第十九話 燃える空
編成は昼と変わらず、先鋒はハーデオンに託された。
脱いだばかりだろう鎧を、再び身につける後ろ姿に声をかけた。
「いけるのか?」
俺が口出しするのも余計なことかと思ったが、こいつは昼間動きっぱなしで、飯を食うのも最後ならば、休憩もほとんど取れていない、配下の兵も同様のはずだ。訊かずにはいられなかった。
「おおう、そなたに心配されるのか、気持ち悪いな」
ハーデオンはわざとらしく身震いをしながら答えた。冗談を言える余裕があるんなら、こいつ本人は大丈夫そうだ。
「別にあんたを心配してんじゃねえや、あんたんとこが崩れたら困るから言ったんだ。あと気持ち悪いとか言うな」
「ははは。ん、まあ、絶対とは言えんな、だが全力は尽くす。配下の者は長らく率いてきた兵ばかりではないが、それでも殿下を慕って参集してきた連中だ、少々のことでへこたれるような者はいない、と思っている」
スカーランの町を破却することは許さない、国民を苦しめまいとするブロンダート殿下の断乎とした決意は、全軍に行き届いているように見えた。
ハーデオンの表情にも、決死、というほどではないが、先ほどまで感じていた『
「いや、そなたの言った通り、昼の先頭はやはり茶番だった」
「茶番とまでは言ってねえよ」
「騎士の剣は、主君と、そして弱き者の為に振るわれねばならん」
「そこまで大層に言うない。昼間はやる気が出なかった、でいいじゃねえか」
「はっはっは、やる気がなかったわけではないのだが。それより、そなたも調子が出てきたのではないか? 殿下のお側に付いたあたりから様子が変だったが」
「む……」
こいつにまで気づかれていたか。ってことは、俺に余裕がなかったってことは周りにはバレバレだったってわけで、うわーみっともねえ。
「うるせえや。また気が向いたら策の一つも捻ってやるから、そっちも頑張んな」
「ああ、期待している。やはりそなたは、我らと目の付け所が違う」
身支度を整えたハーデオンは、そう言って自らの馬を陣頭に進めた。これより東軍の再度の侵攻が開始される。
それを見送る俺の心中に、ハーデオンの期待はもはや重くはない。俺はもうやれることしかやらないし、つまらないことしかできなかったら、そいつは御免なさいだ。
それにもう、さらに二つばかりの進言をしていた。これは限られた人間にしか言っていない。先鋒隊のハーデオンにはせいぜい敵軍を蹴散らしてもらわなければならない、余計なことに気を取られてもらっては困る。
もし今夜、スカーランで略奪ないし破壊が行われるなら、我々にとっては絶好の機会になる。
必要なのはとにかく速さだ。こちらの接近が、途中で気取られないに越したことはないが、仮に気取られたところで、工作活動中の軍を再編成するには時間がかかる。
それより何より、彼我の士気に雲泥の差があると思われる。
無抵抗の民や、無人の場所から物品を絶賛分捕り中の連中が、それを中断されて、さあ今から敵軍と戦えと言われたところで、士気を立て直せるわけがない。その状態で戦闘することになれば、ほぼ勝負にはならない。スカーランの奪取は確定的だ。
いささか後ろめたい気はするが、スカーランでの略奪が行われることを、俺は祈っている。
ただ万が一、俺の読みが杞憂に終わったとしても、今夜はひとまず夜襲をかける手はずになっていた。
それを行えば、西軍は今後警戒を強める。もし町を破却する意図があったところで、それは迂闊に行えなくなる。
そうなってしまえば、戦いは長引くことになるだろうが、それは殿下がそうなっても構わぬ、と決断された。俺がどうこう言うべきことではない。
俺たちの後詰の軍は、例によって最後方からの出陣になった。
昼間は徒歩だったが、今回は俺も馬を借りた。乗るのは久しぶりだったが、勘は衰えていない、夜間の行軍でも問題はなさそうだった。
「ウィラードはなかなか馬が上手だな」
