第三話 働いていない!



 伯父貴に貝殻亭一階の奥に案内され、俺の仕事場として一室をあてがわれた。前任の事務長、ホーグが使っていたそのままの場所である。そのホーグは団長が留守にしている間に勝手に退任して一月ほど前にいなくなったらしい。仕事の引き継ぎも何もあったものではない、全てを手探りで始めねばならなかった。


「うへ、なんだよこれ」


 そこは夥しい書類の山だった、机、棚はおろか床までも一杯に紙片が広げられ、しかも全く整理がなされていない。内容も日付もまちまちなものがただ単に積み上げられているだけで、その表面にはうっすら埃がたまり始めている。


「まずは掃除からかよ、これを片付けるだけでも一苦労だな」


 これまでこれでよくやってきたな、というのが正直な感想である。仕事を手探りでというのが比喩でもなんでもなく文字通り手探りだ。


 ほとんどの書類は廃棄していい、というかさっさと廃棄してしまわないと整理がつかない、それは仕事の受任も履行も報酬の受け取りも全てが完了した分である。


 ただ仕事の中には農場での収穫とその作物の運搬のように毎年決まった時期に継続して行われるものもある、それらの契約書がこの中に埋まっている可能性がある以上、十年以上前の古い日付だからといって中身を見ずに捨ててしまうわけにはいかない。この山のすべてに目を通す必要があった。


「悪いな、手伝ってもらって」

「いえ、仕事ですから」


 とりあえずの助手として団長にはイルミナを付けてもらっていた。昔、俺が教えていたことがあるので、彼女は一通り読み書きも計算もできる、本来ならば事務長候補の一番手だったはずだが、その性格が徹底的に事務長に向いてなかった。人付き合いが下手すぎるのである。単なる予定管理や物資の手配ならば充分以上にこなせる能力はあるのだが、営業の能力が皆無では新規の仕事が受注できない。


 読み書きはできなくてもある程度社交的な人間と早いうちに組ませておけば俺がこうして穴埋めをしなければならない状況にはならなかっただろうが、それは前任者が許さなかったのだろう。今さらぼやいても詮ないことだった。


 ひとつひとつ書類を片付ける中で、いろいろなことが分かってきた。


 簡単に言えばこの書類の積み上げ方以上に内容はいい加減だったということである。


 例えば貨物運搬に五人が必要だという依頼を受け、当日になって十人の傭兵を派遣して十人分の賃金を要求する。強引に押し通して向こうがそれで応じればよし、駄目でも七、八人分の予算を勝ち取り、その仕事を十人で行う、当然一人当たりが受け取れる日当はその分少なくなる。


 このようなことを当たり前にやっていた。これはおそらく山猫傭兵団に限った話ではなく、どこの傭兵団も同じようにしているのだろう、さもなくばとっくにうちが受注できるような依頼はなくなっているはずだ。


 だからこそ傭兵というものに対する社会的な信頼は低いのだ。


 商人は商品の運搬に余分にかかった予算を商品に上乗せする、当然物価は上昇し、その影響を強く受けるのは収入の少ない層、その中には我々傭兵ももちろん含まれる。何のことはない、傭兵は自分で自分の首を絞めているのだ。


 そしてこれは他の傭兵団はどうだかわからないが、うちの傭兵は仕事をしている期間が少ない。これはさぼっているわけではなく、待機期間が長いのだ。平均して月の半分、ひどいときには二十日ほども仕事を休んでいる。


 例えばここビムラから他の街へ貨物運搬の仕事を片付け、着いた街でビムラに戻る依頼を探す。だがそういつも都合よく依頼があるわけでもなく、そこで無為に時間を潰すことになる。あるいは漫然とビムラに戻ってきてから次の仕事を探す、などということを当たり前にやっていた。これでは収入が増えるはずもない。


 戦場の仕事はわりと積極的に引き受けていた、これは日当で考えれば普段の倍ほどの収入になるし、拘束される期間も長い、が、これがなければとっくの昔に干乾びている。戦時に稼いだ蓄えを平時で食いつぶしているようなものだ。

