第十五話 貴族様の事情
「私は不良にならなければいけないんだ」
家出貴族のディデューン様はそのように答えた。
傭兵団を指して不良とはまたどうかと思うのだが、何となく否定もし辛い。いや、団員の不良行為については、俺の耳にもちょくちょく入ってくるのだ。
平時での強盗、婦女暴行などはさすがに伯父貴も赦さないが、単なる喧嘩やかっぱらい、恐喝まがいのことぐらいなら、いちいち口を出して注意すれば、水をいくら飲んでもすぐ喉が渇くぐらいにありふれている。
衛兵の世話になるやつはもちろん、現在牢にぶちこまれている団員もいる。
俺としてもこれも何とかしたいとは考えているが、実情としてそこまで手は回らないし、団内の綱紀粛正までは事務長の職務ではない。事務長の職務でないことはもうすでにさんざんやらされているが、独断で団の風紀改善などというようなことをやり始めたら、窮屈になりすぎて退団者が続出する。
「悪さをしたいんなら、他をあたってくれ」
しかしそんな奴をこれ以上増やすのは勘弁だ。
「ああ、済まない、そういう意味じゃないんだ。その、傭兵団にいたら不良だと思ってもらえるだろう?」
「……その傾向はあるな」
控えめに言っているが、仕事で必要な者は別として、善良な市民は積極的に傭兵と関わりを持とうなどとはしない。彼らが俺たちを見る目は、犯罪者や暴力集団を見るそれだ。偏見ではない、そう見られるに足る充分な理由がある。
「傭兵団に入ったらそれだけで『堕ちた』って思ってもらえるだろう?」
ぐっ、と俺は言葉に詰まった。その『堕ちた』感は俺が誰よりもよく知っている。今でもこれは一時のことだと思っているが、気づけば泥沼に嵌っている感じもする。
「堕落したいのか?」
「ほとぼりが冷めるまではね、そう思ってもらいたいんだ」
貴族の力が強いアーマ王国ではミクトランジェル家は結構な名家だ。だが結構なだけで一番でも二番でもない、さらなる力を持つ大貴族の意向によって、ディデューンの縁談が強引に進められようとしていた。
ディデューンの父は縁談自体に賛成でも反対でもないが、王国内でも最高の権力を争うような人物には逆らうことができない。
自分自身はそんなことはまっぴら御免だが、正面切って反抗すれば家には迷惑がかかる、それで仕方なく家出することにした。
ディデューンはそう説明した。
「厭なんだ。この先あんな女に縛られるのだけは、絶対に厭だ」
どんな女かは知らないがずいぶんと嫌われたものだ。まあこの男の容姿、家柄、資産や本人の能力からすれば、結婚相手でも遊び相手でも好き放題だろう。好きでもない女に若い身空で縛られてしまうぐらいなら、いっそ飛び出してしまえと考えるのもわからないではない。
「だから傭兵か」
「そうなんだ、せいぜいろくでなしと思われて、向こうから断ってくるように仕向けたい」
その女本人が諦めなくても、家が認めなければ結婚させられなくて済む。
「家名に傷がつくんじゃないのか」
「私はどうせ三男坊だ、多少の放蕩は大目に見てもらえる。それに私の兄上は国王陛下と義理の兄弟になっている、うちの家名は私のことぐらいではびくともせんさ」
アーマ王妃とミクトランジェル家の嫡子の妻は姉妹、ということらしい。
「私を置いておけば役に立つぞ」
期せずして伯父貴と同じことを言った。
「学問にはそこそこ自信がある、君も事務長ならその必要性はわかってもらえると思う。それから腕にも覚えがある、君たちに私を守ってくれ、などとは言わないつもりだ」
ディデューンはそこで周囲を見回した、何ヶ所かで視線を止める。
「この中で私に勝てるのはあの男ぐらいだ」
その指の先にいたのはティラガだった。あの巨体は確かに目立つが、それでもなかなかいい目をしている。こいつの視線が止まった場所には、それぞれブロンダート殿下移送の時の面子がいた。
「君は……どうだろうな、試合ならば負けないと思う。命がけなら何をしてくるかわからない怖さがあるな、なるべくならやりたくない相手かも知れない」
言っていることは喧嘩を売っているのかと思うが、表情を見ればそうでもない。妙な駆け引きをせず、腹を割って話そうということか。
「荒事は専門外だ」
「みたいだね。それでどうだろうか、私をここに居させてもらえないか」
「
「それはたまたまだ。さすがにアーマ国内では連れ戻されるし、遠すぎても私の噂が本国まで伝わらない、だから近場で適当に選ばせてもらった。あとここに来るまでは、いくつか他の傭兵団には断られた」
