第二十話 火神傭兵団



 ――火攻めか!


 崖上の森が燃え上がったことに、驚いたのは一瞬だ、棹立ちになりそうな馬を抑える。


 そこから立て続けに、明るくなった道の前方に、木や、岩や、土砂が降り注いだ。


「うおーッ!」


 兵士たちの驚きの声が連鎖する。


 もうもうと立ち込める土煙の中、視界を奪われて、前を行く隊列が混乱した、何が起こったのか、進むべきか、退くべきか。少なからず負傷者も出ている、彼らをどうすべきか、それよりも殿下を、とその判断がつかないでいた。自然、そのまま立ち往生となる。


 俺たちはもうこれ以上は進めない、にもかかわらず後方からは圧力がかかる。


 間を置かず、遠く離れた後ろの方でも何かが落ちる音が響いてきた。そちらでも同じように、落とされたものによって道が塞がれたのだろう。


「孤立するぞ!」


 言ってはみたものの、誰に対しても何の注意にもならない。


 これでブロンダート殿下と俺たちを含む部隊は、他の隊と一時分断された。完全に、ではないだろうと思うが、速やかに合流することはもはや容易ではあるまい。


 ――火攻めじゃねえ! 奇襲だ!


 大軍を相手取るならともかく、誰か特定の一人を斃すためには、それは効果的ではない。火計では標的を取り逃がすおそれは高い。確実なのは、やはりその手で葬ることだ。


 先に上がった炎は単なる照明だ、それによって、こちらの隊列の様子は敵の目に明らかとなった。俺の場所からはわからないが、殿下の姿は発見されてしまったのだろうか。


 さらには崖上より、こちらに対して弓矢が浴びせられた。本数はそれほど多くはない、おそらくこれは本命の攻撃ではなく、さらなる混乱を誘うためのものだ。


 どうして殿下の所在が割れた、とは今は考えている場合ではない。間者でも何でも可能性はある、だが何となく、これは単なる決め打ちではないか、という気がした。


「殿下を守れ!」


 俺が言うまでもなく、そのような声が口々に上がる。だがそれをしようにも、移動がままならない。


 馬上であるため、他の兵たちよりは視界はいいはずなのだが、生い茂る草木の関係で、自分より後方にいるはずの殿下を、咄嗟に見つけることもできなかった。


 土煙が治まるのを見計らったように、崖上より幾条もの縄が投げ落とされた。


 それを伝って敵兵が降りてくる、その数は一〇〇か、二〇〇か。


 降りてくる、とはいえ、その速さは落下に近い。敵兵たちは落ちながら、片手に持った縄を握り、岩肌を蹴るなどして、落下速度を殺し、たちまち地上に降り立った。


「何だよ! こいつら!」


 その姿は正規兵のそれではない、どう見ても傭兵の出で立ちだった。


 その剽悍な戦士たちは、頭上より次々と現れ、そのままこちらの部隊へと襲い掛かった。




 リリアレットの話では、西パンジャリーにそのような特殊行動をとれる部隊はないということだった、だが傭兵ということなら、話は別だ。


 ――別じゃねえよ。


 そっちのほうがもっとありえない話だ。


 傭兵は正規兵には勝てない、その常識は、集団行動を前提とした野戦を念頭に置いたものだ。乱戦、奇襲戦、山岳戦、個々人の力の総量を問われる戦いになれば、傭兵と正規兵の能力差は極めて小さいものになる。それらの戦は大局に及ぼす影響は少ないが、その場合は決して勝てないという話ではなくなる。


 だがそれはあくまで理論上の話である。


 傭兵が率先して、正規兵の部隊に斬り込んでくる、などという話は聞いたことがない。それは傭兵の行動原理に反していた。


 専門傭兵スパルタン


 俺たちのように、他の仕事の合間に雇われる多くの傭兵たちとは違い、戦場だけを仕事場とする、いや違う、戦闘のみをおのれの仕事とする者たち。『傭兵』という名前からすれば、そちらのほうがよほどその名に相応しいのだろうが、それでも人の在り方とすれば、異常だ。


 その存在を知らなかったわけではない、眉唾に近い噂としては聞いていた、ゆえに俺は、その存在を半ば非現実的なものとして捉えていた。傭兵全体からすれば、その数はごく僅かで、そう簡単に出会えるような確率ではなかったはずだ。


