第六話 破格の依頼



 団員たちの教育を始めたことで俺の仕事は格段に楽になった。


 もちろんそれは見習いたちがたちまち読み書きできるようになったという意味ではないが、常に誰かを傭兵ギルドに行かせられるようにはなったのだ。


 見習いたちはギルドに新しい募集がかかった場合、その内容を理解することはできなくても書き写すことぐらいはできるようになった、俺は本部でそれを受け取るだけでいい。


 それでもたった一枚の帳票を写すだけで書き間違い写し間違いは山のようにあって、その解読の難しさに頭を抱えるのは毎回なのだが、とはいえそんなものはすぐに慣れていくだろう、その進歩を喜びこそすれ、嘆くようなことはひとつもない。




 事務長になって三週間ほど、その日俺が気になったのはひとつの依頼だった。


「囚人の移送、十名、銀貨六十枚、って何だこりゃ」


 行先はパンジャリー、これは隣国だ。距離も片道では五日とかからない。


 報酬としては破格に近い、戦時並みだ。だがそのような内容はこれまで聞いたことがなかった。イルミナやティラガにも確認したが、これまでその類の依頼は受けたことがないという。


 依頼主はビムラ中央会議、この街の政府にあたる。ならば普通に正規兵が行うべき案件である。そもそもただの囚人の移送ごときにそれほどの人数が必要なはずがない。その囚人がよほどの大物で奪還の動きがあるというのなら、それはやはり正規軍を動かす必要があるだろう。


「確認、行ってくっかなあ」


 ガキどもの写し間違いの可能性は大いにある、だが内容が確かならば放っておく手はない。胡散臭いといえば胡散臭い、何やら危険な香りが漂っている。それは逆に言えば報酬以上のお宝が近くに眠っているということでもある。




 結局その誘惑に耐えきれず、午前の仕事を早めに切り上げて俺は傭兵ギルドに向かった。


 建物の中に入ってすぐに掲示板に向かったが、件の依頼は既に貼られていなかった。


「マジか、先越されちまったか」


 割のいい仕事は早い者勝ちであるのは承知している。だが無駄足を踏まされたことが不愉快なのも仕方あるまい。


 そろそろ昼になるので腹癒せにここで普段よりちょっとマシな飯でも食って帰ろうかと考えていると、ソムデンの方から俺に声をかけてきた。


「おや、山猫さん、ふふ、来ると思ってましたよ」


 ニヤリ、と笑いながら手に持った台帳を開いて一枚の帳票を見せる。それはまさに目的の依頼で、その内容は本部で見た写しと同じだった。


「目的はこれでしょ、取っときましたよ。ま、込み入った話になりますんでお昼でも摂りながらお話しましょうか」


 通されたのは一階の食堂ではなく、二階にある応接室を兼ねたソムデンの仕事部屋だった。


「いやいや、最近の山猫さん精力的に動いてますからね。小僧さんたちも入れ替わり立ちかりでうちに張り付いてますし、この依頼を任せられるのは山猫さんしかない! って思いましたよ」

「そんなお世辞はいい、どうせそれなりにヤバい話なんだろ」


 そのヤバさは運ばれてきた昼食にも現れている。


 ソムデンがご馳走しますよ、といったそれは挽き肉のソースがたっぷりとかかった小麦のパスタで、下の食堂で出されているメニューの中ではそれなりに高価な部類だ。ヴェルルクスにいた頃はあたりまえに食べていたようなものだが、こちらに来てからは一度も口にしていない。


 奴が毎日こんな上等なものを食っているのか、それとも何か別に意図があって出してきたのか、味を確かめてみないとわからない、もぐもぐ。


「ヤバいかどうかはわかりませんけどね、きな臭い話ではありますよ、正直銀貨六十枚で釣り合うかどうか」

「だろうな、もぐもぐ」

「ウィラードさん、この街は最近来たとこですよね、ビムラ中央会議はわかりますか」

「ま、大体は。長老会、商工会、ビムラ独立軍の合議制の自治組織だろ、もぐもぐ」

「そうです、ここビムラは実質的にどこの支配も受けない独立都市になってますが、名目上は隣のパンジャリー王国の一地方都市です。今度の囚人はこっちで捕縛されたそこの謀反人ってことになってまして、ま、それを送り届けるって依頼なんですよ」

