第二話 いきなり喧嘩腰



 人口二十万の自由商業都市ビムラ、そこにある宿屋兼酒場、貝殻亭が山猫傭兵団の本部である。


 そこの二階に幹部ほか二十名ほどが起居し、あとは通いである。


 とはいえ傭兵の仕事は一ヶ所に留まることはあまりない、大抵は仕事の旅の空である。


 傭兵、とはいうもののそれが戦場の兵であることは少ない、平時においてはその仕事は多岐にわたる。街や村の守備、商隊の護衛、荷物の輸送運搬、土木建築作業、それら全てが傭兵の仕事である。もちろんそれらの仕事には専門の人間がちゃんと別にいる、その不足分を補うのが傭兵である。荒事を伴う一種の人材派遣業と考えればわかりやすいかもしれない。




 ヴェルルクスより一月半の旅程を経てビムラに到着した次の日の朝、新しい事務長として本部に足を踏み入れた俺を出迎えたのは現時点で本拠周辺で暇をしている五十名ほどの団員だった。


 貝殻亭に来るのは初めてではない、これまでに何度も来たことがある。だがそれはあくまで伯父貴の客としてだ、本日より俺もここの住人になるのだ。


 立てつけの悪い扉を開けて中に入ると店内の視線が一斉にこちら側を向いた。その内訳は好意的なものが三割、反感が四割、あとは様子見といったところだろうか。年嵩の連中はおおむね俺を好意的に見てくれているようだ、気さくに声もかけてくる。これまでの延長で団長の甥っ子という意識らしい。


 だが中堅から若手の連中には面識もあまりない。ゆえに突然来た若造が幹部として自分たちの上席に座ることに不満を隠しきれていない。


 その気持ちはわからなくもない。


 伯父貴と細かい話はつけていないので俺が今後どれほどの給金を受け取れるのかはわからない、だが大抵の傭兵団では事務長の給与は団長に次ぐ、それはおそらくうちの規模なら平団員の倍から三倍、大傭兵団になれば五倍や十倍でもおかしくはない。それを身を危険にさらすことなく椅子に座ったまま貰えるのだ。いかに王立大学院アカデミー出身とはいえ、何の実績もない俺が団長の甥だというだけでその立場に就くことがおもしろいとは思えないだろう。


 それに加えてここに来るまでの道々で伯父貴に聞いた話では前任者のホーグの評判がすこぶるよろしくなかった、ゆえに山猫傭兵団の若手はそもそも事務長という仕事に胡散臭い印象を持っている。


「まあ追々理解してもらえばいいか」


 俺はそんなふうに思っていた。今は少々剣呑な目で見られているが、別に敵として構えたいわけではない、同じ傭兵団の仲間になるのだ。こっちが若造であることに間違いはないので敬意を強要するつもりもないし、できれば仲良くしてもらいたかった。


 だが揉め事は早々に訪れた。


 伯父貴の後に続いて店の奥のテーブルに行こうとしたところ、俺は突然足をひっかけられた、それが故意であることは疑いようもない。


「うお!」


 思わず上げた声ではない、これは意識的に言った。何かがありましたよ、という周囲に対するアピールである。


 体のバランスを崩しながら俺は考えた。


 このまま体勢を立て直すのは難しくない、選択肢は三つあった。


一、単に躓いただけで何もなかったことにする。

二、あえて倒れて道化に徹する。

三、体勢を立て直すついでに俺を引っかけた足を踏みつける。


 特に考えることもなく俺は三を選択した。誰の足かはわからないがなるべく痛くなるように踵を支点に爪先を踏みにじるようにその場で不自然に一回転してやった。やられっぱなしは舐められる、幼稚な嫌がらせには幼稚な仕返しで充分だ。


「ってぇ!」


 足を踏まれた男は大声を上げた。


「ああ、すまんすまん、痛かったか」


 年の頃は俺と大差ないようだった、これなら敬語を使ってやる必要もない。


「てめえ、何しやがる!」


 激昂の仕方もあまり芸がない。


「だから謝っただろう」

「その謝り方がなってねえんだよ!」


 男は立ち上がって俺を睨みつけた。凄んで見せているようだがこちらが物怖じするほどの迫力はない、まあその辺の露天商の親父ぐらいなら脅せるかもしれないが、場数を踏んだ旦那衆には通用しない程度の押し出しだ。その怒鳴り声も王立大学院アカデミーでさんざんに浴びせられた軍事教官の霹靂カミナリに比べたらそよ風みたいなものだ。