「何年か前に、とんでもない連中に無理やり仕込まれたからな」
これでディデューンとも同じ目線で話ができる。こいつをいちいち見上げながら話をしていると、自分がひどく馬鹿になった気がする。もちろんそれが理由で借りたわけではない、何かあった時にいち早く駆けつけるためだ。今夜はその機会がありそうな気がした。
野営地にはごく少数の防備しか残していない。こちらの陣が密かに逆撃を受けるようなことがあれば、補給に大きな打撃となるが、それよりも守らねばならないものがあった。
それはもちろんブロンダート殿下の命である。
西軍とは、スカーランの町に陣取る者たちのことではない、あれは、ただの手足だ。頭はもちろん王都パンジャリーにある。
そこは、今回の戦いを本当に五分であればいいと思っているのか。ここでのその選択は、当座をしのぐことはできても、先々じり貧になることを意味してはいないか。
単なる延命を望んだというのであれば、それはそれで構わない。
だがブロンダート殿下の命を奪うことができれば、状況は一気に西軍有利にひっくり返る。それは当然に考えられているはずだ。
今回ここで殿下自らが陣頭に立つことは、事前に相手に予測されていたことなのか、それともそうではないのか。俺としては、この夜襲にまで殿下が同行する必要はないと思ったが、これもまた本人が強く希望したことだった。
この辺りのことは、リリアレットたちにはすでに相談してある。それでも念を入れておいても間違いはないだろう。
俺はその近くに馬を寄せた。
「リリアレット、さん」
何かこの人のことは、さん付けも呼び捨てもしにくいんだよな。
「どうした、言われた通り、我々の軍の四方には傭兵部隊を配置させて、一緒に進軍させているぞ」
「助かる」
「何が、助かる、だ。殿下の命は君たちよりも、私にとってのほうがより大切だ、礼を言われる筋合いはない」
そりゃま、その通りなんですけど、この人の『殿下スキスキ』はたまらんな。ちょっとだけ歳のいった人の恋愛関係は、何となく痛々しい。聞いていてこっちがいたたまれない。
そんな人間模様よりも、今の時点で俺が懸念しているのは別動隊の存在である。
考えすぎであればそれでいいが、スカーランの存在そのものを囮に、そこに駐留する部隊の与り知らないところで、殿下の命だけを狙う部隊がいないとも限らない。
いや、俺が西軍で作戦を考えるなら、できるできないに関わらず、その選択肢は外せない。たとえ少数であっても、常にその機会を伺う部隊を編成するだろう。
ゆえに、傭兵部隊を野営地に残すよりも、俺たちの隊の周りで警戒させたほうがいいと思った。別動隊の攻撃を受ければ、その防御力は紙のようなものだろうが、それでも異変を察知することぐらいはできる。
「リリアレットさんはずっとパンジャリーにいたんだろ? 向こうの作戦はどんな奴が考えてるとか、わからないか?」
「そうなのだ、私は王都でずっと殿下の秘書のようなことをしていてな。ご領地のイゼナも悪いところではないが、奥方様の目があって、ずっと殿下の側にいられんのが辛いところだ」
「違う。先の質問じゃない、後の質問に答えてくれ」
「そ、そうか、その、すまん」
何で照れるんだ、照れたいのはこっちの方だ。
「う、うむ。敵の作戦だが、それを考えているのが国王の側近であるならば、私は詳しくない、正直言って誰が考えているのかはわからん。軍人であれば、スカーランにいた将はデグニスの他、何人か見知った顔がいたが、ほぼ主力が来ていると考えていい」
デグニスといえば、殿下の受け渡しの時にいたあのイヤな奴か。あいつあんな失態を犯しておいてよく失脚しなかったな。うまく立ち回ったのか、それとも更迭させる余裕もなかったのか。
「いや、俺の考えだが、スカーランにはいないと思う」
「そうか、だが考えすぎではないのか?」
