第五十七話 下手な説得 その報酬
「……というわけで、あいつを連れて帰らなくてはならなくなったわけだが」
その夜、自分にあてがわれた寝所に他の連中を集め、これまでの経緯を説明した。
自己紹介の時に余計な発言をしたため、妙な気を回されて、危うくイルミナとは一緒のところに放り込まれそうになったが、適当に言い繕って、最終的に俺たちの寝所は別々に用意されている。
「べつに月のものが来ているわけではありませんが」
……おかしい。この言い訳も、こちら側の言葉でしたはずなのだが、その内容はまたもイルミナには把握されていて、変な目で見られてしまっていた。
ここの宿舎の内と外は、厚めの布一枚で隔たれているだけのようなもので、決して内緒話に向いている造りではない。だが誰もいないところにこそこそと集まるよりは、ここで堂々としているほうがまだ怪しまれたりしないだろう。サファゾーンとあと何人か、俺たちの言葉を理解できる奴にだけ気をつけていればいい。
結局族長との話し合いでは、他にいい考えも思い浮かばず、
「私がヒルシャーンを説得いたします」
と返答せざるを得なかった。
単なる物見遊山の旅ならまだしも、あいつが手に入れるべき全てを手放し、住み慣れた土地を離れてまで、俺たちと行動を共にしたがるとは思えない。しかしそれでも、それが馬を売る条件だと言われてしまえば、これはもう無理にでもやってみるしかないだろう。
俺の目的達成だけを考えるなら、例えば、ヒルシャーンに承諾したふりをしてもらってここを出発し、途中であいつだけを戻す、などという方法もあるかとも思うのだが、
――や、それはさすがに姑息が過ぎるな。
これは族長に対して信義に悖るだけでなく、ヒルシャーン自身もそんなくだらない嘘をつくつもりにはならないだろう。
それにおそらく、ここウルズバールの一族において、ヒルシャーンを独立させることはもはや既定路線であるようだ。俺が来たことがその契機になったのかもしれないが、このまま放っておけば親兄弟同士で血を見る争いにもなりかねない、ならばきちんと説得して、あいつに納得してもらうのが誰にとっても穏便な方法であるとも思えた。
ただ、あの男は情には厚いが、向こう見ずで短気だ。傭兵にはよくいる口で、そういうのの扱いには慣れているつもりだが、あいつのはもっと苛烈だ。その説得は慎重に行わないと、族長かペトラガーンか、あるいはお后様か、誰の首が飛ぶことになるかはわからない、むろん第一の候補は極めて不本意だが、俺だ。
「おう、あいつがうちに来るのか、俺は大歓迎だ」
「決まってないけどな、そうしなくちゃいけなくなった」
早く再戦がしたいと、ヒルシャーンが直々に指導して、ティラガは今日一日、たっぷりと乗馬を仕込まれたと聞いた。道理で体のあちこちに打ち身を山ほどこしらえているわけで、そこに塗られた薬草の匂いが強烈だ。
「そんで、馬には慣れたのか?」
「……う、の、乗れるようにはなったぞ」
いつも自信だけはあるこいつにしては歯切れが悪い、どうやら大して上手くもならなかったらしい。
「馬での一騎打ちはできそうか?」
これはイルミナに訊いた、ティラガに訊いたら見栄を張って嘘を言う。
「しばらくは無理だと思います」
――まあそんなこったろうな。
馬術の上達のために必要なのは、まず恐怖心を取り除くことだ。度胸十分のティラガならば、馬に乗るだけなら、そう難しくもなかったのだろうとは思う。しかし両足だけで馬を操り、両手で武器を使うとなると、やはり熟練が必要となってくる。こいつなら力ずくでなんとかしてしまうかもしれない、とも思ったが、そうそう上手くもいかなかったようだ。
しかしこれはこれで好都合、なのだ。
「大丈夫だ、あと一週間、いや、三日あればできる」
自信満々にできるかどうかもわからないことを言ってきやがったが、そんなもんに付き合っていられるか。
「いやもう、ここではできるようにならなくてもいい、つーかなるな。あいつとの勝負は勝ち逃げしてくれ」
