第十七話 一騎打ち蚊帳の外



 事前に予想されたとおり、西軍はスカーランより打って出てきた。


 町への侵入を容易に許さぬように、簡易ではあるものの東側に長く柵を作り、さらにその前に布陣している。


 我が東軍はそれと向かい合わせに陣を敷いた。




 その中央ではそれぞれの軍の腕自慢が名乗りを上げ、激しい一騎打ちを行っていた。


 それを俺たちはブロンダート殿下の傍、最後方で見ている格好になる。


 これは前哨戦だ。


 このスカーランの戦場にいる人間の目は、ごく一部を除いて、二名の一挙手一投足に注がれ、その戦いの行方を見守っている。


 この戦いの決着が着き次第、その流れのまま両軍が激突することになる。


 一騎打ちは半ば儀礼的なものに近いが、その代表者に選ばれることは名誉だし、勝てばさらに名誉だ。自軍の士気の上がりようも違う。


 それぞれにおのれの得物を振りかざし、当人同士は必死の勇を奮っている、互いの武器によって打ち鳴らされる音は、戦場の隅々にまで響いている。


 だが何となく滑稽でもある。


 例外はあれど、この大陸では北方に行くほど兵は精強になり、南方に行くほど国力は豊かになるが、それに反して兵の質は落ちる。パンジャリーはもともとそれほど尚武の国というわけではない。その国力も、将兵の力量も平均的か、それをやや下回るぐらいではないかと思われた。


 その中で、どうやらこちらの陣営での最強はハーデオンらしかった。その腕は俺と互角か、少しだけ強いぐらいなのだから、これは手練れではあるものの、大したことはない。


 さすがに先鋒の一軍を率いる者が、このような戦端も開かぬうちから怪我でもして動けなくなれば一大事だ、ここはそれに次ぐ実力であろう代わりの者が出ている。


 名乗りはしたのだろうが、その声は俺の所までは届かなかった。


 その誰だかわからない者は、やはりハーデオンに比べれば見劣りがした。


 それと戦っている相手も、これに勝てないようでは、同じくそれほどの力量でもないということだ。


 岡目八目かも知れないが、『何で今やらねえんだ!』『何でそれを受けるかな!』と思う場面が度々ある。度々あってイライラしっ放しだ。


 いや、俺が出ろと言われれば、そんな危ないことをわざわざするつもりは、これっぽっちもないのだが、それでも心の中では『俺の方が強い』、と思ってしまうのは仕方ない。




 そんなことよりも、こちらは人のことをとやかく言っている場合ではなかった、滑稽さでいえばこちらのほうが圧倒的に滑稽なのだ。


 こんな一騎打ちなど全くどうでもいいと思っている奴が、すぐ側にいた。


「私にやらせてはもらえないか」


 俺はディデューンが、殿下にそう直訴しようとするのを止めるのに必死だった。


 一体どういうつもりか。


 こいつの素性はまだ東軍の連中には教えていない。騎乗であることとその出で立ちから、どこか良いところのお坊ちゃんであることは隠しようもないが、それでも単なる家出人で客人のディデューンで通している。


 殿下たちの方でも、何かわけありであることを察してくれていて、あるいは藪蛇にならないように気を遣って、その辺りを詮索しないでくれている。


 であるにも関わらず、まさかあの場に出ていかれて、


「我こそはアーマ王国のディデューン・ミクトランジェルだ、いざ尋常に勝負せよ」


 などとやられてしまえば、どうなることか。


 もし戦えば、あの程度の相手ならば簡単に勝ってしまうのだろうな、とは思う。こいつは強い、ハーデオンよりもおそらく強い。


 うまくいけば東軍がアーマの援軍を得た、ということで西軍の士気を大いに喪わせられるかもしれない。逆に、殿下が他国の軍を引きいれた売国奴とされて、政治的に敗北する可能性もある、そうなれば俺も山猫傭兵団も処罰を免れないだろう。それ以外にも考えられる未来は山ほどあって、その中でも最悪なのがパンジャリーとアーマの全面対決となることだ。


