第八話 高貴な囚人



 出発の朝、俺たちは七人ほどで連れ立ってビムラ中央会議の庁舎に向かった。


 囚人の移送など周知されるような話ではない、むしろ秘匿されてしかるべきものだ。だがどこから情報が漏れたのか、いや、その流出元は何も考えていないうちの団員の可能性が高いが、庁舎の門前にはすでに大勢の人間でごったがえしていた。


 百人まではいかないがちょっとした騒ぎにはなっている。飲み物や軽食の行商まで出ているのにはさすがに呆れた。


「なんでこんなに人が」

「親王殿下のお見送りですよ」


 誰に対して言ったわけでもないが、反応を返してきた人物がいた、ソムデンだ。


「あんたまでいるのか」

「や、私は山猫さんのお見送りですけどね」

「逃げ出すとでも思ったか」

「まさか。あれ? 逃げ出そうとか思ってたんですか」

「んなわけあるか」


 内容はともかく金額的にはそれほど大した仕事でもない、本来ならギルドの支部長がわざわざ来るべき理由はないだろう。もうこの男を心の底から信用する気持ちはこれっぽっちもないが、見送りに来たという言葉はあながち嘘でもないようだ。あるいは見極めに来た、ぐらいが正しいのかも知れない。


「ま、ご覧の通りブロンダート殿下の人気は高いんですよ。もっと活躍していただきたい方でしたが、これが最後のお別れというのはいささか残念ですね」

「最後のお別れ、というのは俺たちが無事に殿下を送り届けられれば、ってことでもあるが」

「そう祈ってますよ。それよりそちらの護衛の方の人数が足りないみたいですが」

「減らせるもんなら減らしたかったがそうもいかねえや、見張りを先に行かせてるよ、逆に増やしたぐらいだ」


 結局は十人の予定で組んでいたところを二人増やした。本当はいくら増やしても足りないぐらいだが予算にも限度がある。採算度外視でさらに大勢をつぎ込むことも考えたが、その人数が増えれば増えるほど危険にさらす人間が増えるということでもある。それなら危ない目に遭う人間はなるべく少ない方がいい。


 都合五人を先行させ、一部はもうパンジャリー国内にまで入っている、何かおかしなものを発見したらすぐに報告してくるように手配していた。また近隣の地域で別の任務についている者たちにも何かあれば連絡するようには言いつけてある。


 最善を尽くした後で勝てると思えば戦うし負けると思えばさっさと逃げる、これでも伯父貴に言わせれば目一杯気張ってるということになるのかもしれないが、俺のなりゆきに任せるとはやはりこういうものになってしまう、これはもう性分だ。それが俺に対して他の傭兵たちがとっつき悪く思っている部分なのは先日のことでなんとなく理解はしている。


 だがそれについてのソムデンの評価は悪いものではない。


「なるほど、やはり山猫さんに任せて正解でした。そちらでできなければこの依頼を達成できる傭兵団はビムラにはありません。あ、こんなこと言ってるの他所さんには内緒にしててくださいよ」


 この言いようでは他の町には山猫傭兵団ウチよりももっと優れた傭兵団があるということにはなるか、だが多くの傭兵団では斥候を送る知恵もないということでもある。


 言い方は悪いがこの男は山猫傭兵団ウチを手駒にしようという考えがあるようだ。この若さと才覚だ、それに応じた野心があっても当然だろう。今回は俺がまんまと嵌められた形だが、これはこの男なりの自己紹介という感じさえする。無事に戻ってこれるようならしばらくはその思惑に乗ってやってもいいのかもしれない、利害が一致する限り損はさせないはずだ。




