第五十四話 名もなき村の話


 ウルズバールの集落は、俺が以前に滞在していたあたりにまで移動してきているらしい。ならばイーガーロンからの距離は、馬で十日かからない、といったところになるだろうか。


 野営をしながら数日、今俺たちの目の前にあるのは、特に用もない、ただ通り過ぎるだけの朽ち果てた村だった。


「………………」


 見渡したところで、人の気配などどこにもない。崩れた壁、焼け焦げたまま風化した民家、その風景を見ながら、誰に対しても話すべきことは何もないが、胸のうちには少しばかりの感慨と、おもしろくない記憶がある。


「ここは、知っている場所ですか?」

「……俺が初めて死ぬかと思ったところだ」


 イルミナの質問にはそうとだけ返す。その時は、この村は確かに村だった。俺はこの場所が人の住むところでなくなる、その瞬間に立ち会っていたのだ。


「その節はたいへんご迷惑をおかけしました」


 冗談で言っているのかとも思うが、サファゾーンの顔はいたって真面目なものだ。


「……迷惑とか、そんな次元でもなかったけどな」


 いやまあ、こいつが悪いとか誰が悪いとか、そういう問題ではないのだけれど。


 二年前にこの場所で起こったことは、人の手によってもたらされた悲劇だった、それも隣を行くサファゾーンらウルズバールの一族によって行われた、略奪であり、虐殺であり、破壊だった。


 しかし俺はそのことについて、今この時点においては、それは痛ましいことである、と言うことはできても、決して許されることではない、とまでは言いきることができないでいた。


 ……遊牧の民というものは、そうするものなのだ。


 これは彼らが強欲であるとか、残虐であるとかを意味しない、ただそういうものである、あるいは、この世界自体がそんなふうにできている、としか言えないだろう。


 彼らの生活は、狩猟と牧畜、それから交易によって成り立っている。生活必需品の多くは、交易によってしか手に入れることはできない。彼らからすれば交易は、生きるためになくてはならない手段であるが、定住の民からすれば、彼らとの交易は、あれば便利だが、なくてはならないほどではない。必然的に上下関係が生まれ、さらには差別のような感情もある、その取引は常に一方的に足元を見られているようなものだった。ビムラの商人が聞けば驚くような安値で、馬や羊が売り買いされているのだ。


 彼らの暮らしは環境や時勢に大きく左右され、決して豊かなものではない。生きるために充分なものが手に入らないのならば、彼らには自らの命を守るため、時に力に訴えなければならないことがあるのだった。


 これは、正邪善悪を超越したところにあるものだ。それによってより大きな被害を蒙るのが、弱い女子供や老人であったとしても、誰にもどうすることもできない。それをよくないことだと口先だけで言い張ったところで、青臭い書生論に過ぎない。




 ――二年前。


 その前触れがあったのかどうか、言葉も不自由な上に、つい数時間前にこの村に来たばかりではわかる由もない。イーガーロンでパーオさんと別れ、そこから一人で旅を続けていた俺は、数日かけてこの名も知れない小さな村に辿りついたところだった。


 久しぶりに保存食以外の食い物を、と村に一軒しかない食堂を探し当て、ようやく人心地ついた俺が店を出て目にすることになったのは、これまでに見たことがない凄惨な光景だった。


 遠くから大きな振動のようなものが近づいてくる、そう思ったのは束の間のことで、それはまたたく間に辺り一面の馬蹄の響きへと変わった。


「アー! アー! アーッ!」


 馬の上にはそれぞれに武器を持った屈強の者たちが跨り、口々に雄叫びを上げながら走ってきていた。やがてそれらは散開し、その矛先は無差別に村の住民へと向けられた。


 ――賊かよ!


 自らの不運を呪う間もあらばこそ、さっさと物陰に身を隠す。その場所から村の様子を窺うと、あてもなく逃げ彷徨う人々が老若男女の区別なく、次々と槍に突き倒され、弓矢に射られ、馬に踏みつぶされ、紙屑のようにその命を散らせていた。


「助けてくれ!」


 そう言いながら俺の傍らを走って逃げた食堂の親爺も、まだそれほど行かないうちに、惨劇の渦に呑まれて消えていった。


 馬の中にはまた、両手に松明を持った者がいて、それは町のあちこちに火をつけて回っているようだった。


 それらは、俺が知っている野盗などとは、やっていることは同じでも、その規模や残虐性、徹底的であることは桁違いだった。俺たちの側の世界では、野盗は村を滅ぼしたりはしない、野盗にとって村がなくなることは、略奪する場所がなくなるということでもある、奪うにしても殺すにしても、そこには手加減といったものがある。


