第二章 パンジャリー内戦
第十三話 戦いはいずこ
「戦は、ないの?」
「ありません」
「じゃあさ、特別な依頼は?」
「ありません」
「何でだよ! 何でねえんだよ!」
傭兵ギルドの受付で俺は声を荒げた。
「ウィラードさん、仕事の邪魔ですからあっち行っててください」
ソムデンの対応もいい加減だ。まあここしばらくずっとこんな調子だから、だんだんと雑になっていくのも仕方ないといえば仕方ないのだが、もうちょっと親身になって考えていただきたい。
ブロンダート親王殿下をパンジャリーまで無事に送り届けるという、気分的に大きな仕事を成し遂げ、意気揚々とビムラに帰還した俺たちだったが、待ち受けていたのはこれまでとあまり変わらない日常だった。
いや、これまでよりもその日常は若干よくないものに変化していた。
この依頼はもともとビムラ中央会議とパンジャリー王国の歓心を買えればと思って引き受けたものだ。俺たちはそれなりに犠牲も払い、依頼そのものに関してはこれ以上ないくらいに応えたはずだ、現に報酬もきちんと受け取っている。
だが結果的にパンジャリー王国は親王殿下を取り逃がした。
その原因は俺たちが何か余計なことをしたから、と捉えられている。まあそれはあながち間違いとも言えないのだが、俺たちにしてみればやつあたりに近い。自分たちの失態を棚に上げて何をぬかす、ってなもんだ。
これでビムラの長老会もパンジャリーにいい顔ができなくなった。俺たちに対していい感情を持つはずがない。
今後これらの組織から、現状で何らかのおいしい話をもらえることは、ほぼ期待できなくなった。むしろ嫌がらせを受ける可能性だけが高まった。
しかも街中の噂は俺たちがしくじったことになっていた。これには声を大にして反論したいところではあるが、誰に向かって言えばいいのかわからない。
結果だけを見れば確かにそう見えてしまうのだ。
処刑台に送られるはずだった殿下はまんまと脱出し、自らの領地に入った。そこで潜伏していた先の王太子と合流し、それを立ててパンジャリー王国に対抗していくことを宣言したのだ。
この痛快な脱出劇の手柄はなぜか麗しき女騎士のものになっている。
俺たちはしてやられた間抜けな悪役という扱いで、これでビムラでの評判が上がるわけがない。別段下がったというほどのこともないが、それは『傭兵ならまあこんなものだろう』というまことに不本意な扱いである。
まさかそこらの通行人をつかまえてあれは実は、などと説明するわけにもいかない。そんなことをすれば馬鹿まるだしだ。
さらには収支を考えれば少しも割が良くなかった。
この任務に参加した連中にはそれぞれ銀貨六枚、都合十日かからず半月分以上の収入だから決して損ではないが、命を的にした代価だと考えればやはり安い。だが俺の施した小細工にも結構経費がかかっていて、また公平性のためにもそれ以上渡すわけにはいかなかった。
それでも結局、団の収入として計上できたのはわずか数枚の銀貨だけだった。
団内での俺の立場としては、皆に『まあよくやったんじゃないか』くらいの評価はしてもらえたが、
「ウィラード様は男性二人を倒せなくて、腹癒せに女の方を踏んづけたんですか? つよいですね」
どこでどう間違ったかイルミナやガキどもはそのように伝わっていた。
何なんだその最後の『つよいですね』は。
実際に起こった出来事としてはそれほど間違ってはいないが、誰だか知らないが編集にものすごく悪意が感じられる。
「お前内乱になるって言ったじゃねえかよ!」
「そんなこと言いましたっけ」
「言った、確かに言った」
「じゃあそうなるかも知れませんね」
ソムデンには現在進行形で文句を言っているがどこ吹く風だ。
普通なら既にパンジャリーでは内乱が起こっているはずだ、俺もそれを期待していた。
ハーデオンには気のない様には言ったが、もともと王太子側には勝算がある。ブロンダート殿下が健在ならばなおさらだ。戦になってしまえばそれに参加する気は満々だった。
パンジャリーがきれいに真っ二つに割れてしまえば、短期間でどちらかがもう一方を圧倒してしまえるようにはならない、互いに名分が立つように戦い、適当なところで講和する。それなりに遺恨を抱えつつも、しばらくは別々の国として並立するようになるだろう、と、そんな風に見ていた。
