第十話 近寄る襲撃者
「昨日ここからパンジャリー兵を通した馬鹿野郎がいるぞ」
国境の守備隊長に告げ口をしながら俺たちは国境を越えた。
守備隊が本気で犯人捜しをするかどうかはわからないがちょっとした腹癒せだ。何人かがぎょっとした顔をしたがそいつらが犯人かどうかまではわからない。誰かは知らないがまあちょっとくらい震えておけ。
おそらく今日が正念場だ。
囚人護送の旅は三日目を迎え、今日ばかりは実際に斬りあうことになるのを覚悟しなければならない。
既にいくつかの小細工は弄してある。
先行させた団員に命じて近隣の村から檻車に偽装した馬車を仕立てていた。
団員はその後を尾行し、王太子派の襲撃者がそれにおびき出されるようなことがあったら近くにいるパンジャリー王国軍に知らせて捕えさせる手はずになっている。
正直これには金がかかった。
馬車を借りるのには一日に銀貨二枚程度が相場だ。これにさぞ重要な物のように見せかけた空の荷を乗せ、さらに近辺の傭兵を護衛として十人程度雇って目的もなくただ歩かせている。近づくものがいたら大声で威嚇して追い払えとも言ってある、これはもう怪しすぎる依頼に違いなく、黙って飲んでもらうには報酬も多めに払うしかなかった。これを三台分仕込んだ。
檻車の御者を自分たちで引き受けた増額分はほぼこれにつぎ込んだといっていい。
ただ王国軍には俺たちが襲撃者を発見した場合、これを報告すれば謀反人の一味の所在を知らせたとしていくらかは報奨金を受け取れるように話をつけてある、ぜひ引っかかってもらいたかった、でないと丸損だ。
併せて傭兵に護送された殿下が通る、かもしれない、という噂をあやふやな感じで流しておいた。
この件はパンジャリーではまだ極秘扱いではあるが、既にビムラでは周知となってしまっていることだ、隠し通せるわけがない。ならばと積極的に利用することにした。
目的は殿下を護送する主体が王国軍やビムラ独立軍ではなく俺たちであることを王太子派の連中に知らしめること、これは裏を取ればそれが事実であることがわかる。彼らも王国軍ならまだしも単なる傭兵がこのような策をとってくるとは考えまい、というのが俺の狙いなのだが果たしてどうなることやら。
実際のところ今日の出発は少し遅れた。
雇った馬車を檻車に偽装したようにこちらの檻車もまた単なる荷物に偽装したのだ。パンジャリー国内では殿下の顔を見知っている人間は多い、殿下を護送していると一般の国民にも知られたらおそらく収拾のつかないことになる。
殿下には申し訳ないが適当な廃材を何本かぶっ差して檻車の上方を歪な形にしてからその上に大きなボロ布をかけた。これで外からは何を運んでいるかはわからない、何だかわからないような大荷物かオブジェを運んでいるようにしか見えない。一応明かり取りの窓も開けてあるし、団員たちが休憩するための出入りもしやすく作った。
これで出発しようとしたら国境の門に上がつかえた。
一旦ばらして門を通過させた後に再度組みなおしたのだ、こんなくだらないことで時間をとられた。
出発して数刻、最初の伝令が偽装に釣られて姿を現した者がおり、その所在を王国軍に報告したとの知らせを届けてきた。
幸いなことに偽装自体は見破られていない、とのことだった。
今日最初の情報としては幸先がいい。
次の報告はまた別の偽装に釣られた者数名を発見し、これを王国軍が追跡中とのことだった。
これもまたたいへん結構な報告だ。
その次に来たのはさらに別の偽装を襲おうとした集団がおり、王国軍と小競り合いの末逃走したという連絡だった。
おお何と喜ばしいことか、涙が出るほどありがたい、わけはない。
「めちゃくちゃじゃねえか!」
要するに全ての偽装に釣られた者があり、しかもその全てがまだ偽装であることが明らかにはなっていないということで、それらはまだ動いているらしい。その上襲撃者らしき人物が捕まったり殺されたりしたという話もない。
こうなればもはや何が本当で何が嘘なのかが全くわからない。
いや、どれも全くのでたらめというわけではないのだろう、