行動としては突飛だが、言っていることの筋は通っている。どこかの間諜かと疑えばきりがないが、こんな変な間諜がいるわけがないし、うちが探られるような理由も、探られて困ることも何もないはずだ。
「……わかった、が、さっきも言った通り、俺たちは明日っからパンジャリーへ戦に出かける。付いてこれんのか? あんたの存在がバレてアーマとパンジャリーの関係が悪くなっても面倒見切れんぞ」
「それは私も望むところだ。私の悪行が早々に本国に伝わるのならばありがたい」
いいのかよ。
とはいえ、俺もこの男の面倒を見てもいいような気分になってきていた。
使えるか、といえば確かに使えるのだと思う。それが傭兵の気質に馴染むかどうかまでは試してみなければわからないが、試すだけの価値はある。こいつが音を上げるようならそれまでだし、戦力になるならば文句はない。
それにやはり本当に貴族のお坊ちゃんだとしたら、伝手を作っておいて損はない。そのうちにアーマやミクトランジェル絡みで、おいしい話が舞い込んでくるかもわからない。
厄介ごとを抱え込むことになるかも知れないが、将来の投資と考えれば少々の危険には目を瞑ってもいいかとも思った。
「……よし、まあ団長が決めたことだ、俺がぐだぐだ言っても始まらねえ、歓迎するぜ」
「ありがとう、君もよろしく頼む」
「ウィラードでいいぜ、俺もあんたのことはディデューンって呼ぶ、貴族のお坊ちゃまとしては扱わねえ」
「ああ、それでいい、ウィラード」
ディデューンの受け入れを後悔することになったのは僅か五分後のことだった。
「外に馬がいるのを見かけたんだが、ここに変な奴が来なかったか」
貝殻亭の中に新たにぞろぞろと、五人ばかりで入ってきたのはどこかの傭兵団の連中だ。便所から戻って、入り口辺りでぐだぐだしていた伯父貴が彼らに返事をした。
「おう、
どうやら伯父貴とは顔見知りの連中だったようだ。
「ああ、こりゃあ山猫の団長さん、お世話になってやす」
一党の頭の男が返事をする。
「実はうちの仲間を斬った奴がおりやして、探してるんでさ」
「どんな奴だ」
「どっかの貴族みてえな格好した若え男です」
「あいつか」
伯父貴がディデューンを指さした。
「あいつです!」
見つけた、とばかりに土竜傭兵団の連中がいきり立った。
「済まねえな、あいつはさっきうちで客分として預かっちまったんだ、悪いが引き取ってくんねえかな」
「いや、こっちも仲間を何人もやられてんでさ。あとで必ず山猫さんとこの顔も立つようにしますんで、どうかあいつをこっちに引き渡してやっちゃもらえませんか」
伯父貴と頭の男はそこで交渉を始めた。伯父貴が折れるとは思わないが、土竜傭兵団にも面子がある。はいわかりました、と簡単に諦めるとは思えない。
「おい、お前何した?」
俺はディデューンに小声で尋ねた。
「ここに来る前にあいつらの仲間に入れてもらおうとしたんだ。そうしたら私の馬と荷物を奪ってこようとしたので、何人か成敗した」
ものすごくありそうな話だ。こいつがさっき言った、よそで断られた、の部分でピンと来てもいいくらいだった。
「殺したのか?」
「わからない、斬りはしたがその後には興味がなかった。しかしさすがに傭兵というものは悪者が多いな。私もここにいれば意外とすぐに悪名が広まって、家に帰れるかも知れない」
マジかよ、こいつ。こんな揉め事を持ち込んで、土産かなんかと間違ってるんじゃねえだろうな。いずれ何かあるかもとは思っていたが、まさかこんないきなりとは想定外だ。
「む、まずかっただろうか」
「お前が悪いわけじゃあねえんだけどもな」
襲う者と襲われる者、正邪善悪の違いはあれど、その関係は対等だ。人の物を奪おうとして返り討ちにあったところで、同情すべきなにものもない。
だが、それが傭兵団同士の抗争の原因になるのであれば、面倒を食らいこむこっちとしては歓迎できることではない。
「しかし団長さんが困っておられるな」
俺も困ってるよ。
あいかわらず入り口では伯父貴が渡せ、渡さぬの押し問答をしている。
「それで手前てめえら、五人がかりでよってたかって、あいつを嬲り殺しにするつもりかい? そいつはちょっと男が通らねえんじゃねえか?」
「いえ、喧嘩のやり方に綺麗も汚えもねえもんかと」
「そんであいつの馬も荷物も分捕っちまうつもりか」
「それは山猫さんの顔を立てて、山分けってことでひとつ」
あ、ヤバい。
伯父貴の頭に血が上りつつあるのが手に取るようにわかる。
「顔! 顔だと! そりゃあ俺の顔を立ててんじゃねえ、潰してんだ!」
とか言っている間にキレた。
血の気が多いったらありゃしねえ。や、この前の自分の行動を考えたら人のことは言えないか。
