第十二話 運命の先
一度激しく燃え上がった闘志は、一旦消えてしまえば簡単に再燃するようなものではないらしい。
負傷者の手当てを待っている間、道端に腰かけて休んでいると話しかけてくる者がいた。
「我らが殿下との別れを惜しむ時間をくれてありがたく思う」
ハーデオンだった。もはや敵意は見受けられない。
もちろん完全に警戒を解いたわけではない、双方の陣営はそれなりに距離をとり、檻車の周りにはティラガ他無傷の連中を配している。ただ出発の準備が整うまでは一人ずつ順番に殿下と話をすることを許していた。常識的には以ての他なのだろうが、別にそのようなことをさせるなとの命令は受けていない、ビムラに集まった見送りのババア連中のちょっと屈強なやつと思えばどうということはない。
「殿下がお前ら、いや貴殿らには世話になったと言っていた、感謝する」
「こっちは仕事だ、礼を言われるほどのことはねえ、あと貴殿はやめろ」
「それでもだ、単なる仕事以上の配慮をしてくれたとも」
「何言ってんだ、こっちは割に合わねえ仕事を引き受けちまったもんで必死こいて成功させようとしただけだ、あんたらみたいなのと戦わなきゃなんねえし、怪我人まで出して大損だよ」
「済まんな、こっちも必死だった。だがもう殿下は覚悟を決められた、我々にはどうすることもできん。あとは……」
ハーデオンはその後の言葉を濁した。
「それよりもだ、我々は今後王太子殿下を擁して国王陛下と対抗していくことになるだろう」
「ばっ! そんなこと話しちまっていいのか」
「構わぬ、その程度はそちらも想像がつくだろう」
確かにその可能性は大きい。ここでブロンダート殿下が非業に斃れたとしても、それに心寄せる人々が王太子を担ぐことは充分にありえる。
今回のパンジャリー国王の行動は王位それ自体は自身のものだったとはいえやはり簒奪に近いと思われているのだろう、根回しも万全ではなく、ゆえにその基盤はいまだ盤石ではない。ならば忠義云々の問題だけでなく、近い将来実現されることが予想されていた王太子と親王殿下の政権のための投資や準備を水の泡にせぬようとの力は働く。それをまとめあげられるかどうかは王太子と、そしておそらくこのハーデオンの器量次第ということになるのだろう。
「もちろんどうなるかはわからん、だがいざという時はそなたらにも協力してもらいたい、殿下の希望でもある」
「おいおい、一体傭兵に何を期待してやがる、こんな危ないことはこれっきりだ」
「傭兵とはそのようなものではないのか」
「違えよ、全然違う。そんなのは報酬と勝算次第だ、勝ち目のない方についたって何もいいことはねえ」
「そうか、ならばそなたらにも我らにこそ勝算があるように見てもらえるようにするしかあるまい」
「ああ、せいぜいそうしてくれ」
そろそろ互いに出発の準備が整ったようだった。
彼らが殿下とどのような会話を交わしたのかは知らない、俺の所までは聞こえてこなかった。もしかすると機密に近いようなこともあったのかも知れないが、それを聞いて自分たちの利益に繋げようとは思わなかった。
彼らはそれぞれに檻車に向かって声をかけ、あるいは一礼し、散り散りになって去ってゆく、中には自力で歩けない者もいるが、それは別の者が背負っていった。
一見したところ相当重傷の者もいた、そのまま逃げたとしても警戒中の王国軍が戻れば捕えられるかもしれないし、その前に力尽きることも考えられる、しかしそれを憐れむことはまた違う気がした。
互いに死力を尽くした結果なのだ。それを憐れむのは彼らの誇りが許すまい。
俺もしここで死んでいたとして、彼らのうちの誰かに『かわいそうなことをした』などと憐れまれては地獄からでも蘇ってそいつを殺すだろう。
だがその前途を祈るくらいは許されてもいいだろう。
「ま、達者でやってくれ」
だから言葉にしたのはそれだけだ。
ハーデオンもまた口元に微笑をたたえて去っていった、その目には新たな決意が宿っていた。
こちらもいつまでも同じところに留まっているわけにはいかなかった。最大の危険と思われるものは去ったが、安心するのはまだまだ早い。他にも殿下の奪還を考えるものがいないとは限らないし、王太子派の主力が諦めたことを知れば王国軍が安心して殿下を殺しに来るかも知れない。
「おやっさん、大丈夫か」
檻車の中で横になるバルキレオに声をかけた。
