第七十二話 続・作戦会議
「それでは、現在の状況からご説明いたしましょう」
会議はカルルックの進行で開始された。
「エルメライン殿下はメルサに兵を集結させ、我々に対し、再三にわたって圧力をかけてきております」
そこは王都の北東、途中俺たちが立ち寄った町からは少し北に行ったあたりだ。
メンシアードとその北にあるアーマは歴史的に見て、大国同士仲があまり良くない。現時点で戦の兆候があるというほど険悪でもないが、潜在的な仮想敵国といえる。もしメンシアードの国内で大規模な戦闘になった場合を考えれば、その辺りが第一の決戦区域に選ばれるだろう。
先月の初め、軍はその想定で野戦の演習に出て、そのままそこに居座る形で駐屯しているという。
その数、およそ三千強。
初めに聞いていた数字よりは少しばかり減っているが、だからといって状況が良くなったわけではない。他の兵員についても、軍が掌握したままであることに変わりなく、国境の警備や、各地の治安維持など、もともとの任についているだけ過ぎない。それらもひとたび大将軍の命あったならば、直ちに軍旗の下へ駆けつけてくるはずだ。
「圧力、というのは?」
「エルメライン殿下を次期国王とすべし、との要求について、回答を催促する書状は、既に十通を超えております。それに――」
カルルックはそう言って窓の外に視線を移した。その先にあるのは、この部屋からならば、王都の街並みが一望できた。空気の澱みのようなものが見えるはずもないが、その雰囲気はここに来る前に感じて知っている。
――なるほど、衛兵を引き揚げさせたのはそういうタイミングか。
あえて口にしなかったのは、ロスター将軍の体面を慮ってのことだろう。
この町の規模ならば、常時五〇〇人以上の衛兵が必要であるはずで、それを本職でもない一〇〇人で賄っているわけだから、別に爺さんの力不足とは言えない。治安の悪化を事実として突きつけたところで、責任を追及することにはならないとは思うが、この老人は要らぬ恐縮までしてしまいそうではある。
王都ここの治安を回復させたければ、さっさと軍部こちらの要求を飲め。送りつけられた書状に、まさかそんな脅迫めいた文言が踊っているわけでもないだろうが、内容は要するにそういうことだ。
「こちらからは、先日まで、王都にて会談の場を設けることを提案しておりましたが、今となってはそれもできなくなりました」
これもまた当然だ。向こうがよほどの馬鹿でない限りは、お話をしましょうと呼びかけたところで、のこのこ出頭してくるわけがない。いくら身の安全を保証しようとも、どうせ口だけのこと、と拘束の懸念を解くはずもない。
そして今、こちらにはたった一人を拘束するための戦力すら奪われたに等しい。この期に及んでなお少人数でやって来るなら話は別だが、三〇〇人ばかりも率いてこられれば、ロスター将軍麾下の私兵では相手にならない、それだけで王都の制圧が可能になってしまう。
――こうなると、籠城、しかねえよな。
プリスペリア殿下らは、向こうの要求を飲むつもりはない、ならば交渉はいずれ決裂するであろうことを念頭に置いている。
だが、いざ戦闘となり、少数で大軍を相手にするとなれば、城門を閉ざし、王都の高い城壁を恃む以外の方法はない。
現有戦力ではそれであっても不十分で、本気で立てこもるつもりなら、戦力として大規模に傭兵を集めることになるだろう。野戦では傭兵がどれほどいたところで勝負にならないが、城壁の優位があれば、正規兵を相手にしても必敗とはならない。
そうして時間を稼いでいる間に、相手の兵糧が尽きれば、それで士気は瓦解する。
問題は彼我の兵糧と軍資金にどれほどの差があるか、ということになるのだが、これはかなりこちら側が有利なのではないだろうか。
軍は短期決戦しかできない、そんな気がする。
「基本的にはそういう戦略、ということでよろしいでしょうか?」
「ご明察です。方針としてはシャマリ様が言われた通りになります。国庫は当然のこと、軍の兵糧、資金についても、今もまだこちらがすべて握っています」
これが、ようやく出てきた
飯と金がなければ動けないのは、正規兵も傭兵も同じだ。
メンシアードの軍制において、補給、装備、輜重、予算配分、要するに飯と金の出入りを管理する部署は、一括して文官である軍官僚の支配にあった。
エルメライン派が決起した時点で、軍中においてそれらの職にあった者たちは、その陣営からはほとんどが放り出され、ほうほうの体で王都まで逃げ帰ってきたという。
――大方、甘い汁でも吸ってて嫌がられたんだろうな。
内情はよくわからないまでも、なんとなくそんな予測ができてしまう。
あるいは、武官たちのほうでも、兵糧や軍資金などは言えばどこかから出てくる、そのような意識があったのかもしれない。
「他には、監軍将校なども追い出されてしまったようです。彼らも所属は軍務卿の直属にあたりますから」
「……それらは戦力としてあてになるのではないのですか?」
