第十一話 救う者 救われる者 阻む者
戦場で傭兵は正規兵に絶対に勝つことはできない、これは世界の常識だ。
陣形を組み、隊列になって戦うようなことは傭兵には到底真似できない。一斉に突撃する、弓を放つ、散開する、包囲する、それができるのが正規兵による軍隊で、そんなものに有象無象でしかない傭兵がぶつかれば一方的に蹂躙されるだけだ。倍の人数を揃えようが、いや、たとえそれが十倍だったとしても対抗することはできないだろう。
かつて、その常識に挑んだものがいたらしい。その想いは無残に砕け散ったが、その残り滓のようなものは熾火となって今もまだどこかで密かに燃えていると聞いた。
これから向かうのがそんな場所じゃないってことだけはありがたい。
今からするのはただの派手な喧嘩だ、喧嘩ならば傭兵の領分だ。
何しろ普段からそんなことしかしてねえんだから。
もちろん絶対勝てるとか有利って話じゃねえ、なぜなら喧嘩ってのは勝ったり負けたりのことだからだ、一方的に勝てるのは喧嘩とは言わねえ、そりゃ単なる弱い者いじめだ。
俺たちが今からやるのはやっぱり喧嘩で、そんで喧嘩なら負けちゃならねえ。
檻車はおそらく王太子派が化けたものであろうパンジャリー兵の検問に差し掛かった。
「そこの荷物、止まれ」
隊長らしき人物から静止の声がかかり、遠すぎも近すぎもしない、そして向こうから近づいて来ざるを得ない絶妙の位置で檻車はその移動を止めた。
あちらはもう少し近づいて欲しそうだったが、馬がいうことを聞かないふりをした。仕方なく隊長が二人を伴ってこちらに近づいてくる、それは焦りと見て間違いない。
隊長に随従するのは兵士ではなかった、その格好は騎士だ。後ろに控える兵たちとの間には少し距離が開いた。
「警戒せずともよい、こちらはパンジャリー王国軍の者だ。そちらはビムラの山猫傭兵団の者だな、ご苦労だった。ブロンダート親王殿下はこれより我々が王都まで護送することになった」
その可能性は排除してはいなかったが、さすがにいきなり攻撃してくるというわけではなかった。
向こうも王国軍を装っている以上、それでこちらを騙してしまえるものなら危険は少ない。ならばとこちらもそれに騙されているふりをする。
「そんな話は聞いてねえぜ」
「む、連絡が行き届いてなかったか、済まなかった。だがお前たちの仕事はここまでだ」
互いが互いを騙そうとする演技だ、舞台裏を知っていればなかなかに滑稽だ。
「そりゃ楽で有難えや。じゃあ受け取りのサインと印をいただこうか、これで俺たちはお役御免、ってことだな」
「その通りだ、もう帰っていいぞ」
「こんな場所でいきなり帰れって言われてもなあ」
俺は懐からビムラ中央会議の役人から預かった書類を取り出し、隊長に渡した。
彼は書類に目を落とし、俺に対する視線を外した。
そこを抜き打ちに斬る!
はずだった。
キーン。
金属音が響き、俺の抜いた剣は隊長に届く前にその隣に付き従う騎士によって阻まれた。
「くそがっ!」
「何をするか! 狼藉者!」
「お前らが狼藉者だろうが!」
予定では俺がまず隊長と思われる人物を斬って指揮系統を混乱させる、同時に他の連中も斬り込むつもりだった。
それが初手から外した。
隊長は自分の演技にいっぱいでその意味で確かに油断していた、だから仕損じるとは全く思わなかった。だがその隣の騎士に毛ほどの油断もなかった、周囲にみっちりと神経を張り巡らせ、その上でかなりの手練れだった。これは忠臣、というやつなのだろうか、年齢は殿下と同じぐらいに見えた。
「応戦しろ!」
騎士が大声で怒鳴る、隊長はまだこちらと距離を空けただけだ、むしろこの騎士こそが実質的には隊長のようだった。
俺の行動の成否に関わらず他の連中も既に兵たちに攻撃を開始している、だが虚をついて先制攻撃だけは果たせたものの向こうの指揮官は未だ健在だ、奪えた有利は僅かなものだった。それも人数の差でたちまち奪い返されるほどの。
そこかしこで剣戟の音が聞こえはじめる、動き始めたばかりだがこの状況はまずい。
「シュラッガ! やれ!」
予定変更、俺は叫んだ。
檻車から離れずにいたシュラッガがそれにかかっていたボロ布をまくりあげ、その存在が衆目に明らかとなった殿下に剣を突きつけた。心苦しくはあったが一応拘束はさせてもらってある、身をよじって躱すことはできない。
「動くな! ブロンダート殿下の命はないぞ!」
はっ、とここで一旦敵味方の動きが止まった。
「散れ! 俺たちをこのまま行かせるんだ」
こいつらの目的は殿下の救出、それを人質にすればひとたまりもないはずだ。本当はこれを初撃で何人かを倒したのち、相手の気を完全に飲んでから行うつもりだった。