 一撃離脱による奇襲攻撃の可能性、そこまで読んでおいて、これを読み切れなかった、とは思わなかった。これを予測できていたらさすがに神算鬼謀の域だ。




 しかし、それは目の前にいる現実の脅威だった。


 ――とにかく、殿下を。


 移動しようとするが、周囲でも乱戦が始まっている、迂闊に動くのは俺自身が危険だった。


「やはり馬は目立つか」


 士官だと認識されたのかも知れない。こちらにも、地に降り立ったばかりの二人の敵兵が向かってきた。もちろん士官ではないので、周りの兵が助けてくれるわけでもない。何より誰もが自分のことで手一杯だ、ここは自分で切り抜けるしかなかった。


 借り物の短槍を構えて応戦する。剣ばかりではなく、槍術にもそれなりに心得はある。だが相手もたかが傭兵とはいえ、戦闘を専門とするだけあって、少しも簡単な相手ではない。


 一本の槍と二本の剣、互いの得物が幾合も打ち合わされて、火花を散らす。


「雑兵でこれかよ!」

「雑兵呼ばわりか、ガキが」


 専門傭兵スパルタン、稀な存在だが、決して超人というわけではない。それでも実際に戦ってわかったその能力は、豪勇とまではいかなくても、さすがに並の兵ではない。これぐらいの腕が一ヶ所に集まったことが、こいつらをして『俺たちは戦場だけで食っていける』と思い上がらせることになったのだろうか。


 通常ならば、一人を相手にして、何とか勝てる、二人では全く勝負にならない、それぐらいの力量だった。馬上の優位と、得物の攻撃範囲の差で当面はしのげるが、それもいつまで保つか。


 何らかの合図を交わしたのか、それぞれ一回ずつの攻撃を受け止めた後、敵が俺の前後に分かれた。どちらかを射程に捉えようとして、どちらも逃した。この中途半端な判断が窮地を招いた。


「まずい!」


 ――挟まれた。


「「うおおおおおッ!」」


 前門の虎と後門の狼が雄叫びを上げる、例え俺が獅子だったとしても、完全に同時に来られたら万事休すだ、一か八か、前面への突進を敢行する。


「おらあぁぁぁッ!」


 騎馬での体当たり、同時に槍で敵の胸甲を貫く、その手ごたえは充分だった。


 これが、俺が生まれて初めて、人を殺したと自覚した瞬間になった。そして、次の瞬間には、俺自身が骸となっているかも知れなかった。


 死体に絡めとられ、振り回せなくなった槍を手放し、剣を抜いて振り返る、果たして間に合うか。一度の斬撃は、覚悟せざるを得なかった、それは、人の身で耐えられるものなのか。


 だが、背面からの攻撃は、いつまで経っても訪れなかった。


 後ろから来るはずの敵は、離れた場所で、すでに地に伏していた。その背中にはナイフが篦深に突き刺さっていた。


「イルミナ!」

「ウィラード様は、お守りいたします、どうぞご存分に」

「それよりブロンダート殿下を!」

「ウィラード様を、お守りいたします」


 イルミナはそう言いながら、死体に突き刺さったままの槍を抜いて、俺に手渡した。


 二度言うなら、それはイルミナにとって大事なことなのだろう。


「……付いてきてくれ」


 こくり、と頷いたその真摯な瞳に感謝しつつ、後方に馬を返す。


 その時には乱戦は散らばり、戻るための道はできていた。


 この時点で人数は互角か、だが戦況は襲撃側有利に動いている。


 指揮系統が混乱しているこちらは、それぞれがばらばらに敵を迎え撃っているに過ぎない。だが向こうは個々の力量に優れているにも関わらず、必ず複数人で一人を相手にしている。


 一人、また一人と味方が倒れていく、この場所での劣勢は、見捨てるしかなかった。俺がここで高の知れた武勇を奮ったところで、挽回できるわけでもない。


 背後を守ってくれているイルミナの気配を感じながら、一分ばかり馬を走らせたところで、ブロンダート殿下はすぐに見つかった。


 だがそれを護るべき、リリアレット、カイリエンの姿はない。殿下は一人、馬上より周囲の兵を指揮して、襲撃者から自らの身を守っていた。敵の全てが隙あらば、と自分の命を狙う状態では、さすがに全体の指揮までは手が回っていない。