 そんなどちらの目がでるか、全く見当のつかない賭けを勝手にされては困る。結構な割合で俺がハズレを引かされてしまう。


「じゃあ、ウィラード・シャマリでやるから」

「何で俺でやるんだよ!」

「ケチだな、ウィラードは」

「ケチってるわけじゃねえ! 頼むから大人しくしててくれ」


 そんなふうに一生懸命ディデューンを抑える俺の肩を、後ろから叩く奴がいた。


「なあ、殿下に言って馬を借りれないか」

「お前馬に乗れねえだろうが!」


 ティラガまでがやりたそうに、うずうずしていた。


 こっちはまだましだ。万が一先走って勝手に出ていかれても、それほど困ることはない。だが一騎打ちというものは騎乗の者に限られる、雑兵が徒歩でのこのこ出ていって相手にされるものではない。こちらが若干馬鹿にされる程度で済むだろう。


「いや、頑張る。とりあえずあの真ん中までは馬にしがみつく。そこからは落馬したふりをする、あの程度の奴なら騎馬が相手でも楽勝だ」

「頑張らなくてもいいんだよ」


 だから馬鹿にされるんだよ。そんなみっともない格好で出せるか。


 とはいえ、気持ちはわかる。ディデューンの奴は知らないが、傭兵であるティラガにとって、こんな晴れがましい形で戦に参加することは、これまでになかったはずだ。この場所はおのれの武勇を誇ってもいい場所だ、自信があるなら誇るべき場所だ。その血が騒ぐのも無理はない。


「馬か……。なあ、帰ったら馬を買ってもらえないか、練習するから」

「バカか! いくらすると思ってんだ!」


 軍馬の値段は銀貨およそ一〇〇〇枚だ、それに馬具代や馬匹代、毎日の飼料代がかかってくる、傭兵団ごときがおいそれと手に入れられるものではない。


 だがゆくゆくは、とは俺も思っている。馬はあれば便利だ、仕事にも幅ができる。そうなれば真っ先に乗馬の稽古をさせなければならないのは、もちろんこいつだ。ビムラに戻ったら、ティラガの為の馬貯金を始めるのはそう悪いことでもない。


「やっぱりダメか、出してもらえないか」

「ティラガ兄さん、どうどう」


 だが今の馬はこの大男自身だ。


 フンフンと鼻息が荒いのを、イルミナが後ろから腰にしがみついて止めているが、体格差がありすぎて何の役にも立っていない。そういえばこいつもいたんだった。


 こんな事態を想定したわけではないだろうが、伯父貴は俺にイルミナをつけてくれていた。


「何かあったらイルミナに連絡させろ」


 伯父貴はそう言っていたが、現在山猫傭兵団がどこでどうしているのかは、ハーデオンかその配下の将校にでも聞かないとわからない、俺たちとの位置関係は最前列と最後列だ。特に誰かに咎められたわけではないが、結局何のためにこいつはここにいるのか。


「ウィラード様、私なら大丈夫かと」


 そのイルミナも、俺に何かを訴えかけるように言ってきた。


「やれます」

「お前もか! 大丈夫じゃねえよ!」


 まさか馬上の一騎打ちまではしたことはないだろうが、一体どこで習ったのか、確かにイルミナは馬に乗れるのだ。


「投げナイフは一騎打ちで使っちゃダメだ」


 戦闘中の偶発的な一騎打ちならそれでもいいが、開戦前のそれは一種の儀式的な意味合いが強い。そこは屈強な男の晴れ舞台であるべきで、その場において飛び道具の類は卑怯とされるだろう。それにやはり女を出すわけにはいかない、男にも見えるが、それでも女だ、自軍にも敵軍にも恥をかかせることになりかねない。


