第五十三話 ひとつの再会
ウルズバール。
それが俺たちが探し求める遊牧の一族の名前だった。
エンダースを越えてすぐの町は、町というより村でしかなく、向こう側にとっても辺境に過ぎない。俺たちはそこを過ぎて次の町、イーガーロンにまで辿りついている。ここもまだまだ大きな町とも言い難いが、商業ぐらいは根付いていて、パーオさんら交易の商人たちの目的地も、この場所になる。
ここから先は、闇雲に進んだところで意味はない。しばらくはここに滞在し、充分に情報を集め、ウルズバールの民の居所を突き止めなくてはならない。
「むう、手紙の返事が届いてたら楽だったんだがな」
前に来た時に世話になった商店を、勝手に返信先に指定しておいたが、やはりそこには何も届いてはいなかった。いきあたりばったりになるのは承知の上で、それでも少しは期待していたのだが。
「これからどうしますか?」
イルミナの疑問ももっともだが、こいつも別に不安そうにはしていない。
「酒場で聞き込みでもするしかねえな」
これもまた予定の行動で、人の集まる場所でのそれは、情報収集の基本だ。また定住の民にとっては、遊牧の民というものは、その全てがそうではないものの、時に恐るべき略奪者でもある、その動向はなるべく把握しておきたいものであるはずだ、そこで俺たちが探している答えが見つかる可能性は大いに考えられる。
「飲めるのか!?」
「飲もうじゃないか」
「飲んでもいいけどよ」
能天気な連中に許可を出してみたものの、俺も酒場がどこにあるのか、その場所までは知らない。なるべく大きなところ、それも地元の人間ではなく、行商の人間が利用するようなところがいいだろうと、ぶらぶらと探し歩くことになった。まだ日も高い、それが見つかったところで、営業していないかもしれないが、それならしばらくこいつらに異国情緒でも楽しませてやればいい。
「思ったよりも大したとこじゃないな」
街並みを見回しながら、ティラガが失礼な感想を漏らした。だがここでは言葉が通じない。行き交う人々に聞きとがめられるような心配はあまりしなくてもいい。
でもまあ、こいつの言う通りではある。今歩いている所はこの町の中心部に近く、人通りは多いが、全体で見ればこの町の規模はヴェルルクスはおろか、ビムラにすら及ばない。立派な建物も少なく、泥でできた安物の漆喰造りの家が大半だ。エンダースを越えての東西交流がもっと発展すれば、ここもさらに大きくなる余地はあるのだろうが、今のところはその気配もない。
「もっと東に行けば、ヴェルルクスよりも大きい所もあるらしいんだがな」
伝聞の形であるのは、そこまでは俺もまだ行ったことはないからだ。俺が知っているこちらの世界も、ほんのわずかな地域に過ぎないのだろう。いつかはそんなところも見てみたい、という気持ちもないではないが、今回もまた、それはお預けだ。
しかしこんな田舎町であればこそかもしれないが、俺たちの風体は目立つ。ただ歩いているだけでも、町の人間の耳目を集めてしまう。彼らにとっては、商人風でない異国人の姿など、初めて見るものであるのかもしれない。しかもそのうち一人はこちらでも珍しいぐらいの大男ではあるし、もう一人は場違いなほどにきらびやかな格好をしている。
いや、ディデューンはこれでも、エンダース越えの最中はまだおとなし目の格好ではいたのだ、だが前の町からは、いつもの貴族らしい服装に着替えてきていた。
「私はこれでも家名を背負っているのでね、やはり人前にでるときはそれなりの格好でいなくちゃならない」
貴族の心構えか何だか知らないが、そんな風に言っていたが、俺にはただの目立ちたがりのように思えてならない。山でその格好をしなかったのは、単に服が汚れるのが嫌だったからに違いない、と睨んでもいた。
「……ま、いいや。とにかく俺からはぐれるんじゃねえぞ、こっちじゃお前ら、言葉も通じねえんだから、ちゃんとついてこないと迷子になるぞ」
後ろを振り返りながら注意する、そしてまた前を向いた。
「!!!」
慌ててまた振り返る。
「何でいなくなってんだよ!」
さっきの今であるにもかかわらず、側にいるのはイルミナだけで、でかい男も派手な男も俺の後ろにはついてきていなかった。見回したところで、視界の範囲にはいない。
――くそったれが!
