第五十九話 突破者の帰還



 復路の旅程について、俺たちはどこの町にも立ち入らず、できうる限りの最短距離を駆けていた。雨でもなければ宿営を張ることもせずに野宿、水や食糧の補給物資を手に入れる際も、要らぬ軋轢を避けるために、最小限の人数で買いだしに出るようにはしていた。


 その甲斐あってか、やらかしてしまった国境破りの噂も、ずいぶんと後ろに置き去りにしてきている。その悪評からいつまでも逃げ切れるわけもないのだが、それが俺たちに追いついてくるのは、もう少し後のことになるだろう。


「あの向こうが、俺たちの町になる」


 そうして出発からおよそ二月、ヒルシャーンらに対して俺が指さしたのは、ようやく辿り着いたビムラの国境だった。


 かなりの強行軍であったことには間違いはない、しかしついに一人の落伍者も、馬一頭の脱落すら出すことはなかった。自分でもよく頑張ったとは思うが、この結果は俺の手柄でもなんでもなく、ひとえにヒルシャーンの統率と、ウルズバール精鋭の経験と能力によるところが大きいだろう。


 ティラガやディデューンも、文句ひとつ言わずによくついてきてくれた。買い出し部隊を率いたのはおもにこいつらで、本隊よりもさらに多くの距離を移動している。それでもまだ元気がありあまって、ぴんぴんしているようにも見える。


 ――俺だけが疲れてるんじゃねえだろうな。


 そんな気分さえする、俺は正直へとへとだ。イルミナぐらいは俺と同じように疲れていてもおかしくはないが、こいつもあまり顔には出ないのでわからない。


「大丈夫かよ?」

「平気です」


 ほらな。こいつは放っておいたらぶっ倒れるまでこんなことを言うんじゃねえだろうな。


 とはいえ、町まではあと数時間程度、ここまで来れば、帰ってきたと言ってもいいだろう。たかだか一年を暮らしたに過ぎない町に、半年ぶりで戻ってきただけだというのに、懐かしさすら感じてしまう。


 旅は終わった、とはいえ、ここからまた、俺には最後の大勝負が待ち受けている。


 屋根のある場所、温かいベッドで横になるのは、もうしばらくお預けだった。




 これまで抜けてきた国境や関所と同じように、ビムラの国境においても、予告なく訪れた俺たちの隊列は驚かれた。


 やはりこのようなものを通していいのか、ここでも判断には迷ったようだ。この半年で戦が始まったり、法が変わったりしたのでもなければ、ビムラへの馬の持ち込みは自由のはずだ、その規模が少々大きくなった所で文句を言われる筋合いはない、というのは建前で、常識的には限度というものがある。しかし現在の俺は、まだセリカ・クォンティの婚約者として、ビムラ中央会議の高官となることが約束された身でもある、兵の中に俺の顔と名前を知っている者がいたようで、結局は素通りすることができた


「安心してくれ、町には入らん」


 彼らに対して俺が言ったことは事実である。


 ティラガ、ディデューン、イルミナを除いて、このままビムラ市街に立ち入ることはしない、それに馬を繋いでおける場所もない。俺たちが向かったのは、事前にソムデンに手配を頼んでおいた、郊外にある牧場用に収得した土地だ。とはいえ、予算の都合上、何もない場所を簡単な柵で囲っただけの場所で、建物などは何もない。知らない奴が見れば、何でこんな何もないところに柵が、と疑問に思われるだろう。


 しかしウルズバールの流儀なら、当面はこれでも事足りた。かれらの様式なら、数時間もあれば宿舎ぐらいは建てられる。


 かくして、ビムラより歩いて三時間ばかりの場所に、突如として異国情緒あふれる遊牧の集落が現れた。


「ちょっと狭いですね」

「……何とかする」


 サファゾーンに言われたように、ここも一時的なものになる。もともと百頭の馬を置いておくために用意したものだ、そこに三百頭となると、さすがに無理がありすぎる、周辺の草もたちまち食い尽くしてしまうだろう。今後は場所を広げるか、移動するか、分散するか、いずれにしても金が必要になってくる、何とかするとは言ってみたものの、今のところその当てはどこにもない。




「おう、戻ってきたか」


 ひとまず十ばかり建てられた天幕のうち、一番広いのを仮の本部として休憩をとっていたところ、イルミナに呼びに行かせていた伯父貴が顔を見せた。


「約束通り帰ってきたぜ」

「いや、表を見せてもらったが、こりゃ大したもんだ。まさか本当にこれだけの馬を連れて戻ってくるとはな。だが最初に聞いてたよりは、ちょっとばかり数が多いんじゃねえのか?」

