第十六話 翻る団旗



 ビムラを発って六日、行軍は予定通り、王太子軍との合流予定地まではもう少しだった。


 少し風が出てきた。


 それに煽られて、山猫傭兵団の団旗がパンジャリーの草原に翻った。


「ボロいな」

「ボロいですね」


 ぱたぱたとはためく貧相な団旗に、俺とイルミナがそんな感想を漏らしたのは何度目か。それはもう、いまにも千切れて飛んで行ってしまいそうで、例えそうなったところで、わざわざ拾いに行く気になれないぐらいのしろものだった


 リリアレットに貰った軍資金で、旗を買い替えるだけの金銭的余裕はあったが、一週間ではその時間が足りなかった。


 だが買い替えなくて良かったかも知れない。


 旗に続く傭兵たちの姿は、威容を誇る、などという表現には程遠い。姿勢はだらしなく、その隊列は細長く途切れ途切れにだらだらとどこまでも連なっている。傭兵の行軍というのは、およそこのようなものらしいが、こんなのは厳ついおっさん連中のピクニックだ。


 これで旗ばかりが立派ならば逆に恥ずかしい。


「これはこれで歴戦の貫録があるというものだ」


 お世辞か天然かは知らないが、いや、間違いなく天然のほうだが、ディデューンの感想はそんなだった。


 俺たちにはおまけにこんな変な騎士まで付いてきているのだ。俺も伯父貴ですら、当然馬など持っていない。こいつだけが騎乗で、衣装までも立派だ。よそから見れば俺たちはこいつに指揮されているように見えるのかも知れないが、こんな隊列を率いていると思われたら、こいつもヘボ指揮官の烙印を押されるに違いない。


 だがそんなものを押されたところで堪えるような奴でもない、というのはこの行軍中によくわかった。


 だらしない傭兵部隊に変な指揮官、敵軍に見つかれば景気づけの相手にちょうどいいが、幸いなことに戦場までにはまだまだ距離があった。


 俺たちの行く手には雇い主である東パンジャリー軍の陣容が見えて来ていた。




 先日、先の王太子クロウザンは即位の儀を行い、若きパンジャリー国王となっていた。この時十八歳、すでに成年といってよいが、将来はともかく、現状さすがにこの政局を乗り切る統率までは期待できない。同時にブロンダート殿下も新たに、二年の期限付きで摂政の地位に就いている。


 現時点でパンジャリー国王を名乗る人物は二名いる。ということになる。


 当然どちらも自らが正統のパンジャリー王で、自らの陣営こそが真のパンジャリー王国であると主張しているわけだが、そのままでは区別がつかないので、自然ともともとのパンジャリーが西パンジャリー、あるいは西軍、新たに即位した方が東パンジャリー、または東軍と呼ばれ始めている。




 東軍と合流し、本陣に挨拶に向かった俺たちを出迎えたのはあのハーデオンだった。


「よく来てくれた」

「あんたがここの大将なのか?」


 俺はハーデオンに尋ねた。


「まさか、総大将はもちろん摂政殿下だ。殿下のもとで長らく親王軍を率いていたパラデウス将軍が実戦の総指揮、私はそのすぐ下だな」

「殿下も戦場に出るのか」

「当然止めたがな。だがやはり殿下がおられるのと、おられないのとでは士気が違う」

「殿下に戦場の経験は?」

「それもおありだ、此度は前線に出ていただくつもりはないが、用兵もなかなかのものだぞ。それよりそなたの方はどうなんだ」

「俺は初陣だ、期待されたら困る」

「は!?」


 驚かれた。


「仕方ないだろう、誰にだって初陣はある。俺は傭兵になってまだ三月だ」

「……三月」

「ちなみにあんたとやり合ったのが傭兵としての初仕事だ」

「……初仕事であれか。我らと西軍の連中を手玉に取った、恐ろしいな。王立大学院アカデミー出身の連中というのは皆そうなのか?」


 この男も殿下から俺の素性は聞いているらしい。


 俺もあれはあれで必死だっただけで、手玉に取ったつもりは全くないのだが、ハーデオンの立場から見ればそう見えてもおかしくはない。だが俺は王立大学院アカデミーを卒業したわけではなく、まだ休学中の身だ。あまり過大評価されるのも考えもので、下手をうって王立大学院アカデミーの看板に泥を塗れば、戻るところがなくなるかもしれない。


