第五話 勉強しやがれ!
「うめえことやりやがったな」
それがここしばらくの俺の仕事ぶりに対する伯父貴の評価だった。
食糧庫は一杯にしたし、ベルケン商会の継続的な仕事を受けることもできた、それはあたりまえにこなしてさえいれば大きくはないが確実な利益になっていく。
ま、あたりまえがあたりまえにいかないのが傭兵というもので、きちんと監視を入れておかないとサボったり逃げたりは日常茶飯事なのだが、その仕組みを作るまでには残念ながらまだ至っていない。これはまあ今後の課題だ。
「今までが雑すぎたんだ」
憎まれ口を叩いてみたが認められたことは嬉しくないわけではない。
事務長になって一週間、差し迫った危機を回避し、溜まっていた書類を片付け、全体的な仕事の流れを把握してそれでようやく俺の仕事は落ち着き始めていた。
これで次の手が打っていける、というよりここからが本当の出発だ。これまでは出発の準備すらできていなかった。
だが懸念がないわけではない、俺は本当に出発してしまってもいいのだろうか。
「なあ伯父貴」
「何だよ」
「俺の仕事のやり方はこれでいいのか」
「いいも何も、成果は出てんじゃねえか」
「や、ちょっと急ぎ過ぎたかと思ってな」
もちろん自分の感覚では急いではいない、絶対に必要なことをどうにもならなくなる前に終わらせただけだ。だが誰もが俺と同じ速さで歩けるわけではないのだ。物理的な速度なら誰もがわかるが、変化の速度は目に見えるものではない。それはまだ小さな違和感に過ぎないのだろうが団内の雰囲気が明らかに変わってきていた。
団のプラスの変化は、それはまだまだパンではなく芋や雑穀のままだが、本部にいる連中には腹一杯の飯を食わせることができていて、それで足りなければまた仕入れられる程度には団の懐具合も良くなってきたということだ。だがその要素があるがために敢えて言い出すことのできないマイナスの感情が溜まってきているようにも感じられた。つまりは窮屈になっているのである。
多分団員たちは言いたいことをうまく言葉に表せないでいる、それはこちら側から汲み取ってやらねばならない。
パンも肉も腹一杯食いたい、だがそのために新しく何かをするのは御免だ、現状のままでそれをやりたい。というのがおそらく偽らざる無意識の本音であり、その本音を満足させることなどもちろん不可能だ。団員たちの意識改革を行っていかねばならないがそれもまた一朝一夕にできることではない。
「なるほどな、お前の言う通りかも知れん」
「だろ」
「でもまあお前の好きなようにやってみろ」
「またそれかよ!」
結局は丸投げだった。一応は『責任は俺がとる』とは言ってくれているのだろうが、それにしてもあんまりだ。『あんたのためにやってんだ!』と、どやしつけてやりたくもなる。
この段階で俺は団員たちがさらに窮屈に思えるようなことをやろうとしていたのだ。もちろん嫌がらせのためではない、それが必要だと思うからだ。
もはや毒食えば皿までの心境である。逆にとことんまで追いつめてやれば問題点がわかりやすい形で噴出してくるかもしれない。
次の策、それは団員たちの教育である、読み書き計算をできるようにすることだ。そしてそれが歓迎をもって受け入れられることはないであろうことを俺は重々承知していた。
傭兵団は大抵どこでも子供の見習いを抱えている。飯とわずかな小遣い銭で団内の雑用をやらせる存在だ、仕事にも同行させて身の回りの世話をさせたりもする。
その多くは小作や行商の次男、三男坊などで口減らしのために預けられたものだ。預けられたとはいえその実態は捨てられたに近い、上の兄弟に何かがあれば実家に帰れもするが、基本的には三年ほどの見習い期間を経て十五歳前後でそのまま傭兵になる。中にはかつてのイルミナのような孤児もいる。
中古の黒板を調達して取り付け、座席の方向を変えただけだが、貝殻亭の一階の隅を教室に改造した。
紙は新しいのを買えばそれなりに値は張るが、これは廃棄予定の書類が山ほどあった。これだけは前任者がズボラであったことに感謝した。裏が白紙になっているものを帳面として再利用する。教材は俺が昔使っていたものが実家に残っていたので人を遣って持ってこさせた。数は足りないがそれは各々に書き写させればいい、読み書きの上達には手ずから筆写する以上の早道はない。
いきなり強制するというのも委縮させるだけかと思い、まずは有志からと夕食後の勉強会への参加を募った。
ちゃんと周知はできていたと思う、だが想像した以上に生徒は集まらなかった、生徒をガキ共に限ったわけではない、すでに一人前の傭兵としてやっている連中ももちろんその対象である。
ここで読み書きを身につければ二年後には俺の後釜に座れて給金も倍以上に跳ね上がるというわかりやすい餌があるにもかかわらずこの有様だった。
いやね、正直なところこの近辺で俺に匹敵する学歴の教師はいないと思うんだ。
自慢するわけじゃないですけど
もちろん教師の能力は学歴がすべてではないですけれども、それでも無料タダでやってやろうって言ってるんだからちょっとぐらい有難がってくれてもいいんじゃねえかな!
