――慌てるな。


 自分に言い聞かせる、焦りに任せて突っ込んだところで、それは焼け石に水にしかならない。それよりも他の方法を考えなければ。


 それで間に合わなければ、運命だと諦めてもらうしかない。


 戦いの核心に近づきながら、味方と乱戦を繰り広げている敵兵、その中で、後方への注意が疎かになっていた者たちを次々と斬った。


これにより数人の味方の動きが自由になる。


「ウゥオオオオオオオオーーーーッ!!!」


 その機を逃さず、俺は天に剣を掲げ、高々と吼えた。


 知らん、このようなことはやったことがない、でも、吼えた。


 先にディデューンがやって見せた、そのままをやった。


「行くぞ!」


 咆哮に気づいて、こちらを向いた味方の視線に対して、号令をかけた。


「オ、オオーッ!!!」


 戸惑いながらも、何名かが唱和した。


 ゆっくりと馬を動かす、そしてだんだんと、少しだけ蛇行しながら、兵たちが追いついてこれそうなところまでは、速度を上げた。それに掛け声に応じた者たちが続く、それに声を上げそこなった者たちも混じる。そうして十名ほどの集団が形成された。


 その先頭に立って、近くの人の密集したところへなだれ込んだ。


 敵も味方も入り混じっている、やや敵の方が多い、それだけを確認し、味方を巻き込むことには構わず突進した。


 俺たちの圧力を受けたその密集は、簡単にはじけた。


 敵を倒したわけではない、だが道は開けた。密集から抜け出した味方たちは、何名かはこちらの集団に加わる。ばらばらに散った敵たちは、個人相手ならともかく、まがりなりにも軍勢となったこちらに対して、攻撃を仕掛けること二の足を踏んでいる。


 ――いける!


 実に調子のいい話だが、これか、というものを掴んだ気がした。


 傭兵は正規兵に勝つことができない、頭では理解していたものの、それは単なる知識、机上の空論でしかなかった。その本質が今、俺に実感として伝わった。なるほど、いかに専門傭兵スパルタンであっても、例え個人の力に優れていようとも、このようなものには対抗しようもないのか。


 俺たちはそのままの勢いで、いくつかの密集をただ破った。それらは俺たちが剣を振るう間もなく裂け、無人の野を征くのと、それほど変わりはなかった。


 このまままっすぐ行けば、敵本隊の横腹をブチ抜ける。


 ブロンダート殿下の護衛は、まさに最後の一枚が抜かれようとしていたが、この速度なら間に合う。


 交戦中の敵本隊も、こちらの接近に気づいた。


 だがもう遅い、そちらがどう動こうとも、この動きには抵抗できまい。


 そのはずだった。


 驀進するこちらに対して、敵将らしき者から、いくつかの何かが投げられた。


 ――飛び道具かッ!


 放物線を描いて飛来するそれは、それほどの速さでもなく、勢いもなかった。


 剣で受けようと構えたが、それらはこちらに届くことはなく、俺たちと敵本隊との間に落ちた。


 ボウウウウウウウ!!!


 地面に落ちた瞬間、一斉に高い火柱が何本も上がった、炎はたちまち障壁となって、道を閉ざす。


 突然の炎に馬は驚き、暴れ、俺は振り落とされそうになる。辛うじてしがみつくが、この情けない指揮官の様子に、兵たちの足も止まってしまっていた。


 ――火神傭兵団。


 ギリスティスが名乗った、その名前が頭に甦った。


「こういう意味かッ!」


 それがどういう仕組みでできているのかまではわからない、油壷、導火線、火種、いくつかの単語が頭をかすめるが、それらは大した意味を成し得ない。だが彼らは、その名が示す通り、火の扱いに優れていたのだろう。


 馬を落ち着かせるのに、それほどの時間を要したわけではない、しかしそれは、決定的な時間の浪費だった。


 炎の向こうで、ブロンダート殿下の姿が、一本の剣に貫かれるのが、見えた。


 それでもなお、殿下は戦うことを止めなかった。自分を刺した傭兵の頭を、その手の剣で両断する。


 しかし、それが最後の反撃だった。


 二本、三本、次々と吸いこまれるように、その体が剣を受け入れていく。


 抵抗の力が急速に失われ、殿下は、ずるり、と馬上より落ちた。


 眼前を絶望が染め上げていく。それは、任務失敗のためか、敗北のためか、敬愛すべき者の死のためか。


「あああああああああーーーーーーーーッ!!!」


 絶叫した。


 絶叫した。


 燃え続ける炎の壁を前に、それ以外何もできなかった。


 ピィィーーーーーーッ!