「謀反人になってる、ってことは実際はそうじゃないってことか、もぐもぐ」

「んー、そりゃわかりませんが、まあ何らかのお家騒動があったんでしょうね、どっちが正しいってわけでもなく、ま、勝った方が正しいんでしょう」

「もぐもぐ、んぐ、ご馳走さん、っと」


 傭兵ギルドの羽振りのよさを示すかのようにここのパスタは非常にうまかった。貝殻亭でもせめて週一でこれぐらいのものが出せるようにしたいもんだ。


 早々と食い終わったにも関わらず見計らったようにメイドが食後のコーヒーを持ってきた、このあたりの教育もさすがだ。ギルドの実力を見せつけている、と捉えるのは穿ちすぎだろうか。


 ソムデンは自分の皿にまだ一口も手をつけていない。顧客の手前ということもあるのだろうが、この程度は普段から食いなれているのだろう。『冷めるぞ』という俺の心配をよそに話を続けた。


「ビムラの長老会は伝統的にパンジャリー王室との繋がりが深いんですよ、だからこの依頼はパンジャリーの意を汲んだ長老会が主体になってます。逆に独立軍はパンジャリーを嫌ってるからそんなお家騒動に正規兵を出したくないし、パンジャリー兵を領国内に入れさせたくないんで迎えを寄越すって話も断ってます、だからギルドに依頼が回ってきたわけです。商工会は中立です、この件には噛んでません、まあその予算がもったいないぐらいは言ったかもしれませんがね」

「なるほど、パンジャリーでも軍を動かしたいってことはやっぱ囚人奪還の動きがあるわけだな」

「あると思いますよ、ちょっと詳細は掴めてませんが」

「こりゃあ博打になるな、銀貨六十枚じゃ割に合わねえかもな」


 これでは襲撃に備えて人員を多めに配置しなければならないかもしれない。


「交渉してみますか? 長老会は増額に応じるかも知れませんよ」

「いや、敵の人数がわからねえ以上いくら増額してもらえばいいのかが見当がつかねえ」

「ですよねえ」


 ここは思案のしどころだった。


 この依頼を達成すれば中央会議にもパンジャリーにも伝手ができる。報酬もさることながらそこからまた次の仕事に繋げていけるのは大きい。だが失敗すればそれは期待できないし報酬ももちろん貰えない。それに成功失敗に関わらず怪我人死人が出る可能性がある。


――囚人を欲しがってる側に売り飛ばすってのもいいな。


 そうも考えた。襲う側にも危険はある、それと天秤にかけてなお奪い返したいほど大事な人間なら銀貨百枚どころかもっと吹っかけても払うかもしれない、それなら誰も戦わなくて済むし、仕事も早く切り上げられる。


「悪いこと考えるのなしですよ、契約違反をすれば怖い人が行きますよ」


 傭兵ギルドは信用第一だ、裏切り者は傭兵はもちろんそれが依頼者であっても決して赦さない。ギルドに所属する処刑人ハンターは凄腕揃いで、それが地の果てまでも追いかけて確実にその息の根を止める。


「仕事の失敗は契約違反にはならねえが」

「失敗ならね、八百長は困ります」


 荷物を護衛する傭兵とそれを襲う賊がグルになって積み荷を奪うことがある、ギルドはそのようなことにも目を光らせている、バレたら一網打尽だ。


「どうします、保留でもいいですが。それなら他所にも紹介させてもらいますんで早い者勝ちってことになりますが」

「いや、前金二十、成功報酬で六十にしてくれたら今請ける」

「わかりました、それで手配を始めましょう」


 どうやらソムデンもそのあたりが落としどころだと考えていたようだった。




 夕刻、貝殻亭にギルドからの伝令が来た。


 前金で銀貨十枚、成功報酬で七十枚なら、とのことだった。


 この辺はさすがにわかっていやがる、前金が二十なら国境を越えたあたりで襲撃を受けたとしても、そこで逃げ出してしまえば信用はともかくこちらに実質的な損害はない、それは許さないといったところか。