しかしこの狙いはまたも外れた。
やはりこの男が一団の精神的支柱であったか、一斉に動きの止まった敵兵たちの目は俺の剣を阻んだ騎士に注がれていた。
「殿下! それがしの不忠、申し訳ありません! この罪は必ず命をもって償わせていただきます!」
騎士は殿下にも聞こえるように叫んだ、それには幾分涙の成分が含まれている、さらにシュラッガに向けて言い放った。
「構わん、やれ」
シュラッガは狼狽した、俺も内心では動揺している。
「やるぞ、ほんとうにやるぞ」
「だから構わんと言っている、貴様が殿下を弑してみるがいい、やれるものならな」
これをしてくるか、と思った。
彼ら王太子派の目的は殿下の身の安全であることには間違いない、だが殿下の命がここで失われることとパンジャリーまで送り届けられることは結局同じことでしかない。
彼らにしてみれば俺たちの要求を飲んでここを黙って通らせてしまってはここまで来た甲斐がない。俺たちにとっても殿下を殺すことは何の益もないのだ、そこを完全に読み切っている。
それでもここまではっきりと殿下を殺せと言ってくるとは俺の想像を超えてきた。
こいつらは殿下の命をもはやなきものと捨て、その上で俺たちの命と同じ天秤に乗せてきたのだ。
殿下を殺せばお前たち全員を殺す。
殿下を渡さなければお前たち全員を殺す。
この騎士はそう言っているのだ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、とはよく言ったものだ、ここで失われる命にはこいつら自身の分もちゃんと勘定に入っていやがる。
「賊ども、大人しく殿下を渡せば命だけは助けてやる。騎士の名誉にかけて約束してやる」
このままシュラッガが殿下を刺せば、彼らの希望は潰える。そうなればあとは彼ら自身の激情に任せて報復がなされるだけだ、それは敵味方のどちらかがいなくなるまで戦うということだ。
この一帯が一蓮托生の沈む船になっている。もはやここで助かるには敵味方全員が助かるしかない、完全な一択を突きつけてきた。なるほど大した忠臣だ、敵ながら恐れいった。
「だがよ、おっさん、手前らに俺たちが殺せんのかよ!」
手前らの思惑は結構、だがそれも俺たちをブッ殺せる腕があってこその話だ。
俺の選択はそれとはまた違う、てめえらに希望を残したままの戦闘続行だ。
先ほどは阻まれた、だがそう何度もうまくいくかってんだ。
「舐めるな! 小僧!」
二本の剣が激しく交差し、火花を散らした。それがまた戦闘再開の合図となった。
俺はそのまま騎士と対峙する。
――強い。
幾合も交わされるその剣から伝わる強さは圧倒的な強さではない、だが確かな強さだ。
相手も俺を狙ってくる、躱す、受け止める。反撃し、受け止められる。さらに何合か打ち合っても互いの剣に綻びは出ない。
――難敵だ。
直ちに負けることはない、だが勝ち切ることもできない、だとすると敵は『時間』ということになる。
ここをどう切り抜けるか、思案を始めたその時、
「代われ!」
地響きとともに後方より声がした、確認もせず右に転がった。
「だおっ!」
俺の後ろからティラガが咆哮とともに突進し、騎士に対して渾身の太刀を浴びせた。
騎士は辛うじてそれを受け止めたものの、それに続く体当たりには抗しきれず、体勢を崩しながら大きく後方へ弾き飛ばされた。それほど大きなダメージではない、だがその力量差だけは誰の目にも明らかだ。
「やっぱ強えな、あいつ」
ティラガの武勇はこの場にあっても誰よりも抜きんでていた。人数の不利が決定的な差にならない、それはこの男が一人で埋めている。狙いをつけようと思えばつけられるのだろう、だが敢えてそれをせず、無造作な剣を竜巻のように振り回している。それは戦っているというよりは味方に有利な戦況を作っているような動きだ、それは意識したものかそうではないのか、あるいは。
俺が転がった先で代わって相手になったのはもう一人の騎士だった、こちらは先の相手に比べればずいぶんと華奢だ。忠義だけがありあまって腕が追いつかない口か。
それはこちらが体勢を立て直す前に気合とともに斬りかかってきた。
「はあッ!」
その斬撃は理に適っている、鍛錬された動きだ、だがあまりに非力だった。
「女か!」
女を斬る趣味はない、立ち上がりながら剣を弾き飛ばし、蹴り倒した。
「寝てろ!」
倒れた女騎士の腹を強く踏みつける、足元で蛙を踏みつぶしたような声がした、顔まで覆われた兜の中で反吐ぐらいはぶちまけたかもしれない、だが手加減はしてある。
「起き上ったら殺す」
