第六十話 ビムラ中央会議再び



 ビムラ中央会議の庁舎、その最奥の応接室、ここに通されたのは二度目になる。


 その顔ぶれもまた前回と同じ、商工会の代表で議長のエルツマイユ、長老会のムーゼン、ビムラ独立軍の大将軍グリッセラーの三名。うち苦虫を噛み潰しているのはグリッセラーのみで、あとの二人はそれほど不機嫌そうにも見えなかった。


「予定よりお帰りが早くはありませんか?」


 もともとは、俺はあと一年で王立大学院アカデミーを卒業し、それからビムラに戻る、という話だった。しかしエルツマイユのその言葉には、牽制というほどの色合いはない、本題に入る前のたわいない冗談かとも思う。


 態度も平然としたものだ。起きてしまったことはもうどうしようもない、負けただの騙されただのと嘆いている暇があるならば、現状で打てる最善手を考えるのが正しい政治家のあるべき姿、というものだろう。俺が彼らとの約束を違えたことをあげつらうよりは、よほど前向きな姿勢で、俺も彼らがそうしてくるだろうと思ったからこそ、こうして単身で乗り込んできているのだ。


 危害を加えてくることはないにせよ、俺が人質に取られることは、可能性は薄いものの少しだけ警戒はしていた。護衛を連れてきたくなかったのも、半分は誰かが人質になることを恐れてのものだ。しかしここに来るまでの様子も、中に入ってからも、それをしようとする雰囲気は見受けられなかった。自らを人質にとって、ここで自決も辞さぬ、という態度はどうやら見せずに済みそうだ。


「申し訳ありません、恥ずかしながら、落第致して参りました、ゆえに留年のご報告にと」


 冗談には冗談で返す、この空気ならこういう遊びぐらいはできる。


「ははは、左様ですか。やはり王立大学院アカデミーを卒業するということは相当に難しいのでしょうな」

「いえ、私の努力不足にて、全く面目次第もございません。私ももうしばらく傭兵稼業を続けねばならないようです」

「……傭兵に、戻られますか」

「ええ、そうしなければ卒業のための論文が仕上がりませんもので。つきましては、これまでにさせていただきましたお約束の一切を白紙にさせていただきたく存じます」


 許可を求めたようでいて、そうではない。これは一方的な宣言だ、しかし誰の顔色も変わらない。こうなることは、誰にとっても予想がついたことで、今さら改めて言ったところで、何の衝撃にもならないだろう。


 残念です、とエルツマイユがため息をついた。


「我々といたしましても、シャマリ殿のことは最大限に評価し、譲歩もさせていただいたつもりでしたが、ご満足はいただけませんでしたか」

「いえ、私を評価いただいたことは、過分にも存じておりますし、閣下らの心遣いを無にしてしまいましたことにも、申し訳なく思っております、ですが……」


 言葉通り、いまだ海のものとも山のものともつかない、一介の学生に過ぎなかった自分に対して、彼らはこれ以上ないほどに好意的だったと思う。商工会の縄張りを食い荒らしたことについて、頭ごなしの圧力をかけてくるわけでもなく、それを止めさせるために提示してきた条件は、大いに魅力的だった。


「私の志はご理解いただけなかったと、そう思っております」


 不満があるのはただ一点、俺以外の傭兵連中を切り捨てたことだ。


 確かに俺自身は、彼らによって、この国の上層階級に引き上げてもらえるのだろう、しかしそんなことは、恩を着せられてまでしてもらう必要はない。自分だけのことならば、おのれの力でもって、この世界のどこででものし上がって見せる、それぐらいの自負はあるのだ。別にそれがビムラであるべき必然性はどこにもない。


「志、ですか」

「自身の栄達だけを望むのであれば、初めから傭兵などいたしておりません」


 仲間を見捨てて自分だけが成功することに、後ろめたさがあるわけではない。人はそれぞれの才覚と運で、自ら望むべき所に向かえばいいだけだ。俺がどこに到達しようと、俺の勝手だし、他人が何を手にしようとも、他人の勝手だ。嫉妬するのもされるのも、どちらとも関わり合いにはなりたくない。


 ただ、エルツマイユから受けた提案には、傭兵は傭兵らしくいつまでも社会の底辺で燻っているといい、あるいは、そうでなければ困る、との意思は間違いなくあった。それは意思というほど強いものではなく、無意識の蔑視といったほうが正しいかもしれない。


「……なるほど、そこまでは思い至りませんでした。シャマリ殿だけでなく、他の方へのご配慮が足りなかったと、そういうことでしょうか?」

「言葉にすれば、そういうことかと」


 もちろん、他の団員たちの待遇をせめて正規兵並みにすれば、などというそんな単純な話でもなかった。


 俺だって、ビムラ中央会議との対決を決意してから、旅の間中もずっと考え続けてきた。ソムデンやマイアさんとの話をしたことで、気づいたこともある。この世界に、傭兵の待遇改善、もしくは、これまでと違う新しい傭兵の在り方、そういうものが必要なのだ。そうでなければ、彼らは無法者であることと、安い日雇い仕事に明け暮れることの狭間で、不安定な立場であり続けるだろう。社会の底辺にそういった層を多く抱えることは、社会不安の要因でしかなく、誰にとっても決して益ではない。