金や物資の勘定をしていた連中はそうでもないだろうが、軍目付とも呼ばれる監軍将校は、戦場において、誰が手柄を立てた、誰が腰抜けだったと記録し、報告することが職務である。彼らは、敵ばかりではなく、時に都合の悪い報告をされたくない味方からも命を狙われる存在であるわけで、これは軍官僚の強い支配下にあるとはいえ、並の腕、並の度胸では務まらない。
カルルックに代わって、申し訳なさそうに答えたのは、プリスペリア殿下のほうだ。
「……彼らは、軍務卿が手放しません」
――ふざけてんのかコラ。
そりゃまあ、エルメライン殿下が王位に就いた暁には、軍務卿なんかは粛清対象の筆頭に上げられてもおかしくない、万一のために自身の身辺警護に置いておきたいのだろう。しかしそうならないためにも、少しでも戦力はこちらに寄越すべきではないのか。
「……大きな問題を抱える中、こちら側の内部でまで諍うわけにも参りません」
言わんとすることは理解できるが、どうやらこのお姫様も、なかなか苦労しているようだ。
「現在、我々は軍に対して、王都から逐次補給を行っております」
再びカルルックが説明を続けた。
もともと、演習のために二週間ほどの予定で出た軍だ、滞陣の期間は大いに延びて、すでに二月近くにも及んでいる。最初に持ちだされた兵糧はとっくに尽きている。
「つまり、それを止めた時が、開戦の合図だということですか?」
「ある程度はごまかすつもりですが、向こうはいずれ交渉決裂と判断するでしょう」
現時点で完全に軍の手元に渡ってしまったものまではどうしようもないが、その後の補給については、王都からの指示通りにしか物資は動きようがないのである。
補給が来ないことが確定すれば、向こうは手持ちが尽きるまでに、勝負に出るしかない。
が、彼らは直ちに飢えと直面するわけではない。
国の財物は王都にだけあるというわけではない。地方の官倉には、その近隣の地域から税として集められたものが蓄えられている。
米櫃がからっぽになる前には、軍は各地の役場に対してそれらの解放を迫るだろう。王都の外にある国中の財貨が集められれば、かなりの期間王都を包囲することができる、そうなれば飢えに苦しむことになるのは、多くの市民を抱えたこちら側だ。
いや、そうなれば餓える前に暴動が起こって、王都は陥落する。
「完全に城門を閉ざしていられるのは――」
「王都に蓄えられた物資と、流通している分を考えれば、市民を半年は食べさせていくことができます。ですが人心を鑑みれば、あまり長い期間、出入りを封鎖しておくことは不可能です。半月もすれば、不満は無視できない大きさになり、一月で限界がくる、というところでしょうか、ですから――」
「その先は私からお話しいたします」
カルルックの言葉を遮り、プリスペリア殿下の口から、俺たちに対する初めての命令が下された。いや、それは命令ではなく、むしろお願いのようなものにも聞こえた。
「シャマリ様には、軍が物資を手に入れる前に、官倉を焼き払っていただきたいのです」
「……なるほど」
その策が、こんなちびっこいお姫様の口から出てきたものにしては、少々大胆かつ物騒なものである、ということを除けば、敵の糧道を断つというのは極めて常識的な策だ。
それらの物資を手に入れることができなければ、軍にはせいぜい十日程度の兵糧が残るのみだ。移動の期間を含めれば、数日耐えるだけで包囲する体力はなくなる。
国有の財産を奪えなければ、軍は民から奪うか、それはあまり考えられない。万が一にでもそれをすれば、エルメライン殿下は国民の信望も信用も、たちまち失ってしまう。
今やっている地方の不良役人の摘発などの人気取りも水の泡で、自分たちがそれ以上の悪者であると宣伝するのと同じだ。それをした結果、王位を奪えたとしても、それを維持していくには、恐怖でもって縛るような手段しかなくなるだろう。
第一、あのエルメライン自身がそれをよしとはするまい。
あのお姫様とは一度飲んだだけだが、あいつは馬鹿だ、それぐらいはわかる。頭が悪いということではなく、真面目で馬鹿正直なのだ。そうでなければ、少々品のないふるまいをしたところで、大将軍ともあろう者が傭兵に頭を下げるいわれはない。
そんな女であればこそ、民から収奪をするぐらいなら、自軍の兵糧が尽きる前に、力押しでの勝負をかけてくるはずだ。
――ま、周りがどうするかはわかんねえが。
他の二人の将軍、それ以外にも知恵袋のような奴がいるかもしれない。そいつらが一時の悪名ぐらいは背負って、市民からの徴発などを行う可能性はある。
それでも、三〇〇〇や五〇〇〇の人間を養うのは並大抵のことではない。五〇〇人のおバカさんどもを食わせてきた俺が言うのだから、間違いはない。
文官に連なる人材を排除した今のメンシアード軍は、強さは比べ物にならないにしても、その運営能力は傭兵団よりちょっとまし、程度に落ち込んでいるはずだ。
物資がどこに蓄えられているか、くらいは知っていても、それがどの程度の量で、それで何人を食わせられるか、どうやって荷車などを手配し、どこへ運べばいいのかなどは、それをしてこなかった人間が簡単にやれるものではない。