 だがここにはそんな慮りはない、この村の全てを殺し尽くし、奪い尽くし、焼き尽くす、そんな意志すらあるようにも思えた。


 ――ひでえことしやがる。


 この時の俺にはまだ、この地獄のような有様は、そんな風にしか捉えようがなかった。ひどいことだと思うのは今も同じだが、このことが持つ意味、そして闇について知るのは、このもう少し後のことになる。


 ――守備の連中は何してんだよ!


 この町には軍や自警団はいないのか、そう思ったが、組織だった抵抗はどこにもなかった。あったとしても、この町の規模なら人数はたかが知れている、ちょっと見ただけでも百は下らないこの騎馬集団を相手にして、戦えるようなものではないだろう。


 ――やるのはちょっと無理だな。


 村を守ろうと何人かの勇敢な者が、破れかぶれでこれに立ち向かった姿もあったが、いずれも一人を討ち取ることもなく、骸に変えられてしまったようだ。俺も腕に少しは自信はあるが、あんなのを見せられた後では、抵抗する気になれるわけもない。それに頑張って一人二人を斃したところで、それが一体何になるというのか。


 ――逃げるしかねえか。


 そう決断だけはしてみたが、しかし、逃げるといってもどこへ逃げるのか。


 今の俺は、民家の隙間で、たまたままだ誰にも見つかっていないだけの状態だった。騎馬は前後左右を行き交い、こうしていてもいずれは見つかってしまうだろう。またそれらを息を潜めてやりすごすことができたとしても、今度は建物伝いに火が押し寄せてくる。


 ――仕方ねえ。


 近くに誰もいなくなったのを見計らって、体を屈めてその場から離れ、少なくとも火がこないような開けた所にまで移動する。そこは、井戸のある辺りだった。


 いくつかある死体の中から、なるべく多くの血を流しているものを脇へよけて、俺はそれが作った血だまりの中にうつ伏せに倒れ込んだ。腰からは剣を抜いて、万歳の姿勢で頭の上に投げだした手の近くに置いた。


 死んだふり、だ。


 抵抗することも逃げることもできないならば、これでやり過ごすしかない。抵抗はしてみたものの、あえなく敗れた旅の剣士、そんなところだ。


 そのまま耳だけは注意深くそばだてている。喧噪はその後も長く続いたが、そうして横になっているうちに収まりつつあった。略奪者以外に動くもののなくなった村で、今は食糧や金目のものが運び出されているようだった。


 ……何とかなった、か。


 たまたま立ち寄っただけの場所でいきなりこんなことに巻き込まれようとは、想像の埒外だったが、それでもどうやら命だけは永らえたようだ。俺の周りで死んでいる連中には申し訳ないが、俺もこんなところで死んでしまうわけにはいかないのだ。


 だが、俺の危機もまだこの時点では終わってはいなかった。


「お前、そこのお前」


 その呼びかけが初め、自分のことを指しているとは思わなかった。だからその呼びかけがあった後も、俺は微動だにしなかった。


 呼びかけた男が、馬に乗って俺の脚の方向から近づいてきたことは、その気配でわかった。


「お前だ、そこの死んだふりしてる奴」


 しかし、地に伏した頭のほぼ真上から言われてしまえば、それは俺のことに間違いはないのだろう。


 ――バレたか!


 背中に冷たいものが走った。こうして見つかってしまった以上、あちらこちらで死体が量産されている中、俺だけがその例外でいられるとは思えなかった。


 ――……少しでも抵抗するか。


 手を伸ばせば、少なくとも剣だけは手に入る。体勢は極めて不利だが、どうにかして声をかけてきた奴だけでも斃し、何とか逃走を図る、それしかないように思えた。同じられるにしても、こんな情けない格好で死ぬよりは、男の意地ぐらいは見せておきたい。


 だが、その男はこともあろうに俺の胴体部分を通り越し、それから馬を降りて、頭の方に落ちている剣を足の下に踏みつけながらその場に座り込んだ。抵抗の手段までもが奪われ、これで万事休すだった。