「……しかし、初陣でその余裕とは、うちの新兵にも見習わせたいものだ」

「あの時に比べたら、今回の方がまだましだろう」


 まだましどころではない、天国みたいなものだ。あの時は戦わなければならなかった、今回は何かあればさっさと逃げればいい、背負わなければならない命もない。


 ここへは、戦いに来たわけでも、手柄を立てに来たわけでもない、稼ぎに来ただけだ。付け加えるなら、俺にとっては傭兵仕事の実地研修の一環だ。


 指示されたとおりに、物資を運び、穴を掘り、柵や陣地の設営をする、そしてその対価を貰う。この後は傭兵部隊には、正規軍から隊長や主計官が付けられるはずなので、そうなれば俺が考えなければならないことは、何もない。しばらくは頭を使うことも、気苦労を煩うこともお休みで、ただ言われたとおりに体を動かしていればいい。


 もちろんそんなことは口には出さないが、ハーデオンにはその意味するところは何となく伝わったようで、幾分がっかりされたようにも見えた。


「……まあいい、そろそろ軍議を始める、殿下がお待ちだ」

「軍議? 総大将が傭兵なんかと会われるのか」

「そなたは殿下の恩人でもあるからな。特別だ」


 リリアレットにも言われたが、あまり感謝だの恩人だのと言われると、少し違うような気がする。殿下が逃げ出すことは期待していたが、自分のやったことはリリアレットの剣を返しただけだ。あとはこっそりと殿下の分も差し入れてあったが、助かったのはやはり本人たちの力だ。


 本来の目的を達成した段階で、たまたまチップが余っていたので、殿下の側に乗せてみた。それが偶然当たっただけで、俺にそれをさせたのも本人の人徳だ、などと言ってしまえば謙遜に過ぎるだろうか。だがまあ、そのお蔭でこうして戦場の仕事にありつくことができて、望外の軍資金まで頂けたのだから、やった甲斐はあったというものだ。




 案内されたのは本陣の幕舎の中だった。


 最末席ではあるが、人数分の席が用意されていた。


 一現場での判断ならともかく、傭兵が軍議に参加することなどないらしい。何かと異例だが、よく考えればそもそも俺の存在が異例なので、これが普通だと思うことにする。


 それを快く思わない顔もあるかと思えば、居並んだ面々の表情にはそれを取り立てて気にするような雰囲気はなかった。


「おいおい、こんなところ入れてもらったことねえぜ」


 それでも傭兵団の事務長、などというものは地位でもなんでもない、俺の立場は単なる一傭兵だ。それを団長の頭越しに一人だけ、というわけにもいかず、伯父貴も一緒に出席している。


「何で俺まで」


 ハーデオンが山猫傭兵団ウチには凄い豪傑がいる、という報告でもしたのか、あるいは殿下自身がその戦いぶりを目撃していたのか、ティラガまでが呼び出された。


 これに関しては歓迎してもいい、この男の武勇が高く売れるならそれに越したことはない。もちろん別料金を頂くことになるが。




「お前、どっかに仕官するつもりはないのか?」


 ビムラで暇をしていた一月ほど前、たまたまティラガと二人きりになる機会があったので、そんな質問を投げかけた。特になにかのアテがあったわけではない、何となく、これほどの男がいつまでも傭兵で燻っているのは、もったいないと思っただけだ。


「家族を置いていくわけにはな」


 それが奴の答えだった。その言い方は少なくとも一度は、そのように考えたこともある、ということを意味している。


 ティラガに血縁の人間はもういない、そう聞かされた。だから奴の言う家族とは山猫傭兵団ウチの団員のことだ。


 ティラガの父も傭兵だった。傭兵の多くは子を為せない。理由は簡単で、結婚してくれる女がいないからだ。それでも中には、ティラガの父のように、何かの間違いのように子供を作る奴もいる。この場合、子供は母方の家で育てられることになる、一ヶ所に腰を落ち着けることの少ない父親の元では、到底育てることはできない。


 その境遇で、ティラガの母は早くに死んだ。


 預け先のなくなったティラガは、五歳で貝殻亭に引き取られ、幼すぎる傭兵見習いになった。その父も数年後につまらない怪我が元で死に、それから山猫傭兵団だけが奴の家族になった。