「そんなはずは……。いくらなんでも西軍がそんな馬鹿ばっかりとは思えない」
「だがな、我が軍と同じく、スカーランにいるのは西軍の計算上の最大戦力だ。あれ以上の兵力を割くとなれば、他の防備が薄くなりすぎる」
王都の守りを疎かにはできないか。西パンジャリー国王の命を狙うような連中は、すでにこちらに流れてきているだろうが、それでも安心はできまい。
傭兵部隊を抜きにして考えれば、こちらの後詰は昼と同じく五〇〇、それだけを標的として考えても、少なくとも同数の精鋭、もしくは倍の兵力は用意しておきたい。
「ならばごく少数、一〇〇か二〇〇程度の部隊で、殿下の命だけを狙って奇襲をかけるとか」
一撃離脱、時間をかければ、逆に奇襲部隊の方が全滅してしまう。その方法としては暗殺に近い。それぐらいの人数ならば、何とかすれば捻り出せよう、それをどこかに潜ませておいて、ということも考えられる。
昼間ならば難しいが、今ならば向こうにとっても、夜陰に乗じて近づくには絶好の機会になる。最後の段階だけは、この暗い中で殿下の所在を完全に掴むことは難しいことではあるか。
「そのようなことを任せられるのは、よほどの精鋭ということになるが、もしそんな部隊があったならば、その将もまた無名ではあるまい、私はそんな者の名を知らんぞ。第一そのような部隊を育て維持するのに、どれほどの予算が必要になるのか。ここ十年、パンジャリーの中枢に参画していた殿下が知らぬわけあるまい」
言われてみればその通りだ。
殿下もリリアレットも西軍の情勢には詳しい、そこから離れて三月程度にはなるが、その短期間で軍備が増強されるわけもない、むしろ政変の混乱状態でその能力は低下していて当然だ。
「じゃあスカーランまでは素通りさせてもらえるのかね」
理屈の上ではリリアレットに分がある、ここは一旦保留にしておくことにした。
陣地を出て一時間ほど、俺たちは崖下の街道を進んでいた。
「ここは嫌な雰囲気だな」
崖上、そして中腹にも何ヶ所か、踊り場のようになっている所がある、そこから岩か何かを落とされでもしたらたまらない。
それで何ができる、といえばこちらに少々の損害が出るだけなのだが、さすがにそれで確実に殿下を仕留める、ということにはならない。
――びびっている、とは思われたくねえが。
頭上に目を凝らしてみても、この暗さでは何もわからない。
道の反対側は森、こちらには何かが伏せている気配はない。さらにその奥は傭兵部隊が警戒をしているはずだ。
この夜戦について、言いだしっぺの責任もあるのだろうが、何で俺だけがいちいちこんな気を揉んでやらなくちゃいけねえんだ、という気持ちは少しする、他の連中は気になったりはしないのだろうか。
道のりはそろそろ半分か、というところまで差しかかった。先鋒隊はそろそろ森を抜け、スカーランを視界に捉えるところまで出ただろうか。
隊列の動きが少し早くなった、これは前が急ぎ始めたということか、何か異変があったのかも知れない。考えられることはひとつだ。
「スカーランの空が、燃えています」
しばらくして、伝令の者により、決定的な報告が俺たちの所までもたらされた。
まさか焚火などであるはずがない、町の焼却はすでに始まっていた。
消火は間に合うのか、それとも町は燃え尽きてしまうのか、いずれにせよ、勝敗はこの晩にはついてしまうのだろう。いや、負けることはもうないのか、勝利か、引き分けかだ。
「急ぐのだ」
ブロンダート殿下の下知があり、全軍はその移動速度をさらに早めた。これによって隊列に間隔が生じる。
慢心があったわけではない、だが命令を優先し、警戒が薄れたのもまた事実だった。
俺たちの好機は、敵にとっても好機であったのだ。
そして、俺たちの頭上にも、火の手は上がった。
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