第六十二話 先送りにできること



 先手必勝はやはり世の中の摂理ではあると思う。往々にして逆転されることはありうるものの、それでも先番が有利であることには間違いはない。


 向こうに考える時間を与えない、今は勢いで押しきってしまおう、そう考えた俺は、盗賊退治より帰ってきてから着替えだけを済ませ、直ちに政庁にいるエルツマイユのところに出向いていた。


 得体の知れない騎馬軍団が突然現れた時の衝撃は薄れてきているとはいえ、俺たちのことはこの町にとっていまだ最重要かそれに次ぐぐらいの問題であることには違いなく、あまり待たされもせず議長の執務室に通されたあと、開口一番用件のみを切り出した。


 部屋の中には他に秘書だか事務員だかのおばさんが一人いるが、これが口を挟んでくることは考えられないので、エルツマイユと一対一、これは初めてのことだ。


「できれば、間をおかず次のご依頼をいただければと存じます」

「……どういうことですかな?」


 今回の経緯はすでにこの人の耳にも独立軍経由で報告が入っているはずで、このタイミングでの訪問はてっきり山猫傭兵団ウチの今後の処遇や褒美の話かと思いこんでいたようだが、そんな予想通りのことは言ってやらない。通常の料金分はすでに頂いているのだ、余分に報酬をはずんでくれるというなら、もらう分にはやぶさかではないが、それも逆に裏がありそうで怖い。


 俺たちの立てた手柄に対し、ビムラ中央会議がどのような評価を下すか、ということは、この時点でそれほど気にしてはいない。


 何しろえらいさんの掌返しなどあたりまえのことで、褒められた、不興を買ったなどといちいち反応していては馬鹿を見るだけだ。今回の件では、課せられた仕事を過不足なく果たしたからには、しばらくは文句のつけようがない、ということだけで満足すべきで、それ以上を欲張ればそれこそいらぬ不興を買う。


 俺が目指しているのは、口先だけの褒め言葉や、わずかな優遇という形での評価を受けることではなく、むしろ内心で苦々しく思っているにもかかわらず、手放すことができない、否が応でも共存していかなければならない、そう思わせることだった。


 友情や愛情なら損得勘定を抜きにして考えることもできるが、仕事上の信頼関係とは期待や憶測ではなく、きちんと計算できる利害の上に築かれてこそ揺るぎない。いきあたりばったりの利益やその場その場の虫の居所に左右されるのはこれまでの傭兵団の在り方で、俺が考えるこれからの在り方ではなかった。


「今回は相手が戦わずに降伏してくれて運が良かった、それは否定いたしません」


 ここは敢えてへりくだって見せた。軍からはどのように言われているのかは知れたものではない、エルツマイユもそれは鵜呑みにはしないだろうが、軍事については専門家ではないわけで、わからない部分は言うままを信じざるを得ない部分がある。もし万が一俺たちの実力が過小に伝わっているのならば、そのことに対して声高に反論するよりも、快く受け入れて心証を良くしたほうがましというものだ。


「ふむ、運が良かった、ですか。それはそちらにとってではなく、この国にとって運が良かったということかも知れませんな」


 その言葉は、俺たちの力を認めているのかいないのか、どちらともとれる。というより、わざとどちらともとれる言い方をして言質を与えないようにする政治家の習性みたいなものだろう。


 ――ならばよし。


 今回の件については、こちらに責められるような非はない、それでいてこちらの力量についてはっきりとした評価が得られなかったことは、予想通りの好都合だった。


「この度のことがまぐれではないと、証明いたしたく存じます」


 先に謙虚を装ってみせたのは、今度こそ衆目に明らかな手柄を立てようと前のめりの姿勢になるのを不自然にしないためでもある。


「……まぐれ、などとは思ってはおりませんが……」


 その部分はエルツマイユも否定はしたが、それに続く言葉は濁した。ここで軽々しく、見事であった、とも、ましてや期待外れだった、とも言うことはできないだろう。一旦評価を口にしてしまえば、今度はそれに基づいてそれなりの処遇をしなくてはならないからだ。いかにエルツマイユがこの国の最高権力者であったとしても、絶対権力者ではない限り、この場での即断はしたくないには違いない。


「いえ、今一度機会を頂戴したいのは、それだけが理由ではございません」


 騎馬隊による速攻での包囲、今回はそれがうまくいったということは、口には出さずとも内心では認める分にはエルツマイユもやぶさかではないだろう。


 しかし、そのやり方はいずれ盗賊の業界内でも知れ渡る、そうなれは何らかの対策が講じられるのは当然で、そうなる前にできる限り多くの取り締まりを行うべきだ、と俺は主張した。


 いかにも嘘くさいことだが、


「これもビムラの発展のためかと」


「……とはいえ、予算というものもありますからな。今が国内の不穏分子一掃の好機、というのは否定いたしませんが、そういつもいつも盗賊どもが出没しているわけでもないですし」