「ま、その辺はいろいろあってな、まあ半分以上は預かってるみてえなもんだが、予定より大分増えちまった。それから客人も五十人ほど引き受けなくちゃならなくなった」

「客か……、外にいる連中がそうだな。どいつもなかなかいい面構えしてるみてえだし、まあ手前てめえがちゃんと面倒見るんなら、いいんじゃねえか」

「腕は保証する。今すぐに、ここにビムラ独立軍が全軍で攻めてきても勝負になる」

「ぶはは、そいつはすげえな」


 いくらなんでもそんなことにはならないだろうが、物見の部隊ぐらいは、今日中には姿を見せるだろう。むろんそれらとも、こちらから事を構えるつもりはない。


 俺たちにはこの先ビムラを攻め落とし、力で支配する、などという馬鹿げた考えなどはない。どちらかといえば、心強い友軍となるべくまかり越したといってもいいだろう。あちらさんにもその辺の事情を、話し合いで汲んでもらえればありがたい限りなのだが。


「それで、そっちはどうだった?」


 今度はこちらから、俺のいない間の様子を尋ねた。


「……さっぱりだ、つまんねえ仕事ばっかやらされて、全然おもしろくねえ」


 ――それなら許します。


 やれやれ、助かった。初めから多くは望んではないない、今もまだ存在してくれているだけで充分だ。この期に及んで、なくなっていました、では目も当てられない、団長がつまらんと思っているぐらいで済むなら万々歳だ。


「これを」


 イルミナから手渡されたのは、ここ半年分の団の帳簿や書類の束だ。これをいきなり持っていかれては、長老会から派遣された事務方の連中もさぞ面食らっただろうが、そいつは御免なさいで、こんなものは抜き打ちで確認するから意味があるのだ。


「ふむ……」


 中身を確認したところ、それほどおかしなところはない。儲かってもいないし、損もしていない。団員たちに支払われる給料も、俺がやっていた時と比べるとそれほど減ってはいない。だが、団の蓄えはほとんど増えていなかった。馬の維持費として、金庫の中身には少しばかり期待していたのだが、あてが外れた。


 それから、万が一不正の痕でも見つけようもんなら、思いっきり因縁をつけてやろうかと、手ぐすね引いて待ち構えてもいたが、そうそう脇の甘い様子も見受けられなかった。


 しかも事務方の連中の給料は、団の財布からは出されてはいなかった。これもどうやら派遣元の方から支払われていたのだろう、実に至れり尽くせりというものだ。


 彼らは傭兵ギルドやビムラ中央会議から斡旋された比較的割のいい仕事を中心に、堅実に依頼をこなしている。さすがに本職の役人が回されてきているだけあって、疎漏のない仕事ぶりだ。山猫傭兵団ウチ以外の傭兵団でこれだけの仕事ができていれば、文句のつけようがないところだ。


 じつにいいものを見せてもらった、という気はする。落第はしたものの、俺もまだ王立大学院アカデミーの卒業を諦めたわけではない、これは次のレポートを仕上げる時には、大いに活用させてもらうとしよう。


 要するにこの帳簿が、ごく普通の傭兵団ができる、ごく普通の限界なのだ。


 傭兵をやっている限り、どれほど真面目に仕事をやったところで、これ以上の待遇は期待できないということを、わざわざ権力者の手によって証明してもらったということになる。


 給与で考えれば、一般の役人のおよそ三分の一、平の兵士の半分より少し多いぐらいといったところか。これでは惚れた女ができたところで、所帯を持つことすらできないではないか。傭兵の身分のまま、これより多い収入を望むならば、独立して自ら新たな傭兵団を立ち上げるしかないが、それにはそれなりの器量が必要で、誰もがそうなれるわけではない。


 この半年間の仕事ぶりについて、俺がビムラ政府の誠意を疑うことはない。彼らは、十分に好意的に団の運営をしてくれていたことは認めよう、俺が何も考えずに傭兵団を運営していたなら、おそらく似たような結果になっていたはずだ。だがそうであるからこそ、俺がこうして暴挙ともとれる行動をとったことが、決して間違いではなかったとも思えるのだ。


「それからこの仕事、何人でやってた?」

「よくわかんねえが、いつも三、四人ぐらいがうろちょろしてたな。お前よくこんだけの仕事を一人でやってたな、って感心してたぜ」


 ――やれるわけねえだろ。


 俺が一人でやれてたのは、ガキどもを使ってたからだ。


 派遣で寄越されただけの連中に、そこまで期待するのは贅沢だとはわかっちゃいるが、この期間の仕事は、彼らだけで回されていたようだ。見習いどもを使ってもらっていなかったのは、教育の機会を奪われたのと同じことで、やはり残念なことだった。




 夜になれば城門は閉ざされ、町の出入りは厳しく制限される。そうであるにもかかわらず、夕方になるにつれ、ビムラ郊外の喧噪はだんだんと増してきていた。


 ティラガらによって、俺たちの帰還が他の団員たちにも伝えられ、非番だった連中の手によって次々と食糧や酒などが運び込まれている。次いで今日の仕事を終えた連中も集まり始めた。


 広場になった所では篝火が焚かれ、ウルズバール式の野外での宴会のようになっていた。旅の終りと無事を祝しての祝賀会であり、新たな仲間たちの歓迎会だ。ここで双方改めて、主だった面々の紹介が行われた。


