第九話 招かざる客



 初日は終わってみればうららかな陽気の春の旅だった。


 思いがけずもらった差し入れのおやつも食い放題だったし在庫はまだまだある。


 警戒は怠らなかったがビムラに近いところではまだ何かが起こるとも思えなかった、最初の宿場までは別段何事もなく無事に通過した。


 今日二日目の夕刻には国境の宿場町に着く、そこでまた宿泊、明日からはパンジャリー領に入る手はずになっていた。


 何かがあるとすれば国境を越えてしばらくのあたり、その辺が監視の目も行き届かず襲撃者が一番活動しやすい、今日ももちろん油断はできないが、おそらくは明日が一番危ないだろうと考えられた。




 この朝には檻車の中に二人の人間が入っている。


 一人はもちろんブロンダート親王殿下、もう一人は初日に不寝番を務めたシュミテルが揺られながら睡眠を貪っている。この任務の性質上、夜には必ず不寝番を置かねばならないが、檻車を利用して交代で眠ればいいと思いついたときはわれながら名案だと思った。しかしシュミテルのいびきや寝返りに迷惑そうな顔をする殿下を見るとそれほど名案でもなかったようだ。それでも厭そうにするだけで一言も文句を言わない殿下は大した人格者だ、全く育ちがおよろしくていらっしゃる。


 いや、こちらに対する信頼が目減りしていないかと怖いことは怖いのだが。

団員の体力温存のために止める気はないのだがなるべく行儀よく寝ててくれるとありがたい。




 昨日から俺は殿下の近く、檻車からはあまり離れないようにしている。情が移ると任務に支障をきたすのであまり馴れ合わないようにしようと思っていたが、話しかけられると返事せざるを得ない、必然的に殿下と話をする機会が多くなっている。


「そなた、余に対するときと他の者に接するときでは言葉が違うな」

「殿下には失礼のなきよう心がけております」

「失礼もなにも、ずいぶんよくしてくれておる」

「恐れ入ります」

「だがの、今の余は所詮は虜囚にすぎぬ、無理はせずともよいのだぞ」

「もとより無理などしておりませぬ」


 これは自分でも正直よくわからない。この役人みたいな喋り方は王立大学院アカデミーの頃にはこんな感じでいなければならない場合もあったので特に苦にはならないし、改めて指摘されると最近の口調は周りに影響されてどんどん荒くなっているような気がする。


「それより殿下の方も楽にしてくださいますよう、道中は誰も見ておりませぬ」


 殿下は昨日からほとんど姿勢を崩さない、大して乗り心地もよくないだろうに移動中も檻の一方を背もたれにしてずっと背筋を正したままだ。おそらくはビムラの牢内でもこの調子だったのだろうが、こちらとしてはゴロリと横になってもらったところで一向に構わない、むしろそうしてくれた方が気づまりな思いをしなくて済む。


「何の、余もこれが習い性だ、これが楽なのでこうしておるだけだ」


 はっはっは、と鷹揚に笑う。


 残念ながら俺は既に殿下に対して好感を持ってしまっていた。


 俺の経験上貴人というのはそれなりに突き抜けてしまえば案外付き合いやすい連中が多い、あまりこちらの身分や立場にはこだわらないところがある。王立大学院アカデミーでも俺を小商人の子倅と蔑んでくるのは大抵が役人や下級貴族の出だった。王族や大貴族出身の者からすれば役人も下級貴族も庶民も全部同じに見えるらしい、それら全てをいちいち蔑んでいれば一日の大半をそれに費やさねばならない。そんなことよりも彼らは学問的欲求からむしろ庶民の生活を積極的に知りたがったものだ。


 だから俺にはいわゆる『偉い人』に対する嫌悪感のようなものはない。


 しかしその中でもこの人はなかなかの聞き上手だった。その証拠に自分の素性やこの任務に就くことになった経緯などずいぶん言わでものことを喋ってしまっている。


 その代わりに俺もパンジャリーの国内情勢などをある程度知ることができた。本当に重要なことは何も話していないのだろうが、情報収集の甘さで今回思いっきり勇み足を踏んだ自分としては充分にありがたい内容だった。