 ――違う。


 エルツマイユの言うことは嘘だ。いや、これについては誰もが同じように現実から目を背けているのだから、嘘とまでは言いすぎかもしれない。


 しかし、盗賊団というほどの規模となれば話は別だが、少人数での強盗や盗賊は常にどこにでも出没しているのだ。でなければ町から町への荷物のやり取りのほとんどに、こうも護衛の傭兵が必要なわけがない。それらが存在することがあたりまえに過ぎて、怪我人や人死にが出なかったり、被害額の小さなものは、なかったことになっているだけなのだ。またそれらすべてを事件として取り上げ、取り締まることは、独立軍の人数や装備では物理的にも不可能だ。


「予算のことは、今後は賊徒の捕縛一人につきいくら、という形でいただけましたら、こちらの団員たちも熱心に仕事に励むかと思われます」

「……なるほど、成功報酬というわけですか。それでしたら無駄な出費とはなりませんから、議会の理解も得やすいですな」

「もちろん無実の者を捕まえて成果を水増しするなどということはいたしません、今回のように軍から監督の人員を派遣していただければよろしいかと」


 監視、と言わず監督と言ったのにも意味はある。


 盗賊退治を全面的に任せる、というのも、一度きりの依頼ならば特例として許されたのだろうが、これを継続的に行うとなれば、これは法的にはある意味警察権の貸与とも捉えられかねない、そのことに気づかれればさすがに難色を示してくるだろう。


 だが監視では単なる見張りだが、監督であれば、あくまで全体的な権限は政府側にあり、俺たちは下請けに過ぎないとの体裁は整う。


「そうしていましばらく、我らの力を見極めていただきたく存じます」


 むろん、俺の意図はそんなところにはない。そんな賞金稼ぎのようなことで採算がとれるほどうまくいくはずもない。ただ、俺たちがそうすることによって、国内の治安は飛躍的に改善されるとも思っている。


 恐ろしい騎馬軍団がうろうろしている、そんな話が広まっている国で誰が賊なんかやりたがるか、じきによそに逃げるに決まっている。


 そもそもの目的は俺たちが安心して経済活動を行える環境を作ることだ。しかし騎馬隊はともかくとして、モグリの商売に公のお墨付きをもらうことは、エルツマイユが自らの地盤を敵に回すことと同義で、短期的には不可能のはずなのだ。


 だから、評価されるとか認められるなどということは、希望はしても期待はしていない。


 つまり求めるところは、お試し期間の延長というか、保留状態の継続だ。そしてそのままいつまでも非合法の存在でありながら、なし崩し的に居座ることだった。


「ふむ…………」


 エルツマイユは黙って考える姿勢を見せた。すでに腹案があるならその限りではないが、そうでないなら俺の提案は彼のとっても不都合はないはずだ。


 これは何らかの選択を迫ったわけではなく、むしろ選択をしないという選択で、そのことはエルツマイユ自身も承知の上だろうが、それはこの際どうでもいい。重要なのは、責任を取らなくて済む、ということだ、この誘惑には誰であっても抗いがたい。


 何かを決断する、というのは重いことなのだ。


 これについては、この一年半、山猫傭兵団で大いに学ばせてもらった。


 たかだか五百人足らずの傭兵団の経営すら時に命がけであるのだから、国の運営など本来は命がいくつあっても足らないはずで、決断の機会はなるべく少ない方がいい。


 それに、この時点でムーゼンは判断を放棄している、ならばエルツマイユもそれに倣っても構わないだろう。さすがに『自分もそうする』とは口にはできないだろうが、『考え中』ということにすれば、実質的に何も選ばない、というのは可能だ。


 俺がモグリの商売を再開させて商工会の権益を侵せば、内部からの突き上げもあるだろうが、そうなるにもまだ時間の猶予はある。


 あるいは独立軍が独自に俺たちに対して何らかの行動、例えば積極的な排除などを行ってくるかもしれないが、それはそれで失敗しても商工会の損とはならないし、成功すれば独立軍の発言力は増すだろうが、長老会と歩調を合わせれば、ビムラ中央会議内の勢力図を塗り替えるところまではいかないだろう。


 あとはやはり、俺たち自身の危険性の問題か。商売のことを除いては、俺はこちらから牙をむくつもりは毛頭ない、しかしそのことを簡単に信じてもらえるとも思ってはいない。統制を受け入れるのはまっぴらだが、話の通じる相手だという姿勢は見せてきた、そこをエルツマイユがどう判断するか。


「……わかりました、その方向で調整してみましょう」


 沈黙のあと、ついにエルツマイユは問題の先送りを決めた。

 裏返されたカードをめくるのは、俺かグリッセラーに託された。あるいは再びエルツマイユのところに戻ってくるのかもしれないが、この時点でそれは誰にもわからない。

 そしてそのカードに描かれているのはおそらくババの図柄だ。


 独立軍からの情報をもとに、計画の立案までは参加したが、二回目以降の盗賊退治については、あとの仕切りを団長に任せて、俺は同行しなかった。


 イルミナとともに貝殻亭に残って、久しぶりに事務仕事を再開させている。そもそも俺の本来の業務はこちらなのだ、これを疎かにしていれば、団員たちがどれほど大暴れしたところで、絶対に儲かることはない。


