第六十一話 俺たちの居場所



 ビムラ独立軍。その名称は、約半世紀前にパンジャリーからの実質的独立を果たした時の義勇軍の名前に由来する。


 総兵力は二五〇〇人をやや下回るぐらいだが、これは人口比からすると平均的なところだろう。この戦力で人口二十万のビムラの治安を守り、周辺の農村を巡回し、国境を警備する。むろんいざという時のための訓練も怠りない。


「何か策とか指針とか、そういうもんはなかったのかよ」

「申し訳ありません、そういったことは一切」


 知りえた情報が確かならば、目的の場所まであと少し。見通しの悪い山道を歩きながら、俺からの質問に答えたのは、ビムラ独立軍からつけられた軍監、クルーゾである。


 彼とは旧知で、これまでにビムラ独立軍から受けた仕事では、窓口になっていた男だ。年齢は二十の半ばで、本来は十人ばかりの小隊を率いる下士官であるが、この度の任務では、俺たちと顔見知りであることを買われて、彼が率いる部隊とともに同行してきていた。


 ビムラ領内南西の方向に三日の距離、隣国メンシアードとの国境にほど近いところで、それらが活動し始めたのは、一月ほど前の話だという。付近の村々を襲い食糧や金品を奪う、ごくありきたりの盗賊で、人死にまでは出ていないが、何名かの女性は攫われているらしい。


 盗賊の討伐。


 通常ならばこれは、当然軍が負うべき任務で、傭兵団にはその補助のような仕事しか回ってこない。しかし今回の場合は、ビムラ中央会議の決定により、俺たちが実際の武力としてどれほど使えるのかを見るということで、極めて異例のことながら、山猫傭兵団単独での仕事を請け負っていた。軍からはクルーゾの隊だけしか派遣されてきておらず、しかもこれは単なる見張り役というだけで、戦闘には一切参加しないことになっていた。


「それにしても大体の場所しか教えてくれねえ、ってのはないと思うんだが」

「軍でも盗賊どもの正確な所在までは、掴んでおりませんでした」

「そもそもいねえ、ってことはねえよな?」

「近隣の村から複数の被害報告があったことは間違いありません」


 俺たちは最低限の軍資金と兵糧だけを与えられて、町を放り出されている。実のところそれすらも、しつこく催促するまでは出してはもらえなかった。要するに何もかもを自分たちでやれと、そういうことになっていた。


 グリッセラーが、俺たちに手柄を立てさせたくない、と考えているのはわかる。しかし、それはそれで、治安を維持する軍の態度としてはどうよ、とか思ってしまう。賊が退治されて平和になるんだったら、それをやったのが誰であっても喜びゃいいじゃねえか。


 クルーゾに賊の存在を確かめたのも、居もしない盗賊をでっちあげて、のこのこ討伐に出かけた俺たちに空振りさせて恥をかかせるためか、と穿ったからだ。


「そういうわけではありません、たぶん」

「たぶんって何だよ」

「グリッセラー将軍のお心までは小官の知るところではありませんが、決してそのような狭い了見ではいらっしゃらないと……」

「なんで語尾を濁すんだよ」

「……将軍閣下は部下にはお優しいですよ」

「そんなことを言われても、俺たちは部下じゃねえからな」


 クルーゾ自身は、これまでもそうだったし、今でも俺たちには好意的で、俺たちへの扱いが雑だ、ぐらいの同情も垣間見える。だが部外者に向かって上層部への批判や愚痴ともとれるようなことが言えるはずもない。内心どのように考えていようとも、どうしても奥歯にものの挟まったような言い方になってしまう、それが正しい組織人というものだ。


 ――むしろ悪意は丸出しだったんだけどな。


 そこまで言って、俺がグリッセラーを嫌っていることを教える必要はないが、この前会った時のあの憎々し気な顔、あれを見せてやったら一発でわかりそうなもんだ。


 まあこの男にも、グリッセラーがどう考えているかなどということは知るよしもないのだ。同じ軍に属しているとはいえ、そのトップに位置する者と、平の兵士よりちょっと偉いだけのクルーゾとは、間の者を介して命令が降りてくるだけで、そう接する機会もないだろう。下手をすれば、二度の呼び出しを受けた俺の方が、直接に交わした言葉数でいえば多いぐらいかもしれない。