「何、このような話、地獄まで持って行っても仕方ないのでな」


 残念ながらそこまでの自虐的な冗談に上手に返せる方法は王立大学院アカデミーでも学んだことはなかった。




 昼を少し回ったところで進行方向から今日何回目かの伝令がやってきた、これまでの段階ではまだ何も怪しい動きは掴めていない、だが今回は少し様子が違った。


「前からなんか怪しい馬車が来るぜ」


 伝令からそのように伝えられると、いよいよか、と全員が色めき立った。


「慌てるな、まだ何もわかんねえ」


 伝令に詳細を確かめる。


「どんなんだ」

「幌馬車だ、中はよく見えねえ」

「大きさは」

「そんな大きくねえ。人を乗せるなら五、六人くらいかね、多くて八人、十人は無理だ」


 なるほど、襲撃者であれば微妙な感じだが警戒は必要な規模ではある。


「このまま行けばどのくらいでぶつかる」

「半時間ぐらいじゃねえか」

「わかった、お前もまだ戻らずに俺たちと同行しろ」


 たちまち戦闘になるとは思わないがとりあえずこちらの人数を増やしておく、殿下の隣で寝ている奴も勘定に入れてこちらは八人になる。万が一何かあったとしても人数だけは互角以上だ。




 警戒しながら進むと伝令の言った通り、その幌馬車は半時間で視界に入ってきた。


 なるほど確かに怪しい、何らかの商品を積んでいるのなら雨でもないのにあそこまですっぽりと覆い隠してしまう必要はない。


 道幅は狭いが互いがすれ違えない広さではない。檻車を片側に寄せたにも関わらず向こうは道の真ん中を譲ろうとはしていなかった。こちら側に対して何らかの意図があるのは明白だ、だがそれは襲撃のつもりではないだろう。


「馬を止めろ」


 俺はシュラッガに命じた。


 こちらの動きを見て幌馬車もその移動を止めた。同時に兵士の格好をした男が五人、周囲を伺いながらその中から出てきた。所属が分かるようなものは何も身につけてはいないが、そのようなことは考えるまでもなくパンジャリー兵に決まっている。


 彼らはこちら側に来るわけではなく、隊長らしき男を含む三人だけが道沿いの林に分け入り、その場所から手招きをした。


 このような場所で密談もできまいが、殿下には聞かせたくないし顔も見られたくないということだろう、こちらも同じように三人で林に入った。


「こっちまで出張ってくるとはな」


 実のところ内容はわかっている、これは予想していた事態だが、ありうるなら国境の向こう側での話だろうと思っていた。


 俺は相手の隊長らしき男に尋ねた。初対面で何だがまずはこいつの顔が気に入らねえ。


「名前は」

「悪いが言えぬ」

「用件は」

「あの囚人を殺せ、銀貨三〇〇出す」


 その内容と金額にこちらの二人、リフキーン、ビアネスの両名が息を飲んだ。




 王太子派はすでにビムラ側に潜んでいる可能性がある、もしかすると奪還作戦はこちらで行われるかもしれない、国王派がそれに先んじて殿下を亡き者にしてしまえ、と考えるだろうという必然性はあった。


 しかしビムラ中央会議とすればやはりそれは責任問題になる。殿下の暗殺事件は別に起こってもいいができればパンジャリー国内でのことにしてほしい、そのために独立軍によって国境は固められているはずだった。本来なら許されることではないが、その事情を知らない警備兵がこの程度の人数ならと鼻薬を嗅がされでもしてこいつらを通してしまったのかもしれない。


「それはできねえ、帰んな」


 考える間もなく断った。この展開を予想した時点でたとえ報酬がいくらであっても受けるつもりはなかった。


 しかも報酬は銀貨三〇〇、ずいぶんとケチってきた。それは仕事の単価と楽さで考えれば高額だが殿下の身分を考えれば安すぎた。本来ならその十倍でもおかしくなく、パンジャリーが本気で内戦を避けようと考えるならそのさらに十倍でもよかった。


 ――差額を抜くつもりかもしれねえ。


 さすがに三万枚や三千枚はないにせよ、あの馬車の中には銀貨千枚ぐらいは積んでいるはずだ。


 そう考えると目の前の男に対する嫌悪感がさらに増した。


「なぜだ、あの男はパンジャリーへ連れていってもどうせ死ぬんだぞ」

「あの男がどこでどうなろうとそんなことは俺たちの知ったことじゃねえ、俺たちの仕事はあの男をパンジャリーまで連れていくことで全部だ、それ以外は引き受けてねえ。それをそんなはした金で放棄したとあっちゃギルドの処刑人ハンターに殺されちまう」