 直後、高らかに笛の音が鳴り響いた。


 これは、敵の撤退の合図か、それとも任務達成の合図か。


 どちらにせよ、俺たちにとっては、同じことだった。


 戦闘中の敵兵は直ちにそれを止め、降りて来た崖とは反対側、森の方に向かって散り散りになって撤退していく。


 もはやそれを追う気力も、意味も、何もなかった。すべては終わってしまった。


 森の中には、こちら側の傭兵たちが警戒にあたっているはずだが、彼らには敵兵を捕まえる理由も、戦う理由もない。そのまま逃げるに任せるだろう。


 これから行われるはずだったスカーランの町での戦闘も、するべき価値はなくなった。


 俺は、絶望に囚われたまま、何もできなかった。


 周りの兵たちも、へたり込んで動けなくなるばかりだった。


「殿下を、このままには……」


 ゆっくりと炎が鎮まっていく、それを見ながら、そんなことが、ぼんやりと頭に浮かんだ。特に意識することもなく、馬を降りて、惨劇の起こった場所へと近づいた。


 それは皆が同じ思いだったのだろう、地に伏した亡骸の周囲に、やや正気を取り戻した順に、人が集まり始めた。


 その中には、真っ先に駆けつけるべき、リリアレットの姿も、カイリエンの姿もない。


「あいつらも、死んだのか」


 この期に及んで見当たらない以上、そう考えるしかなかった。


 ただ、誰も率先して殿下に触れようとする者はいない。ぴくりとも動かぬその体に、救護の必要は感じられない。俺の足も、途中で止まった。


 その死に顔を直視するのが辛いのか、それとも身分を憚って、誰か上官に任せようとしているのか。


 だが、この戦いでは、あの火神傭兵団の戦術上、士官に近いものから狙われていた。いま動けるものの中で、こいつが一番偉い、と呼べるようなものは誰もいない。


 周囲の視線が、なぜか俺に集中していた。


 いや、俺はただの傭兵だ。行きがかり上、兵たちを指揮するような真似もしたが、そもそも俺はパンジャリーの所属ではないのだ。


 懇願の空気の中心で、俺は座り込んだまま動けなくなっていた。


「行ってください」


 ぽん、と背中を叩かれた。


 イルミナだ、その後ろには、いつの間にかティラガもディデューンも集まっていた。


「お前ら、無事だったか」


 その問いかけには答えず、イルミナは殿下の亡骸を指さした。


 ――何で俺が行かなきゃなんねえんだよ、俺の責任でもないのに。


 それでも誰かが行かねば、始まらない、いや終わらない。


 早く事態を収拾しろとの催促か。


 いや、違う。


 自分はパンジャリーの者ではない、そんなものは、ただの言い訳だった。敗北と直面することを恐れている、ただそれだけに過ぎない。


 イルミナにはその心を読まれたか、なんつー厳しい女だ。この程度の失敗ぐらいはおのれの内に取り込んでみせろ、そう言われたような気がした。


 俺はこの眼で、自分の敗北を見つめなければならないのだろう。


 これは、俺だけの敗北ではないのかもしれない、おそらくは、皆で分かち合うべきものだ。だが俺にとっては、俺だけの敗北だ。




「失礼いたします」


 俺が再び立ち上がったことにより、兵士たちの間に、ほっとしたような空気が流れた。


 俺は殿下に近づき、その上体を抱え起こし、その豪奢な、傷だらけの兜を脱がせた。


 その死に顔は、


「カイリエン!」


 ブロンダート殿下のものではなかった。


 初めから影武者をしていたのか、ならば本物の殿下は、リリアレットは。


「殿下!!! ブロンダート摂政殿下!!!」


 周囲を見渡しながら、絶叫にも近い声で呼びかける。


 それは、生きていてくれ、そういう切なる思いの発露だった。