 かつては友好的だと思っていたビムラ独立軍からは今や目の敵にされ、嫌われていたはずの長老会からは妙に気に入られてしまっている。どうにもおかしな塩梅だ。


 とはいえ、グリッセラーはともかく、ムーゼンの考え方は、理には適っている。


 あの爺さんの、気に入った、という言葉は、内心はどうであれ、行動としては今後しばらく、それは嘘にはならないだろう。


 ビムラ中央会議も一枚岩とは言い難い。商工会、長老会、ビムラ独立軍と、その勢力の序列は動かし辛く固まっている。だからといって、長老会も独立軍も、それで良しとは決して思ってはいないだろうし、それぞれに自陣営の勢力拡大には熱心にしているはずだ。


 ここで長老会が実質的な武力として、山猫傭兵団ウチと友好関係を結ぶことは、他の二者に対しては無言の圧力となる。しかもそれは、前回の会議の時には、態度を留保して他者に任せるという態度であって、誰かに対してことさらに攻撃的でも敵対姿勢をあからさまにしたわけでもなかった。それでいて、俺には確かに恩を売った形にはなっているのだから、なかなか老練の身の処し方のように思える。


 これに現在のトップであるエルツマイユも、ある程度同調したのだろう。商工会としても、普段からそう安穏としているわけではない。自勢力の優位を保とうとするのは当然で、俺たちが長老会に完全に取り込まれてしまえば、そのことで、自前の武力を持たない商工会は勢力の逆転を許すかもしれないのだ。


 自らの権益を荒らされることを承知で俺たちを飼い馴らすか、それとも独立軍と組んで排除に向かうか、というところで、商工会は今のところ単純に損得を見極めようとしている、と考えてもよさそうだ。


 それらに比べれば、やはりグリッセラーは、軍人としての能力までは知らないが、政治家としては他の二人に比べると二枚も三枚も落ちる。


 自分たち以外の武力を煙たく思うのは仕方がない、だからといって、この段階でそれを表に出してしまえば、俺たちも先々は他の二者と関係を深めざるを得ない。それは結局、相対的な力関係で独立軍には何らいい影響をもたらさない。


 今後俺たちの立場がビムラで安定してしまえば、他の二者にまたも水を開けられてしまうだろう。これといった収入源のない独立軍が他の二者に勝っているのは、単純な武力だけなのだ、ならばそれだけは決して他者に譲り渡してはならないわけで、これまでの関係を顧みれば、特に敵対していたわけでもない以上、何としても自陣営に取り込んでおくべきだったのではないだろうか。


 そうでなければ完全に排除に向かうべきなのだが、そこまでも徹底はしていないのだ。


 ――まあそこまでするほど脅威とも思ってないんだろうが。


 何らかの社会の地殻変動のようなものが起こっていて、その中心に俺がいる、などと考えるのは、いくらなんでも大それた話だ。かつてソムデンに指摘され、他者からそう見られる可能性があるというのは自覚したものの、自分自身そんなことを丸呑みで信じたわけでもない、そう思うのは、ごく限られた一部の人間だけには違いない。グリッセラーに政治感覚が薄いのならば、少々図に乗った傭兵風情、と舐めてかかってくるのも仕方ないというよりも、むしろそちらの方が正常かと思われた。


「ただまあ、こっちとしては好都合なんだけどな」


 意地悪をされるのは愉快ではないが、基本的に放っておかれるのは、逆にありがたい。


「ん? 何か言いましたか?」

「や、別に。何てことないただの独り言だ。それよりそろそろ目的地に着くぜ、このまま戦闘になったら、何かあっても守ってやれねえからな、せいぜい気をつけてくれ」

「ははは、正規兵が傭兵に守ってもらうことはありませんよ」


 それはその通りで、正規軍の下士官ともなれば、山猫傭兵団ウチの豪傑たちには比べるべくもないにせよ、並の傭兵なら二、三人束になっても敵わない。クルーゾも物腰は丁寧ながら、持っている雰囲気は決して弱者のものではない。