「勝ち逃げって、男らしくねえな。あいつの方から挑んでくるからには、受けてやるのが男ってもんだ」
「や、だから永遠に受けるな、ってことじゃねえ、勝負の続きはビムラに戻ってからにしてくれってんだ」
「……なるほど、そうやってあいつを誘いだすのか」
「そうだ」
あいつは自分の武勇に誇りを持っている。この世のどこかに自分より強い奴がいるということには、我慢ならないはずだ。もちろんその対抗心だけで、のこのことついてきてもらえる、とは思わないが、少しでもその気になってくれればありがたい。
「しかし、末子相続とは、なかなかおもしろい風習だね」
ディデューンがそんな感想を漏らした。
「そういえば、ウィラードのところもそうかもしれないね。君も団長さんも、長子のくせに家業を継がないで好きにやってるみたいだし」
俺が好きにやってる、と言われるのはいささか心外ではあるが、伯父貴に関してはその通りで、確かに我がシャマリ家では二代続けての末子相続になりそうな気配だ。
「何だよ、アーマの方にもそんな習慣があったら、お前もいずれ侯爵様だったのに、ってか」
「そうだね、そうならなくて本当に良かったと思うよ」
こいつもこいつで、好き放題にしているように見えて、自らの境遇には思うところがある、そのことはこれまでの付き合いで、何となく理解していた。今の言葉は、負け惜しみではないにせよ、別の部分で不満を感じているのもわかる。そこをあえて突っついたりはしないが、詮索しないで互いに茶化しあうぐらいは、許される仲にはなっていると思う。
「それで、私はどうすればいいのかな?」
「お前はあいつが俺たちと来たがるように、あいつの前で俺たちの世界のいいとこばっか並べてくれ。飯が旨いでも、女が綺麗でもなんでもいい。あといっぱい喧嘩ができるとかでもいい」
「ふむ、通訳はサファゾーン君にお願いすればいいわけだね」
「ああ、せいぜい宣伝してやってくれ」
ディデューンは俺たちと違って育ちがいい。美味いものも楽しいことも、大抵の奴よりはよく知っているはずだ。
それにこいつとヒルシャーンは生まれた立場が似ているといえば似ている、どちらも貴種といえば貴種で、傭兵になどなるような境遇ではない。もしヒルシャーンを首尾よく誘えたとしても、
――ま、どっちにしても小細工なんだが。
この程度のことで、あいつが人生の決断を誤るはずがない。二人に水を向けさせて、こちらの世界に興味を持ってもらって、最後は俺自身で拝み倒して、納得してもらわなければならないだろう。
「ウィラード様、私に何かできることはありませんか?」
「ない」
「あるでしょう?」
「ないよ」
「あります」
――根拠もなく言い切るな。
そりゃな、お前がもっとあれだったら、色仕掛けでも考えるところだが、残念なことにあれなことは全然ないのだ。あいつの女の趣味は、もっとこう、普通なのだ。ここ二年の間に大きく趣味が変わったというならその限りではないが、そうでなければお前の出番はない。
「むー」
「むーすんな」
次の日、狩猟から戻ったヒルシャーンを夕食後に呼び出した。
この日の狩りは、ティラガとディデューンが同行している。あいつらもそれぞれ、鹿や兎、リスに似た獲物を捕まえてきていた。それらは広場でさばかれ、今も調理されている。飯を食うのは族長や重鎮、客などが最初で、次に狩りに出た者などから順番になる。
集落のはずれ、誰かが来てもすぐにわかる場所に二人きりだ。肉の焼ける香ばしい匂いだけは、ここまでも漂ってきていた。
「おい兄弟、何の用事だ」
幸いなことにヒルシャーンは手ぶらだった。万が一ここで激昂するようなことがあっても、直ちに突き殺されるようなことにはならないようだ。
「単刀直入に言う、頼む、俺たちのところに一緒に来てくれ」
「ふん、そういうことか。今日になってあのでかい奴が急によそよそしくなったのも、派手な奴が妙な自慢を始めたのも、それが理由か」
――おい!