 他にはあまり例がない、物心がついた頃からの傭兵だ。奴はその中で傭兵の苦労と悲哀、小さな成功、そしてその生き様と死に様とを、あたりまえのこととして見続けてきたのだろう。それ以外に知るべき世界はなかったし、その中でだけ奴の価値観は育まれてきた。


 それでも殊更に粗暴でもなく、おのれの武勇を必要以上に誇ったりもしない、弱者を思いやるような優しさもある、それは奴の十人力と同じく、持って生まれた天性なのかも知れない。


 ティラガが他の団員たちを『家族』だと思うこと、それは尊いことのようにも思えたし、つまらない枷や拘りに過ぎないような気もした。


 他の団員たちの心の内には、それぞれ山猫傭兵団ソレよりも大事なものがある、お前だけがそれを大切に思い、自分一人が安定や栄達を求めることに、後ろめたさを覚える必要はないのだ、そう言ってやりたかった。


 だがそれは、俺が、他人が、容易に触れていい部分ではない。


 奴が奴の才能に相応しい舞台を得るためには、他にもまだ必要なものがあるのだろう、それ以上は何も言わなかった。




 幕舎の中で軍議は始められた。


 東パンジャリーの王都は、もとブロンダート親王の領地であるイゼナだが、この扱いは仮の王都ということになっている。


 東軍の最終戦略目標はパンジャリーの王都奪還だが、そこに辿りつくまでにはまだ機が熟していない。


 東西パンジャリーの南部は穀倉地帯だ。そのほぼ中央にあるスカーランの町は穀類の東西流通の要衝として栄えている。両パンジャリーとしては互いに譲りたくない地域だった。


 この度の戦は、まずはその帰属を巡って争うことになる。


 スカーラン自体は旗色を鮮明にはしていない、というより、意思決定の機関がもはやその体を為していない。


 パンジャリーが東西に分割された時点で、物資の取扱量が半減するのはほぼ決定事項であるから、スカーランの未来は明るくない。その上で戦場になるというのだから、すでに住民の流出が始まり、内部は混乱している。


 経済的価値は失われつつあるが、それでも戦略的価値は健在だ。南方諸国への玄関口に近いこともあるし、巨大な倉庫群はそのまま軍事転用が可能だ。


 なにより今回は両パンジャリーの初戦である。ここを抑えた陣営が、現時点でより強いパンジャリーであることの証明にもなる。一歩間違えれば負けた陣営はそのまま雪崩をうって崩壊する危険性もある。


 そうはならなくても、スカーランを抑えることは、将来の再統一への強力な足掛かりとなるはずだった。




 以上のことがパラデウス将軍の副官より説明された。


 おそらくはここにいる俺たち以外の人間にはすでに承知のことだ、だとするとこの説明は俺たちに対してされたことになる。


 もっと言うとこの説明を、こんな場所であるにも関わらず、俺の隣で鼻毛を抜いている親爺にしてやっても仕方がない。どう考えても俺に対してされたものだ。とても嫌な予感がしてきていた。


「当方の軍勢は二五〇〇、これに傭兵二〇〇〇を加えてスカーランを攻略いたします」


 西軍はすでに町に入って防備を固めている。とはいえ、東西の分裂によってにわかに軍事的価値が生じた町だ、もともと軍事拠点としては扱われていない。高い城壁に囲まれているわけでもなく、天険に恵まれているわけでもない。


「物見の報告では、敵軍は正規軍傭兵含め、およそ四〇〇〇から五〇〇〇、ほぼ互角と見られますので、おそらくは野戦に撃って出てくると思われます」


 ならば町への侵入を防ぐため、薄く守っていても、向こうには勝機はないということなのだろう。


「先鋒はハーデオン将軍の一〇〇〇、中軍がパラデウス将軍の同じく一〇〇〇、後詰が摂政殿下の五〇〇となります」


 これにそれぞれ傭兵部隊が配される。我が山猫傭兵団は他の傭兵団と混成で一〇〇〇がハーデオンの指揮下に入ることになった。


 先鋒に配置されたからと言って、先陣切って敵陣に飛び込むことにはならない、はずだ。


 傭兵の仕事は戦うことではなく、正規兵が存分に戦えるようにすることなのだから。




「最後に、山猫傭兵団団長ガイアスバイン殿」


 副官が突然、伯父貴を指名した。


「ガイアスバイン殿」

「……お! おう。いや、へえ」


 聞いてなかったな、この親爺。よくもまあそこまで図太くいられるな。


「この戦いの期間、そちらのウィラード・シャマリ、ティラガ・マグスの両名をお側に置きたいと摂政殿下が仰せだ」

「!!!」


 嫌な予感は的中した。殿下に対しては悪い印象を与えたつもりはもちろんないが、まさかそこまで買われていたとは。


 いや、そうではない。よく考えればこれは予想できたことだ。主要な仕切りを任せる傭兵団に、軍資金を与えることは稀ではないが、銀貨二千枚はやはり奮発している。それを届けたのも、殿下にとっては股肱以上の存在ともいえるリリアレットだ。


