第五十八話 国境問答


「通せ」

「通せるわけがないだろう」


 ――このやりとりも何回目だ。


 ウルズバールを出ておよそ一月と半分、エンダース越えを無事に終えた俺たちの前には、新たな難関として国境の柵があり、そこで立ち往生をくらっていた。


 俺たちを足止めしているのは国境警備にあたるこの国の軍人、ロウバッドと名乗る中年の男だった。


 見たところ威厳も貫録もある、着用している鎧も軽装だが安物ではない。おそらくは将軍級ではないにせよ、それに準ずる地位の者であるだろう。国境警備も本来の任務ではなく、俺たちの接近を察知して急遽派遣されてきたものであろうと思われた。木でできた柵の向こうには、百人ほどの兵の姿も見える。戦時中でもない限り、ただの国境警備にこれほどの人数は必要ない。


「だからただ通過するだけだ、絶対に迷惑はかけん」

「どうしてそんな言葉が信用できる」

「これまでも何ヵ国もこれで通ってきたんだ、ここも通してもらわないと困る」

「そんなよその国のことは知らん、我が国には我が国の法があって、小官はそれに基づいて自らの任を果たすだけだ。断じてここは通せぬ」


 わからねえおっさんだな、とは思いつつも、ここまでがうまく行きすぎていたことは否めない。


 俺の後ろにはずらりと三〇〇を超える馬の列、その上にはまばらに人が乗っている。ヒルシャーン以下五十三名、彼らがエンダースを越えて俺たちと道行きを共にしてきた。


 下は十五、六の少年といってもいいような奴から、上は最年長でも三十を越えない、全員が若者といっていいだろう、そしてそのいずれもが乗馬に熟達した勇士でもある。目に見えた武装はしていないが、これがただの馬商人の団体さんだと思ってもらうには、その規模にいかにも無理がありすぎた。警戒をされるのも無理からぬことだろう。


「町には絶対入らねえ、何にもないところを通るだけだ。もし心配なら、こいつらが無事にそっちの領内を抜けるまで、俺を人質にとっててもらっても構わねえ」

「お前の身柄なんか預かっても何の保証にもならん、そんな命は我が国にとって何の価値もない」


 いやまあ、それはあんたの言う通りかもしれないが、もうちょっと言い方ってのを考えてくれてもいいんじゃないかな、俺にとっちゃ一個しかない大事な命なんだし。




 山越えは順調だった。


 一行は山道、崖道をものともせず、行きの半分ほどの日数でエンダースを踏破した。


 その道が拓かれて以来、これほどの大勢が一度に通ることはなかったであろう、それゆえに途中で休憩や野営の場所を確保するのには少々難儀したが、苦労したといえるのはその程度だった。


 ブーランと別れた断崖では、少なくとも一頭や二頭、下手をすれば十頭単位で馬を損なうかもしれない、と危惧していたが、まるまる一日を要したものの、ここも無事に全ての馬が飛び降りることができた。


 この場所での躊躇は、大惨事を引き起こしかねない。ここを降りればもう馬で戻ることはできない、ウルズバールの連中にとって、それは故郷との決別をはっきり意識させたのかもしれない。そうであったにもかかわらず、誰の顔にもわずかの迷いも後悔の色も見えなかった。ここで事故がなかったのは、そうであればこそのことだと思う。もちろん人間にも一人の被害もなかった。


 降りた場所には、かなり腐敗がすすんでいたものの、行きがけに斃した虎の死骸がまだ残っていた。その首がないのは、俺が切り取ってブーランに持ち帰らせたからだが、別にこれは自慢したかったからでもなんでもなく、とりあえずパーオさんらこの道を使う人々に対して、道中の危険を排した、ということを知らせるためだ。


「何? 兄弟がこの虎を倒しただと!」

「まあな」


 このことは剛勇ヒルシャーンをもってしても、驚くことであったのか、と一瞬思った。


「いやすまん、今まで兄弟のことは、クソ度胸だけはある、ただのもやしだと思っていた」

「もやして」


 何のことはない。ただ俺が舐められていただけだった。だがそれはお前なんかと比べるからであって、お前が率いてきた他の連中と比べればそう見劣りするわけではないだろう、と抗議したいところではあったが、あえて何も言わなかった。またおかしな腕試しなどやらされても疲れるだけだ。


 こいつらが俺たちの世界に来てからについては、さすがにいきなり今までと同じような遊牧生活をするというわけにもいかない。話し合いの結果、ひとまず全員で山猫傭兵団ウチの団員として加わり、こちらの言葉や生活に馴染んでいってもらう、ということになった。その間は、他の団員たちにも騎乗の技術を仕込んでくれる、ということで話はついている。


 その先は、果たしてどうなることやらわからない。いつまでも拘束するつもりはないし、何か希望があるのなら協力もするつもりだが、ヒルシャーンを頭に、国盗りだの征服だのと物騒なことだけは言いださないように祈るのみである。


