第五十五話 力と速さの歓迎会


「こりゃすげえな」


 と、ティラガらが感心するのも無理はない。おそらくは二年前の俺と同じように、彼らももっと小ぢんまりとした集落を想像していたのだろう。


 イーガーロンよりちょうど十日目にして、ようやく視界に入ってきたウルズバールの集落は、千頭を超える馬と羊の群れ、そして大小合わせて数百はあろうかという彼らの住居に埋め尽くされていた。それら住居は遠目で見ても、独特の様式で鮮やかに彩られ、草原の緑によく映える。


 記憶ではその総人口はおそらく二千人にもなるだろうか、これはもう単なる集落とは呼べず、村と呼ぶには人は密集していて、あまりに賑やかではある。人数はやや少なくとも、町と呼ぶのがやはり相応しいようにも思えた、しかもこの町は動くのだ。


「ずいぶん大きくなったんじゃないのか?」


 見え方の角度にもよるのかもしれないが、集落の全容は以前をよりも、倍とまではいかなくても、数割増しで大きくなっているようにも見える、そのことを隣を進むサファゾーンに尋ねた。


「ええ、大きくなっています。族長とヒルシャーン様の威徳を慕って、小さな集落がいくつも傘下に加わりましたから」

「へえ、やるじゃねえか」


 ここでいう威徳とは、単純に恩徳の意味もないではないが、おそらくは武威が大部分を占めるのだろう。今のウルズバールは強い、要するにそういうことだ。


 どこが入り口でもないのだろうが、集落の方から俺たちの方に向かってくる、いくつかの騎影があった。その速度からして初めは警戒のつもりであったのだろうが、こちらに近づくにつれ、足並みは次第にゆっくりになり、やがて歓迎の出迎えといった趣になった。


「客人をお連れしましたー。先に皆様にお伝えくださいー」


 サファゾーンが彼らに向かって大声で手を振る、向こうもそれに応えて手を振り返すと、馬首を翻してもときた方向へ走り去っていった。


「皆さんはお疲れでしょうから。このままゆっくり行きましょう」


 若いくせにこの気遣い、サファゾーンはなかなか人間がよくできていた。ウルズバールの一族には、こういう種類の人間はあまりいない。どちらかといえば傭兵向きの野蛮な連中の方が圧倒的に多い。


 とはいえ、そこから彼らの集落までは、それほどの時間はかからなかった。


 俺たちの到着と前後して、集落の主だった者たちが集まってきている。いずれも俺にとっては懐かしい顔ぶれだったが、ただその中には族長の顔はない。さすがに族長ともなれば、その居場所まではこちらから出向くのが礼儀になるだろう。


「よく来てくれた、兄弟」


 ここに集まった中では、この男、ヒルシャーンが最上位になるだろうか。こいつも元気そうで何よりだ、二年前からごつかったが、それからさらに逞しくなったようにも見える。


「こちらこそまた会えて嬉しい、うぷ」


 互いに歩み寄って固く抱擁を交わす、しかも顔がやたら近い。男同士で気持ち悪りい、とは幾分思うのだが、郷に入っては郷に従え、これが彼らの習慣なのだから仕方がない。


「痛え、強い、痛え!」

「む、相変わらずだな、お前はもっと鍛えたほうがいいぞ」


 うるせえ、馬鹿力が、手加減しろ。


 万力のような締め上げから解放された後は、今回はこちらが世話になるわけで、自分たちの方から紹介をするのがまあ当然だろうと、ひとまず連れの面々を紹介した。


「このでかいのがティラガ、派手なのがディデューンだ」


 と説明し、イルミナのところではた、と考えた。


 前のロンツーガの例もある、この一族の誰かがこいつを見初めるようなことがあっては、また騒ぎになりかねない。同じ轍はもう二度と踏みたくないと、若干の逡巡はあったものの、


「こいつはイルミナ。……まあ、俺の女だ、男どもは手出し無用で願いたい」


 そう紹介した。


 現在の俺は、いまだ公にはセリカという婚約者がいる身分である、にもかかわらず、たとえ嘘でもこんなことを言ってしまうのは、自分がひどく不誠実な男になった気分だ。


「ヒューッ」


 ……俺の前方からそんな声が飛ぶのはまあわからんでもない。


「ヒューヒュー」


 ――何で後ろから来るんだよ!


