第十八話 閃く天啓



 違和感は、あった。


 それに気づいたのはつい先頃だが、思い返せばこれはどの段階かわからないぐらいに、最初の方からあったのではないかと思う。


 ただ俺が目先のことでいっぱいいっぱいになっていて、わからなくなっていただけだ。


 それが決定的になったのは、この夜、幕舎に入ってきたハーデオンを改めて見た時だった。




 今日の戦いは、お互いに決定打を欠いた。


 他に比べるべき事例を知らないので、正確なところはわからないが、緒戦で様子見、ということもあったのだろう、どちらの軍も相手の出方を伺うように、それほど大胆な動きを仕掛けてはいなかったのではないだろうか。


 二時間ばかりの戦闘の後、こちらは大きく距離を取り、向こうは柵の後ろへと引っ込んだ。互いに弓隊を用意するが、その射程からも外れている。散発的に矢が放たれたが、それらは互いの軍に届くことはなかった。


 そのまましばらく膠着状態が続き、相手にこれ以上の戦闘続行の意思がないと見るや、パラデウス将軍は全軍に後退を命じた。もちろん敗北したわけではない、勝負は明日以降へ持ち越しということだ。




 俺の見る限り、東軍の部隊は、西軍よりも連携がうまくいっていないように思えた。


 それはおそらく、もともとの摂政殿下の私兵に、西軍より離反した王国兵、地方の守備隊などを加えた混成軍だったためと考えられる。


 それを計算に入れれば、パラデウス将軍、ハーデオンらは、さすがに殿下の信任厚いだけあって、ほぼ同じ兵数相手によくやったとも言える。


 俺たちがいた後詰の部隊は、二、三度敵部隊と接触し、その時は俺もさすがに戦慄を覚えた。


 しかし深入りするようなことはなく、殿下はもちろん、俺ですら敵兵と剣を交わす機会を得ぬまま、そのはるか手前で撃退することができた。


 これはこちらが精強だったわけではなく、おそらくは相手に最初から、もう一歩を踏み出す気がなかったから、のような気がした。


 結局俺は、この初戦で何もできなかった。一切の進言をすることもなく、ただ周りに合わせて、歩いたり走ったりしていたに過ぎない。開戦前に強く意識したように、戦というものを頭に叩き込むだけに終始したが、それを次に生かせるかと問われれば、そんな手応えもない。生まれて初めての戦争で、何かを為した感じはまるでない。


 申し訳ないという気持ちばかりが胸中にある。


 これでは与えられたテスト用紙を白紙で提出したようなものだ、ブロンダート先生やリリアレット先生を失望させてしまったかも知れない。


「お前ら、すごいな」

「まあ、これぐらいは」

「本当は敵将をやっつけてやりたかったのだが」


 ティラガ、ディデューンの二人は、いつの間にか部隊の最前列に近いところに出て、わずかなぶつかり合いの間に、それぞれ敵兵を討ち取っている。互角の戦いで、こちらに負傷者はそれなりにいるものの、死者はほとんど出ていない、ということは向こうにもそれほど出ていない、ということだ。この二人の前に出てしまった敵兵は、よほど運が悪かったと見える。