 俺は伝令にその条件で構わない、と伝えた。


 命のかかる任務だ、本当はこれに参加する団員には先払いで銀貨二枚ずつぐらいは報酬を渡してやりたかった、それだけあれば出発前に妓館に命の洗濯にでも行ける。今回はそれに足りない分は団のヘソクリから出すしかないだろう、これもようやく貯めはじめたばかりなのだが。




 仕事が決まってしまえば次は人選だ。


 今度の仕事はあまり遅くなるようでなければ日程もこちら主導で組める、ならば現在任務中の団員の帰還を待ってでも最精鋭であたるのがいいだろう。


 まずは団長に話を通す。


「とまあ、そういう依頼なんだが」

「そうか、まずまずの報酬だな」

「伯父貴は参加するか」

「任せる、好きなようにやれ」

「またそれかっ! もういい、あんたは来なくていい」


 伯父貴は団長だけあって少々歳は食っていてもまだまだ戦力的には期待できる、だがこの親爺を勘定に入れると俺の精神が保たない。


「それで俺か」

「まあお前は外せんよな」


 相も変わらずティラガに頼る俺である。


「他の九人の人選も俺に任せてもらえるのか」

「いや、あと八人だ」

「残りの一人は」

「俺が行く」

「マジか! できるのか!」

「できるわい」


 盛大に驚かれたがこいつは俺を一体どういうふうに見ていたのか。


 ここしばらく団員たちを見てきたが、ティラガには遠く及ばないまでも山猫傭兵団ウチで強い順に上から十人、となればその中に俺は確実に入ると思う、ならば戦力的には参加して当然だ。


 武術に関して俺に爪を隠した鷹を見抜くほどの眼力はないが、傭兵にはそのようなタイプはいない、これは断言してもいい。むしろ実力以上に強そうにしたがる奴ばかりだ。そして結局のところ強そうな奴は強いし弱そうな奴は弱い。


 そうでなくとも今回は道中で何らかの判断を迫られる可能性があった、実のところ自分が行くことは早い段階で決めていた。


「事務長の仕事は大丈夫なのか?」

「俺がいない間の段取りはもうだいたい組んである、突発的に何かが起きたらイルミナとガキどもで何とかする。だからイルミナだけは人選から外しておいてくれ」

「む、それは構わんが」


 イルミナもあれでなかなか強い。その強さは剣技や格闘技といった種類のものではないが、外見では油断を誘えるし、ナイフを扱わせれば斬るのも投げるのも自由自在だ、大の男二、三人分の働きは充分にする。その力量がティラガの見る目にどう映るかはわからないが、俺の見る限りは上から十人に入る可能性はある。


 だが団の運営上は今回同行させるのはさすがに諦める必要があった。


「たまには俺が本部にいないのもいいだろ」

「……それはそうかも知れんが」


 ティラガは言いにくそうにしたが、俺の存在を煙たがっている団員はまだまだ多い。往復で十日ほどの間留守にすれば彼らの息抜きにもなるだろう。


 理解者もぼちぼち増えてはきている、ガキどもに交じって勉強会に参加するようになった奴も出てきた。だがその横を舌打ちしながら通り過ぎる者はそれより断然多い。


 その原因の一つはやはり自分の身を危険にさらしていない、ということになるだろう。安全な場所で楽をしている、というやっかみは簡単には拭い去れない。俺の身に何かあったらそれはそれでたちまち困ることになるはずなのだが、そんなことを考慮してくれる連中だったらどれほどやりやすかったか。




 その不満を封じるためにもいつか敢えて危険に身を投じて見せる必要があった。


 その機会がたまたま今回だったというだけで、それで何かがあればそれまでのこと、という割り切り方ができる程度には鍛えられてもいた。

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