 もしかしなくても声の主はティラガとディデューンなのだが、今のはこちらの言葉で言ったわけで、その内容がこいつらにわかるはずがないのに。


「いや、今のは俺でもなんとなくわかったぞ」

「ふむ、いいことだ。ウィラードもようやく彼女の魅力に気づいたか、大事にしてあげるといい」

「違え!」


 まさかこいつも理解したんじゃねえだろうな、とイルミナの顔色を窺う。いつもと同じ無表情であるのだが、どことなく思いつめたような風でもある。


「…………わかりました。……ウィラード様の女に……なります」

「なるな!」


 どうして異国の言葉だけが通じて、俺の本来の意図が伝わらんのだ!


 しかも嬉しそうに言うならまだしも、なんでそんなしょんぼりした辛そうな言い方になるんだ、そんなに嫌なら黙っとけ。


 それから向こうの面々の紹介が終わると、


「なあなあ、あいつは強そうだな」


 前置きはいらないとばかりに、ヒルシャーンがティラガを指しながら、話しかけてきた。


 ――早速かよ!


「……ああ、強い」


 こことうちの連中の性格上、この展開はここに来る前から、というより、ビムラを出発する前から予想はしていた。それにしても早い、せめて族長への挨拶を済ますとか、用意されたテントに荷物を運ぶ間ぐらいは待てんのか。


「ティラガ、ヒルシャーンが勝負したいってよ」


 だからもう、腕試しをさせろというような言葉は聞くまでもなく、俺が何を言おうが止めようが、どうせこいつらは、やる。お預けなどする意味もない。


「ああいいぜ、やろうやろう」


 ほうらな、どうせこんなもんだ。


 両者の合意ができた以上、とんとん拍子で準備は進められ、広場のような所に人垣ができるのにそう時間はかからなかった。


 ただ、いつもはこういうことを率先してやりたがるディデューンが、今回ばかりはやりたがらなかったのは意外だった。


「……珍しいな」

「ウィラードは私を一体何だと思っているのだ、自分も空気ぐらいは読むぞ」


 ――空気! ヨム!


 こいつにはおよそ似つかわしくないような言葉を聞かされてしまった、まさかこの男の辞書にそんな文字があるとは。万が一あったところで、それはどうせ下手な字で書かれていて、誰も読めないようなものに違いない、と思っていた。


「ヒルシャーン君だったね、彼は強いぞ」

「知ってるよ」


 あいつは、俺が強さでデンプスター師匠の上に位置付けた、初めての男だ。その後見てきた中でティラガ、ギリスティス、ネクセルガと何人かがそれに続いた。それら同士の優劣までは、俺の眼力ではわかりようもない。


「私では勝てない」

「かもな」


 こいつはこの前師匠には負けたからな。完全な真剣勝負ではどう転ぶかはわからないにしても、ある程度本気だったのは知っている。ならばより上位と思われるヒルシャーンに勝てないというのは道理だ。


「けどよ、うちの師匠にはかかっていったじゃねえか」

「あれは、別に負けても良かったからね。今日のこれは、たとえ遊びでも、なるべくなら負けない方がいい勝負だ。君のためにもね」


 ――何だよ、よくわかってんじゃねえか。


 ここの文化も、傭兵と似たところがある、強い奴は偉いのだ。偉い奴は強くなくてはいけないのだ。俺の実力はすでに知られてしまっているが、まあまあ強いんじゃないの、くらいの扱いで、少しも威張れるほどではない。ここで他の二人が手もなく捻られるようでは、天蓋の向こうの連中はみんなこの程度かと、この一族全体から舐められてしまうだろう。