 俺が見た限り改善できる点はいくらでもあった。


 それができれば満座の中で言い放った「毎日パンと肉を食わせる」といった約束を果たすことは難しくない、あくまでも「それができれば」ではあったが。


 伯父貴は一応


「ひとまずお前のやりたいようにやってみな」


 とは言ってくれてはいるが、それを真に受けるほど単純でもない。長年にわたって続けられてきたことは無意識にこびりついて動かしようのない常識となってしまっている、改善を性急にしようとすればそれは必ず反発を生み、俺の立場を危うくするだろう。俺の立場など最終的には投げ出してしまえばどうということはないが、それで伯父貴の面目を潰すのは最後の最後にしておきたかった。




 何より先にやらねばならなかったのが現在待機中の連中の仕事の手配であった、それは書類の整理を始めてしばらくして気づいた。


 前任者がいなくなって一月、その間新規の受注業務が全くなされていなかった。現在ビムラにいて何らかの継続的な任務に就いていない者、その数およそ百名以上の人間についてこの先の予定が完全に空白だったのだ。しかもこれは把握できた分だけである、俺に与えられた部屋の中をいくら探しても山猫傭兵団に所属する団員の名簿は見つからなかった。


 誰も、伯父貴ですらこの状態に何の疑問も持っていなかったというのはさすがに恐れ入った。今朝貝殻亭にいた五十人ほどの連中も単に俺の顔を見にきて、その後はただ仲間内で駄弁るためだけに集まっていたのだ。


 悠長にしている場合ではなかった。俺は書類整理を中断して大急ぎでこの街の傭兵ギルドへ向かった。


 傭兵団が新規の仕事を請け負うには懇意の領主、商人、有力者などから直接持ち込まれる場合と傭兵ギルドで募集をかけられているものに応募する場合が主である。


 俺にはこれまでの山猫傭兵団と付き合いのある人々が把握できていない、また把握していたとしても一度に百人以上の仕事を手配できるとは考えられない以上、まずは傭兵ギルドに行く以外の方法はなかった。


 ビムラの傭兵ギルドは貝殻亭より歩いて一時間程度の距離にある。


 大抵の商工ギルドの勢力範囲はその街のみ、広くてもその国かせいぜい近隣諸国までだが、傭兵ギルドだけは大陸全土に一つしかない巨大組織である。もちろんビムラにあるのはその支部だ。


「山猫傭兵団だ、支部長はおられるか?」


 俺はギルドの門をくぐった。


 店の造りは貝殻亭と似たようなもので、一階では食事ができるようになっていて傭兵同士の情報交換の場だ。その壁面は半分が掲示板になっていて、現在募集中の仕事が書かれた紙片が雑然と貼られている。


 昼食の時間帯を過ぎているので中にいる人間は少なかった。ゆえに声がよく通る、入り口で挨拶したにも関わらず奥にあるカウンターにいる受付の人間が反応してくれた。


「あれ、山猫さん? って、いつもの人じゃないんですね」

「ああ、新しく事務長になったウィラードだ、不馴れなんでいろいろ教えて貰えるとありがたい」

「ははあ、前の人しばらく来なかったからそんなことじゃないかと思ってましたが」

「お蔭で難儀してるよ」


 受付の男は若い、とはいえ俺よりはいくらか年上に見える。


「自分はここの支部長のソムデンです、どうぞこちらへ」


 俺はソムデンに促されて受付のテーブルに着いた。


「早速だが仕事を請け負いたい、何でもいい、とりあえず百人分だ」

「百人分! 山猫さんのところそんなに人余ってますか!」

「ああ、恥ずかしい話だがかなり遊ばせてるんですぐにでも動かしたい。この際少々割の悪い仕事でもいい、何もさせないよりはましだ」

「とはいえ今すぐに百人分はさすがに難しいですね」


 ソムデンは台帳を捲っていくつかの帳票を俺に差し出した。それらには仕事内容、開始日、報酬などが書かれてある、ほとんどが商品の運搬か商隊の護衛だった。それら全部を合わせても五十人分の仕事にも満たない。


「あまりいいのが残ってなくて申し訳ありませんね。期日の近い仕事でしたら今はこの程度です、他のは仕事開始が少し先の日付になります」

「それらを早めてもらうことはできないか、報酬が安くなってもいい」

「そういうことなら依頼主さんとの交渉次第ですかね、附票を回しますから直接お話ししてもらえますか、あとその場合でも手数料は変わりませんよ」


 ギルドを通して請け負った仕事は一割五分の手数料を支払わなければならない、銀貨十枚の報酬なら銀貨一枚と銅貨五十枚がギルドの取り分だ。それを依頼主との交渉で銀貨九枚にして請け負ったとしてもギルドに支払う手数料は変わらないということだ。