そう言い捨てて次の相手を探した。
既に敵味方の幾人かは倒れている、だが戦況はまだどちらに有利とも言えない。
「双方、そこまでだ、剣を引け」
檻車の中から凛とした声が聞こえた。その声は決して大声ではない、だがそれはどの怒号より剣戟の音よりも響いた。
「余はこのまま王都まで行く」
一拍の呼吸をおいて、
「それが一番多くの人間を救う方法だからだ」
その宣言が戦闘終了の合図だった、同時に俺は自分が賭けに勝ったことを知った。殿下のこれまでの様子を考えれば、これを言い出すことは充分に可能性があった。今回の戦いは初手からずっと読みを外しまくったが、これで最後だけはなんとか帳尻が合った。
「殿下!」
最初に俺と剣を交わした騎士が異議の声を上げた。
「ハーデオン、お主の忠誠はわかっておる、だがもうよい。余に付き合ってこんなところでお主たちまで死ぬことはない」
「殿下、これらの者など私が全員打ち倒して見せます、ですからお諦めになりませぬよう」
ふざけんな、お前あれからティラガにやられてボロッボロじゃねえか。さっきまでならまだしも今の体力じゃお前にゃもう無理だろ。
「止めよ、この者らもまた雇われただけに過ぎぬ、余は余の敵ではないものを斬ってまで生き延びようとは思わぬ」
「ですが!」
「もうよいと言った、それよりも王太子殿下を守り参らせよ。余の領内ならまだしばらくは隠れられよう、その後は国外に逃がすのもよかろう、これはお主にしか頼めぬ」
そして、
「できれば娘のことも頼む」
と付け加えた、おそらくはこれが
長い沈黙ののち、
「……畏まりました、殿下のご命令、謹んでお承りいたします」
ハーデオンと呼ばれた騎士はここで遂に殿下の奪還を諦めた。
「ブロンダート様! 私もお供をさせてください」
次に俺が踏みつけた女騎士がよろよろと檻車に縋りついた。瞳には涙が溢れているが、それは俺に踏まれた腹が苦しかったという意味では決してない。
「リリアレット、済まぬ」
殿下が苦渋の表情でその随従を許さぬという以上の何かを詫びた。
あー、お二人はそういう関係ですか。
俺からみれば少々薹は立っているが凛とした美女ではある。殿下の年齢から考えればお似合いなのかも知れない。ここに来るまでの世間話で殿下は既婚で子供もいると聞いていたが、そのような女性が別にいてもおかしくはない。
「では私はここでお先に失礼いたします、殿下もお健やかに」
リリアレットと呼ばれた女騎士は、すでに覚悟は終えていたかのように殿下の拒絶を受けとめ、収めていた剣を抜き放って自らの首筋に刃を当てた。
「ちょ、やめろ」
俺は慌ててそれを止めさせた、なおも抵抗するリリアレットから無理やり剣を奪う。
「くっ、殺せ!」
違うなー、その言い方は違うなー。
場合によってはそういうことをしたがる身内もいないわけではないだろう、だが今に限ってはそんな余裕は誰にもない。
こちらとしては単に助けたいだけで別に死んでほしいわけではない、そんなことをされてもむしろ寝覚めが悪くなるだけだ。さっきまでは緊急時で気が立っていたが、事態が落ち着いてくるにつれ女性を踏みつけにした罪悪感が芽生えてきた、ここではなく別の場所で殿下と心中したいというだけなら助け舟を出してやるのもやぶさかではなかった。
「殿下、我々はこの方をパンジャリーまで同行させても構いませぬ、もちろん捕虜という扱いではございますが」
「よいのか」
「お二人がどのようなご関係かは詮索いたしませぬが、この方がここで自決なされるというのであれば我々も心苦しい限り、なればパンジャリーまでの間存分に別れを惜しまれるのも宜しいかと」
「……我ながら浅ましいことだとは思うが、未練だ。感謝する」
檻の中で殿下は深々と頭を下げた。
「だが余はこれから死にゆく身だ、そなたらに報いてやれるものは何もないぞ」
「いえ、充分すぎるほどのものをすでに頂いております」
ことここに至ってはもはや戦闘でもない、先程から双方の負傷者の手当ては始まっている。こちらはバルキレオ、リフキーン、二名の負傷者が出ていた、いずれも深手、だが幸いなことに命には別条ないようだ。彼らをこの先パンジャリーまで同行させることはできない、次の宿場まで移送してそこで療養させることになるだろう。
だがこの程度の被害で済んだのは殿下が静止してくれたからに他ならない。本気で刃を交えたにも関わらず誰も命を失うようなことにはならなかった、その代金がこの程度ならそれはお買い得としか言いようはない。
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