 指定された場所で待機しているとやがて庁舎の門が開き、併設された牢獄から馬に曳かれて檻車が運び出された。それは馬車の荷台部分が檻になっているものである。


 その中に端座しているのがブロンダート親王殿下その人である。


 年の頃は三十の半ば、ここ一月ほどの間の逃亡生活と虜囚の境遇でやつれてはいるが、相貌は端正でありいまだ目に光は失われていない。


 その態度は尊大ではなく、ことさらに卑屈でもない。自らの運命を粛々と受け入れているがまだ絶望してはいない、そのような佇まいだ。その雰囲気だけでも確かにひとかどの人物に見受けられた。


 中央会議の役人に引継ぎを受け、いくつかの書類と檻車の鍵を受け取った。


 檻車を曳く馬はそのまま俺たちに同行するが、御者はここで早々にお役御免だ。このような仕事についてきたがる者がいるわけもなく、手綱は自分たちで預かることになる。馬車の御者は専門職だ、傭兵の中にその技術がある者は少ないが、幸いこれは団員のシュラッガがもともと馬借ギルドから流れてきた者でその心得があった。馬車の経験はないが馬術なら俺も自信がある、不測の事態が起きたとしても自分で何とかしてしまえるだろう。


 もちろんこの分は別に報酬を請求している。


 銀貨二十五枚と少々ふっかけたが詫びのつもりかソムデンはそれをあっさりと呑んだ。




 そしてここからがいよいよ自分たちの仕事になる。


 考えてみれば俺の傭兵としての初仕事だ。もちろん事務長の仕事も傭兵の仕事には違いないのだがそういう意味ではない。


 かつて伯父貴に憧れていた子供の頃、傭兵としての自分を想像したことがある。それは当然のように戦場で颯爽と剣を振るう姿だった。


 長じてからは自分が傭兵になることなどありえないと思っていたら華々しい戦場でもないくせに危ないことだけは危ないというこんなわけのわからない仕事での傭兵デビューだ、皮肉が利いているったらありゃしねえ。


「我々が殿下をパンジャリーまでご案内いたします」


 檻車に歩み寄って恭しく挨拶をした。あとで着替えるつもりで別に傭兵用の皮鎧も用意してあるが、今だけは一張羅を着ている、若さゆえの貫録のなさはいかんともしがたいが、それでもまあまあの身分の役人ぐらいには見えるはずだ。


 おそらくは素性もしれない傭兵に護送される、と聞いていたのだろう、殿下の顔が『おや』という感じに変化した。


「そなたは傭兵ではないのか」

「山猫傭兵団のウィラード・シャマリでございます。道中ご不便をおかけいたしますがお役目でございますゆえご容赦くださいませ」

「そうか、やはり傭兵であるか。余が思っておったのと少々様子が違っておったのでな。面倒をかけるがよろしく頼む」

「承りましてございます」


 これもまた俺ができる最善のつもりだった。


 中央会議の役人からは殿下の扱いについてどのようにすればいいかという話はごく曖昧にしか伝えられていない。単なる囚人とすべきか、それとも身分のある者として丁重に扱うべきかは結局のところ俺の判断に委ねられている。


 訊けば答えたのかもしれないが、俺はその具体的な指示は意図的に抜け落とされたものだと判断した。人気のある殿下を一般の囚人と同じようにぞんざいに扱えば民衆の反感を買うし、丁重に扱えばパンジャリーから文句が来るかもしれない、どちらにせよ傭兵が勝手にやったことにすれば誰も責任を問われなくて済む。


 俺としては道中の平穏のために虜囚にはなるべく反抗的であってもらっては困る。少々下手に出てでも機嫌をとっておいたほうがいいと思った。この格好も安心させるための手段だ。それはうまく効果を発揮したように思えたし、この人物なら初めから必要がなかったような気もした。


「ご要望がございましたら何なりとお申し付けくださいませ、可能な限りはそれに添えるようお計らい致します」


 またこの先親王奪還のために襲撃者が現れ、多勢に無勢で俺たちが負けて捕らわれるようなことがあったとしても最初から親切にしておけば命乞いでもすれば助けてもらえるかもしれないという少々情けない打算もある。