「るせえ、痛えから黙ってろ」
返答はしっかりしている。既に血は止まっているし顔色も悪くない、これならば安静にしていれば問題はなさそうだった。リフキーンも痛そうにはしながらも『心配すんな』とばかりに目くばせを送ってきた。
檻車の中は殿下とリリアレットとかいうおばさ、お姉さんが寄り添うようにして座っている、さらに横たわる二人の怪我人でぎゅうぎゅうになっている。偽装のための廃材が幾本も入っているので満足に体を伸ばすことも難しい。負傷者のためにも次の宿場へは急ぐ必要があった。
シュラッガが馬に鞭をくれ、檻車はその移動を再開した。
しばらくして、こちらは本物のパンジャリー王国兵が後方から追いついてきて姿を見せた。今さら現れて暢気な話だが、言いつけ通りにちゃんと三名でやってきている。
「何か異常があったようだが」
「ああ、大ありだ、てめえらがちゃんと見張ってねえから俺たちの所まで王太子派の残党が襲って来やがった」
「そいつらはどうした」
「追い払ったよ、一人だけ捕まえたんで殿下と同じ檻の中にぶちこんである」
「よし、ではそいつを引き渡せ」
「何言ってんだ。てめえら、今日王太子派の連中を何人捕まえた? 俺たちがさんざん教えてやったのに一人も捕まえれてねえじゃねえか、なんでそんな連中に手柄をくれてやんなきゃいけねえんだ。こいつは俺たちの手柄だ、あのおっさんと一緒にパンジャリーへ連れていってそこで検分してもらう」
「愚弄するか!」
「やかましいや、王太子派の連中は逃げたばっかでまだその辺にいくらでもいる、悔しかったらそいつらを捕まえてから文句言いに来い」
あのハーデオンや他の王太子派の連中に比べたらなんと気分の悪い連中だ、おのれの命も賭けず手も汚さず、だのに要求だけは一人前にしてきやがる。それ以上は相手にせず檻車を進めた。まだ何か文句を言い足りなさそうにしていたが、後ろの連中が少し脅すともと来た方向に帰っていった。
三日目の宿場へはぎりぎり夜になる前に到着した。
二人の怪我人は宿に移し、そこで休養をとらせる。
このような小さな宿場に医者などいない、もしいたとしてもその費用は高額だ。それでもできれば診せてやりたいと思うが、それはできない、傭兵の怪我は自己責任が原則だ。本人たちが医者を呼んでくれというなら呼ぶぐらいはするが、それだけだ、支払いは自費。たまたま金庫を預かる俺と同じ任務に就いたからといって彼らだけに特別の配慮をすれば他の団員との公平が保てない。
宿の主人には彼らが動けるようになるまでの宿代を預けたが、これも後で彼らの受け取る報酬から差し引いて清算される。冷たいようだが、これはそうされなければならない。
ただ、事務長の立場としてみればこれは今後の課題だった。
今回の二人はしばらくすれば傭兵として復帰できる、それまでの間は本部で只飯ぐらいは食わせてやれる。だが復帰できなければどうすればいいのか。傭兵を続けられなくなった者の面倒を見続けるような傭兵団など聞いたことがない。傭兵がそのような体になってしまえば他の働き口などそうそう見つかるわけもなく、わずかな蓄えがなくなればあとは乞食にでもなるしかない。そんなことが許されるのか、残念ながら許されているのだ。
傭兵団の事務長として、というのもまた違うのだろう。俺の他にそんなことを考えている傭兵団の事務長がいるなら後学のためにぜひ教えを請いたい。
これは傭兵団の事務長が考えるべきことなのか、一国の宰相でもなければできないことなのか、それともさらに大きな力が必要なのか。
今宵は満月、敢えて皆には言ってなかったがもし何もなければ馬を交換してこのまま夜旅をかけるつもりだった。夜陰に乗じて距離を稼ぐ、そうすれば明日の昼前にはパンジャリーに着ける、そういう算段も考えていた。
だが今日ばかりはさすがに疲れた、伝令に走り回った者たちはさらに疲労困憊だ。
用意させていた馬はキャンセルし、俺も考えることをやめて泥のように眠った。
この期に及んで不寝番を買って出たティラガのことは化物のように思った。その無尽蔵の体力ばかりではない、他の団員の疲労を慮るその心意気までが化物だった。
パンジャリーに着いたのは結局四日目のほぼ夜に近い時間帯だった。
到着前に先触れを出したので城門の外には王国軍の兵が出迎えに来ている。さすがにそれらは偽物ではない、正真正銘国王派のパンジャリー兵だ。