どこかに行きたいなら行きたいで構わないが、どうして一声ぐらいかけていかないんだ、あいつらは。
「探すぞ」
「はい」
イルミナと一緒に、もと来た道を小走りで戻る。俺たちにとっても目立つ連中ではあるので、見つけるのはそう難しくないとも思うのだが。
少し戻ったところで、ディデューンはすぐに見つかった。どうやら通りすがりの女の子たちに声をかけられていたようだ。身なりから察するに、彼女らはそこそこ裕福な層のお嬢さんたちのように思える。
今さら重ねて言うのもあれだが、こいつはちょっと他にはないくらいの男前だ。道行く女の子たちの中に、貴族様だ、畏れ多い、という気後れを乗り越える奴がいたならば、どこでもすぐにこんな風に取り囲まれてしまうのだ。こういうことはビムラでは日常茶飯事で、ちょっと立ち寄っただけのヴェルルクスや他の町でもあった。
「おいこら、何してる」
「やあ、彼女たちが放してくれなくてね」
「時と場所をわきまえろ!」
気取ったところがないのはこいつの美点ではあるが、それでもどうかしている。第一彼女らとは話が通じていないだろうに、何でそんな気さくに応じられるんだ。
「どうやらお茶でも飲みに行かないかと誘われているようなんだが、構わないだろうか?」
「かまうわい!」
とりあえず俺が通訳し、女の子たちにこいつを解放してもらえるように事情を話す。
「あなたはこちらの方の、ご従者の人ですか?」
「……従者、ではないが」
全く失礼な言い草だ、俺のどこが従者なんかに見える。そもそもディデューンも俺と同じように大荷物を背負っているのだ、いくら服装が立派でもそんな貴族はいない。
「私たち、こちらの方と、どこかでお茶でもいただきながらお話をしたいんですが、よろしければ通訳していただけますか?」
「するか!」
などと怒鳴りつけるわけにもいかないが、何とかお願いして引き取ってもらう。それにしても、双方の言葉は全然違っているはずなのに、ある程度通じてしまっていたのは驚きだ。
「女の子の言うことならば、大体は理解できる」
「……すごいな、お前」
前回の旅をするにあたって、俺はこちらの言葉については、
「あとは兄さんです」
感心してる場合ではない、イルミナの言う通りで、ティラガの奴も早いとこ見つけなくてはいけない。
「ティラガ君も女性に声をかけられたのかな? 彼もなかなかいい男だからね」
「お前と一緒にするな!」
いい男だというのは特に否定するつもりはないが、女に囲まれてきゃいきゃい言われるようなほどでもない、俺ですらそんなことはないのに、あいつにあるはずもない。
さらに少しだけ道を引き返したが、この町では、馬での通行がしやすいように、道幅はヴェルルクスなどよりまだ広い、遠くまで見渡せる表通りにそれらしき姿がない以上、裏道に入ってしまっているに違いない。
手分けして、ともいかず、そのまま三人で固まって探す。
――なんでこんなみっともないことをしなくちゃいけねえんだ。
俺の片方の手は、ディデューンの手まで握っている。だがこうでもしておかないと、また勝手にどこかへ行ってしまいそうなので仕方がない。因みにもう片方の手はイルミナに握られてしまっている。とんだ仲良し三人組だ、馬鹿か。
俺たちはあてもなく何本かの裏道を潜り抜け、居合わせた人に話を聞き、それでも見つからないまま、また別の広い通りに出てしまった。
そこで何やら騒ぎ声が聞こえてきた。
「離せよ! おい!」
「何言ってるかわかんねえな、ま、離せとかそういうことだろうが」
――よくおわかりで。
こいつもこいつで、語学の才能でもあるのだろうか、お目当ての男はそこでようやく見つかった。何だが汚い小僧の首根っこを掴んでぶら下げている。小僧といっても、大人と子供の境目ぐらいになるだろうか。
「勝手にうろうろすんじゃねえ!」
訊かなくても何があったかは大体わかる、おそらく捕まえているのは
「こいつが――」
「みなまで言わんでいい、放っとけよ、そんなガキ」
財布をスられたのは面白くはないだろうが、こいつの懐にはもともと小銭ぐらいしか入ってないはずだ、それよりも背中の荷物の底にはぎっしりと金貨がつまっている、できればそっちの方を大いに気にしていただきたい。
「そうはいくか、ガキだからこそ躾は必要だ」
「ったく、正義感が強いのは結構だがよ」
こいつにはわりとこういうところがある、子供には厳しくも、優しい。とはいえ、こんな異国の地で躾でもあるまい。ちょっとした悪戯を相手するならそれでもいいが、おそらくそいつらの掏摸は生活の手段であって、躾けたところで治るようなものでもない。
「まあビンタの一発でもくれてやって、それで終いにしとくんだな」
「……む、そんなら仕方ねえか」
俺が窘めたところにティラガは不承不承に頷き、ガキを解放しようとする。だが状況はそれを許さない方向に進んでいた。
「またかよ……」
俺たちはいつのまにか取り囲まれていた。囲んでいるのはそのガキを取り返しに来た仲間たちであることに間違いないだろう、その全員が武器まで持っていた。
「あー、あー、勘違いだ、このガキは今からそっちに返すから安心しろ」
彼らに対し、大声で説明する。そういつもいつも揉め事ばかりでは困る、たまには平和的な解決方法も探らなければならない。それにこちらは今、全員が全員大荷物を背負っているわけで、このままではいつものように暴れることもできない。
「そんなことはどうでもいい、背中の荷をこっちに寄越しな」
俺の呼びかけに応えてきたのは、曲刀を構えた中年の男だった。
よく見ると俺たちを囲んでいるのは、半数は子供だが、残りはいい歳をした大人たちだ。どう見てもこの小僧の遊び仲間とは思えない、それが総勢で二十人と少しになるか。
――なるほど、この辺も治安はよくないらしい。
その大人たちが、この町においてもまともな人種ではないのはよくわかる。俺たちの側にもたまにいるような、ガキどもを使って犯罪をする、そういう手合いで。掏摸の元締めであったり、失敗すれば強盗にもなるような連中だ。
「このガキがどうなってもいいのか?」
もちろんそんなことはするつもりもないが、交渉の手段としては使う。
「どうでもいいぜ、好きにしな」
――ま、そうだろうな。
こんな連中が、ガキどもを大事にするわけがない。その言葉を聞いた小僧はかわいそうに、自分の運命を儚んで顔色をなくしてしまっていた。いやまあ、かわいそうなのはこいつよりも、こんなことに巻き込まれた俺たちではあるのだが。
「許せんな」
「許すわけにはいかない」
「許せません」
――だから何でわかんだよ!