 緊張と集中と焦りで、こいつらの手綱を握るのをすっかり忘れていたが、そんな隊列を乱すようなことをして、よく怒られなかったもんだ。


「違う、隊列が乱れるところを助けてやったんだ」


 ティラガはそんな風に言ったが、ほんとかよ。




 俺たちが戦場からさらに二時間ばかり後退すると、夕闇の中に野営の陣が設けられているのが見えた。どうやら今日はここで休むことになるらしい。


 山猫傭兵団はここの設営に当たっていたようだ、陣営の門をくぐったところで、三日ぶりに伯父貴と再会した。


「よう、しょぼくれた顔してんな、矢でも食らったか」


 会って早々にその言い草か。心配してくれとは言わんが、もっと普通の挨拶でいいだろうが、この親爺は。


「矢なんか食らうか。何でもねえ、つか、何にもできんかった」

「何でもねえなら、それでいいじゃねえか」

「いや、ダメだろ、それじゃ何のために殿下に付いたのか、わかんねえじゃねえか」

「じゃあ、何のために付いたんだ?」

「そりゃ、殿下を守るためで、あと気づいたことあれば何でも言えと」

「殿下を守れなかったのか?」

「いや、殿下に危ないことは、何もなかった」

「何も言わなかったのか?」

「ああ、何も気づかなかった」

「はあ? 気づかなかったら言わなくていいじゃねえかよ、それで文句言われたのか?」


 傭兵はできないこと、命令以上のことはしなくてもいい、伯父貴はそう付け加えた。


「だから、単なる傭兵以上の仕事を期待されちまってんだよ」


 それを聞いた伯父貴は心底呆れたような表情をした。


「お前、頭良いくせに、ほんっっっとバカだな」


 思いっきりタメを効かせたバカを言い放つと、俺の頭を掴んでぐいっと周りに向けた。


「見てみろ、ここにどんだけの人間がいるんだ、誰が一体こいつら全員の運命を、お前みてえなガキの背中に背負わそうと思うんだ。そんな奴いるわけねえだろ、いたら相当の馬鹿野郎だ。馬鹿野郎が自分の馬鹿さ加減でおっ死ちんじまうのは自業自得ってやつで、お前が気に病むことじゃねえや。ここの大将はそんな馬鹿野郎なのかい?」

「………………」


 ちくしょう、ぐうの音も出ねえ。ぐうの音も出ないほどの畜生だ。


 その通りだ、全くもってその通りだ。期待は確かにされている、それは思い上がりではないと思う、だがその期待は、他にも多くある期待のうちの一つでしかない。


 建国したばかりで人材が揃っていない東軍の陣営には、軍師や参謀と呼べるような人物はまだいない、軍略や知恵はそれぞれの持ち寄りになる。だからと言って、いくら王立大学院アカデミーの看板があるとはいえ、その一切を一介の傭兵、しかもこんな若造に任せるわけがないではないか。


 任せたとしたならば、それは伯父貴の言う通り完全無欠の馬鹿野郎だ。それに気づかなかった俺も、掛け値なしの馬鹿野郎には違いない。


「誰もお前にゃそこまで期待しちゃいねえよ」


 俺の背中を叩きながら、そう言い残して、伯父貴は他の団員たちのいるところへ去っていった。


 腹立つなあ。俺が気負い過ぎていたのはよくわかったが、最後のそれは余計だ。誰が俺をここまで引っ張ってきたと思ってんだ。俺は少なくともあんたにだけは期待されてると思ってるぞ、してねえとは言わせねえ。




 親衛隊の連中と飯を食った後、再び本陣へ呼び出された。今度はティラガもディデューンもいない、あいつらには特に用事はないということだが、隊列を乱した、などとのお咎めもないということでもある。


 俺とカイリエンだけが軍議に招かれ、幕舎の中に入った。


 後詰の部隊は最初に引き上げたため、兵糧を摂るのも、休憩に入るのも早かった。他の連中が揃うまでには、しばらく時間がかかるとのことだった。


 癪に障るが、伯父貴のお蔭で背中が軽くなったことに間違いはない。


 ――何もないなら、それでいい。


 そんな気分で、周囲を見渡すことができた。


 何人かの士官が話しかけてきたが、雑談に応じる余裕もできた。


 そこにある違和感に気づいたのは、その辺りからである。ただもう、その原因を探ろうという気も失せていた。そこかしこに漂うのを、ぼんやりと眺めていただけである。


 だからその正体に気づいたのはたまたまだ、としか言いようがない。


 先鋒隊であるから、引き上げは最後になったのだろう、ハーデオンが本陣にやってきたのは随分遅れてだった。


「お待たせいたしました」


 ――こいつ、こんなだったか?


 そこにいたのは、初めて逢い、剣を交えた時の決死のハーデオンではなく、殿下に自らの死を決断されて、苦衷の中で何かを決意したときのハーデオンでもなかった。


 ただの、普通に職務に忠実な男がいただけだった。


 そして、この時点で先程からの違和感に、自然と名前がついた。


 これは『ゆるみ』だ。


 もちろん真剣だ、現状に対し、誰もがことさらに油断しているわけでもない。だがあの時、誰の目にもあった必死さが、今はこの男のどこにも見当たらなかったし、振り返って見れば他の誰も、そんなものを持っていなかった。




 この戦は、もともと談合のようなものなのだ。


 西軍はその体面上、ここで必ず軍を起こさねばならない、そうしなければ遠からずその体制は崩壊する。東軍はそれを無視はできないが、いやいや付き合わされているだけに過ぎない。


 東軍は殿下が健在であったことにより、必敗の状態からほぼ五分の所まで戻している、当面の結果としてはそれで充分なのだ。その窮地であったことから比べれば、ここでスカーランを獲得したところで、少しの優位を得ることにしかならない。