「突っ込みをしないなら手数料の件は考えてもいいですが」

「突っ込みとはなんだ?」


 知らない言葉が出てきたので尋ねた、知ったかぶりをしてもあまりいいことはない。


「ありゃ、突っ込みを知りませんか」

「済まない、こっちも突然傭兵団の事務長なんてものを任されたんでわからないことが多いんだ」

「まあどこも色々ありますからね。突っ込みというのは一度請けた仕事に当日になってそれ以上の人間を現場に入れることですよ、多いんですよ、そういうの」


 なるほど、書類を調べていた時にあったあの事例は突っ込みというのか、と得心がいった。


「わかった、それはしないと約束する、だから手数料の件もよろしく頼む」

「ほんとにしませんか?」

「しない、したくない。その行為を突っ込みと呼ぶということは知らなかったが俺もそんなことは良くないと思ってたんだ、傭兵が軽く見られるだけで結局は自分たちのためにならない」


 ソムデンがおや、という風に俺の顔を見つめた。


「いや、お若いのになかなかわかってらっしゃる、こりゃ今後は山猫さんを贔屓にしなきゃならなくなるかも知れませんね」


 半ばはお世辞だろう、だが半分には期待が込められている、それだけ他の傭兵団も質が悪いのだろうと察せられた。俺を上手に仕込んでギルドに都合のいい仕事をさせるようにすればソムデンの評価にも繋がるのだろう。


「ではこちらの四十五名分は契約成立ということで手配しておきます。こちらは期日が一週間以上先の仕事の帳票になりますので個別に依頼主さんに交渉してください。それと私からの紹介状、これがあればどの依頼者さんもお話は聞いてくれると思います」

「ありがとう、助かる。それからギルド番の部屋に空きはあるか?」


 ギルド番とは傭兵団から派遣されてギルドの建物にデスクを構える役職である。これを置いておけば割のいい仕事の募集が出た時にいち早く契約を結ぶことができるし、ギルドに集まる有益な情報を察知することもできる。気は早いが近隣都市全ての傭兵ギルドに置きたいぐらいだった。もちろんそれには読み書きのできる人間の育成を必要とするが、どうせ自分の後釜を早く育てねばならないのだ、その手間は変わらない。


「おろ、事務長になられたばかりでもうギルド番を置きますか」

「まあ早いうちにな」

「どなたか候補者がおありで?」

「それはまだだが」

「それは残念。まあ空きはいつでもありますから仰っていただければ部屋はご用意できますよ」


 俺はソムデンから書類の束を受け取ってギルドを後にした。


 これらの契約が成立すればとりあえず現在待機中の団員すべてに仕事が行き渡る、ぐずぐずしている暇はなかった。




 それから半日をかけてすべての依頼主にあたり、可能な限りの契約を結んで本部に戻った頃にはもう夜もすっかり更けていた。


 苦労の甲斐あって全員分というわけにはいかなかったが、三日以内には八十名ほどの人間が仕事に入ることができる。


「そんでこの仕打ちかよ」


 本部で用意された賄いはすでに食い尽くされていた。大皿には芋の切れっ端がわずかに転がるのみで、さすがにこんな食べ残しを浚ってまで食う気にはなれなかった。


「こんなことならどっかで買い食いでもしてくりゃ良かった」


 スープも冷めたのを通り越して冷たくなっている、とりあえずはそれを少しだけ飲んだ。


「やっぱまずいな」


 温かくても大して旨くないものは冷めたら極端にまずい。かつて王立大学院アカデミーで行軍実習をしたときの兵糧もあえてひどいものを用意したと聞いているが、これよりはずいぶんましだった。


「おう、お疲れ」


 本部に顔を出していたティラガが声をかけてきた。


「食えよ、就任祝いだ」


 手に持った林檎の果実を投げてよこす、俺はそれをありがたく受け取った。果物の味は多少の差はあるにせよ貴族の食べるものも傭兵の食べるものも大きくは変わらない。


「うまい、昼から何にも食ってなかったんで助かった」


 本来ならば傭兵団の身内同士で食糧の遣り取り、金の遣り取りはご法度である。団内で強者が弱者から金品を脅し取るようなことが常態とならないための措置だが、林檎のひとつぐらいならそう目くじらを立てなくてもいいだろう。ティラガが就任祝いだとわざわざ言ったのもその辺に気を遣ってのことかもしれない。