 やがて、


「ここだ」


 少し離れた、森の方でそれに応える声がした、だが姿は見えない。


「ここに」


 今度は女性の声がした、それに続いて、森の中で倒れていた士官と、兵士が揃って起き上った。


 士官はリリアレット、そして兵士の格好をしているのは、まさしくブロンダート殿下その人だった。


「敵は、去りましたか」

「大丈夫だ、もういない」


 二人はそのまま人の輪に近づいてくる。リリアレットに問いかけた。


「兵に化けて、死んだふりをしてたのか」

「ああ、忸怩たる思いだが、そのようにさせてもらった」


 いや、その策は大成功だ。決して恥ずかしいことでもない。どれほどの被害を受けようとも、殿下さえ無事ならば、それは敵の戦略意図を完全に挫いたことになる、紛うことなき大勝利だ。


「カイリエンは、死んだのか、済まぬことをした」


 殿下が痛恨の表情で呟いた。


「殿下、それは……」


 思わず口を挟んでしまった。自分自身には全く関わり合いのないことだが、その死の瞬間まで雄々しく戦い抜いたカイリエンの姿には、詫びる言葉は似つかわしくない。


「彼の者は、命がけで自らの責務を全うしたのです、済まぬ、では浮かばれません。ここはお褒めの言葉を賜られるべきかと存じます」

「……その通りだ」


 殿下はカイリエンの亡骸に近づき、その体を強く抱きかかえた。


「よくやってくれた」


 その言葉は、もうここにはない、彼の魂に届いたのだろうか、届いたに違いない。


「そなたにはまた助けられた」


 リリアレットが礼を言ってきたが、何のことかはわからなかった。


「何がだよ」

「少人数での奇襲を予測してくれたことだ」

「あれはちょっと言っただけだろうが」

「だがそのお蔭で、カイリエンを殿下の身代わりに立てることができた」

「あんたらしか知らなかったのか」

「ああ、これは三人だけの秘密だった」


 崖上に炎が上がった直後、殿下は兵の鎧に身を包み、カイリエンがそれになり替わっていた。戦場にいたのは最初から最後までカイリエンだった。その間、殿下はリリアレットのみを護衛に、森の中に伏せていたのだ。


 その判断は正解だった。敵を騙すにはまず味方から、と言うが、そのお手本のような機知だ。誰もが、影武者を本物の殿下だと信じて疑ってはいなかった。


 カイリエンが討たれ、こちらの全軍が意気消沈したことで、敵もそれが本物の殿下であることを確信したのだろう。俺も完全に騙されていた。


 だから、完全に失敗したと信じ込んでいた俺が感謝されるのは、複雑だ。嬉しいと思う気持ちは、全くない。


「お役に立ったなら、何よりだ」


 俺の美意識からすれば、ここで謙遜のひとつもできないようでは不細工極まりない。だが傭兵とすれば、くれるという手柄はもらっておかねばならない。


 ――俺、やっぱ傭兵向いてないわ。


 今さらながら、そんなことを思った。




 やがて、人が移動できるぐらいまでには、土砂は取り除かれたのだろう、俺たちの前後の軍が慌てて合流してきた。


 負傷者の応急処置が行われ、ここで再度隊列が整えられた。


「戦いはまだ終わっておらぬ」


 ブロンダート殿下が再び全軍に活を入れ、行軍が再開される。


 殿下の言う通り、敵の本隊がまだそのまま残っていた。それがスカーランの町を脅かしている。


 もう負けることはないだろう、と考えるのはやはり早計に過ぎるのだろうか。


 だが予測していた最大の危険が去った今、俺が事前に伝えたもう一つの策、これが嵌れば、山猫傭兵団ウチはもう一儲けぐらいは、できるはずだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る