第七十一話 作戦会議



 部屋の中には三人、たった今扉を開けた侍女と、護衛の女騎士がいて、そして、


「初めまして、メンシアード王国第一王女、プリスペリアと申します」


 自らそう名乗ったのが、今回の雇い主本人だった。


 事前に聞いていた話によれば、このお姫様は十六歳の時に、飛び級によってメンシアード大学を卒業し、以降二年ほどの間、父王の仕事を補佐していたという。


 それが単なる情実によるものでなければ、かなりの才媛といっていいはずで、


『武のエルメライン、智のプリスペリア』


 自分もこの時までは、そんな勝負の図式、そういう人物像を頭に思い浮かべていた。


 会ったばかりで、そのことが誤りであると決めつけるのは早計に過ぎる、あるいは図式に変化はないのかもしれない、それでも、


 ――…………地味だ、あとなんか暗い。


 失礼ながら、やはり地味だった。第一声も自己紹介も、ずいぶん声が小さい。


 その雰囲気は、中等学校の委員長を思わせた、しかも自分で立候補したような奴ではなく、みんなから押しつけられて無理やりならされたそれだ。


 経歴からすれば、現在の年齢は十八歳となるのだろうが、それにしてはかなりちびっこい。知り合いでちびっこといえばイルミナがその代表格だが、それとどっこいどっこいに見える。


 いまだ成年に満たない小娘に、並みいる群臣を、智謀でもってぐいぐい引っ張っていくような器量を求めるのは無理難題と承知してはいたものの、馬上にて堂々と軍を率いていたエルメライン殿下の姿を見てしまった今では、どうしてもその華やかさと比べてしまう。


 よく見れば、顔立ちは賢そうではあるし、整っていないこともないのだ。しかし、よく見ようとしなければわからない時点で、残念ながら、一見してそうとわかる大将軍閣下には負けていることになる。


 ――……影武者、はないよな。


 それならもうちょっと外見だけでも押し出しの利く奴を用意するはずだ。


「この度は我らの力を必要としていただきましたこと、まこと光栄に存じます。微力ではございますが、最善をもって殿下に尽くさせていただきます」


 御前にて膝を屈し、軽くその手をとって誓ってはみたものの、


 ――大丈夫かよ、こんなんで。


 という思いを拭い去ることはできなかった。


 か弱いことが許されるのは、国の権威に護られたお姫様であればこそだ。


 はるか東方には、判官贔屓、なる言葉があって、あえて弱いほうの味方をしたがるような奇妙な文化が存在するらしいが、俺たちの文化では、弱い者いじめカッコ悪い、というのは通用しても、王が弱者であっていい理由などなく、それに心を寄せる民もいない。


 王とは背負われるものではなく、背負うものなのだ。神輿として担がれる王、というのもないではないが、今は果たしてそのような者の出番ではあるまい。


 その時、俺たちが入ってきた扉が、再び来客が訪れたことを知らせる音を立てた。


 ガンガンと鳴らされるそれは、乱暴な様子ではないのだが、どうにも力加減が大雑把で、その人物の為人ひととなりを表しているようにも思える。


 俺が殿下の前から離れ、カルルックの隣に並ぶのと同時に、中からの返事も待たずに扉は開け放たれ、ずかずかと部屋に入ってきたのは、軍装の老人だった。


「失礼いたしまする!」


 彼は部屋の入り口で一度頭を下げ、さらに殿下の前に進み出てしゃきっとした一礼をすると、下座の椅子にどすんと座った。


「あれはロスター様です。もともと軍の要職であられた方で、退役後はプリスペリア様のもとで警護の兵を率いておられます」


 今回のこちら側のひとまずの最高指揮官だ、とカルルックに耳打ちされる。


 ――……こんなんか……。


 ジジイじゃねえか、と不満を言いたい所ではあるが、王都に武官の人材が払底してしまっている以上、そのお鉢はこんな老頭児ロートルに回ってこざるを得ないのだろう。


 見た限りやる気満々なのは、ギリギリ救いではある。知り合いで考えると、ヴェルルクスにいるデンプスター師匠の、ちょっとばかり偉いやつといったところか。伯父貴もそうだが、元気な老人はどこでも簡単に隠居なんかしないらしい。


「山猫傭兵団のウィラード・シャマリでございます。共に戦う機会を得ましたこと、たいへん嬉しく思います。この度の戦につきまして、閣下のご指導をいただけましたら幸いに存じます」