「起きろ」

「………………」


 こうなればもう、開き直るしかなかった。この男がわざわざ話しかけてきたからには、直ちに殺すつもりはない、そう信じるしかないだろう。もし俺を殺すつもりであったのならば、わざわざ起こすまでもない、無防備な背中を一突きでもすればよかったのだから。


「……起きてるよ」


 そう言って、頭だけを起こす。


 しゃがみこんだ男と俺との視線が合った。それは俺と同じぐらいの年齢だろうか、黒い髪に黒い目、黒いマントを羽織った、狼を思わせるような男だった。


 これが、俺とウルズバールの勇者、ヒルシャーンとの出会いだった。


「………………」

「………………」


 顔を合わせたところで、俺の方に用などなく、語るべき言葉も持たない。言えるのはせいぜい命乞いだけになるのだろうが、おそらく今はそれをするべき時ではないように思えた。


 男はしばらく俺を上から下まで観察していたようだが、やがて質問を投げかけてきた。


「……お前、この辺りの者モンじゃねえな、どこから来た」


 いつまでも寝そべっているわけにもいくまい。喋っている言葉はわかる、その質問に答える前に、俺は身を起こし、その場に胡坐をかく体勢で座り直した。その間、向こうも緊張を切るようなそぶりは微塵も感じられない。おかしなことをすれば殺す、その意思はまだ明確に感じられる、だから、


「殺さないのか?」


 そうは訊かない、代わりに、


「その前に自己紹介だ、俺はウィラード・シャマリ、あんたは?」


 自ら名乗ったのは、生存の確率を少しでも高めるためだ。それがこの男にどれほどまでに通用するかは疑問だが、俺はかつて、『兵は名もなき相手になら無慈悲になれるが、互いに見知った相手ならばそれを躊躇う』といったことが書かれた文献を見たことがあった、その記憶が不意に頭の中に呼び起されたのだ。


「……ふん。俺はヒルシャーン。ウルズバール族長ケンモンティンが一子、ヒルシャーンだ」


 男もつまらなそうに、自己紹介を返してきた。


 族長、というのは俺の常識に当てはめて考えれば、野蛮人の王様といったところになるのだろうか、ならばこの男は王子様、ということになる。この軍勢を率いてきたのも、果たしてこいつなのだろうか。


 ――王子様にしちゃ、気品もへったくれもあったもんじゃねえが。


「……ヒルシャーン様、とでも呼んだほうがいいのか?」

「けっ、ただのヒルシャーンでいいぜ」

「じゃあヒルシャーン、先の質問に答えるが、俺は確かにこの辺りの者じゃねえ、ここへはエンダ……、じゃねえ、天蓋の向こうから来た」


 天蓋、とはこちら側でのエンダース山脈の呼び方だ。


「天蓋って……天蓋だと、本当か、あんな向こうに人が住んでいるのか」

「知らなかったのか」

「うむ、あんな場所にも人はいるのか」


 俺にとってはヒルシャーンが驚いたことのほうが意外だった。


 ――なるほど、こいつらにとってそれは常識ではないってことか。


 少なくとも、こちら側の俺が見てきた地域では、エンダースを越えた向こうに人が住んでいることは知られていた。それを王子様ともあろう者ですら知らないということは、この一族の文化的水準が多少は理解できようというものだ。


「本当だ、と言っても、証明する方法はないが。まあ一緒に来てもらえれば、案内ぐらいはできるがな」

「ふはは、なかなか面白いことを言う。お前の言っていることが本当か嘘か、確かめてみたいところだが、そうもいかん立場でな、まあ信じておくとしよう。ここの者でないというなら、殺す理由もない」

「いいのか、死んだふりをするような奴の言うことだぞ」

「嘘をつく奴は、そんなことを自分では言わんものだ。……それで、ここへは何しに来た?」

「ここ、というのはこの村か、それとも天蓋のこちら側のことか?」

「両方だ」

「この村に来たのは、たまたまだ。旅をしていたら辿りついただけで、特に意味はない。……こちら側に来たのは……」


 改めて考えてみれば、俺がこちら側へ来た意味も特にはないことになる。いずれ仕官したときのため、などと言えなくもないが、確たる目的とまでは言えない。現状、話のタネに、くらいのことしか言いようがなかった。われながら実にあやふやで、殺さないとは言われたが、迂闊にこんなことを口にすれば、また怪しまれて斬られることになるかもしれない。