 それらを抱える正規軍をもってしても、盗賊集団の退治などというものは、そう簡単なものではない。というか、簡単であったならば、こうも世の中に盗賊なんかがはびこるわけがなく、それらを実際に叩くのは、かなりの人数を動かしても、なかなかに厳しい。


 別に賊どもが強いとかそういうことではない。強いか弱いかでいえば、それらは弱いものには強く、強いものには弱いという、そういう存在だ。であるから、軍が討伐の兵を起したとしても、わざわざ根城とする場所で待ち構えていてくれたりはしない。連中は危険を察知したならば、さっさと散り散りになって逃げてしまう。


 だからどこの軍も、何度かの被害報告があれば兵を動かしはするが、それは討伐というよりも、どちらかといえば睨みを利かせてその地域から追い払う、といった意味合いの方が強くなる。一時的に治安は回復されるが、別の場所に盗賊が出没することになるか、駐留する軍がいなくなれば、また戻ってくるだけである。


 そしてそれだけのことにもまた、余計な金はかかるのだ。大した効果が見込めないのならば、あまり積極的になれないのも無理からぬことだろう。


 しかしこの度俺たちに課せられたのは、やはり討伐ということになる。せめて十人単位で捕縛、あるいは処断するかして、目に見える結果を出さなければ、商工会をして、わざわざ損をしてまでビムラに抱え込んでおく必要はない、そう判断されてしまうのもやむを得ない。


 だが、俺もビムラ中央会議のその依頼に、異議を唱えたりはしなかった。自分としてもこの仕事、我が新生山猫傭兵団の腕の見せ所で、願ってもない機会だと思っていた。


 ビムラの治安向上こそが、俺たちの生きる道だ。それは単なる武力の使いどころとして以上の意味がある。


 治安の安定を国内だけに限定することもない、近隣の街道から野盗の類の大掃除を行えば、ビムラをその中心地として物流が活性化し、市場が潤う。市場が広くなれば、広くなった分の一部を俺たちの縄張りと認めてもらってもいいだろう。


 そうなれば商工会には、できればモグリの商いではなく、正式にギルド員としての資格をもらえればありがたいが、さすがにそこまでの贅沢は言うまい。正規兵に対抗できる武力を持った商工会員など、内部での発言力が強くなりすぎる、これまでの黙認という形でもとりあえずは充分だ。


 今回の件に関しても、勝算は初めからあったのだ。不満そうに文句を言ってみせたのは、余裕綽々と見られないための猫かぶりだ。クルーゾには悪いが、俺たちにできる全てを見せてやる必要はない。


 事前に付近の村々で聞き込みをかけ、盗賊どもの所在が、とある山塞であることを割り出したあとは、ティラガ、ディデューン、ヒルシャーンにそれぞれ二十名の騎兵を率いて迂回路を先行させ、退路になるべき道を塞がせている。


 相手に接近を気づかれる前に包囲、と言ってしまえば簡単な話なのだが、これも馬の機動があればこそである。途中でこちらの動きを察知されたとしても、馬を相手に追いかけっこでは逃げ切ることは難しい。


 このような潤沢な馬の使い方は、ビムラ独立軍には不可能だ。彼らの持つ軍馬はせいぜい百頭程度ではないだろうか、それらを将軍や部将、士官などに割り当て、伝令やその他必要な場所に配備すれば、騎兵だけで編成された隊など作れるわけがない。


 そもそも貴重品である馬に平の兵士を乗せて、危険な戦闘をさせるという発想がない。どうしても馬が傷ついたり死んだりしたら損だ、というふうに考えてしまうだろう。


 であれば、二十騎ばかりの騎馬隊を複数扱える組織の存在など、盗賊たちの想像の埒外で、ましてやそれが自らを捕縛に来るなどとは、天変地異とそう変わりはしない。


「おう、あれだな」


 伯父貴が山の頂上辺りに人工の建物らしきものを見つけた。人影までは見えないが、無人といった雰囲気でもない。


 団長に率いられた俺を含む本隊の百名余り、これは罠などに注意しながら、ゆっくりと一番広い山道を登っている。この動きは相手に察知されていないはずがないので、おそらくは騎馬隊による封鎖が効いていると考えて問題はなさそうだ。