 うちの団員たちに交じって、大勢の野次馬連中も姿もある。いったいこのビムラに何者が現れたのか、と牧場の周りに怖々近づいてきた彼らを、半ば強引に宴会の輪の中に引き入れたのは、俺の指示だ。今からでは彼らはもう町へは帰れない、今晩はここでせいぜい酔い潰れていってもらい、明朝ビムラに戻ってから、俺たちに町に対しての害意がないことを、宣伝してもらえればありがたい。


 広場の端では、一頭の羊が捌かれようとしていた。


 ――そうだよな、宴会ならやっぱこんくらいやらないと格好がつかないよな……って。


「ちょっと待て!」


 そんな羊どこにいた。


 いくらなんでもそこまでやれとは言ってない。これまで出てきた飯や酒の他に、そんなものを買って来れるほどの金は渡していないし、まさかどっかからパクって来たんじゃねえだろうな!


「安心していただいて結構ですよ」


 慌てて止めさせようとする俺の背中を、後ろからぽんぽんと叩かれた。


「あれは私からの差し入れです、どうぞ皆さんで召し上がってください」

「……あんたか!」


 いつの間にか、ソムデンまでもが来てくれていた。


「お帰りなさい、ウィラードさん。それとお疲れ様でした」

「ああ、帰ってきた。今回はあんたにもずいぶん世話になった、礼を言う」


 今となっては、この男を俺の最大の理解者だと言わなくてはならないだろう。


「いえいえ、しかしまあ、本当にやっちゃいましたね」

「……やった。……もう後戻りの効かねえとこまで、突っ込んじまった」


 後悔はしていないが、敵も味方も、関係のない奴まで巻き込んで、ずいぶん遠くまで来てしまった、という感慨はある。そしてこの先は、参考にすべき先人の姿はどこにもない。


「ま、これでも飲んで、また明日から頑張ってください、これも私の秘蔵のものですよ」


 ソムデンはそう言って、一本の高そうなワインの封を切った。


「あー! ソムデン君! それ私と結婚したときに買ったやつじゃない!」


 この大きな声は、傭兵ギルドのメイドのお姉さんも一緒だったようだ。


「飲めるかそんな大事なもん!」

「あはは、冗談冗談。お祝いにこれ持っていこう、って言ったのお姉さんだから、遠慮せずに飲んじゃっていいよ。お帰り、ウィラードくん」

「……ただいま。……ありがとう」


 これまで飲み干してきたのは、これまでの戦いのための酒、そしてこの一杯は、これからの戦いのための一杯、ソムデンが秘蔵と言っただけはあって、その味は新たな門出には相応しいものだった。




 ビムラ中央会議から召喚の使者が現れたのは、翌日の昼前だった。昨日のうちには偵察の兵や役人らが訪れていて、彼らに対してはこちらの素性も、政府との対話に応じることもすでに話してある。そのうちの何人かには、見張りを口実に昨日の宴会にも参加させていた。


「直ちに参りますとお伝えください」


 使者にはそう言って帰した。知らない奴からすれば、こちらの陣容にはやはりものものしい雰囲気はあるだろう、俺がすんなりと応じたことに、彼らも安堵したようだ。


「あんた一人で行くのか?」


 政庁に向かう準備をしている所に、ティラガが声をかけてきた。


「うん? ああ、一人で行く」

「罠じゃねえのか?」


 その心配はありえない話ではない。


「護衛を何人連れてっても、囲まれたら一緒だ」

「一緒じゃねえぞ、俺なら二十人はいっぺんに相手できる」

「お前が二十人なら、俺は三十人だ、兄弟、俺も一緒に連れていけ」


 横からヒルシャーンが余計な口を挟んできた。こいつもここしばらくでずいぶん俺たちの言葉に慣れてきている。日常会話ならできる、というにはまだ遠いが、喧嘩に関することなら妙に理解も早いようだ。


「じゃあ俺も三十だ」


 張り合うな。……四十と言わなかっただけましか。


「私はせいぜい十人だな」

「……十人なら」


 だからお前らも張り合わんでいい。


「あんたも十人を相手すれば全部で九十か、向こうもさすがに百人は用意していないだろう、これで安全だな」

「いや、だから一人で行くって言ってんだろうが! お前らはおとなしく待ってろ!」


 ここで俺が害されることはない、ということは確信していた。


 万が一俺に何かがあれば、ここにいる騎馬軍団は完全にビムラの敵に回る、そんな危険な賭けをしてくるはずがない。そうでなくとも、俺がもし誰が見ても単なる事故や病気で死ぬようなことになったとしても、その時点でヒルシャーン以下は誰の統制も受け付けなくなるのだ。あんなものが野放しになれば、危険どころではない、ならばビムラ中央会議はどこまでも俺の身の安全を保証するしかない。


 俺が警戒しなければならないのは、おそらく物理ではなく、搦め手の部分であるはずだった。それこそあの、セリカとの婚約のように。

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