 身長は俺のほうが少しだけ高い、体格も大したことはない。傭兵は仕事をしているうちに鍛えられはするが、もともとの体格は貧弱な者が多い。これは子供の頃から満足に食べられなかった層が傭兵という職に就く傾向が高いからであって、この男もどうやらその口らしい。これなら万が一殴り合いになったとしても普通になんとかなる相手だろう。


 もちろん初めから殴り合いなどするつもりはない、この程度の相手は殴るまでもなく屈服させねばならない、さもなくば今後事務長としての仕切りが難しくなる。


 伯父貴も古株の連中も俺の器量手並みを拝見といった体で特に口出しをするつもりはないらしい。


王立大学院アカデミーだか何だか知らねえが、団長の甥っ子だからといって調子に乗るんじゃねえぞ」

「そうか、調子に乗って悪かった」


 俺は睨みつけるでもなく目を合わせた、両手で男の肩を抑え、少しだけ力を込め、強引に座らせた。抵抗しようとしたがその力はさほどでもなかった。


「許してくれると嬉しいのだが」

「お、おう」

「俺はウィラード・シャマリ。聞いている通り団長の甥になる、がそのことは忘れてもらっていい。今日から山猫傭兵団の事務を預かることになったただのウィラードとして扱ってもらって結構だ。不慣れなことゆえ迷惑をかけることもあるかもしれないが、協力してくれるとありがたい」


 有無を言わせぬ口調でこの場の全員に言い聞かせるように名乗った。


「名前は?」

「オ、オーラムだ」

「じゃあオーラム、これからよろしく頼む。俺が調子に乗ってるようならいつでも指摘してくれ」

「わ、わかったよ、事務長」

「ウィラードでいい」

「わかった、ウィラード」


 なんとか穏便にオーラムの反抗の意図を挫き、これでひとつ片付いたかと思ったがそうはいかなかった、この後にはさらに大物が控えていた。


「すまん、仲間が失礼をした」


 これは非礼を謝っているようで実は謝ってはいない、まだまだ問答をするぞ、との意思表示だろう、先の男と同じテーブルにいた大男が立ち上がって声をかけてきた。その巨体はこの本部にいる人間の中でも一際目立ち、強者の風格を持っている。


 身長は俺より頭一つ分以上も大きい、俺が標準よりやや高いぐらいなのでこれは相当の長身ということになる。腕も足も丸太のように太く、胸板は常人の倍ほども厚い。


 これほどの体躯に恵まれた者は傭兵には珍しい。この体があればその気になればどこの国でも正規兵になれるだろう、その方がよっぽど実入りがいいし、出世も期待できる、何より身分が保証される。


 この男とは少しだけ面識があった。とはいえ、互いの顔と名前、そしていくつかの噂を知っているだけだが。


 最後に会った数年前から大きかったが、その時よりもかなり大きくなっている。


 ティラガ・マグス、年齢は確か俺と同じ、ということは通常なら傭兵としてはまだまだ駆け出しかようやくそれを超えたあたりである。だがこの男、すでに戦場で十以上の敵の首を獲っていた。


 意外であるかもしれないが、傭兵が戦場で敵を倒す、ということはあまりない。その経験がある者は二十人に一人もいない。


 そもそも傭兵は戦わないのだ。傭兵団が戦場でどこかの正規軍とぶつかった場合、特別な事情がなければ戦わずに退却するのが常である。たまたま敵味方の傭兵同士が当たったときはよっぽど互いの頭に血が上らない限り睨み合うだけで終わる。


 誰しもが命を永らえるために傭兵をやっているのだ、命がけで戦おうとするなどとは本末転倒もいいところだ、そんな傭兵は基本的にはいない。雇う側もそんなことは充分承知の上で雇っていて、傭兵が配置される場所は兵站や土木工作が主で、戦場にあってもせいぜい囮か陽動、敵が来ないと思われるような部分の守備である。


 であるにもかかわらず、何らかの偶発的な戦闘でそれほどの人数を倒しているというのだからティラガの武勇はただごとではない。団の若手の首領格であるのはもちろんのこと、そろそろ引退も視野に入って来た伯父貴に代わって若くして次期、あるいはその次の団長、と周囲から目されているのも無理ないことだった。


 ティラガ自身それを意識しているのならば、突然現れた俺がその対抗馬になると考えているのかも知れなかった。


「だが俺としても事務長としてのお前が何をしてくれるのかは気になっている」


 ティラガはそう言った、それは喧嘩腰というわけでもない。


 心中をあえて表に見せないようにしているのか、特に好意も反感も感じられない、だがそこには紛れもなく一流の男が持つ雰囲気があった。


 ただしまだ超一流ではない、ティラガの目には俺という未知に対するいくばくかの警戒が見え隠れしている。力に対しては恐れることはないのだろう、だが俺の武器はそんなものではなく、おそらくは彼が対峙したことのないものだ。