「野郎ども、行くぜ!」

「うおおおおおーッ!」


 さらにある程度近づいたところで、団長の号令一下、草深い山中に突撃の喚声が響き渡った。同時に鏑矢が放たれ、これを合図に三つの騎馬隊も攻め登る手はずになっていた。


「おらおらおらおら!」


 先頭にいた俺の横を、次々と団員たちが追い抜いていく。


 彼らも自分たちの有利は肌で感じている、これは勝ち戦だ、と。勝ち戦なら手柄の立て甲斐もある、首のひとつも分捕れば、それは十枚ほどの銀貨と交換だ。俺はそんな約束はしていないが、彼らはそれぐらいの期待は持っていた。


 ……まあ頑張ってくれ。


 知らない奴の首をもらっても、俺は少しも嬉しくないのだが、その期待には応えてやらねばならないのだろう。


 危険なことがなければ、特に戦闘に加わるつもりもない、いつの間にか隊列の最後尾を走りながら、頭の中で軍資金の計算をする。しかし、彼らの期待したようなことは起こらなかった。


 見えてきたのは、別のものだった。


「あれは、白旗のつもりなんでしょうか?」

「……そうなん……だろうな」


 クルーゾの疑問はもっともだが、状況からすればそうとしか考えられない。


 四方からそれぞれの部隊が辿りついたところで、山頂の砦とも呼べない掘っ立て小屋には汚いボロ布が掲げられ、五十人ばかりの盗賊連中は地べたに平伏していた。


 勇んでやって来たこちらの連中も、それらを取り囲む格好で立ち尽くすばかりだった。


 ――そりゃまあ、そうなるわな。


 俺だってこの盗賊どもの状況に追い込まれれば、絶対に抵抗なんかしない。こいつらのようにさっさと降伏するか、一か八か森に分け入って逃亡を試みるかだが、これだけの馬を見せられれば、びびっちまってそれもできないかもしれない。


 この結果は、予想されたことだとはいえ、変な感慨もあった。多勢に無勢、数は力だと、重々承知しているはずなのだが、これまで自分でも不思議なぐらいに無勢に回ることが多く、こうして数の多い側に立ったのはずいぶん久しぶりのような気がする。


「何だ、誰もかかってこねえのかよ、張り合いのねえ」


 別動隊の連中も合流してきた。


 武勇を見せつける機会を逃したヒルシャーンが自分たちの言葉で不満を漏らすが、無抵抗の者をなぶったりはしない。


 ティラガも同じような気分なのだろうが、こっちは不満そうな顔をするだけで、口に出すことはない。こいつもまた知っているのだ、今回締め上げた連中が、本質のところで自分たちとそう変わらないということを。


 外道に堕ちた奴にまで容赦はいらないが、単に食い詰めて賊に手を染めた程度なら、心のどこかに同情の気持ちを持ってしまうのだ、そしてそれは、俺も同じだった。


 こちら側に怪我人がおらず、相手側にも死人は出ていない。もしかすれば何人かがこっそりと逃げているのかもしれないが、たとえそうであったとしても、盗賊団壊滅の結果が変わるわけでもない、これは充分に満足すべき結果だった。思うような派手な喧嘩にならなかったことぐらいは、我慢してもらわないといけない。


 とはいえ、団長以下多くの団員たちは、結構な上機嫌でもある。これが大勝利であることには変わりなく、多少暴れ足りなかったくらいでは、その気分に水を差すことにはならない。


「お見事です」

「ありがとよ、どのようにでも報告してくれて構わねえぜ」


 クルーゾなら、そう悪いようにも言わないだろう。戦闘にはならなかったが、ここは強さよりも速さを評価されるべきところだ。グリッセラーがこれを、腰抜けの盗賊が勝手に降伏してきたからで、運が良かっただけだなどと判断するようならば、さすがに正気を疑う。


 ――本気でそう思ってなくても、難癖だけならありうるかもな。


 まだまだ安心はできないが、俺たちのビムラでの居場所は、しばらく確保することができた、そう思った。この後はまた、俺の立ち回りにかかっている。

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