 思い返せば、これはもう初めから俺の存在を意識しているとしか考えられなかった。


 それにしても側に置きたいとは、ずいぶんと見込まれたものだ。


 ――まさか俺に軍師とか参謀とかを期待してんじゃねえだろうな。


 そうと決まったわけではないが、俺が『初陣だ』と言った時のハーデオンの驚きは、アテが外れた、そういう意味だったのかも知れない。


 しかし、こっちとしてもそんなのはさすがに専門外だ。


 王立大学院アカデミーでの学問にとって、軍事はあくまで政治の一手段に過ぎない。その内容は、相手よりいかに多くの兵力を準備するか、その費用をいかに捻出するか、などに主眼に置かれる。


 実際に兵を動かして勝利することを考えるのは軍人の仕事だ。『それは自分の仕事ではない』と切って捨てるのは男らしくないが、いきなり言うな、ちくしょうめ。


「どうぞどうぞ、好きに使ってやっておくんなせえ」


 しかし例によって例の如く、伯父貴は安請け合いをした。


 思わず席を立ちかけたが、こんな所で口喧嘩などできようはずもなく、これでもう俺が異議を差し挟むようなことはできなくなった。


 伯父貴としても、確かにここで断ることは難しい。偉い人に頼まれたことでもあるし、まさか返せと言われるわけではないだろうが、すでに大金を受け取ってしまってもいる。だからといってそんな言い方はないだろう。


 そして思い出したように付け加えた。


「ああ、山猫傭兵団ウチにはもう一人、イキのいいのがいるんですが、そいつも一緒にどうですかい、絶対損はさせやせんぜ」

「おいっ!」


 叫びそうになったが、それも辛うじて堪えた。


 この親爺はこれ幸いにディデューンまで押し付けるつもりだ。


 伯父貴はディデューンを嫌ってはいない、むしろそのあけすけなところを好ましく思っている。だがそのあけすけさは時に誤解を生む、どころか毎回誤解を生む。いや、誤解でもなんでもなく正直に侮辱であったりもする。


 ここに来るまでの行軍中は、何とか周りと喧嘩にならないように、必死だったのだ、俺が。


 山猫傭兵団ウチの連中だけならまだなんとかなった。だが他の傭兵団との混成となると非常に危険だ。しかしそれぐらいは伯父貴のほうで何とかしてほしい。


 俺はまた厄介なことを、押し付けられそうになってしまっているのだ、その上そんな爆弾まで押し付けないでくれ。


「ほう、他にそのような者もいるのか」


 俺の祈りもむなしく、伯父貴の言葉に興味深そうな反応を示したのは、ブロンダート摂政殿下その人だった。傭兵とて分け隔てせず、直に言葉を交わすのは、貴人として美徳ではあるけれども、こんな親爺の口車に乗るのだけはやめてほしい。


 とはいえ、俺とティラガ、あの一件で殿下のお眼鏡に適った人間が二人もいるのだ、伯父貴のことをあたかも、人材を見抜く名伯楽のように勘違いしてしまっていても仕方がない。


「ま、並の傭兵じゃございやせん」


 嘘じゃないが、そもそもそいつは傭兵じゃないからな。


「うむ、そちらに不都合がなければ、本陣にて預からせていただこう」


 そして俺の状況は決定的になった。




 こうして俺は正規兵ばかりのところに放り込まれてしまった。


 実戦に巻き込まれれば、どうせ周りも逃げる、自分も逃げてしまえばいい、もはやそんな悠長なことは言っていられなくなってしまった。


 ティラガも。遅れて連れられてきたディデューンも、どちらかといえばやる気十分になっている。この先少々の危険が訪れたところで、この状況で俺一人がとんずらを決め込むようなことは、みっともなくてできるわけがない。


 その上でこれから一体何をやらされるのか、この場所からならば、スカーランの戦場はそう遠いところではない。

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