 しかし、それを解消することは、エルツマイユの政治課題ではないだろう。彼の依って立つ基盤である商工ギルドも、そんなことは全く期待していない。配慮が足りない、というよりは、完全に考慮の埒外だったのだとも思う。人は誰しも、当たり前のことに疑問を持ったりは、あまりしないのだから。


「いや、将来の高官ともなられるべき方が、そこまで傭兵などという存在に寄り添った考え方をするとは思いませんでした」


 ――そんなんじゃねえんだけどな。


 言外に、物好きな、と言われているようだが、気にすることも、あえて反論すべきこともない。こっちは弱者救済だとか、社会変革だとか、そんな大上段に構えたいわけではなく、行きがかり上たまたま気づいた課題を無視できなかっただけだ。伯父貴に頼まれてここに来ていなかったら、俺もエルツマイユと同じように考えていたと思う。


 しえしえしえ、と歯のない老人特有の笑い声が上がった。


「だから言ったろうが、儂は初めからこやつがそう簡単に丸め込めるわけがないと」

「ムーゼン殿はご慧眼でいらっしゃったようですな」


 ムーゼンの変な自慢に、エルツマイユが相槌を打った。


 今回のことは、一番にこの老人の面目を潰したことになるのだろうが、そうであるにも関わらず、さっきからこの中ではこの老人の機嫌が一番いい。


「伊達に歳は食っとらん。顔を見ればわかる、こやつは面従腹背の相じゃ」


 ――さいですか。


 面従腹背の相がどんなものかは知らないが、このジジイは俺がおとなしくいうことを聞くとは思ってはいなかったようだ。


「まあおもしろそうな奴じゃったからな、手元に置くのもよかろうと小細工も弄してみたが、セリカ・クォンティまで用意して陥ちんとは、予想以上の馬鹿じゃったようだの。ここまで馬鹿なら文句のひとつも出てこんわ」


 言っている内容はあれだが、言い方にはそう嫌な感じはしない。あっぱれ、とすら言われたようにも思う。それに馬鹿なのは自分でも同感で、それも大勢から言われて慣れている。


「ご期待に沿えず申し訳ございません、ムーゼン様を義父と呼ぶことはもはや叶いません」

「ふは、ぬけぬけと言いよるわ。まあさすがにもうあの娘を持っていけとは言えんわな」

「お言葉ですが、ご自身の御息女を物のように言われるのは、感心いたしません」

「別に道具だとは思ってはおらんよ。前途有望な若者に相応しい伴侶を用意してやったと思うておる。結果的には残念じゃが、そうであればこそ、それほど悪い組み合わせではなかったんではないかの。この縁談が流れてしもうたから、セリカにはお主以上の男を用意せねばならんと考えると、気が滅入るわ」


 そうして、ムーゼンはエルツマイユに向き直る。


「儂らは、この件からは降りる。あとはそちらで決めてくれれば、その判断には従おう」


 それが、長老会の決定だった。


 俺たちが荒らした権益は、おもに商工会のものだ。それから、独立軍に対しては軍事的脅威に成長する可能性、長老会については、初めからそれほど関係ないといえばない。俺の首に鈴をつけようとした主体が長老会であったのは、直接利害関係の薄い第三者としてのものだったということか。もちろん、他の二者に対して恩を売るという意味合いもあったのだろうが。


「まあ、それはともかくとして、儂はお主が気に入った。誰も文句を言えぬようにしてからなら、改めてあの娘を迎えに来てもええぞ。花の咲く間は短いし、儂も老い先長くないゆえ、早くしてもらわねば困るがの」


 楽しそうにするムーゼンから、再びエルツマイユに話の主導権は戻った。


「それで、あれはどういうものか、説明をしていただけるのかな?」


 彼の言う、あれ、とは我が騎馬隊以外のものを指したりはすまい。当初の目論見を大幅に超えて、それはわざわざ強そうに装わなくても、すでに誰が見ても圧倒的な騎馬兵団であった。ならば向こうが気になるのは、それが敵か味方かということに他ならない。


 むろん俺には、ここで町全体を敵に回し、ビムラ独立軍と雌雄を決する、などという考えはない。


 やれば勝てる、などというのは、やってくれれば、の話でしかない。ビムラ政府が俺たちと本気で対決姿勢を固めたならば、正面からの勝負など絶対にしてこない。ビムラ独立軍が舐めてかかってくればまた違ってくるが、そうでなければ、城門を固く閉ざし、籠城の構えになるだろう。そうして長期戦に持ち込み、日干しにしてくるはずだ、なにしろこちらには蓄えと呼べるようなものはほとんどない。