そうなれば王太子の側なら優先的に雇ってもらえるだろう、とも。
ところが親王殿下はそれをなるべく戦をしないでやってしまおうとしているのだ。為政者としては立派な心掛けであるが、こちらとしては計算外だ。
これにパンジャリー国王も折れるか折れないかの間で鬩ぎあっている。やって勝てる自信がないのだ、かと言ってやらねば自らの依って立つ正統性がなくなる。領国内に自分の王位を認めない、という勢力がいるのだ、これを放置しておくことはその主張を認めるのと同じことだ、やがて国王から離反する者も出てくるだろう。
もちろん内乱になる可能性はなくなったわけではないので、双方軍備は整えているのだろう、だがそれは傭兵の所までは下りてきてはいない。もともと領内に居住する傭兵は別にして、どちらかが自分の領内に、それ以上の傭兵を招き入れたことを、相手に察知されればそれが戦闘の引き鉄になることも考えられる。軽々にできることではない。
というわけで、俺は現在、戦になるかどうかわからない、という不安定な状態で若干暇を持て余していた。
考えることは山ほどあるが、それをする手足がない。団員達にはなるべく短期の仕事をあてがい、隣でいつ内戦が始まってもなるべくすぐに可能な限り多くの人員を手配できるようにしている。
にもかかわらず、ちっともその機会が訪れないのだ。
それがもう一月以上も続いている。
「もう帰りましょう」
イルミナが服の裾を引っ張る、そういえばお前もいたな。
俺としては暇つぶしにもうちょっとソムデンの邪魔をしてやってもいいのだが。粘ればまた食い物が出てくるかも知れねえ。
その時ギルドの扉が乱暴に開き、外から客が入ってきた。
少年だ、十五、六歳ぐらいだろうか。
「助けてくれ! うちの店が潰されちまう!」
そう言いながら受付のカウンターに革袋を置いた。
「金ならある、だから早く! うちの店から悪者を追い払ってくれ!」
袋の様子からするとそれなりに入っている、中身が全部銅貨だとしても傭兵一人二人を一日雇える程度には充分だろう。だがこれは了見違いだ、傭兵ギルドは緊急の依頼も受け付けてはいるが、一見客の喧嘩の助っ人のようなものはその職掌にはない。
「あらあら、困りますね、そういったことは独立軍の管轄になりますよ」
ソムデンも増えた邪魔者に困惑している。
「衛兵にはもう言ったんだよ! 取り合ってもらえないんだ!」
ビムラの治安を取り締まる独立軍の衛兵は特別優秀でもないが、取り立てて怠慢でもない。それが相手にしないというのは、このガキの言うことが要領を得ないか、ガキの言う悪者とやらの行動に理があるかだ。
「と、言われましてもね、うちではこういうお話は取り扱ってないんですよ」
「何でだよ! 金を出せば言うことを聞くのが傭兵だろ!」
あ、その言い方はカチンとくるな。大雑把に言えばその通りではあるのだが、こんなガキに偉そうにされる筋合いはない。契約というもののなんたるかを教える必要がある。
そこでソムデンが何かを思いついたように手を叩いた。
「あ、あそこの人に頼んでみてください。あの人なら今仕事を探してますからね、もしかすると引き受けてくれるかも知れませんよ」
その指の先には当然のように俺。
そこまでして厄介払いしたいか。
確かに仕事を探しているが、べつに俺自身の仕事を探しているわけではない。
だがガキは溺れているときに藁を掴んだように俺のところに走り寄ってきた。
「ウィラードさん、相手してあげてください。ギルドの手数料は要りませんから」
当たり前だ。お前何もやってねえじゃねえか。
「兄さん、助けてくれるのか?」
「そんなことは一っ言も言ってねえが」
だがイルミナがもう帰ろうと相変わらず裾を引っ張る。これはおそらく話を聞いてやれ、ということでもあるのだろう。こいつは大人の男とはほとんど喋れないが、ガキには優しい。
「仕方ねえ、道々話を聞いてやるがあんま期待すんじゃねえぞ」
こうして俺たちは傭兵ギルドを後にした。
ガキの案内に従って早足で道を急ぐ。貝殻亭への帰り道を少し外れてこれまであまり用事のなかった地域だ。
「おいガキ、名前は」
「ガキじゃねえ、マーティだ、もう十五だ」
「じゃあマーティ、悪者ってのはどんなやつらだ」
「借金取りだ」
「借金取りなら悪者じゃねえじゃねえか」