 敗北することは避けたいが、危険を冒してまでの勝利は必要ない。無傷に近い状態で引き分けることができれば、それ以上を望む必要はなかった。


 その『弛み』が、全軍に無意識のうちに蔓延していた。


 ディデューンは知らないが、ティラガやイルミナは別にふざけていたわけではない、あいつらはあいつらで、その空気を感じ取っていたのだ。その『弛み』が傭兵の所まで下りてくれば、あのような態度であってもそれほどおかしくはない。自分の安全が信じられるのならば、傭兵としておのれの手柄を求めることに何の不都合もない。周りが見えずに空気を読めていなかったのは、逆に俺の方だった。あいつらはむしろ、その方法は直情的であったとはいえ、自分たちが手柄を立てることで、俺や団の面目を施そうとを慮っていたのかも知れない。


 俺の頭の中で、いくつかの事柄が急速に組み立てられ、それはやがて一つの結論を導き出した。




 軍議が開始され、各部隊から戦果、被害の報告が行われた。


 今日俺が見た通りに、両軍ともそれほどの戦果も、犠牲も出ていなかった。


 それを受けて、パラデウス将軍より明日以降の方針が述べられようとした時、俺は今回の戦いにおいて、初めて自ら発言の機会を求めた。


「よろしいでしょうか」


 総指揮のパラデウス将軍を差し置いてのこれは、いくらなんでも僭越に過ぎた。だがこれは今言わねばならない。これからパラデウス将軍が話そうとすることは、俺の発言の後では何の意味もなくなるはずだった。


 挙手をする俺に一座の視線が突き刺さる、パラデウス将軍からのそれは一層に厳しい。


 悪い、でも言わせてくれ。


「申してみよ」


 それを許したのはやはりブロンダート殿下であった。ついに来たか、というような顔をしているが、申し訳ないがこれから言うことは、むしろ不吉なことだ。


「スカーランの町は近いうちに、早ければ今夜にも、破却されるかと思われます」


 ざわっ、と幕舎の中にどよめきが起こった。


 思った通り、殿下がそうであるように、この陣営の中には、高潔ではあれど、謀略の気質を持った人間は少ないようだ。俺の発言は『まさか』という思いをもって受け止められた。


「ですから、それを念頭に置かれて今後の方針を決めていただかれればと」

「根拠はあるのか」


 パラデウス将軍が厳しく問いかけてきた。もちろん故なくして言ったわけではない。


 この戦いは西軍にとっても、しなければならない戦いであって、したかった戦いではない。


 圧倒していた政局を五分にまで持ってこられた、それ以上は許せない、というだけに過ぎない。


 何としてでもスカーランの帰属を得たいのであれば、その緒戦において、西軍は必勝をもって挑むべきである、なのにそうしなかった。士気も充分とは言えないこちらに対し、ただ負けないようにしただけである。これはもはや、初めから痛み分けを意識しているとしか考えられなかった。


 西軍はスカーランを捨てるであろう、ただしこちらにも渡さない。


 価値のあるものは接収し、町は破壊するか、焼却するか。住民の多くは逃げ出しているだろうが、残っているものは口封じのために虐殺されるかも知れない。


 そしてその罪は東軍に押し付けるか、悪くても折半だ、すでに戦闘が行われたという既成事実もある。町はその巻き添えを食った形になる。


 いくばくかの利益を得て、勝負なし、これがおそらく西軍の書いた筋書きだ。


 非道ではあるかもしれない、だがこの程度の非道はありふれてもいる。


「あくまで、私の推測にございますれば」


 俺はそう説明した。


 こちらの士気が不十分だと言うのはさすがに失礼にあたる、そこだけはうまく誤魔化した。


 俺の話すのを眼を閉じて聞いていた殿下が、立ち上がった。


「それは、座視できぬ」


 俺の言い分に、納得はしてもらえたのだろう。東軍にとっても、結果としてはそう悪いというわけでもない。それでも殿下にとっては、やはり許せぬことであったらしい。


「民の営みを灰燼に帰して何の王か、何の国か」


 総大将の命により、この日再度の陣触れが行われることとなった。




 すでに休むことを意識していた将兵たちには申し訳ないことだが、疲れているのは俺も同じだ。陣内がにわかに慌ただしくなる。


 スカーランの破却は今日ではないかもしれない、そうであれば無駄足を踏むことになる。だが明日以降に持ち越すべき理由もまた見当たらなかった。いたずらに戦況が変化することを望まないのであれば、それが今日である可能性は高い。




 この夜、スカーランの戦いは次の局面を迎えることになる。

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