 老将軍の席に歩み寄って、自分から先に自己紹介をした。


「ふん、傭兵か。傭兵のくせにどうしてそんな役人みたいな話し方をする」


 ――おや。


 こっちは味方だというのに、あまり反応がよくない。気を取り直して、


「済まねえな爺さん、こちとら育ちがいいもんでよ、ついそんな喋りになっちまう」


 お姫様には聞こえないよう、小声で口調を変えた。


「なんだ、そっちが素か」

「おうよ」

「構わん、儂の前ではそっちにしろ。そんなお高く止まった話し方をするような奴とは、一緒に戦いたくない」


 ――なんだよ、文官が気に入らないのはこの爺さんも一緒かよ。


「じゃあ爺さん、あんたも気分的には エルメラインあっち側じゃねえのか?」

「馬鹿を申せ!!!」


 じいん。


 耳元で思いっきり怒鳴り上げられた。続いて漏らされた不満も、えらく声はでかい。


「ブレアもジンブラスタもわかっとらん! 軍人が政治に口出ししてどうする! 決められた場所で忠節を尽くすのが武人の本分ではないか!」


 ブレア、と呼び捨てできたか。カーン将軍を姓でなく名前で呼ぶのは、それなりに親しい間柄ということだろう、おそらくこのジジイのほうが一回りほど年長だろうから、かつての同僚、なおかつ後輩か部下だったというところか。


「武、というのは道具に過ぎん。道具が勝手に動いてなんとする。それをどう使うかはまつりごとの領分であるべきだ。むろんよこしまに使われることがあれば、声を上げる必要もあるのだろうが、今は少なくともそのようなことはない」


 最後の、誰に焚きつけられたかは知らんが嘆かわしいことだ、という部分は、幾分声が小さくなった。


 ――ご立派な見識でいらっしゃる。


 この爺さんは、個人的には不満を抱えつつも、国の在り方としては現在のものに異存はないらしい。軍籍を離れてプリスペリア殿下に仕える身であるという以上に、信用は置けそうだ。


「じゃあ爺さんが連中を懲らしめてくれる、ってのを期待していいんだな」

「任せておけ、と言いたいところだが、軍人としてはあいつらのほうが出来はいい」

「……マジかよ」


 いやまあ、こんなくたばり損ないが、脂の乗り切った将軍級にそうそう敵うとも思えないのだが、偉そうなことを言ったわりには、大したことがないと言えばいいのか、それとも自分がよく見えていると思えばいいのか。


「まあ姫様のために、適当なところで命は捨ててやるから、貴様もよろしく頼む」

「……俺は命まで捨てる気はないが」


 たかだか一度雇われただけの傭兵が、依頼主のためにそこまでしてやる義理はない。


「誰が貴様なんぞにそんな期待をするか! 逃げたければ好きな時に逃げて構わん、だが姫の命だけは絶対に護り参らせよ」


 ――生憎あいにく、そういうわけにもいかないんだがなあ。


 姫様の命どうこうはともかくとして、こっちも騎馬隊を養う、という目的があるわけで、旗色が悪いからといってそう簡単にケツを捲ってもいられない。 メンシアードここを新天地と思い定めたわけでもないが、今さらビムラに逃げ帰るというのも一苦労なのだ。できればプリスペリア殿下の勝利に貢献し、その手柄でもって、しばらくこの地に居を構えることを許してもらいたい。


 すでに敗北を予期してなお忠節に殉じる覚悟は、いささか気が早すぎるとも思うが、それでも、共に戦う仲間としては、この爺さんはそれほど悪くないように思えた。


「それでは会議を始めましょう」


 ここでカルルックが場を仕切り始めた。だが、


「おい、これだけか?」 


 っと、やべ、ジジイに合わせた口調が戻っていなかった。


「んっ、んん。……出席者はここにいる人間だけ、ということでしょうか?」


 この場にはたった六名、お役目上侍女と護衛は数には入らないだろうから、都合四名、本来の身分からすれば、傭兵なんてものはそれらよりも下であるに違いなく、俺自身も勘定するべきではないのかもしれない。これではいかにも少ないように思える、宰相もしくはその代理、それから軍官僚の代表などは絶対に必要なのではないだろうか。


「本件は機密に属する事柄ですので、あまり多くの人間の前で話すべきではありません」


 ……その理屈は理解できる、のだが。


 この場所で決定され、各部署へ具体的な指示がなされたことが、どういう意図で行われたものであるかは、極力知られない方がいい、それでも、


「それで他の方々は納得されるのですか?」


 ここにいる人間で、重鎮と呼べるのはプリスペリア殿下一人、それも傍から見れば頼りないチビの小娘に過ぎない。あとは子分の若手官僚、ジジイ、それからよそ者の傭兵で、内外に強い影響力を持っていそうな中年や壮年の者はひとりもいない。この面子で決めたことを、宰相や軍務卿、その他閣僚から末端に至るまで、はいそうですか、とおとなしくいうことを聞いてくれるのだろうか。