俺ははたと足を止めた。それなら独立軍の衛兵が相手しないのも当然だ、家に借金取りが来た程度でいちいち出動してたらいくつあっても体が足りない。
「待ってくれって、借金はもうないんだ、返したんだ、俺と爺ちゃんで」
「返したら借金取りは来ないだろ」
「それでも来るから悪者なんじゃねえか」
なるほど、要領を得ない方かとも思ったら妙に理屈は通っている。
しばらく歩いたところでマーティの店に到着した。
どうやら業種は鍛冶屋のようだ。
鍛冶屋にも専門がある、傭兵には武器を扱う以外の鍛冶屋にはあまり馴染みがない。マーティの店は何を専門にしているかは、ちょっと見た限りではわからなかった。
その前で何人かの人間が出入りし、店の中の物一切合財を荷車に乗せている。金床、ふいご、ハンマー、鏨、砥石に研磨機、さすがに炉までは持っていけないが、それらのものは中古でも売れば結構な金額になる。目的はそれ自体か、あるいはここを営業できなくすることか。
傍らには老人が倒れていた。
「爺ちゃん!」
マーティが駆け寄る、彼の祖父らしい。怪我があるかどうかまではわからないが、まだ息はあるようだ。
イルミナにも手伝わせて、二人がかりで店の中運び入れて介抱させる、その間に俺は借金取りらしき男に話しかけた。見た感じいわゆる借金取りは一人で、あとの三、四人はおそらく手伝いの傭兵だ。
「おい、ちょっといいか」
「何だ、兄ちゃん」
「いやな、そこのガキに悪者がいるって連れてこられたんだが、あんたら悪者かい?」
「人聞きの悪いこと言うない、こっちはただの金貸しだ。人様に褒められるようなもんでもねえが、悪者呼ばわりはいただけねえな。何、ここの店が借金を払えなかったもんで、代わりに金になるものをちょっと持って帰るだけだ。邪魔しねえでもらえるとありがてえ」
「爺さんが倒れていたようだが」
「そりゃ品物に手を付けようとしたからよ。この荷台にあるものはもうこっちの物だ。人の物に勝手に手を付ける奴は泥棒で、そっちのがよっぽど悪者だ。悪者だったら殴られても仕方ねえだろ、手加減してやっただけ感謝してほしいもんだ」
「そりゃあんたの言う通りだ、だがここの小僧が借金はもう返したと言ってるが」
「受け取ってねえもんは受け取ってねえとしか言いようがねえな、証拠でもありゃ別だが」
そんなものがあるわけがない、との自信満々の面だ。
そこに戻ってきたマーティが一枚の紙を手に抗議の声を上げた。
「嘘だ! 先月ちゃんと最後の分を払ったじゃねえか、証文だってちゃんと返してもらったぞ」
「何だよ、証文があるんじゃねえか、さっさとそれ見せりゃいいんだよ」
俺はマーティの手にある書類を取って目を通した。
なるほど、あの借金取りの自信の根拠はここにあったか。
元本と利子を併せて銀貨一千枚、期限は先月まで。小僧か爺ちゃんかは知らねえがよく頑張ったもんだ。しかしあの野郎はちゃんと儲けて、この上まだ店までかすめ取ろうとするのか。
「おい、小僧、お前字が読めねえのか?」
「読めるさ、ここ銀貨二十って書いてあるだろ」
「ああ、そこだけはわかるのか、だがな、これは借金の証文じゃねえ、ただの請求書だ。ここに書いてあるのはな、『借金を払った』ってことじゃねえ『借金を払え』ってことだ。これじゃお前、お裁きの場に持って行っても勝ち目ねえぞ」
マーティの目が恐怖と絶望に見開かれた。手も、足もガクガクと震えだしている。
「騙されたのか、俺は確かに先月、借金を返し終えて、これを受け取ったんだ」
「お前が払ったってのが本当なら、騙されたんだな」
怒り、悲しみ、絶望、それらの感情が一緒になって、マーティの目から涙として溢れだした。初めから疑ってはいないが、これはもう誰が見ても借金取りの言葉よりは、この涙の方が真実に感じられるだろう。
だがその真実に、力はない。
「待ってくれ、兄ちゃん、何とか、何とかなんねえのか!」
「借金はあと銀貨二十枚だ、持ってないのか」
「ねえ、前に払ったあれだって、父ちゃんが死んでから、爺ちゃんと二人で必死になって返してきたやつだ、もうどこにもそんな金はねえ、あの袋に入ってる金で全部だ」
あの袋、と探して店の中に目をやった。
その時、店舗の隅にいくつか転がるものが目についた。それを示してマーティに問う。
「おい、あれはお前が作ったのか」
「違う、爺ちゃんだ。今そんなこと関係ないだろ」