 向こうとしても、ここで長々と戦うわけにはいかない。道は塞がれたとはいえ、少し時間をかければ前後の軍が援護に駆けつけることはそこまで難しくない。


 しばらく保たせることができれば、諦めて撤退せざるを得ないだろう。


 だがそのしばらくが、また簡単なことではなさそうだった。


 殿下の姿は発見したものの、距離はまだ離れている、その間にはまた乱戦が障害となっていた。今度の壁は、先程よりも厚い。


 襲撃隊の本隊らしき集団が、味方を蹴散らしつつ、殿下に迫ろうと試みているのが見て取れた。


 カイリエンの副官だった者が、俺と同じことに気づいていた。何名かを従えてその企みを阻止せんがために動いた。


 だが、彼はたちどころに五名ばかりの敵に囲まれ、馬上から姿を消した。それに従っていた者たちも次々に討ち取られていく。


 この時点でこちら側を指揮する者はいなくなった。


 ――やばい!


 ここでの指揮喪失は致命的だ。殿下の命は、このまま風前の灯火であるかに思えた。


 その時、俺の後方から大音声が響き渡った。


「ウオオオオオオオーーーッ!!!」


 その大声に思わず振り返る、そこにいたのは、馬上にて自らの剣を高々と天に掲げるディデューンだった。


 敵味方の視線が一瞬だけディデューンに集中する、奴はそこを見逃さなかった。


 自らの剣で、連続して三人の味方を指す、次に敵兵を指した。それだけで意味は通じたようだ、指名された味方の三人は、指示された一人の敵に向かって殺到する。


 さらに三人の味方、一人の敵、三人、一人とその動作を素早く次々と行う。どう動けばいいのかと、右往左往していた者たちはそれに従って、組織だった攻撃を開始する。


 それだけの動作で、この男はたちまちのうちにこの部隊の指揮権を強引に確立したのだ。


 反撃の意志の中心が定まれば、周囲にいる二十人ほどの味方が自然と密集し、いちいち個別に指示をせずとも、ディデューンの号令に従って動くようになった。


 ――なんて奴だ。


 これにはさすがに感服せざるを得ない。こいつは腕が立つだけではなく、こんなことまでできたのか。


「道を作るぞ、ウィラード」


 ディデューンはいつの間にか得物を弓に持ち替えている、続けざまに三矢を放った。


 それは過たず、俺と殿下との間にいる敵兵を順番に貫いた。


「お前、何でもできるな」

「どうだ、私を客にして良かっただろう」


 まったくだ、恐れ入った。悪いが馬鹿だと思ってた、いや、頭は悪くないが、馬鹿野郎だと思っていた。


 新たに現れた指揮官に対し、敵兵たちは集団になって襲い掛かるも、さらに得物を槍に持ち替えたディデューンによって、それらは突き倒される。


 この場の指揮は完全に回復したといっていい、それさえ取り戻せれば、いかに専門傭兵スパルタンといえど、統率された正規兵には抗し得るものではない。こちら側有利の戦局が次第に整っていく。


 あとは、ブロンダート殿下だ。その戦いの中心へは、かすかな道は示されている。


――あそこまで辿りつければ、救えるのか。


 わからないが、今行けるのは、俺だけだ、ならば行くしかない。その防備はまさに剥がされようとしていた。俺は馬腹を蹴ってその中に飛び込まんとした。


 しかしその意図は、ふらりと前方に立ちふさがった人影によって直後に挫かれた。


「くそったれが!」


 慌てて蹴り足を止める、危機一髪だ。


 無視して馬で蹴散らす、ということはおそらくできなかった。これはもう、見るからにそうとわかる豪傑だ。それをすれば、馬か、俺自身か、あるいは双方が斬られていた。


 大きい、いや、おおきい。あのティラガよりも、まだ巨きい。髭面の巨人が見たこともないような大剣を携え、手ぐすねを引いて待ち構えている。


「そりゃまあ、こんな奴もいるんだろうがよ!」


 今さら驚くには値しない、専門傭兵スパルタンなれば、これぐらいの化物の一人や二人は抱えているのだろう。


「ダメです、退いてください」


 俺にだけ聞こえるように、背後からイルミナの声がかかる、二人がかりでも勝負にならないと判断したか、それについてはまったく同感だった。


 ――動けねえ。


 慌てて距離を取った後、攻め手が全く見つからなかった。小手調べの一合すら放てない、それをすればたちまち弾き返されて、大きな隙を作るだろう。その後は半分にされるか、粉微塵にされるか、いずれにせよ命がないことは間違いない。