「ある程度のご協力はいただけるでしょう。ですが納得、まではしてもらえないかも知れません。こちらの言うことを聞いてもらえないおそれは、充分にあります」


 あるのかよ。


「では、どうしてそれらの方々にご参加いただけないのですか?」


 軍の要求は、エルメライン殿下の即位と、文官支配の一掃。王位の行方はともかく、既得権益の侵害については、一丸となって対抗してもよさそうなものだ。


「もちろん皆様、軍の要求に対して反対ではいらっしゃいます。ですが、その態度を明確にすることには二の足を踏んでおいでなのです。この会議に参加する、ということは、自らの立場を示す、ということになりますから、万が一軍部が王宮の制圧に成功すれば、粛清の対象にでもなりかねない、と思っておられるのでしょう」


 政権が変われば守旧派は王宮から追い出される、その過程で文官の粛清は大いにありうることで、好き好んでそのやり玉に上げられたい奴もいるまい。


 しかしこの時点では、誰がと名指しされているのでもなさそうだ、そうであれば、少なくともそいつぐらいはこの場にいるはずだ。


 安全な場所から文句だけ言う、そんな手合いはどこにでもいるものだが、どうやらこのお姫様たちは、勝っても負けても安全圏にいたい、そんな日和見主義の連中から事態の収拾を押し付けられた、ということになるようだ。


 俺は正直、自分たちの所には命令だけが下りてきて、プリスペリア殿下、あるいはその命令を考える人間と直接話をする機会は少ないかもしれない、とも考えていた。だがこのような状況では、猫の手だって借りたいだろう、俺自身がこの場に参画しなければならない理由は、よくわかった。


「ですから、ここでの決定は、国王代理の権限でもって強引にでも進めさせていただきます。ロスター将軍、シャマリ様、お二人の武力でもって、それは担保していただきたい」

「あいわかった」


 爺さんは二つ返事だ。だが、


 ――めちゃくちゃ言いやがる。


 言うことを聞かないなら、力ずくで聞かせろとは、なかなか大胆だ。そういうのは嫌いではないし、おもしろいといえばおもしろいが、よそ者が簡単に頷いていい理屈ではない。


「……それはカルルック殿の考えでいらっしゃいますか?」

「いえ、殿下のお考えです」


 ――え!?


 貴人を直視するのは本来忌避されるべきことだ、思わずプリスペリア殿下の顔色を窺ってしまったのは、決して褒められた話ではない。しかし、向こうはそのことを別段気にする様子もなく、捕捉するようにその口は開かれた。


「乱暴なやり方であるとは、重々承知いたしております。ですが、このまま軍部の皆様方の要求を受け入れることは叶いません」


 それは小さいながらも、はっきりとした口調だった。


「……もっと穏当な手段であれば、私も従姉上が王位に就かれることには反対いたしません。しかし、このように性急な手段を用いられますと、先々は必ず破綻いたします、それは誰のためにもならないことです」


 ……その言い分には、思い当たることが、ないわけではない。


 先日、なりゆきで軍のお裁きを見せられることになったが、あれは確かに少々稚拙だった。


 俺の個人的な心証でいえば、捕えられた役人が法を曲げて私服を肥やしていた、ということ自体は誤りではなかったように思う。だが、その証拠とされるものがいかにも曖昧で、ほとんどを証言に頼るものであったことは否めない、通常の裁判で有罪とするにはいかにも無理筋のように思えた。


 見物人たちは大喝采でそれを受け入れていたが、法の原理原則からすれば、あのようなものでいいわけがない。


 エルメラインらが、あれでは不十分と知りながら、自分たちの示威と人気取りのために敢えて行ったというのならば、一定の理解を示すこともできよう、だがそうでないのなら、いつか必ず無実の人間に対して、取り返しのつかない冤罪をなすりつけることになるだろう。


 そしてその延長で政まつりごとをしようというのであれば、その根本がどれほど善政を敷くことを望んだものであったとしても、プリスペリア殿下の言うように、結果的にはいずれ民に対しては害をなすに違いない。


 そのことは、軍部にもエルメライン殿下自身にも、手痛いしっぺ返しとなって戻ってくるだろう。誰のためにもならない、というのはまさしくその通りだ。


 ――こっちもこっちで、筋は通っている。


 かといって、全面的に正しいわけでもない。


 やはり文官支配のひずみは如実に出てきているのだ。そしてそのひずみを生みだした連中が、その修正をこのちびっこいお姫様ひとりに押しつけて、おのれらの責任を回避したままもとの場所に居続けようとしているのであれば、これもまた到底承服できるような話ではない。


 ――余計なこと考えちまってるな。


 そんな事情は、俺が気にするようなことではない。


 今回の山猫傭兵団ウチの雇い主は、プリスペリア殿下であって、それ以外の者ではない、ならば考えるべきことは、その意向と、自分たちの利益以外にはないのだ。


 こちらの勝利に結びつくような材料は、まだ何も出てきてはいない。

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