「あんた、そんな風にしてるとほんとに賢そうだな」


 ティラガが笑いながら茶化す。


「ほんとに賢いんだよ」


 と、言い返してやりたいところだが大きなポカをやらかした後なので今はちょっと自信がない。曖昧に笑って流した。


「くれぐれも言っておくが、殿下に乱暴したり偉そうな口を利いたりするんじゃねえぞ」

「わかってるよ、団長を相手にするときみたいでいいか?」

「ほんとはそれじゃちょっと足りねえんだがな」


 ティラガ以外の連中も先日以来ずいぶん協力的になってくれている、俺の方針には異を唱えなかった。言葉遣いがなってないぐらいは大目に見ても構わない。




 ゆっくりと檻車が動き出すと沿道の民衆十数人がわっと群がり、檻の隙間から差し入れのつもりであろう食糧や衣類などをねじ込んだ。ビムラ独立軍の兵がそれらを追い散らすがいくらかはすでに檻の中で、それを手に取った殿下が感謝の意を表してわずかに頭を下げる。その姿が落魄の貴公子然としてまた絵になっている。


「殿下! 御達者で!」

「お元気で!」

「殿下を解放しろ!」


 などという叫びが口々に上がる。それに混じって、


「畜生が!」

「クズどもが! いくら貰いやがった!」


 という罵声も聞こえてくるがこれは俺たちに対してである。


 集まっていたのはただの野次馬がほとんどかと思っていたが、いやはや確かに凄い人気であった。その役者のような見た目に魅了されたり不幸な境遇に同情しただけの者も多いのだろうが、彼らの何割かは殿下にかつて何らかの恩義を受けたことがあってここに来た者たちなのだろう、隣国であるビムラにあってすらこれだ、自国ではどれほどまでに慕われているのか推して知るべしといえた。


 これではビムラ中央会議もさぞや扱いに困っていたに違いない。殿下の亡命を認め身柄を保護することも逆に処断してしまうこともそれぞれに一長一短がある、面倒なことにならないうちにさっさと送り返してしまうのがまだしも穏当な手段だったのだろう。


 そのうちに兵士に排除された人々が俺たちの所まで来て、


「これで何卒、殿下をよろしくお願いいたします」

「殿下を助けてあげてくだせえ」


 などと果物や饅頭が入った袋を押し付けてくる、底の方でジャラジャラいっているのは銅貨だろう。賄賂、というほどではない、それは心付けというのが正しい。


「どうする?」


 といった表情の面々に対し、


「役得だ、受け取っとけ」


 と言った。正規兵なら咎められるようなことだが俺たちは傭兵だ、貰っておいても文句をつけてくる奴はいない。少々嵩張りはするが檻車にでもぶら下げておけば困りはしない。何より自分の母親ぐらいの年齢やそれ以上の老婆たちが涙ながらに懇願してくるのである、これを断るのは鬼の所業のように思えた。


 渋い顔をするビムラの兵士をよそに俺たちの両手に余るほどの品々がわっさわっさと積み上げられた。


「ばあちゃん、安心しな、こりゃあ後でちゃんと殿下にもお渡しするし、なるべく不自由させねえようにすっから」


 一応はそんな言葉もかけた。これはなるべく嘘にはしたくなかった。


「俺ら、完全に悪者だな」


 背中の方でそんな自嘲が聞こえてきた。


 まったくだ、おそらくは無実であろう囚人の護送なんて悪者の役どころ、それも下っ端に決まっている。普通に考えたらこのあとは正義の味方が現れて俺たちはこてんぱんにされるわけだ。それを返り討ちにしてやったところで別にスッキリするわけでもない。




 ビムラ市街を抜けた檻車はやがて城門を出て、東の方へ進路を向けた。


 途中までは名残惜しそうに後ろをぞろぞろと付いてきていた見送りのババアどももここまでくればもう誰もいない。

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