「むー」


 だから何で『むー』とするんだ、そんなにやりたいのか。どいつもこいつも血の気が多いったらありゃしねえ。


 俺を含めてここにいる山猫傭兵団ウチの全員が『自分なら勝てる』と思っていやがる。どんなおめでたい集団だ。


 しかもやったらおそらく全員勝ててしまうのだ。そうなれば殿下に対して、伯父貴の人の見抜く目の確かさを証明してしまうことにもなりかねない。違うのに、それは絶対に誤解なのに。




「お前たちには殿下の護衛に入ってもらう。ウィラード、何か気づいたことがあれば遠慮なく言ってくれ」


 俺たちは開戦前にはリリアレットにそう言い含められ、直接の上司としてカイリエンという青年将校を紹介されていた。


 彼がいわば親衛隊長、俺たちは親衛隊の一員という役回りで後詰の中央に位置する。


 俺たちはカイリエンの命令に従って戦闘中は殿下を守り、万が一自軍が敗北するようなことがあれば、何としても戦場より離脱させなければならない。


 その役目上、通常戦闘中は乱戦に備えながら移動するだけでよく、他の兵のように一斉行動をとらなければならない、というわけではない。


 しかし俺が危惧したように、軍師、参謀などでは決してないが、それに近いものは、どうも期待されてしまっていた。


 今の俺は、手柄を立てようとまでは思わないが、せめて何かそれっぽいことでも言わねばと、悩んでいる最中なのだ。こんな脳天気な連中の相手をしている暇はない。




 そうこうしているうちに、一騎打ちは終わってしまったようだ。


 どちらも勝負着かずの引き分けで、自陣に引き上げてくる。それと同時に両軍の先鋒が行動を開始した。


 それは『進め』という合図なのだろう、いくらかの動作とともに発せられたハーデオンの声は、耳にかすかに届いたが、内容までは聞き取れなかった。


 先鋒隊は始めゆっくりと、そしてだんだんと速く。それに続く中軍からの号令ははっきりと聞こえ、それは推移を見守るかのように動き始めた。


 いよいよ激突が始まる、嫌が応にも緊張が高まってきた。


「やっと下手くそな戦いが終わった、あんなのをいつまでも見せられたら目が腐る」


 黙ってろ、何でそんな余計なことを言う。


「もう出てもいいのか」


 違う、俺たちと一緒にここにいろ。


「ウィラード様、おしっこに行ってきていいですか」


 いいわけねえだろ。ああもう、その辺でしてこい。


 他の連中の緊張は全然高まっていなかった、これじゃ俺が馬鹿みたいじゃねえか。頼むから戦況に集中させてくれ。




 勢いをつけた先鋒同士がついに真っ向からぶつかった。


 始めは点だった衝突面が、線になり、また面になって広がっていく。ある部分では押し、またある部分では押され、どちらも容易に引くことをしない。


 それぞれの中軍は、相手の先鋒軍の側面を狙って右側に移動を始めた。


 俺たちのいる後詰の軍は中軍の後ろに隠れるように続く。


 ――やべえな、やっぱわかんねえぞ。


 これまでに見たことのない問題ばかりを並べたテストをさせられている気分だ。


 この場所からは、互いの軍が何をしているのか、それらが何をしようとしているのかは、おぼろげながらわかる、だがどうすればいいのか、どうすれば勝てるのかまではわからない。


 何しろこれと比較するものを入れた引き出しを、俺は持っていないのだ。俺にとっての戦場、戦局とは、今現在、目の前にあるものがその全てだった。


 いやまあ、この状況でたちまち必勝の策を立てられるような奴もさすがにいないと思う。それでも経験を積んだ軍師ならば、その取っ掛かりぐらいは見つけられるのではないか。


 ――ならばここにある全てを取り込むだけだ。


 そう決めた。この目に映るものを脳裏に焼き付ける、それだけをしようと思った。


 戦はまだ始まったばかりだ、この経験は後に生かそう。


 だから、ディデューン、ティラガ、イルミナ、頼むから邪魔だけはしないでくれ。


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