 俺としてはこの連中を騎兵の専門傭兵スパルタンとして名を上げさせ、最終的にはどこかの国の将軍あたりに軍団ごとねじ込めれば一番穏当なところかな、とは思うのだが、思うだけだ。どうせそんなことには絶対にならん、という確信のようなものも同時にある。こいつら自身か、あるいは状況の変化か、どこかで俺の予想を大幅に超えてくるに決まっているので、あまり深くは考えないことにした。


 山を下りて最初の町、ミュラキレイズは迂回させた。ディデューンと別の一人だけをやって、ここで預けたものは回収している。


 この町に住む人々に、こんな馬の大群がエンダースを越えてきたなどと知られれば、下手をすると侵略者とも捉えられかねない。馬の出どころはいずれ知られるとしても、なるべく後のほうがいいには違いない。


 ミュラキレイズを過ぎてからは、王立大学院アカデミーの権威とコネクションが大活躍することとなった。


 次の国、イゴンデイトはこの辺りでは大きな国で、その宰相は王立大学院アカデミーの卒業生が務めていた。宰相であるからにはそれなりの年齢、ずいぶんな先輩であるに決まっていて、もちろん面識などはない。それでも行きの段階で接触を求めていて、直接会うことはできなかったものの、結構な便宜を図ってくれていた。


「最近の王立大学院アカデミーはこんなことまでやるのか」


 イゴンデイトの国境で、俺が連れてきたものを見て驚いたのは、その宰相閣下より派遣されてきたルージョンという人物だ。彼もまた王立大学院アカデミーの卒業生で、おそらく俺よりも五、六年の先輩にあたる。ということは若いながらもなかなかの高官ではあるはずで、暇ではない時間を割いて、わざわざ来てくれたということになる。


「いえ、やりませんけども」


 学生の中には馬鹿げた研究をしている奴もそれなりにいるが、たいていは少ししか他人に迷惑をかけない範囲でやっていて、ここまで馬鹿げているのはたぶん俺ぐらいだ。


「僕の在学中は火薬を使った実験で校舎の壁を破壊する学生がいたぐらいだな」


 ルージョンの言うその話は聞いたことがあるが、ずいぶんと縮小されている。実際は校舎がまるまる一棟吹き飛んでいて、その場所は今最新の校舎になっている。しかもそれをやらかした本人は全くの無傷で、しばらく謹慎処分を受けたものの、それから相変わらず研究を続け、その後ごく普通にどこかの国の研究施設に迎え入れられたという。


「そうか、エンダースは馬で越えられるのか」

「はい、見てのとおりになります」

「………………」


 この秘密については、不本意ではあったが喋らされている。それについて、ルージョンがそれ以上の感想を漏らすことはなかった。


「これがこの先五ヵ国の通行証になる」


 代わりに得られたのが、これだ。宰相の印が捺され、俺たち一行の身分を保証してくれている。これがあればこの先、いくつかの国境は素通りできる、もちろん途中でおかしな揉め事を起こさなければの話ではあるが。


 王立大学院アカデミーの繋がりは濃いが、それに甘えるばかりでは許されない。卒業生たちは自国の利益を代表する立場でもあるのだ、互いに恩を売り、それを返すことが求められる。いまだ学生の俺がそれほど多くの見返りを要求されることもないが、さすがにただ乗りともいかなかった。


 それでも俺が教えたこの情報は、紙切れ一枚の代償としては、ずいぶんこの国に得をさせてしまったかもしれない。仕方がなかったとはいえ、正直厄介なことを知られてしまったかもと思う。


 この国が本腰を入れて金と手間暇をかけ、もっと大規模に俺と同じことをすることができたならば、そう遠くない将来、大陸の勢力地図を大きく塗り替えることになるのかもしれない。イゴンデイトにそれぐらいの力はあるだろう。


 むろんここの宰相閣下やルージョンがそんな野望を抱いたとしても、それを口にはしないだろうが。




 俺たちのこの人数では、往路で警戒した盗賊も猛獣も恐れることはない、むしろ戦利品を分捕れる分、いくらでも出てきてほしいぐらいだ。そうして悠々と旅を続け、今その通行証の効き目が消え失せたところで、とある国境の通過が困難なものとなってしまっていた。


 通行証の効果自体は、もう少し前には切れている。


 それでもイゴンデイトが許したなら、ということで通過を許されたところもあるし、警備の人間に金を握らせたところもある、実力行使に訴えることを仄めかせて強引に抜けたりもしてきた、それらの方法が、この場所では一切通用しなくなっていた。


 それをさせているのが、この硬骨の男、ロウバッドだった。


 交渉の余地もへったくれもない、許可なくしては通れないと、その一点張りだ。金の話をちらっと出した時点で、剣の柄に手をかけられて凄まれた。


「じゃあどうすりゃ許可がもらえるんだよ!」

「知らん、そんなことは小官の任務ではない」

「俺たちがどっかの軍や侵略者じゃねえってことぐらいはわかるだろう!」

「それはわからんでもない。お前みたいな間抜けが交渉をしてくる軍があるとは思えん」


 ――間抜けて。


 こんな賢そうな顔をつかまえて、よくそんなことが言えたもんだ。しかしそんなくだらない部分に抗議をしている場合ではない。


「だったら通せよ」

「できんものはできん」

「こうなりゃ力ずくで通ることになるぞ」

「ふん、やれるもんならやってみろ」

「やりたくねえから言ってんだろうが!」


 ここを破れるか破れないかと問われれば、できる、と思う。もちろんそんなことはやったことはないが、武装を整えれば、この程度の柵と百人の軍勢などものの数ではないはずだ。