「やっぱ嫌われてんのかな、俺」
「そうかもしれませんね」
イルミナは容赦ない。
彼女は一人だけ集まった生徒に文字を教えていた。とはいうもののそれは団内最年少のリューリックとかいうガキでまだ十歳だ、やっていることも文字の書き取りというよりはお絵描きに近い。どれほど仕込んでもものになるのはまだまだ先で、ここにいるのも単にイルミナに懐いているからに過ぎない。ガキのくせにこんな愛想も色気もない女に懐くとは変わり者もいいとこだ。こいつは女というよりおとこ女だ。可愛いくはあるがそれは女としての可愛さではない、と思う。
小遣いか菓子でもやって釣るしかないか、などと考えているところへティラガが通りかかった。
「何だ、まだ始まってないのか」
一応勉強会をやることは知っていたようだ、だが本人は別に参加するつもりでもないらしい。
「始まってるよ、誰も来ないだけだ」
「そうか、誰か来るといいな」
完全に他人事だ。
俺は帰ろうとするティラガを引き留めた。何となく困った時のこいつ頼みになってるような気がするが、そんなことを考えている場合ではない。
俺としては誰でもいいから次の事務長を育てなければならないのだ、さもなくば二年たってもまだ俺は傭兵でいなければならない、この際こいつで良かった。
「まあ待て待て、お前ちょっとここで勉強していけ」
「何でだよ」
「いや、いいぞ勉強は。読み書きが出来たら役人にもなれるぞ、そしたら女にもモテる」
自分でも適当なことを言ったつもりだったが、考えてみればこいつが読み書きできるようになったら将来一国の将軍ぐらいは充分に務まるような気がする。俺が宰相、こいつが将軍、そういう未来も悪くない。
「もう充分にモテてる、それにしばらく女はたくさんだ」
それはそうかも知れなかった。傭兵というのは案外女にモテる、酒場女や町娘を問わず真面目一辺倒の奴よりははるかに女受けがいい。この男は彼氏にするには少々でかすぎるきらいもあるが、それでもなかなかの男っぷりだ、放っておかない女はいくらでもいるだろう。
ただ悲しいかな結婚相手となれば真っ先に除外されるのもまた傭兵だ、なにしろ将来性がない。給料も安く、家族を養えるほどにはもらえない。
なにしろ団長であるうちの伯父貴ですら妻子はいないのだ、それが実家の店を俺の親父に譲ったためと考えれば申し訳ない気分にもなる。ただあの人の場合はそこそこ若い頃から団長をしていてそれなりの収入があったはずなので、その気になれば結婚ぐらいはできていたと思う。
しかし何があったかは知らないがティラガには女がいらないとなると説得は難しい。俺たちの年齢で女以上に重要なことなどあまりない。
「ティラガ様、お疲れ様です」
「お疲れ様でーす」
俺が何とか説得をと考えあぐねていたところへ見習いどもの一団が顔を出し、口々に大きな声でティラガに向かって挨拶をした。そこには尊敬や憧れというものが込められている。それは俺がかつて伯父貴に抱いていたものと同じ種類のものだ。人望もあるのだろうが、やはり強いということはそれだけで少年の心に熱いものを感じさせる。
「おでーす」
俺への挨拶は適当なものだ。ガキどもからすれば新参の俺はいまだ『何をやってるかよくわからない人』なのだろうが、悪気なくこうもあからさまに差をつけられるといっそすがすがしい。すがすがしいだけで不愉快は不愉快だが、思いっきり不愉快だが。俺だってこいつほどじゃないにせよそこそこ強いんだが。
「お前、ガキどもに人気あるな」
「あ、ああ、お蔭さまでな」
俺は一応ティラガの上司にあたる。ガキどもがその俺と自分との扱いに露骨に差をつけることに少々バツが悪い思いをしているようだが、その気遣いもそれはそれで腹が立つ。
「お前、あいつらにここで勉強していくように言え」
「待てよ、希望者って話じゃなかったのか」
「だから俺は強制しねえ、お前がするんだ、希望させろ」
「って言われてもなあ」
「お前、あいつらの将来に責任はねえのか? あいつらだってじきに一人前の傭兵になるんだぜ。お前の子分に読み書きのできる奴がいたら便利だろう。それに万一怪我なんかして傭兵を続けられなくなっても計算ができりゃそれで何とか食っていける。」
ぐっ、とティラガが言葉に詰まった。どうもこの辺がこいつの泣き所のようだ。馬鹿にするつもりはない、仲間思いなのは美点で弱いものに優しいのは美徳だ。人の上に立つ者に必要な資質でもある。
言葉で丸め込まれたことに不本意そうではあるが、ティラガは仕方なくガキどもの説得を始めた。なかなか大した人徳で二言三言話すだけで見習いたちは内心はともかく表面上は大人しく勉強する気になったようだ。
「事務長、ティラガ様もここで勉強するんですか?」
着席したガキの一人から質問の声が上がる。それは彼らがぜひそうしたい、という期待でもある。
「事務長ではない、これからここで勉強する時は先生と呼びなさい」
俺も久しぶりに口調を変えた。ヴェルルクスにいた時は大体このような調子だったが、それももうずいぶん前のことのように思える、だがそれからまだ二ヶ月も経っていない。
「先生、ティラガ様は字が読めるんですか」
「いや、ティラガ君も君たちと一緒に勉強するんだ、君らに見本をみせてくれるぞ」
嫌がらせに外堀を埋めてやる、こいつらに勉強しろと言った手前自分はしないとは言い出せまい、ざまあみやがれ。
降参、といった体でティラガも席に着いた、それを見て少年たちも湧いた。
こうして貝殻亭での勉強会は開始された。
ここにいる誰もがこれまで生きることだけで精一杯で教育の機会など与えられてこなかった。世の中に学問というものが存在するということを知っているかどうかさえ疑わしい。始めるのは初歩の初歩からになる、それは字の読み方や書き方ではない、挨拶や、姿勢や、ペンの持ち方だ。
それでも希望は感じられた。ここは小さな教室で、今から始まるそれは小さな一歩に過ぎない。だが俺にはこれが将来世界を変える大きなうねりになるような、そんな予感さえしていた。
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