「……そうだな、世界を見るため、かな……」


 無理にでも絞り出して言葉にすれば、そのようなものになるのだろう。陳腐ではあるが、決して嘘偽りではない。


「世界? 世界とは何だ?」


 ――む。


 彼らの一族には、世界と言う概念もないのか、と思ったが、よくよく考えてみれば、俺自身も『世界とは何か』ということについて、深く考えたことがないことに気づいた。俺にとっても、ただ漫然と世界は世界であり、それ以外のものではなかった。


 しかし無意識に、口は言葉を紡いでいた。


「……世界とは、自分以外のもののことだ。俺からすれば、お前も世界だ」

「そうか、俺も世界か」

「よかったら、お前の世界も見せてくれ」


 これもまた、こんなことを自分がなぜ口にしたのかわからなかった。こいつらは、たった今見たように、女子供を区別することなくこんな大量虐殺をするような悪人ではないのか。ここに来るまでも、俺は何組かの盗賊のような連中とは相対していた。そいつらを斬ったことはあっても、道行きを共にしようと思ったことなど一度もない。


 しかしこのヒルシャーンの目は、そんな連中の目が持つ後ろ暗さとは無縁だった。こいつらは俺の知らない常識で動いている、そんなふうにも思え、それもまた、王立大学院アカデミーの学生として、俺が学ぶべき世界であるかのように思ってしまったのだ。そして一度口にしてしまえば、それは当然のことではないかという気分にもなっていた。


「……何だ、俺たちの所に来たいのか?」


 それは、こいつにとってみれば、意外な申し出ではあっただろう。俺たちはそれぞれに違う常識に生きている、そして俺の持つ常識は、俺の世界で一般的な常識ともまた違う。


「見せてもらえるんなら、お願いしたい」

「……ふん、俺はいいが、親父殿が何と言うかはわからんぞ。族長が殺せと言うなら、お前を殺すことになる」

「……それは困るな。そうなったら一緒に命乞いぐらいはしてもらえるか?」

「くふっ、なかなか図々しい」


 笑いながらヒルシャーンは立ちあがった。続いて自分も立ちあがる、彼らについて行くことは、俺の中では決まっていた。


「まあいい、一度だけならやってやる、それ以上は自分の運命だと諦めろ」


 略奪に散っていた者たちが集まり、撤収の準備が進められる中、俺にも馬の一頭があてがわれた。人間よりも馬の数がずいぶん多い、彼らは替えの馬を何頭も用意してきているのか、ここまでの騎馬集団は、この時まで俺の知識の中には存在しなかった。


「馬は乗れるのか」

「少しだけなら」


 そうか、と答えたヒルシャーンは、一人の若者を呼び寄せた。俺より三つほど年下だろうか、まだ少年を過ぎたばかりだ。


「サファゾーン、こいつの荷物を持ってやれ」

「わかりました」


 村は立ち直ることが不可能なほどに荒廃していた。その場所に俺の後ろめたさだけを残して、俺たちは出発した。


 全員が略奪したばかりの大荷物を抱えているにも関わらず、王立大学院アカデミーで少しばかり馬術を習った程度では、どれほど必死になっても最後尾をついていくのでやっとだった。俺がはぐれたりしないように、サファゾーンがすぐ後ろをついてきてくれているが、これはこれで年下のものに子守をされているようで、あまり気分のいいものではなかった。


 こうして、俺は彼らとしばらく過ごすことになったのだった。




「――ま、そういうことがあったってことで」


 結局仲間たちには、その経緯を話すことになっていた。傭兵であるにも関わらず、略奪だの何だのは、こいつらも嫌いなのだ。ウルズバールの習慣についてそのようなものがあることは説明し、理解もさせておいたほうがいいだろう。


 もし万が一、あの時のことがこの面子でいる時に起こったら、おそらく義憤に駆られて全員で立ち向かって、全員で死ぬことになっていたのではないかとも思う。いやまあ、俺とイルミナだけが死んで、あとの二人は生き残るのかもしれないが。


「死んだふり、ですか」

「わはは、死んだふり、ね」

「ふむ、どんな格好だったか、ちょっとやって見せてくれないだろうか?」

「するか! だから言いたくなかったんだよ!」


 その名を知ることもなかった村は、俺たちの後方に過ぎ去って見えなくなっていた。いずれ誰の頭からもその記憶は抜け落ちて、俺がこの先その名前を知ることも、もう永遠にないのだろう。

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