「審判は俺がするぞ」


 中央で準備運動をする二人に歩み寄った。この中で双方の言葉を一番話せるのは俺であるわけで、他の誰がやるよりも、まあ妥当なとこだろう。むろん公平にもするつもりだ。


「熱くなりすぎて怪我すんなよ、危ないと思ったら止めるからな」


 俺の手には弓と一本の鏑矢が握られている、これは射ると笛のような大きな音が出る。


「止めの合図を出しても続ける奴がいたら、そいつを負けにして、それから罰として坊主にする、いいな」


 同じ説明を別々の言葉で言い直さなくてはならないのは非常に面倒だ。


「心配するな兄弟、ちゃんと手は抜いてやるよ」

「合図がある前にカタをつければいいんだろう」


 心配するのが嫌になるぐらい、どちらも自信満々だった。自分の強さを疑わないのは結構だが、あまりの能天気さに、どちらの鼻もへし折られてしまえ、とも思うし、この屈託のなさは、このままどこまでも伸びていくべき尊いものであるのかとも思ってしまう。


 ヒルシャーンの普段の得物は槍だが、今回はそれを模した棒だ。穂先にはフェルトの布を巻きつけて、なるべく怪我をさせないようにはなっている。


 ティラガはここの軍事調練用の武器から、自分に合ったものを探していたが、こちらでは剣はあまり一般的な武器ではない、いつも使っている大剣ほどの大きさの木剣などは用意されておらず、仕方なくその中では一番大きなものを使うようだ。


 首をかしげながらそれを素振りしているが、ちょっと軽いな、あるいは、軽すぎるな、とでも思っているのはまるわかりだ。だがこいつはそんなことを言い訳にするようなことはないだろう、負けた時に言い訳を探すような奴に、初めから勇者の資格はない。


 それぞれに用意が整い、ある程度両者を離したところで、


「始め!」

「シャアッ!」


 号令をかけるのとほぼ同時、先に間合いを詰めたのは、攻撃範囲の広いヒルシャーンだ。


 地を蹴る足の力強さが突きの鋭さと相まって、その攻撃はまさに電光石火、大抵の相手なら反応もできずに、この一撃だけで終わってしまう。


「だッ!」


 だが受けに回ったところで、ティラガは決して弱くはならない、守りもまた鉄壁になるだけだ。その初撃は受け止められるどころか、むしろ倍する勢いで弾き返された。


 ヒルシャーンの体勢が一瞬泳ぐ、だがティラガがさらに距離を詰められるほどの隙にはならない。直ちに二本目の突きが繰り出され、それを防いでも三本目、四本目がティラガに襲いかかる。


 どちらも剛力の者だが、体格ではティラガがより勝っている。力のティラガ、速さのヒルシャーンということになるだろうか。


 受け太刀の力強さに、その速度が殺されてもいるようだが、ならばより疾く、と手数では圧倒的にヒルシャーンだ。その攻撃に虚実を織り交ぜ、自らの攻撃権を手放さない。防御に手一杯のティラガは、見ている限り一度たりとも、反撃らしい反撃ができないでいる。


 かと言ってどちらが優位とも、一概には言い切れない。


 じりじりと後退を余儀なくされているのは、むしろヒルシャーンの方なのだ。あまり力のない攻撃は度々ティラガの体をかすめてはいるが、力の乗った一撃はさらなる力に阻まれて、逆に自身の体勢を悪くしてしまっている。


 ――……わからんくなってきた。


 この時点で審判をしていることを、俺は若干後悔している。試合は白熱の度合いを増して、双方が何をしているのか、自分の目が追いつかなくなってきているのだ。こんなことなら『止め』の合図だけでも、ディデューンに任せるんだった。


 これがもし実戦ならば、ティラガはすでに傷だらけで、その戦力はいささか低下しているだろう、だが戦えなくなるほどでもない。反対にヒルシャーンは無傷ではあるものの、次第に体力は奪われていっているはずだ。