どうやらあの二人は、よほど下手くそな態度をとったらしい。どうもあまりいいようには捉えられていなかった。
「……そうだ」
「親父殿に何か言われたか?」
「………………」
これは口止めされているわけではないが、肯定もしにくい。お前は肉親の意向でここから追い出されようとしている、などということを教えて何になる。しかしヒルシャーン自身も、何かを察しているようではある。
「……違う。俺たちにはお前が必要だ」
これは嘘ではない。
ただこれに対してビムラ中央会議ないし独立軍が、すぐに武力で潰しにかかってくるとは思えない。それをするとしても、まずこちらの実力を測ってからになるはずだ。しかしいずれ、その実力が張りぼてであるとは見抜かれる。その前には、早急に団員を騎兵として、あるいは軍として仕込まなければならない。その教官として、ヒルシャーン以上の適任がいないことは、馬術を叩きこまれた俺自身が一番よく知っている。こいつにその肩書はないが、これまでやってきた仕事は、まさに将軍としか呼べないことなのだ。
それでも、もともとそれをこいつに頼むつもりまではなかった。例えばサファゾーンなどを借りることができれば、ある程度の時間さえかければ務まる仕事なのだ。騎馬隊がきちんと仕上がるまで、ビムラ中央会議が待ってくれるかどうかは疑問だが、それは自分たちでどうにかしなければならないことだ。
「嘘ではないようだが、本当でもないな」
こいつも直情径行のきらいはあるが、決して愚かではない。感情の機微には聡く、俺の内心は、見透かされてしまっている。
「……余計なことを言うつもりはない、ただ一緒に来てくれ、それだけだ」
「………………」
「………………」
しばらく互いに沈黙が続いた。こいつがどう判断するかまではわからないが、一族の背後の事情にまで思いを巡らせていることぐらいはわかる。こいつはケチではない、むしろ気前はいいほうだ、だが気前がいいからといって、奪われることには寛容ではない。
ウルズバールは自分のものだと、全部ではなくても、いくらかは思っていたはずだ。それを失うことに、どう折り合いをつけるつもりなのか。
やがて、
「とりあえず一発殴らせろ」
「え?」
返答する間もなくヒルシャーンの拳が俺の顔面をとらえ、ぶべら、とも、はべら、ともつかない喚きをあげながら、俺はそのままくるくると何回転かして、無様に草の上に倒れた。前後左右はわからなくなっているが、とりあえず、
「痛え!」
と言える余裕があるくらいには、手加減はされていた。今の不意打ちが本気であったならば、首の骨が折れているか、最低でも意識ぐらいはなくなっている。
「知るか! ……今のはお前に対する甘えだ。この怒りを親父殿や弟にぶつけるわけにもいかん、義母上殿にぶつけるわけにはもっといかん」
――甘えてくれましたか。
殴られたところは痛いが、殴られただけの甲斐はあったようだった。こいつは可能な限り自らの感情を呑み込み、そのわずかにはみ出た部分は、俺の頬で受け止めて許容できる範囲だった。
「ここはペトラガーンにくれてやる」
「ってて……いいのか?」
痛む頬をさすりつつ、立ちあがって発したのは、われながら愚問だった。こいつが一旦言ったことを、翻すわけもないのに。
「正直、まだ腹は立つ。しかし、ここで闇雲に怒って行動すれば、弟の命が助かって喜んだことも、お前に恩義を感じて兄弟分の契りを交わしたことも、全部無駄になってしまう」
それは男らしい決断だと思う。自分のこれまでを否定されたと、怒り狂っても仕方がないところだ。しかしこいつは自分のそんな感情よりも、親兄弟と、一族とを優先した。
「新天地だ、今度はお前の世界を、俺に見せてくれ」
ならば、その心意気には、俺の全霊をもって応えよう。
などと思っていたのは、少しばかり浅はかであったようだ。全ての話し合いがまとまり、ウルズバールを出立する朝、そこに用意されていたものを見て、俺は度肝を抜かれた。
「多い!!!」
そこにいたのは百頭どころではない、その三倍はあろうかと思われる馬の大群だった。
多いのが一頭や二頭ぐらいなら、黙っていただいて帰るところだが、二百頭はさすがに無理だ、というより、これは俺が持って帰る分と、別の何かがごっちゃになっているとしか考えられない。
慌てて係の者を探そうとするが、その方向からヒルシャーンが姿を見せた。
――いやな予感がする。
その後方には、サファゾーンら何十人かの若者がそれぞれの荷物を抱えてついてきていた。
「まさかとは思うが」
こちらに近寄ってくるヒルシャーンに対して、俺はおそるおそる声をかけた。
「ああ、見ての通りだ、こいつらもよろしく頼む」
「……そんでこの馬は?」
「俺の取り分だ、親父殿から財産を分けてもらった」
「やっぱりか!」
――まずいまずいまずい。こいつら全員来るつもりだ。
ざっと数えたところ、総勢は五十人ぐらいになるだろうか。ヒルシャーン以外の人員の手配も頼んではいたが、ここまでの大所帯になるとは! そこまでの用地も糧秣も、何も用意していないし、手持ちの金もそれほど残ってはいない。それにこれからいくつもの国境も越えなければいけないのだ、果たしてそれらを、こんなものが通してもらうことができるのか?
それでもこの期に及んで、来るな、とは言えない。彼らもまた、それぞれに覚悟をして、尊敬する男と同じ道を歩もうとしているのだ。
俺がビムラに持って帰ることになったのは、騎馬隊の素、などというような生易しいものではなくなっていた。ごく一部ではあるが、精鋭の騎馬軍団そのものだった。こんなものがあれば、ビムラ独立軍と拮抗するどころではない、野戦ならば、下手をすると食ってしまえるかもしれない。
ただしそれは、無事に持って帰れたらの話だった。
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