 それでも殴り合いになれば俺は到底かなわない、どころか簡単にぶち殺されてしまうだろう。例えそうであるにせよ、こんなところで簡単に気圧されるわけにはいかなかった、それでいて期待も信頼も得られるようなことを言わねばならない。


「毎日パンと肉を食えるようにしてやる」


 俺は答えた。周囲から「おおっ」とどよめきが起こる。半分は感嘆、もう半分はそのようなことができるわけがないとの嘲りか。


 だが俺はこれをある程度ウケたと判断した、さらに言葉を続けた。


「パンと言っても黒くて固くて食ったあとにカスが歯に挟まるやつじゃねえぞ、小麦でできた外はカリッ、中はフワッフワの真っ白いやつだ、それを腹一杯食えるようにしてやる」


 さらなるどよめきが起こり、ヒュウッと口笛が鳴った。


 この時代、庶民が食べるものは芋か雑穀が主である。普段から小麦の食事を摂れる者は人口の上位二割か良くても三割程度だろうか。俺自身これまでの食生活はまあ平均的であったと思われる、恵まれた側には到底入っていなかった。


 それが王立大学院アカデミーに入学して以来劇的に変化した。


 俺はここ三年間、ヴェルルクスのとある貴族の屋敷に下宿していた。一学生とはいえその扱いは客人に近い、当然その家人と同じものを食べてきたわけである。


 下宿初日の食卓には塊の牛肉をワインで煮て柔らかくしたものが並べられ、世の中にはこんな旨いものがあったのかと感激して泣いたぐらいだ。初日だから特別なものが出されたのかと思えばそうではなく、次の日からもそれまでの常識からすれば祭りのご馳走としか思えないようなものが出され、今ではすっかりその食生活に馴れてしまっている。


 ちなみに貴族が王立大学院アカデミーの学生を無償で下宿させることは珍しくない。それは恵まれたものの義務でもあり、将来の各国高官の候補生との繋がりを作っておくことは貴族としても実益のあることでもある、下宿生の争奪競争のようなこともたまに起こる程度にはありふれている。


 俺が傭兵になりたくない理由のひとつはまさにこの点にあった。


 傭兵などというものはろくなものを食えないのだ。傭兵という職業に対する世間の目が最底辺ならその食生活も同じく最底辺に近い。俺にしてみれば一番上から一番下まで一気に転げ落ちたようなものだ。


 懐のあったかい時は山盛りの芋、そうでないときはちょっぴりの芋、それに干し肉のかけらが浮いた塩味のスープ、毎日がそれと言っても過言ではない。せいぜい芋が雑穀の粥になったりするぐらいだ。まずいものが別のまずいものに代わっただけで何もありがたくはない。


 幹部や団長にもなればそれより上等なものが食べられるぐらいの収入はあるが、団員たちの手前これ見よがしに贅沢をするわけにもいかなかった。ヴェルルクスでの伯父貴のようにそれはこっそりと楽しまねばならない類の娯楽だった。


「肉だって最低でも腸詰だ、そんでここの倉庫を肉で満杯にしてやる、そうなりゃ豚でも牛でも食い放題だ。ここの親父が上手に調理できねえなら料理人だって新しく雇ってやる」


 どうだ、お前にここまでの気概があったか、そんなこと考えたこともなかっただろう、とばかりにティラガの目を睨みつけた。いつまでも芋ばっか食って満足してんじゃねえぞこの芋野郎、とは心の中でだけ付け加えた。


 最後の方は大言壮語である、ここの帳簿を見たわけでもないのにそのようなことができるかどうかわかるはずがない。


 だがウケた、その言葉は満座の大喝采をもって受け入れられた。ティラガに対してもその効果はあったようで、多少なりとも満足してもらえたらしい。


「肉か、いいな、それはいい。俺もこの体なんでな、人より多くの飯が必要なんだ」

「まあ仕事中はどうにもならん部分があるが、少なくとも本部にいる時にはそれができるようにはしてみるさ、なるべく早いうちに」


 依頼の契約内容によって食事は自弁であったり用意されていたりまちまちである、特に戦場では支給された兵糧を嫌でも食べるしかない。


「わかった、期待させてもらう」

「俺からも頼りにさせてもらうよ」


 俺はそういいながらティラガの背中を叩いた。その感触は見た目通りに鋼のようだった、その中には力や胆力がこれでもかと詰まっているのだろう。この男とはよき友になれるような気がした。


 視界の端に『俺の甥っ子はなかなかやるだろう』とばかりに伯父貴が満足そうな笑みを浮かべるのが見えた、それには少しだけイラッとした。

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