 時間が経つにつれ、もともとの団員たちが離れていき、ウルズバールの連中と馬だけが残される。そうなればあとは何の大義もない略奪者になり下がるしかないだろう。しばらくはそれでも食ってはいけるだろうが、慣れぬ地での孤軍、それほど多くもない人数はじわじわと減らされ、最後には野垂れ死にの運命が待っている。


 もちろんビムラも無傷ではいられない、防御のない村々は荒らされ、多くの人死にも出る、しかし背に腹は代えられないとなれば、それぐらいは切り捨てざるを得まい。


 要するに、互いに戦っても損にしかならないのだ。


 まあ略奪や野垂れ死にというのも極端な話で、ビムラと袂を完全に分かつならば、戦いなどせずに、このまま近隣諸国に自分たちを売り込みに行くだけなのだ。ただそれもなるべく避けたい、騎馬隊はどこかに丸抱えしてもらえるだろうが、何の根回しもなしに四〇〇名を超える傭兵団の本拠移動など、仕事が回るわけがない。


 このままおとなしく俺たちの存在を認めてもらえる、それが理想だ。


「あれは、単なる力です」


 そして、今のところここ以外のどこにもない力だと、そう答えた。


「我々は傭兵です。適正な報酬をいただければ、いくらでもご依頼主様のために働くことになりましょう」


 言ったことは、前回ここに呼び出された時に言ったことと、そう変わらない。変わったのは、俺たちが持つ力だけだった。


「力だと、見かけ倒しではないのか」


 忌々しげにそう言ったのは、グリッセラーだった。


 これもまた、その気持ちはわかる。彼の立場からすれば、自らの存在価値の根幹に関わる話だ。自分たちに匹敵するような力など、認めたくないし、認められない。


 厳密に言えば、俺たちの力は、状況を限定すればいくつかの場面で優位をとれるだけである。人数も信用も組織も補給も、どの部分をとってもまだまだ大きすぎる差があるわけで、完全に四つに組めば、ビムラ独立軍に勝てるわけがない。だが例えそうであっても、不愉快なことには変わりないだろう。


「見かけ倒しではございません。現にここまで来る前に、我が三〇〇の騎馬隊は、五〇〇の兵で守る国境の関所を無傷で突破して参りました」

「なっ!」


 国境破りの報は、まだビムラにまでは達していないはずだ。これにはグリッセラーのみならず、他の二人も驚いたようだ。


 ――どうせいずれはバレることだ。


 ならば単なる悪評で終わらせるよりは、力を誇示する役に立てるとしよう。


 彼我の戦力については、大いにサバを読ませてもらった。こちらの戦力は実際は五十騎に過ぎず、残りは空馬だったし、相手もせいぜい百人ほどしかいなかった。それでも無傷であったことだけは事実だ。


「……それが本当ならば、困ったことをしてくれましたな」


 エルツマイユが困惑するのも当然だ、そんなことをしでかした連中を国内に抱え込んだとあっては、外交上の問題になるかもしれない。とはいえ、俺はそれほど大きな心配もしていない。


「いえ、こういうものもございますので」


 そういって取り出して見せたのは、イゴンデイトが発行した通行許可、それに他の国でも手に入れたいくつかの通行証だった。


「他の関所は問題なく通過して参りました。あまたあるうちの一件程度ならば、国境破りと大仰に騒がずとも、単なる行き違いとして誤魔化すこともできましょう」


 結構な罪ではあるが、詳細を調べたところで、どうせこの国とは直接の利害関係もない遠い国の話だ、エルツマイユが上手にすれば、俺たちの悪評がそのままビムラへの悪評にもならないだろう。それよりも俺たちの非違を咎めだてして、そのような凶悪集団を敵に回す方がよほど厄介には違いない。


「…………その件は、調べさせていただきましょう」


 それから、多くの質問が投げられ、話し合いは遅くまで続いたが、この日、何らかの結論が出されることはなかった。もとより、国家の運命を左右しかねない問題で、すぐに答えの出る話でもない。望むのは、少々の不都合があったとしても、俺たちの力を他に出すのはもったいない、そういう答えだった。


 ただその結論が出されるまでは、俺の行動が制限されることはないだろう。貝殻亭に戻れば、すぐに新生山猫傭兵団の行動開始で、これまで以上に稼がせてもらわねばならない。


「貴様、これで勝ったと思っているのではないだろうな」

「まさか、そのようなことは」


 最後にグリッセラーが、ひどくつまらないことを言ってきた。


 彼にとって俺たちが、目障りきわまりない存在になってしまったのは間違いないにせよ、よりにもよってそんな言い方はないだろう、あんたの格が下がるだけだ。エルツマイユもムーゼンも、負けたとは思っていないのだから、俺が勝ったなどと思えるわけがない。ようやく対等に話ができるようになっただけだ。


 ――まああんたが負けた気分でいてくれるのなら、三分の一ぐらいは勝った気分になってやってもいいけどよ。




 ビムラ中央会議より賊徒討伐の依頼が舞い込んだのは、それより十日ほど後のことだった。

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