どこかの大商人でも味方に引き入れることができれば話は別だが、今の様子ではそれができる人材は残っていないだろうし、こちらからもそうされないための手は打っているだろう。
そんな慣れないことを始めるよりは、単純に城攻めを選択する方がよほど簡単には違いない。
いかに攻城戦というものが困難であるとはいえ、攻めるのは敵国ではない、自分のところの城なのだ。城壁がいくら高くても、そこを守る兵はおらず、ならば王都を陥とすのには数日どころか、数時間で片がつくと考えても当然だ。こちら側が傭兵を用意することが頭にあったとしても、正規軍の常識からすれば、そんなのは間に合わせにすぎず、ものの数には入るまい。
早くも命を捨ててかかっているロスター将軍は別にしても、数日持ちこたえられればいい、そういう勝負に持ち込めれば、殿下とカルルックが勝負になる、と踏むのはそれほど誤りとは思えない。
そのためには、何としても軍に物資を手に入れさせるわけにはいかない、移動できるものは移動させ、できないものは焼き払う必要がある。
――にしても、盗賊の真似事とはな。
いかにお姫様から直々の命令とはいえ、そんな仕事をするのにまさか王国軍と名乗らせてもらえるわけがないし、
これは謀略に類することで、極秘の任務だ。命令者の名も実行者の名も知られるわけにはいかず、誰とも知れぬ野盗の一団による略奪と見せねばならない。名誉もへったくれもない完全無欠の汚れ仕事だ。
――……気分が悪いからって、引き受けないわけにもいかねえんだが。
「この策は、殿下がお考えになったのですか?」
思わずそう尋ねてしまったが『ガキのくせにえげつないことさせやがる』、そういう内心の不満が少々表に出ていたかもしれない。
「……その通りです」
――やっちまった!
そう答える殿下の顔を見て、俺は自らが軽々しく質問したことを後悔した。
このお姫様は自分が何を言っているのか、ちゃんと理解していた。
そこにある苦渋の表情は、国家の財物は、地から無限に湧いて出るようなものではなく、国民の血と汗の結晶であり、簡単に無駄にしていいものではないことを知っている、そういうものだった。
この命令をカルルックに言わせずに、自分で語ったのは、自らの重責と罪深さをわきまえていたからだ、ということにも、今さらながら気づいた。
それと同時に、共感するところもあった。
俺が貧乏くじを引かされる性分なのはよく知っているが、このお姫様もその口で、しかもその年齢、体格にしては、自分よりもずいぶん大きなものを引かされていた。
ならば、
「殿下の御下命、謹んでお承りいたしました。我らにお任せくだされば、銅貨の一枚、麦の一束も決してエルメライン様にはお渡しいたしません」
そう答えるより他はないし、答えただけのことはしなければならない。その大荷物のいくらかは、不人情な連中に代わって、俺が背負ってやるのも悪くない。それが同族の誼というものだ。
「……ご期待、させていただきます」
会議を終えたときには、どっちのお姫様が王に相応しいのかは、わからなくなっていた。どちらにも理はあり、正統性もある。
ただ、俺の仕事はこっちの、おそらく人気のないほうのお姫様を王にすることだ、その部分を間違うことは、もうない。
各地の地図を受け取り、詳細な打ち合わせを終えてすぐ翌日、俺は再び馬上の人になっていた。
来た時と同じように、城門でカルルックに見送られる。これから仲間たちの待つレギンに向かい、合流したあとは盗賊になって大暴れだ。
プリスペリア殿下らが期待するような動きができるのは、俺たち以外にはありえない。官倉を襲うにしても、襲ってそれで終わりではないのだ。逃げる算段まで考えるならば、軍より速い機動を持つ傭兵団など、どこにもない。
「……この仕事、我々が引き受けなければ、大変なことになっていたのではありませんか?」
特に恩を着せるつもりではないのだが、ふとそう思って尋ねてみた。
「かも知れません。ですが、傭兵ギルドのソムデン殿からは、シャマリ殿ならば必ず請けてくださると、太鼓判を頂いておりましたので、それほどの心配はしておりませんでした」
「……左様ですか」
――あの野郎、またやりやがったか!
何となくピンときた。確かな証拠があるわけでもないのだが、
これだけの大仕事だ、プリスペリア殿下の陣営を勝利に導くことができれば、一体どれほどの報酬を得られるか、見当もつかない。それは同時に傭兵ギルドにも結構な額の仲介料が支払われるということだ。
あいつの立場からすれば、俺たちに、ビムラでの居場所を作る、というあまり大きくもない目的のために、いつまでもウダウダさせておくよりは、こうしてでかい仕事ヤマを踏ませたほうがいいに決まっている、のだが、
――でかすぎるんだよ。
そういやあいつ、この仕事の話をする前に、『とってもいいお話』とか言っていたわけで、今になって思い返せば、いかにも怪しい、怪しすぎる。
もう後戻りはできないところに来てしまっているのだけれど。
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