その質問には答えない、こっちが聞く番だ。その両肩をがっしりと掴んでやる。
泣くな、震えるな、今は男の震えていい時じゃない。
「お前は作れねえのか」
「い。今、教えてもらってるところだ」
「どのくらいで作れるようになる」
「あと二年、いや一年だ、爺ちゃんも筋がいいって褒めてくれてる」
「そうか」
俺はマーティの肩から手を離し、その両目を覗き込む。
「物は相談だがな、お前、俺の子分にならねえか」
「子分になってなんかいいことあるのか」
「そうだな、子分は親分のことを何でも聞かなくちゃいけねえ。俺があれを作って持って来いといったらその通りにしなくちゃいけねえ。その代わりに何かあったら守ってやる」
さっき初めて逢った奴の子分になれ、なんて、ろくでもない要求だ。信用なんてできるわけがない。それでも他に選びうる選択肢はないだろう、あれば自力で何とかしている。
「なる。子分になる」
他に道はないなら、と俺の目を見ながらマーティはしっかりと頷いた。
「でも俺だってこれから一人前になって、親方にもなるんだ。今は仕方ねえ、兄ちゃんの子分になる、でもいつまでも子分なんてやってらんねえ。いつまでだ、いつまで子分でいりゃいいんだ。」
「決まってる、お前が自分で自分を守れるようになるまでだ」
俺は再び借金取りに歩み寄る。
「親分のカッコいいとこ見とけ」
「度々済まねえな」
借金取りの雇った傭兵は、再度の俺の接近を許さなかった。
三人が周りを取り囲んだ。
「何だ手前は」
「山猫傭兵団のウィラードだ」
「山猫? こないだ出来もしねえ仕事を引き受けて失敗したとこか」
「そのウィラードさんが何の用だ、失敗したんで金を借りてえのか」
「女の騎士にこてんぱんにされたんだろ、ざまあねえな」
口々に嘲弄の言葉を吐き出す、つまらない、あまりにつまらない。耳が腐りそうだ。こんな屑の片棒を担いで恥とは思わないのか。
「ちょっと違うな、その女騎士をこの足で踏んづけてやったのがこのウィラード・シャマリだ。捕まえてやったが、あんまり可哀想なんで親王殿下ともども解き放ってやったのもこのウィラード・シャマリだ。嘘だと思うんならその女騎士様に聞いてみな、名前はリリアレット、俺の名前を聞いたらチビるかも知んねえぜ」
いつ戻ってきたのか、イルミナもそこにいた。
「やっぱり踏んだんですね」
という呟きが聞こえたが気にしない。くそう。だがまあちょうどいい、役者は揃った。
俺は気持ちを完全に切り替えた。ここはすでに戦場だ、新しくできた子分のためにその覚悟を作った。
「俺はお前らの雇い主に話があるんだ、そこを空けろ」
傭兵どもに肩をぶち当てて強引に推し通る。
「イルミナ、こいつらが何かしようとしたら遠慮するな。何かしたら、じゃねえぞ、しようとしたら、殺やれ」
「畏まりました」
何を小娘が、と油断させる間も与えない。その手には既に二本のナイフが握られている。何をしようとしても赦さない、そんな闘気がすでに溢れている。機先を制した、それにあてられて傭兵どもも身動きができない。
「もらった給金の分、働くつもりならさっさとしな」
煽ってみたが、連中の手は剣には指一本伸びなかった、そのまま借金取りに詰め寄る。
俺も既に剣を抜いている、そいつの頭を抱えて首元に切っ先を当てた。
「お前、どこの誰だ」
「デ、デビス金融組合の、ク、クレッグだ、く、苦しい」
「余計なことは言わなくていい。苦しいのと、永遠に苦しくなくなるのとどっちがいい?」
頭を押さえる手に力を入れる、刃がクレッグの皮膚に触る感触が手元に伝わる。
「お前は今から俺の言うとおりに言え。いいか、『騙される奴が悪い』だ」
「い、言えばどうなる?」
「その後は俺が『殺される奴が悪い』って言ってから殺してやる、さあ、言え」
「い、言えるか」
「なぜ言えねえ、どうせ今までも何度も言ってきたことだろうが、今度も言えばいいじゃねえか、正直にな」
「…………」
「言え」
「…………」
言えば間違いなく斬った、だがクレッグはその言葉を口にしない、質問を変える。
「じゃあ騙す方と騙される方はどっちが悪いんだ」
「…………」
「どっちだ」
「……だ、騙す方だ」
「じゃあ手前てめえが悪いんじゃねえか、やっぱり死ね」
剣の切っ先をクレッグの首元にぐい、と押し込んだ。まだ斬れない、引けば、斬れる。斬れれば命の終わる血管が、斬れる。