 だが、決してやりたくはない。


 それができたからといって、こちらも無傷というわけにはいかないだろう。こちらに来てからまだ日も浅いというのに、こんなところで誰かを死なせるわけにはいかない。それにやればどうせ馬にも被害は出る、それならはじめから二、三頭でもくれてやって、おとなしく通してもらいたいところだが、生憎賄賂も通じないときた。


 さらには、俺はこの場で自らの素性を明らかにもしている。ここで武力に訴えればやはり重罪だ。国を抜けてしまえば遠く離れたビムラまで追っ手がかかるとは思えないが、少なくとも『国境破りのウィラード・シャマリ』などという悪名ぐらいは背負うことになり、先々は悪影響も出てくるだろう。


 加えて言うなら、俺は実のところ、こんな頑固で融通の利かないおっさんは嫌いではないのだ。こいつは自分の職務に忠実なだけで、別に悪い奴ではない。賄賂になびかない所も好感が持てる。もし違う場面で出会っていたならば、たぶんいい奴として認識していただろう。というか、現時点で国境破りをしようとしている俺の方が、どう考えても悪い奴なのだ。


 それでも、もはや迂回することはできない。ここまで順調に来ているとはいえ、時間も路銀もそれほど潤沢にあるわけではないし、迂回したところで、また別の場所でこんなふうに止められてしまえば同じことだ。


 俺はひとまず全隊を後方に下がらせた、そしてまた一人で国境の門まで引き返す、先ほどまでと違うのは、今回は騎乗であることと、槍を手にしていることだ。一旦は門内に引っ込んだロウバッドも再び姿を現した。


「……ん、まだ用事か?」

「……高いところから失礼するが、おっさん、悪い、先に謝っとく」

「何だ、気持ち悪いな、諦めたのではないのか」

「逆だ、もう無理やり通ることに決めた」


 詫びたところで、何の意味もない、そんなことはわかりきったことだ。俺が一人で戻ってきたのは、宣戦布告と降伏勧告のためで、それすらも自己満足には違いない。


「できれば降伏してくれたらありがたいんだが」

「するわけがないだろう」

「だよな、ただまあ、あんたの部下が全員あんたみたいに覚悟ができてるとも思えねえ、死にたくねえ奴は下がらせたほうが身のためだぜ」


 ――おっさんよ、妥協できる相手に妥協できないのは、少しも褒められたことじゃねえ。


 人としては立派だが、将としては器が足りない。俺が信用を得られなかったのは俺の不徳だが、そっちの頑迷さにも責任がある。こっちも多くの運命が懸かっているのだ、完全に拒絶されれば噛みつくしかないではないか。これから生まれる損害については、それぞれで後悔をしようじゃないか。


 俺の背後からは、大きな地響きが迫っている。


 確認するまでもなく、それは後方で武装を整えた総勢三〇〇騎、五十人余りの騎馬軍団、ヒルシャーンを先頭にすぐそこまで近づいてきていた。


「じゃあな!」


 俺もここで馬を翻し、隊に合流する。


「撃てぇぇぇぇッ!」


 ヒルシャーンの号令とともに、一斉に弓矢が放たれた。馬の上で矢を射る、というのは、言葉にすれば簡単だが、実際に行うのは決して簡単なことではない。


 国境勢も待機はしていたものの、準備は完全ではなく、覚悟も定まってはいない。押し寄せる馬群の数とも相まって、その矢は実際の本数以上の効果があったようだ。


 柵の向こうからの応射はわずか数本、号令とともに放たれたわけではなく、個人が散発的に撃ち返してきただけに過ぎない。それを見て、こちらから二撃目、三撃目の一斉射撃が行われ、そのうちに軍勢は柵の手前にまで到達した。


 誰も乗っていない馬による体当たりが連続して行われ、柵の一部が破れると、その綻びはたちまちのうちに大きくなり、俺たちの侵入を易々と許すことになった。


 そこから武器を持ち替えての白兵戦、には移行しなかった。国境の兵たちはそれぞれに算を乱して逃げ散っていた。ロウバッドの姿だけはまだ近くにあり、それらを呆然と見送っている。


 抵抗らしい抵抗がなかったため、こちらに被害はまったくないが、向こうは矢の直撃を食らった者が何人かはいるようだ。救護もしてやりたいところだが、それはさすがに偽善が過ぎるだろう。


 それでも、被害は最小限に済んだ、と考えたのはいささか早計だった。振り返って俺の姿を確認したロウバッドは、しばらく忌々しそうに俺の顔を睨みつけていたが、やおら腰の剣を抜き放ち、自らの首にあてて自刎した。


 俺が止める暇もなかったし、あったとしても、かける言葉はなかったはずだ。


 俺が背負うべきものは、また少しだけ重くなった。




 ここからビムラまでは、近くはないが、これまでの道のりを思えば、そう遠くもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る