 ――こんな時こそあいつの出番だろうがよ、何してやがる。


 俺はもう、退却すら頭にある、こんな相手とは戦えない。


 殿下も大事だが、自分も大事だ。それにここで俺が戦おうとすれば、俺が斬られる前に、イルミナは盾になろうとするだろう。ここでのその判断は、二人分の命のタダ捨てだ。


 相手が先に動こうとする、その気配を捉えた。


「名前は?」


 言葉によってそれを制した、もちろんただの時間稼ぎにしかならない。


「火神傭兵団、副長、ギリスティス」

「山猫傭兵団、事務長、ウィラード・シャマリだ」

「何だ、貴様も傭兵か」


 どうやら問答には付き合ってくれるようだ、これはまだ俺にも運がある。


 それにしても火神傭兵団とはまた大きく出たもんだ。


 傭兵団は普通、あまり大層な名前を付けない。うちの山猫なんかはかなり立派な方で、溝鼠ドブネズミ疣蛙イボガエル蚯蚓ミミズ、そんな名前の所すらある。実力もないくせに大きな名前を名乗るところは、侮られ、よってたかって潰される。


 大鷲、天狼、鳳凰、そんな名前を付けるのは、粋がった新興の傭兵団か、どこかの国や偉いさんに大功を認められ、特別に名前を与えられたところだ。


 ――こいつんとこは、後者だろうな。


 どこのどいつが呉れてやったかは知らないが、それは疑う余地はないだろう。


「あの人を殺させれば、帰ってくれるのか?」


 俺は馬上で剣を振るう殿下を指さした。遠くからでもわかる、その姿には痛ましいほどに疲労の色が滲んでいる。


「んあ?」


ギリスティスは無造作に振り返って後ろを見る、だがそんなものは何の隙にもならない。斬りかかったところで、返り討ちになるだけだ。


「ああそうだ、あいつを殺せば、俺たちの仕事は終わりだ。おとなしく見てるなら、見逃してやってもいいぞ。お前みたいなシャバい奴をブッ殺したところで、こっちは銅貨一枚にもならんからな」


 ぶん、と威嚇するように大剣を振り回し、奴は答えた。


 シャバい、とか言われちまったよ、どこの言葉だよそりゃ。


 しかしその言葉は、奴の残忍な表情からして全く信用できない。歳の頃は四十を過ぎたところか、その顔には闇雲に人を斬ることで自らの武を誇ってきた、その人生が刻まれていると思った。


 さらに、ぶん、ぶうん、と剣が振り回される。


 その度にいちいち、びくり、と警戒せざるを得ない。実力差がありすぎる、お遊びの一撃すら致命傷になるかもしれない。


 こちらの動揺を見てギリスティスは実に嬉しそうな顔をする。


 こいつは俺たちを弄っていやがる。油断させて斬るか、抵抗させて斬るか、自らの嗜虐心の赴くままに楽しんでいるのだ。


 その心の水槽が溢れるまでは、時間稼ぎができる。無論、それまでに殿下が討たれてしまえば、それで終わりだが。


 ――早く来い!


 俺は祈りながら、ギリスティスの動きを注意深く見守る。だがこいつは育ちの悪いことに、もともと長く愉しむ、ということができない性質たちらしい、その決壊が訪れたのは思った以上に早かった。


「このギリスティスを前にして、生きて帰れるとでも思ったか? このシャバ僧が」

「シャバ僧っていうのは何だよ?」

「そいつはこの剣か、教えて、くれるんじゃ、ねえ、か!」


 気の短い奴め、もうちょっと高尚な会話を楽しんでもいいんじゃねえのか。


 ギリスティスが踏み込みと同時に剣を振り上げ、そして振り下ろすのと、俺が馬を返すのと、待ちに待った足音が聞こえてくるのが同時だった。


 イルミナがナイフを投げる、ギリスティスがその剣で簡単に弾き返す。さらにもう一本を投げる、これもまた弾き返される。


 まだ足りない。


 俺が槍を諦めて投げる、それも弾き飛ばされて、ようやく間に合った。


「うおおおりゃあああああ!!!」


 怒号一閃。


 ティラガの大剣とギリスティスの大剣とが、この夜一番の激しい火花を飛ばし、周囲は一瞬、昼間になったかのように明るくなった。

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