その中年の男が何を言ったか、言葉が通じたはずもない。しかし俺の仲間たちは、小僧の雰囲気でそれを察しでもしたのか、すでに戦う決意を定めていた。
俺も最終的にはそうなっても仕方がないとは思っている、しかしこのままではあまりに不利だ、このままでも剣は抜けるが、それでも普段の半分も動けはしない。かと言って、この男に荷を渡すふりをして、身軽になったとしても、おそらく戦っているうちにどこかへ持っていかれてしまう。この金を失えば、何のためにここまで来たのか、その意味がなくなる。
後ろからは早く号令を出せとせっついているような視線が送られてきているが、お前らそれでほんとに勝てるつもりでいんのかよ。
――仕方ねえ、こいつらをぶっ殺して、そのあとは宝探しになるか。
背に腹は代えられない、ここで荷物を一旦奪われたとしても、命さえあれば、また取り返す機会は巡ってくるかもしれない。いや、絶対にそうしなければならない。
「……なあ、どれかひとつにしないか?」
こんな奴らにひとつもくれてやるつもりはないが、とりあえず戦闘準備でも整えさせてもらおうかと、そんな提案もしてみる。
「だめだ、全部だ」
欲深いおっさんだ、その欲深さが命取りだ。たとえ俺たちの荷物がどこへ運ばれても、お前だけは逃がさない、この場所から必ずあの世に送ってやる。
とそこで、俺たちを取り囲む男たちの後ろを、五頭ばかりの馬を連れた、一人の若い男が通りかかった。
「あ」
「あれ」
俺とその男の目が合い、瞬時に互いを認識した。
「ウィラード様!」
「サファゾーン! ちょうどよかった、ちょっとそのおっさんを斬ってくれ」
中年の男を指さすと、サファゾーンと呼んだ若者は俺の言葉に疑念を持つこともなく、自らの刀を抜いた。
「いいですよ、こいつですね」
「え!? は!? わ!?」
そのまま振り下ろされたサファゾーンの刀は、男の狼狽ごとその体を袈裟懸けに斬り倒した。俺の先ほどの決意は、自ら労することなく、いとも簡単に果たされた。
「行くぞ!」
不意に訪れた混乱の中、ティラガ、イルミナと乗馬の下手な順に、サファゾーンが曳いていた馬に乗せ、その尻を叩いて走らせる。
「次はお前だ、早くしろ」
「ちょっと待ってくれ」
そう言ったディデューンは、取り囲んだ大人たちの二人ばかりに突きをくれていたところだった。その周りにも何人かが倒れているのは、もしかしなくてもティラガが馬に乗る前に何かをした跡なのだろう。
「……お前ら、その格好でも戦えるのかよ」
「ん? なんだ、ウィラードはそんなことを心配していたのか」
「そんなことは誰もできねえんだよ!」
――呆れた。
こいつらといると、自分の常識がどうにかなってしまいそうだ。イルミナはさすがにそんなことはできないだろうが、他の二人は虎殺しの男よりも、まだまだ強いようだった。
そうして残った三人も馬に乗り、どうやら慌ててそうする必要もなかったその場から、離脱することになった。後には悲鳴のようなものだけが聞こえ、俺たちをどうこうしようといった気配は残っていない。
「よく来てくれた、助かった」
「いえいえ、すぐに見つけられて良かったです」
馬上で今さらながら、互いの再会を喜ぶ。これはこちら側の言葉で行われた会話だ。
先行の二人に追いついたところで、俺はウルズバールの一族、サファゾーンを皆に紹介した。
「こいつはサファゾーン、俺の兄弟分のそのまた弟分、ってところだ」
「サファゾーンです、族兄ヒルシャーン様のご命令により、ウィラード様をお迎えに上がりました」
これは俺がかつて少しだけ教えた、俺たちの言葉だった。たどたどしくはあったが、充分に伝わるものだった。
結局イーガーロンには一日も滞在することなく、去ることになってしまったが、ありがたいことに、俺が出した手紙は予想以上に効果があったようで、どうやら目的地の方から近づいてきてくれていた。
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