「こりゃあ王国軍が王太子派に鼻面を引き回されてんのかも知れねえ」
釣られているのは襲撃者側ではなく王国軍だとすると、偽装は読まれている可能性が高い。すると考えられるのは王国軍を俺たちからできるだけ引き離しておいてからの襲撃ということだろうか。
だがそれにしてはこれまでのところこちらの檻車の動きを掴まれている気配はない、ならばその方法はおそらく俺たちが必ず通りそうな場所での待ち伏せになるだろう。
近くに隠れているのを見落としていることも考えられるが、この先の道は伝令や斥候が何度も行き来し、かなり先の方まで確認してきている。
「まあ穴でも掘って潜まれてちゃわかんねえか」
こちらとしても敵の姿が見えない以上進路変更をしても意味がない、このまま前進するより他に方法はなかった。
昼を過ぎても報告はいくつか入ってきたが、どれもこれも代わり映えのしないようなものばかりだった。相変わらず王国軍はつかず離れずの場所に出没する少数の王太子派であろう連中に引っ張りまわされている。だがそれは同時に王太子派の人数自体も決して多くないということを表している。
彼らの狙いは何となくわかった、そして彼らがおそらくわかっていないであろう情報のことも想像がついた。
やがて先行させていたビアネスが戻り、
「この先の街道が交わるところで王国軍が検問をやってるぜ」
との情報をもたらした。その場所はこちらの手の者が何度も通過している、それまではそんな話はなかったので、彼らはどこからか突然湧いたということになる。おそらく道なき森を抜けてきたのだろう。
その数およそ二十人、俺の読みとも符合する。ついに来るべきものが来た。
俺は王国軍に対して、
「パンジャリー王都に着くまで絶対に近づいてくるな」
と要求していた。
「もし近づいてくれば、殿下を殺すか解放するか、どうするかわかんねえぞ」
とも言ってある。われながらわけのわからない言い草であることはわかっているのだが、こうするより他にやりようがない。
離れている王国軍は味方だが、俺たちに接触してくる王国軍はひとまず全て敵だとみなした。昨日のように殿下を殺すために近づいてくるのか、それとも王国軍に紛れている親王派が救出しにくるためなのか、その外見ではもちろんわからないし、そのどちらをされても困るのだ。
だからこちらもどうするかわからないことを脅しの材料にするしかない。
抜け道としては、
「もし何かどうしても用事があるなら必ず三人で来い」
とも言ってある。もともと同じ国に属する者だ、王太子派の連中が王国軍の兵を装うのは簡単だ、だがそれが一人二人で接近してくるなら王太子派の手の者であることが分かる。また王国軍の者がよからぬ意図で近づいてきたとしてもそれが三人程度ならばどのようにも料理できる。
王太子派にはそこまでは知られてはいないはずだ。だからそのように王国軍を分散させ、監視の空白地帯を作った上で襲撃部隊本隊が王国軍に化ける策をとってきたのだろう。
つまりこの先に二十人の王国兵がいるならばそれは敵だ、たとえそれが本当に王国軍の兵であってもだ。
「迂回できそうか」
俺はビアネスに尋ねた。
「無理だな、道がない」
檻車は森を進めない、ならばこのまま当たるより他に方法はないだろう。時間が経てば散っている王国軍も戻ってくる、その前には彼らも移動するだろう、彼らが来た方向に殿下はいなかったのだからその方向はこちらに来るよりない。
互いの移動中に偶発的に接触するよりは検問を装っている今のうちに当たる方が不確定要素はまだ少ない。その差は誤差にすぎないかも知れないが、その誤差すら貴重だ。
先行しすぎている奴は待てないが、ある程度長い休憩をとった。その間にさらに二名の伝令が戻り、俺たちの人数は十人になった。
「このまま進めば戦闘になるが構わねえか」
俺は全員に尋ねた。
「一人でも覚悟が出来ねえならここで引き返す」