「があああああああッ!」

「おらおらおらおら!」


 それでも両者の戦意が衰えることはない。無尽蔵とも思える体力でなおも激しく武器を交え、互いに得物は木でできているにもかかわらず、火花さえ散りそうだ。


「しゃおっ!」


 それはついに始まった、ティラガの反撃だった。二人の間合いは、一瞬だけそれほどまでに縮まっていた。


 片手で水平に払われた剣は、ヒルシャーンの胸元を狙うが、それは上体を反らされて、むなしく宙を斬る。ヒルシャーンは自身の間合いに戻そうと、数歩を後退する。ようやく巡ってきた攻撃の機会を手放すまいと、ティラガも追いかける。


「ッッパィヤーッ!」


 よくわからない気合が発されたが、それはヒルシャーンの思う壺だったのだろう、その踏み出す足を狙っていた。前のめりになったこの姿勢では、その穂先は避けられない。


 ガツン、と。それは槍の先がティラガの膝を捉えた音に聞こえた。


 だがそれは、膝ではなく、地面。


 ティラガの剣はその槍をまっすぐ下方に叩き落としていた。


 直前に全力で空を切った剣、それが直ちにそんな動きができるとは、通常では考えられない。それをなし得たのは、ティラガの尋常ならざる怪力があればこそだった。


 地をえぐった穂先、これまで一時たりとも止まることのなかったヒルシャーンの槍、それが今一瞬だけその動きを停止させた。


 好機とばかり、ティラガがその柄を踏みつけてヒルシャーンに迫る。


 その勢いでこの巨体の体重がかかれば、普通の奴なら槍をたちまち取り落し、保持し続けることは叶わないだろう。しかしヒルシャーンも膂力では相当だ、これをそう簡単に手放したりはしない。


 だが、木製の槍ではその強度自体が保たなかった。


 踏み込む足に先端の方がへし折られ、次の瞬間にはティラガとヒルシャーンの体がぶつかって、もつれ合うようにしてその場に倒れ込んだ。


 そうなったのは、勝敗の行方を確信したティラガが、最後に剣を振るわなかったからだ。


「勝負あり!」


 どちらの勝利とは、もはや宣言するまでもなかった。


「やるな、あんた」


 上になったティラガが、立ちあがりながら手を差し伸べる。実に嬉しそうだな、お前。


 ヒルシャーンもその手を掴むことには抵抗はないようだ、だが、


「くそ、負けた! 今度は――」


 ――そうなるよな。


「待て、そいつは馬はド下手だ」


 続きを聞くまでもない、どうせ次は馬に乗ってやろうというのだ。ヒルシャーンは馬上での戦いこそ本職で、こんな徒歩での勝負など余興のようなものに過ぎない。この結果をもって、ティラガの方が強い、などとはとても言い切れない、騎馬戦ならば全く相手にもされないはずだ。


 だがまあ負けず嫌いなのは、こいつも一緒だ。たとえ得手ではない勝負であったとしても、対等の条件でこうも明らかな敗北は、もしかすると子供の時以来になるのかもしれない。


「馬でやってみてもいいが、ちょっと二、三日そいつを仕込んでからにしてくれ」

「ちくしょうが! ならみっちりと仕込んでやる、それから再戦だ!」


 今回はここへは馬を売ってもらいに来ただけだ、前の時のように、そう何日も滞在することはできない。だが山猫傭兵団ウチで騎馬隊を持つにあたっては、やはりティラガの武勇が要となるだろう。帰りの道中で馬に慣れてもらうのは当然だが、ここにいる限られた時間の中で得られるのは、たぶんそれよりも濃密なものになるはずだ。


 それに、馬の質にはこだわらないが、せめてこいつの分だけでも、その巨体を乗せてもものともしないような名馬を用意してやろうと思っている。ならば馬との相性を見るためにも、せいぜい早く上達しろってなもんだ。


 だからこの成り行きは、俺には歓迎すべきことだった。


 しかしこの後、族長との会談において待ち受けていたのは、またしても俺の予想を超えた要求なのだった。

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