「さんざんだったな」


 これは全くそのとおりで、一日中駆けずり回って仕事を取ってきたにも関わらず、先立って俺が割り振った仕事の評判はすこぶる悪かった。


 当然だ、期日目前になってまだ募集をかけているような仕事にろくなものが残っているはずがない、どれもこれも労働内容の割に実入りが少ない依頼に決まっている。それもこれも自分たちがこの一月間、新規の依頼を取ろうともせずに遊び呆けていたからなのだが、うちの団員の多くはそんなことを考えられるような頭を持っていない。


「済まん、俺もなんとなくこのままじゃヤバいような気がしてたんだが、どうすればいいのかわからなかったんだ」


 その中ではティラガはずいぶんましな方だったようだ。特に何かを説明したわけではないのにこちら側の事情を察してくれていた。


「仕方ねえさ、こりゃあ伯父貴の責任だ、何にも言わないで任せっきりで留守にしてたのが悪い。その尻拭いをするために俺が来たようなもんだ」


 罵声を浴びせられるほどでもなかったが、団員たちにそれぞれ与えた仕事内容について嫌味や愚痴はずいぶん聞かせられた。この程度が王立大学院アカデミーとやらの実力か、と言われたのはさすがに堪えたが、それも甘んじて受けるしかない。敢えて抗弁をせず、言われるがままに任せた。


 ティラガのように少しでもわかってくれる者がいただけでも救われた。


「俺からも事務長が悪いわけじゃないってことはみんなに伝えておく」

「んな気を遣ってもらうようなことでもねえよ」

「いや、俺は感心してるんだ、ここ一月の間、俺たちには時間だけはたっぷりあったのに何をすりゃいいのか全然わからなかった。だがあんたは今日来たばかりでそれがわかっちまった。みんなは文句言ってたが多分あんたがやったことが今できる最善だったんだろう」

「評価してもらえたのは有難いが、今日の仕事は皆が言うように安い仕事だったのはその通りだ、毎日パンと肉からは少し遠ざかったぞ」

「いや、このままじゃ芋も食えなくなるところだった」

「違えねえ」


 俺たちは笑い合った。


「それから急かすつもりはないんだが、俺には仕事はないのか?」


 今回の依頼は八十人分、五人に一人はあぶれる計算になる。俺はティラガには仕事を割り当ててはいなかった。


「これまでは優先的に仕事が回ってきてたか?」

「よくわからないが、多分。大抵は最初の方に名前が呼ばれた」


 傭兵団にもやはり序列というものがある、古株や強い者が優先され、新参やみそっかすが後回しになるのは当然だった。


「悪い、だが意地悪をしたわけじゃねえぞ」

「それもなんとなくわかる、何か考えがあってのことだと思っている」

「考えというほどのこともねえが」


 今回は仕事のほとんどが荷物の輸送か商隊の護衛だった。野盗、山賊が横行する昨今の治安情勢では傭兵を用心棒として雇わずにそれらを行うことは自殺行為に等しい。積み荷を奪われるだけならともかく文字通り命までもが危ない。


 だが賊としても相手を選ぶ、より安全な相手を襲おうとするのは当然で、これらの仕事についてはその荷物の価値に対して適切な人数を配置すれば襲われる危険性は少ない。よほど食い詰めた賊に出会ってしまえばその限りではないが、そこはもう運としか言えない。


 一度送り出してしまえば戻ってくるまで次の仕事に就けるわけにはいかない、俺としてはティラガを確実に荒事の必要な部分に当てたかった、その方がより多くの実入りが期待できる。


 ただ今日すぐにはその当てが見つからなかったというだけである。


「なるほど、知恵者というのはそのように考えるものなのか」

「知恵者とか言うな」


 ティラガは俺の説明に納得した。だがこのようなことは知恵でもなんでもない、そう言われると恥ずかしくなるぐらいにはあたりまえのことだ。そのあたりまえがあたりまえに通用しないのが傭兵の世界なのだ。ならば上は為政者下はその辺の商人にまでいいように扱われるのも仕方がないことなのだろうか。


 俺が想像した以上にその闇は深いのかもしれなかった。

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