「ご苦労だった、パンジャリー王国軍のデグニスである」
「ほんとにご苦労だったよ」
俺は檻車の鍵と依頼の受取書をデグニスと名乗る男に手渡した、偉そうな男だ、軍でもそれなりに上位の者だろう。受取書は通常の任務ならサインだけでいいが、今回は物が物だけにパンジャリー王国の印綬が要る。そのために身分のありそうな役人が同席している。あとはパンジャリーの馬借ギルドの者がいた、馬と檻車はこいつに渡せばビムラまでわざわざ持って帰る必要はない。
「確認を」
デグニスの合図で檻車にかかっていたボロ布がはぎ取られた。当然中には殿下とリリアレットが入っている。
「その女は」
「途中で襲ってきた曲者の一味だ、捕まえたんで捕虜にした。この分の褒美はないのか」
「ないな。なぜあると思った」
よくもまあこんな腹の立つ言い方ができたもんだ。
文句をつけてもいいがさすがに依頼の範囲外の仕事だ、事前交渉もなしでは突っぱねられても仕方がない。まあもともとが殿下へのサービスだ、依頼達成を目前にして揉めるほどではない。
「間違いない、ブロンダート親王殿下である」
デグニスと役人とが揃って面通しをし、それがブロンダート殿下本人であることを確認した。依頼の受取書にサインをし、印を押した。
それを受け取る、あれだけの苦労をして手元に返ってきたのはこれだけだ、だがただ一枚の紙切れであるはずが重い。
これを受け取るためにここまでやってきたのだ。
――終わった。
そんなことしか思えない自分が少し情けなかったが、とにもかくにもこの仕事、俺の傭兵としての初仕事はこれで間違いなく終わったのだ。
殿下との別れは既に済ませてある。これはこの時でもいいと思ったが、俺たちが殿下と親しげな会話を交わし、王国軍に痛くもない腹を探られることのないようにと殿下自身の配慮によるものだ。
――そのようなことまで気遣うのか。
ビムラ中央会議、パンジャリー王国、傭兵ギルド、彼らの機嫌をとるためにこの人を死地に送ることになった、もちろん愉快ではない。だが傭兵とはそういうものだと割り切るしかない。
俺たちがやらなければ、結局他の誰かが引き受けて失敗していたのかもしれない。だがそれはそれでまた別の誰かが苦しむことになるのだ。
今日はパンジャリーに宿を取る、明日はここの傭兵ギルドで仕事を探し、都合のいいのがあれば受ける、なければ直ちにビムラに帰還する、そのはずだった。
「おい、通らんぞ」
俺たちが街に入ろうとすると、城門のあたりで城兵らがつかえていた。
何のことはない、国境の門につかえたようにここでも偽装の廃材のために檻車が通らなかったのだ。あれは途中で壊れたりしないように中でもしっかりと固定してある。
「仕方ない、ここで一旦下ろせ」
昨日の晩、俺はリリアレットから抗議を受けていた。
早く眠りたかったにも関わらず内容は死ぬほどくだらないものだった。
同じ檻車の中に揺られている間に、横に寝ていたリフキーンに乳を揉まれたというのだ。怪我人のくせに揉む奴も揉む奴だが、捕虜のくせにそれに文句をつけるやつも大概だ。
聞き流そうとすることも許されなかった。
「たまたまじゃ……」
「婦女子の体に不躾に触るとは破廉恥も大概にせよ!」
「そんなことぐら……」
「私は身も心もすべて殿下の物だ!」
「聞きたくねえよそんなこと!」
隣でそれを聞いている殿下がどんな心境だったのかはわからない。
詫び代わりの要求がひとつ。
「自分の剣を返せ」
返答は保留し、パンジャリー到着の直前に果たした。
城兵の声にならない声が城門にこだました。
何が起きたのかは知らないが俺たちは悪くない。
ちゃんと身体検査をしなかった奴が悪い。
こちらには既に印の打たれた受取書がある、どこからも文句を言われる筋合いはない。
一組の男女が東の方角に走り去っていく。
それを五名ほどの城兵が追いかけてゆく。
さらにまたその人数は増え、城門の周りは喧噪を増してゆく。
この先がどうなるかはそれぞれの運次第、俺たちの関わるような話ではない。
だが今日はパンジャリーに泊まることはできなさそうだ、どのようなとばっちりを食うか知れたものではない。俺たちは踵を返し、黄昏の中にその姿を隠すしかなかった。
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