こちらの人数は相手の半分、互いの腕が互角であればまともにあたれば勝ち目はない。だがここにいる者は全員腕に覚えがある、並の兵士が相手なら倍の人数でも互角にはなる、ただ実際にあたってみなければ相手が並の腕かどうかまではわからない。向こうも一騎当千が揃っているわけではないだろうが、命令されてそこにいるわけではない連中だ、しかも決死、並と見るのは甘すぎる。
有利な点は二つ、ひとつはこちらが向こうを王太子派の襲撃者だとほぼ見抜いていること、これはいつでも先制攻撃ができるということだ。もうひとつこちらは殿下を人質にとれる、これはかなり大きい。交渉次第では素通りすることも可能だ。
「あんたこそ覚悟はできてるんだろうな」
ティラガに指摘された。
これは実は自信がなかった。
情けないことだが、自信がなかった。
俺は自分のことを強いと思っている。天下無双だ何だという次元では決してないが、今回のこともヤバいヤバいと言いつつも自分がこんなところで死ぬような気はまったくしていない。
これまでにも実戦と呼べるような経験はあった。昨年、一昨年と
当時はひどいものだと思ったが、
反吐をぶちまけながら行ったそれは実際に自分の役に立った。
自らに向けられた害意に対して今の俺は殺意をもって剣を振るうことができる。
実際に殺したと自覚するほどの経験はまだない、だが俺が斬った誰かがその後死んでいることは大いに考えられる。たとえそうであったとしてもそれには何ら痛痒を感じない。
俺は今ここで戦うことに何の恐れもない。
しかしそんなことよりはるかに恐ろしいのは、仲間を死なせることだった。
俺の判断で死なせてしまうことだった。
俺が俺のためにやったことで俺以外の人間が死んでしまうことだった。
みんなに覚悟を問うたのも、その恐怖や罪悪感を少しでも薄めるためではなかったのか。
――伯父貴はこんなものを背負ってきたのか。
そんなことも思った。
自分のことを自分一人で背負うことは容易い。生きるも死ぬも所詮おのれ一人のことだ。
だがあのいい加減で適当で能天気な親爺が背負ってきたものはこれほどまでに重かったのか。
誰にとっても傭兵の命など羽毛のようなものではなかったのか、道端で俺たちみたいなごろつきがのたれ死んでいようとも心動かすものはいない、子犬や子猫の方がよっぽどかわいそうに思ってもらえる。
だがこれのどこが羽毛だ。こんな重いものが羽毛のわけがない。
思えばあの檻車の中にいる親王殿下も同じものを背負っているのだ。これから俺たちが切り結ばねばならないのは殿下のために命を懸ける者たちである。自らを慕うものが自らのために命を落とすこと、殿下はそれを当然のことだと思うだろうか、決してそうではあるまい、そうではないからこそ彼らもまた殿下のために命を賭すのだ。
いつの間にか、そんなことを語っていた。自分の甘さを、泣いて、そして詫びた。
「だから、やる。やってくれ」
最後の決断だけは自分がした。
これは俺が誰の力も借りずに自分だけでしなければならないことだった。
「何だよ、そんなこと思ってたのか」
ティラガが呆れたように言った。
「自分が斬り込む覚悟はあるんだろ、じゃあそれで充分だ、他に何が要る」
それに続く皆の言葉にも俺を批難するものはひとつもなかった。
「前も言ったろうが、任せろっていうのは任せるってこった、だったら任しときゃいいんだよ、
「俺たちも自分てめえの命は自分てめえで背負ってんだ、お前なんかに背負ってくれって頼んだ覚えはねえ、団長にだって背負ってもらったこたあねえ」
「どっちがしくじっても恨みっこなしだ、なに、死んじまったら恨みようもねえんだ、お互い様ってことにしときゃいい」
それぞれの理屈は通っているのかいないのか、だが傭兵同士ならそれで充分なのだろう、それらのひとつひとつは確かに俺の心を満たしていった。
この心地よさに安住することなく、俺はこの道を進まねばならない。
これを背負わなければ俺はこの先宰相なんかになれはしない。
あのまま王立大学院アカデミーにいたとしたら、俺がこのことを知るのはずいぶん先のことだっただろう。
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