 ここでなるべく早いうちに軍資金を蓄えておきたかった。


 時間的猶予を与えられたことには間違いないが、いつまでもそうしていられると思うのはいかにも楽観的に過ぎる。いつまたエルツマイユらの気が変わるともわからないし、グリッセラーについては、手柄を立てようが立てまいが、危険視の度合いは増してゆくとしか考えられない。


 いつどう転んで、流浪の傭兵団となってしまってもいいように、懐だけは早急に温かくするように努め、加えて心ならずもそうなった時のために、近隣諸国に新たな寄る辺となる所を探してもいた。


 第一の候補はもちろんブロンダート殿下の東パンジャリーで、ここはいまだ係争中であり、おそらく騎馬隊だけならすぐにでも丸抱えしてもらえるのではないかと思う。だが山猫傭兵団ウチがまるまる本拠を移すとなると、これはまた難しい。あの国の規模からして、これだけの団員を新たに受け入れて養えるだけの仕事は得られない。


 傭兵団本体と騎馬隊を分けて運営する、というのも難しい。政府の面目を潰した俺たちが、今も国内で仕事をしていられるのは、騎馬隊が脅威になるのを恐れてのことで、それがなければたちまち干されてしまうだろう。


「近所の大きい所となると、アーマかメンシアードになるんだろうが」


 どちらもビムラの西にある大国だが、メンシアードの内情は知らないし、これといった伝手もない。アーマについては詳しい奴に心当たりはあるが、そいつは今、団長にくっついて騎馬の一部隊を率いているので、ここにはいない。


「まあみんなには頑張ってせいぜい山猫傭兵団ウチの評判を上げてもらおうかね」


 このままビムラに居座るにせよ、他国に本拠の移動を余儀なくされるにせよ、今すぐにというわけではない。それまでは情報収集と営業活動に勤しみ、他の連中には悪者退治で名声を高めておいてもらえば損はない。


「でもウィラード様の評判はすごく悪くなっています」

「……俺が悪者か」


 イルミナが気分のすごく悪くなる情報を教えてくれた。


 俺とセリカ・クォンティの婚約解消は、先日すでに公表されている。


 とはいえ、お互い半ば公人とはいえ、私的なことでもある、それは関係者だけのごく狭い範囲でしか行われていないし、内情を説明する必要もない、あたりまえだがその理由も明らかにはされなかった。


 しかし噂などはすぐに広まるもので、市民たちの中でももはや知らない者はいない。限られた情報しかないことで憶測が憶測を呼び、町の外に突如現れた騎馬軍団の話とも相まって、婚約が解消されたのは俺がそれらを引き連れてビムラ政府に対して叛旗を翻したからだ、という話にまでなっていた。


 完全に的外れというわけでもないのだが、


「そんなんだったら俺がこんなとこで呑気に仕事なんかしてるか」

「呑気にしてたんですか?」

「……呑気、ではないけども」


 気苦労だけなら反乱の親玉にも負けないぐらいはしている。とはいえ、反乱なんかやってる奴がこんな町の中で事務仕事はありえないだろうがよ、誰でも気軽に会いに来れる反乱軍か。


 それでも、セリカに同情が集まっていることだけは救いだった。このことが彼女の声望を貶めることにでもなっていたら、俺はまた大きな負い目を感じて生きていかねばならない。


 いや、負い目自体はもう充分にあるのだ。


 旅から帰ってきてもう一月にもなろうかというのに、その間一度も彼女には会っていない。婚約解消の段取りは何もかもが間に入った人間が取り計らい、俺たち自身は互いに何をどう思っているのかすらわからないまま、全てが終わってしまっていた。


 せめて一言、詫びておきたい、という気持ちは拭いきれない。しかしそれもまた、自分が楽になりたいだけで、彼女のために何の救いにもならないどころか、さらに傷つけることになるかもしれないと思えば、どんな行動を起こすわけにもいかなかった。


「誰も文句を言えぬようにしてからなら、改めてあの娘を迎えに来てもええぞ」


 ムーゼンにはそんなふうに言われたが、それがどのような状況を指すのかもよくわからない。


 このままある意味正義の味方として既成事実を積み上げたとしても、それは大っぴらに評価されることのない日陰者の道で、俺がこの先歌姫の伴侶に相応しい公的な地位を獲得できるとは思わなかった。どれほど金を稼ぎ、盛況を誇ったところで、傭兵団の事務長などは地位とは呼べない。


 万が一その花嫁となることをセリカが望んだところで、外部の目からは山賊に奪われた姫という図式にしか見えず、ビムラ市民から祝福されることはないだろう。その怨嗟の視線はまた、この地で俺たちが活動していくことの支障となるはずだ。


 だからもう、会うこともないのだろう、そう思っていた。

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