「それは大丈夫だ、この件はそちらの依頼人も承知していることだ、お前たちの心配しているようなことにはならん」


 ビムラの長老会はそれも許容範囲ということか、政治的に考えれば長老会はパンジャリーに貸しを作り、ビムラ独立軍は警備の不備ということで借りを作る、万々歳だ。


 しかしこっちはたまったものではない、暗殺の実行犯は俺たちにされてしまう。


 たとえ長老会が俺たちを依頼放棄で罰することはないとしても、面子を潰されたビムラ独立軍が許しはすまい、そうなれば俺たちはお尋ね者だ。ギルドに追われるか軍に追われるかの違いでしかない。長老会がそのつもりならこっちも依頼を投げ出すまでだ。


「だとすると俺たちじゃなくて依頼人の契約違反ってことになるな、そんなら仕事はここまでだ。囚人はここで解放する」

「では我々が手を下せというのか」

「それはそっちの勝手だ、好きにするがいいさ」

「ならば仕方あるまい、だが報酬は渡さんぞ」

「ああいいぜ。だが、あのおっさんも殺されたくはねえだろう、ちょうど暇になったところだ、あいつに雇われてやっても悪くねえ」

「貴様ら! 邪魔立てするつもりか!」

「こっちの邪魔をしにきたのはてめえらだろうが!」


 両方の陣営の手が剣の柄にかかった、誰かが抜けばそのまま戦闘になる。


「失せろ、傭兵相手には金を握らせりゃ何とでもなると思ってたんだろうが当てが外れたな」

「後悔するぞ」

「そりゃあ何の後悔だ、お前ひょっとして自分が今ここで死ぬことになるってことがわかってねえのか」


 こいつらをここで殺しておくのもひとつの手だった。人数はこちらが勝っている、腕もそれほどではなさそうだ、やれば負けるとは思わない。だが誰かが手傷を負うようなことになれば困る。先はまだまだだ、脱落者を出すのは早い、というより脱落者を出していいタイミングなどどこにもない。


「傭兵風情が吹き上がりおって!」


 しばらくのにらみ合いの末、向こうの隊長が折れた。柄にかかった手を離し、忌々しそうに林を出て街道に戻った。


 彼らは元通り馬車に乗り、殿下の乗る檻車とすれ違っていった。どこへ行くあてもないだろうがそのまま逆戻りしてこちらと並走するわけにもいくまい、せいぜいビムラ見物でもして時間を潰してくればいい、大して見るべきものは何もないがな。


 とりあえず連中が充分に離れるまでは見張っておくよう一人に後を尾けさせた、これだけでも限りある人員の損だ。万が一戻ってくるようなことがあればこれはもう本気でキャンと言わせるしかない。




 こちらも移動を再開した。


 こんなところで依頼を放り出すつもりは最初からなかった。この暗殺依頼については傭兵ギルドが関与しているわけではおそらくない。長老会が事後承諾で傭兵ギルドに話を通すつもりのはずだ、ならば俺たちが依頼者の裏切りを言いたてたところでそれをギルドに対して証明するための手段はない。ソムデンならそのあたりの裏事情を汲むだろうが、だからといって俺たちに味方するとは限らない。


 それに殿下にこのような場所で誰とも知れないような者に殺されるような終わりは忍びなかった。あの人は同じ死ぬにしても名誉も不名誉も背負ったうえで堂々と処刑台の上で死なねばならない。


 再び檻車の横を歩き始めた俺に檻の中から声がかけられた。


「彼らは余を殺しに参ったのではないか」

「気づいておいででしたか」

「追い払ってくれたのだな」

「それが任務でございますれば」

「しかしなにやら『あのおっさん』などと大声が聞こえて参ったな、それはもしかせずとも余のことであろう」


 無礼極まりない言い草が聞かれてしまっていた。


「はっはっは、なるほど面白い。自分ではこれでも若いつもりでいたが、そなたのような歳の者から見れば確かにおっさんには違いない」


 笑って許してはもらえたようだが、何と返せばいいのか答えようがない。


「そなたは王太子殿下とも歳が近い。そなたのような者が殿下の近くにおれば心強かったのだがな」


 その言葉にも答えようはなかった。




 夕日に照らされて国境の宿場町が見えてきていた。

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