「殺さんでくれ!」
クレッグが絶叫した。
「手前てめえを生かしといて俺に何の得がある。どうせ後で仕返しに来るだけじゃねえか、だったら今死ね」
「せん! せん! 仕返し何ぞ絶対せん! 助けてくれ!」
汚ねえ。小便漏らしてやがる。
「本当か」
「本当だ、本当だ、騙して悪かった! だから殺さんでくれ!」
俺はクレッグに足払いをかける、奴はその場で自分の作った小便溜まりに倒れ込んだ。
眉間に剣を突きつけながら見下ろす。
「今日のことは忘れろ、二度と思い出すな」
ぶんぶんと頭を縦に振るクレッグの胸を押すように蹴った。転がる、立ち上がる、バランスを崩してまた立ち上がる、そのまま走り去り、距離を取って一度こちらを振り返ってからまた走り去った。
イルミナがナイフの狙いを下げる、それを合図に傭兵たちも戒めから解かれたようにクレッグの後を追いかけた。
あとには持ち出されようとしたものが散乱している。
「マジかよ、片づけていかせりゃ良かった」
たまに後先を考えずにやるとこれだ。その惨状をもとに戻すのは少々手間になりそうだった。
「お礼はこんなんでいいのか」
荷車を曳くマーティが問いかけてきた。
この荷車はクレッグたちが持ってきていたもので、連中が運び出そうとしていたものを店に戻したあとで頂いたのだ。それを貝殻亭まで運ばせている。
「これが欲しかったんだ」
俺たちの仕事に荷車は欠かせない。これは何でもない荷車に思えるだろうが、これだって新品で買おうと思えば銀貨三十枚は下らないし、中古でもそれほど値段は下がらない。
俺たち傭兵はこの人力で曳く荷車ひとつを手に入れるのも難しいのだ。
この世界の多くの物の流通には、すべてそれぞれの商工ギルドの支配が及んでいる。荷車なら馬車ギルドの管轄だ。ギルドに加盟する者以外はそれらを必要とする度に、いちいち安くない代価を支払って借り受けねばならない。
今回はたまたま無料タダで手に入ったが、個人や団体でこれを所有したところで、整備や修理にも度々代価が必要とされる。それには鍛冶屋への支払いだけでなく、馬車ギルドの取り分が含まれている。
車輪や車軸も消耗品だ。俺がマーティの家で見つけたものはそれだった。
車体ぐらいは自分たちで作ることができる、だが車輪と車軸、軸受けなどはさすがに設備と技術が必要になる。
マーティにはそれがある、今はなくともいずれ身につけられる。それがあれば俺たちは、今後いくらでも格安で荷車を手に入れることができるのだ。
「あれはあなたを助ける理由が欲しかっただけ、ウィラード様は、優しい」
イルミナがそんなことを言っているのが聞こえた。余計なことは言わなくてもいい。
まあマーティ一人を手懐けたところで、確かに根本的な解決にはならないのだ。
その方法で荷車や馬車を手に入れるのは正当な手段ではない、馬車ギルドからすればギルド破りだ。今回手に入れたこれ一台と、その修理ぐらいならどうということはないだろうが、度重なれば制裁の対象に挙げられるだろう。マーティの家もどうせ鍛冶ギルドと馬車ギルドの双方に属していて、爺さんはおそらく親方の資格を有しているはずだ。ギルドを完全に敵に回してまで俺たちの面倒は見られまい。
これはいずれ手を付けねばならない課題のひとつだった。
このまま依頼をこなしていたところでは、この先どれほど効率的に働いたところで毎日パン、たまに肉が出ることもある、くらいまでしか辿り着けないことがわかってきたのだ。
パンジャリーでの仕事以来、俺は団員たちの貯蓄や保険のようなことも考え始めている、それらを切り捨ててしまえば、毎日肉は食えるのではないかとは思う。だがそれで本当にいいのかとも。
傭兵がこれ以上の収入を得るためには、少しずつ様々なギルドの利権構造を食い荒らしていくしかない、それも密かに。目をつけられれば商工ギルドだけでなく、その他の多くを敵に回すことになる。
今日のことはその一環で、手始めだ。マーティのことはまあ、ついでだ。
だがその続きを考えることはひとまず棚上げとなった。
この翌日、ブロンダート親王殿下が開戦を決められた、との連絡が貝殻亭に届けられた。
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