「ざけんな! コラ! このガイアスバイン様が
「まあまあ、団長さん。私の為に怒っていただけるのはたいへん有難いのですが、ここは私が自分で片を付けようかと思います」
いつの間にやらディデューンが伯父貴の傍にいて、その肩を後ろから叩いていた。
「なんだ、あんた、自分でやっちまおうってのかい」
「私の撒いた種のようですので」
「いや、顔を潰されたのは俺だ、こりゃあもうあんたばっかりの問題じゃねえ」
そこでディデューンは少し考えるそぶりをする。
「ではどうでしょう、ここは二人でやってしまうというのは」
「おう、それがいいや、そうしちまおう」
向こうとの交渉が決裂してこっち側の交渉がまとまっちまいやがった。勝手にしやがれ、後は知らんぞ。
などと言ってしまえれば楽なのだが、そうもいくまい。後始末は必ず俺のところに回ってくる。だがこうなってしまえば、もう止めることはできない。
「手前てめえら、表に出やがれ」
伯父貴が土竜傭兵団の連中を外に蹴り出し、自分も表に出た。それにディデューンも続いたので、俺も仕方なく後を追った。
まあここは山猫傭兵団ウチの本拠地で宴会の真っ最中、団員もどっさりいる。向こうはたったの五人、これで勝負を受けたら無鉄砲にもほどがある、ここは尻尾を巻いて逃げるしかないだろう。
などと思っていたら、伯父貴が身内に向かってまた余計なことを言った。
「おい、手前ら、俺に何かあっても絶対手出しすんじゃねえぞ。ここは俺と客人だけの喧嘩だ」
せめて殴り合いにしておけ、と思ったが、のぼせ上った土竜傭兵団の五人は剣を抜いた。
ここで伯父貴が負けて死ぬようなことがあれば、傭兵なんてさっさと辞めて
もちろんそんな事態は起こらなかった。
伯父貴が剣を振り回して戦うのを見るのはいつぶりか、それは若い頃とあまり変わっていないように思えた。
おのれの腕力を頼りに、力任せに斬るというよりは、殴りつける。
殴りつける、殴りつける、受け止められても、殴りつける。反撃の隙など力づくで与えない。
防御が甘くなったらそれまでだ、受け止めた剣ごと殴られる。
土竜傭兵団の男は、頭をしたたか打たれて昏倒した。結構深く入ったようだ、側頭部からの出血が多い。
驚いたことにディデューンはその間に三人を斬り伏せていた。自分で言うだけのことはある。こちらは速く、正確だった。喧嘩自慢の我流の動きではない、強くなるための訓練を受けた者の動きだ。
「お客人、あんたなかなかやるじゃねえか」
「いえいえ、団長さんこそ」
残るは一人、既に戦意は喪失している。
「お前、倒れてる奴、持って帰んな」
そう言われた男はほっとした顔をして、仲間たちの回収を始めた。
それにしても、向こうの被害は甚大だ。倒れている連中はまだ息があるが、傷の具合は一見して危険と思われるような者もいる。傍らには剣を握ったままの腕まで転がっている。
おそらく何人かは回復することなく、このまま死ぬのだろう。
「もっと他にやりようは」
と、言いかけてやめた。
伯父貴が客人を売るか、そんなことは考えられない。面子を潰された土竜傭兵団の連中が大人しく引き下がるか、これもありえない。
傭兵である以上、他にやりようなどない。伯父貴はこれまでもこうしてきただろうし、相手も同様だ。互いの面子と利益がカチ合えば、やるしかない。怪我人が出ようと、死人が出ようと、それはそれまでのことで、気にする俺がおかしいのだ。
傭兵とはやはりこのようなものなのだ。不良集団で、暴力集団だ。
以前俺がやったこととどう違う、と問われれば、自分の中に明確な線引きはある、だが他人から見ればそれも些末な問題だ。
俺なんかよりも、今日ここに初めて来たディデューンの方が、よほどその流儀に馴染んでいる。貴族にとっては傭兵の命などどうでもいいもので、傭兵にとっても仲間以外の命はどうでもいいものだ。それが失われた後に何が起こるかも、どうでもいいことだった。
「何で俺がそんなことまで考えてやらにゃあいかんのだ」
そんな気分になった。
「続きがあるなら、戦場だ」
土竜傭兵団は国王側でパンジャリーの内戦に参加することを、知っているのだろう、貝殻亭の中に戻った伯父貴はそんなことを言いながら、何杯目かのエールを飲み干し、骨付き肉を美味そうに齧った。
明日からは、俺の初陣だった。
遺恨など、戦場のどこにでも転がっている。伯父貴のように、余計なことを気にしないのが正しいのだろう。
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