第五十話 コンフィス伯爵邸


 連れと合流し、この日、ヴェルルクスでは安宿にでも泊まるつもりでいた。

正直金だけはいっぱい持ってきてはいるので、いいところに泊まろうと思えば泊まれるのだが、我がことながら貧乏性が身に染みついている、ただただ寝て起きるだけにあんまり無駄金は使いたくない。


「ウィラードはケチだな」


 ――ほっとけ。


「……ウィラード様がそう言うなら、我慢します」


 ――何でそんなに辛そうに言うんだ。今まで何回かは野宿だってしてきたのに、それより全然ましだろうが。


「俺は美味いもんを食わせてくれるなら、文句はないが」


 ――それはまあ、同感だ。せっかくの都会だ、飯ぐらいはちょっといいものを食おう。


 とりあえず、過半数の同行者たちについては、あまり評判はよろしくなかった。


 ただ、その前に挨拶に寄らねばならない場所があったのだ。今回の旅の目的上、特にその必要があったわけではないが、近所まで来ておきながら、顔も出さなかったことを知られてしまうと、次に来た時の敷居がものすごく高くなってしまう。


「お前ら、失礼なことすんじゃねえぞ」


 後ろの三人に一応注意はしておく。高級住宅地の一角、その中でも上から五番目には入るぐらいの広さを持つ大きな邸宅、そこが目的地だ。


「ご無沙汰してます」

「ああ! ウィラードさんじゃないですか、戻ってらっしゃってたんですか。お待ちください、旦那様は不在ですが、ただいま奥様に取り次いで参ります」


 二人の門番は今も、俺がいなくなった時と同じ、顔見知りの男たちが務めていた。


 ここは、ヴェルルクスの貴族、コンフィス伯爵の屋敷、一年前まで、俺が下宿していた所だった。勝手知ったる家とはいえ、以前と同じように、黙ってひょいひょい入っていくわけにもいかない、門前でおとなしく立ち入りの許可が出るのを待っていると、


「ウィラード! 元気だった!」


 玄関から大声を出して走り寄ってくるのは、使用人などではなく、ここの奥様であるコンフィス伯爵夫人その人だった。


「その節は心ご配をおかけして申し訳ありませ……んがっ!」


 挨拶の途中で、体当たり気味の抱擁を受けた。むろん性的な意味はまるでない、ここの奥様は、四十歳の手前で、実の母親よりは若いが、俺にとっても第二の母親のような人でもなる。


「ほんとにこの子ったらもう! もっと早く帰ってきなさい」


 ……こんな子供扱いしてくるぐらいには。


 そのまま、ぐいぐいと引っ張られるように屋敷の応接に案内され、そこでお茶と山ほどの茶菓子が供された。お菓子などはメイド任せではなく、伯爵夫人が手ずから俺の皿にガンガンと乗せてきてくれる。


「大丈夫? お腹すいてない? いっぱい食べてね」

「……ありがとうございます」

「これもおいしいわよ、今こっちですごく流行ってるの」


 突然の訪問であったにもかかわらず、伯爵夫人は喜んでくれていた。


 次から次へとお菓子を勧められて、すでに満腹の上に無理やり詰め込んでいる状態なのだが、それでもなるべく嬉しそうにして、嫌な顔を見せないのが、もてなされる側の礼儀だ。


 しかしこれほど喜んでくれるのであれば、ここに来たのはやはり正解だった。


「ウィラード、いつまでここにいられるの?」

「申し訳ありません、こちらへはご挨拶に立ち寄らせていただいただけで、明日にはまた、旅立たなければなりません」

「あら、それは残念ね。でも今日は泊まっていってくれるんでしょう?」

「いえ、連れがおりますので、ご迷惑かと」

「もちろんお友達も一緒でいいわよ」


 この屋敷なら、相当大人数で押しかけたところで、食事にも客室にも不自由はしないのだが、俺が使っていた部屋をそのままにして急にいなくなったりと、いろいろ迷惑もかけている、あまり世話をかけるのも申し訳なかった。


「ウィラード、私は安宿よりも、こちらでご厄介になりたい。ここのほうが、ずいぶん居心地が良さそうだ」


 ――そりゃそうだろうがよ。


 こいつは戦場とか、他にどうにもできない所ではあまり文句は言わないが、贅沢ができるような時には、その機会を逃そうとはしない。


「ウィラード様、私もこんなお屋敷に泊まってみたいです」


 ――お前もか。


 まあ女の子ならこういう立派なお屋敷に憧れる気持ちはわからんでもない。


「俺は美味いもんが食えるんなら、どこでもいい」


 ――お前は食うことばっかりか。


 すでに菓子も俺の倍ほど食ってると思うのだが、まだ足りんのか、別腹か。


「お前らちょっとは遠慮しろ!」


 俺の連れは全員、あまり遠慮など考えない連中だった。


「決まりね、早速お部屋の用意をさせましょう」


 コンフィス夫人もこいつらの無礼は、あまり意に介さない。こうなれば俺が固辞すれば、そちらのほうが逆に失礼にあたる。


「……お世話になります」


 その厚意はありがたく受け取らせてもらうことにした。胸のうちにあるのは感謝ばかりで、これで宿代が浮いた、とは考えないほどには、ケチではないつもりなのだが。


 その時、俺の後方から、


「ウィラード!!」


 甲高い叫び声が耳に届いた。と同時に、何者かが素早く近寄る気配。


「ふんっ!」


 俺は椅子から立ちあがりながら、すかさず身をよじり、自分に向かって繰り出された鋭い、いや大して鋭くもない蹴り足を掴み、声の主を逆さ吊りにしてやった。ちびっこ相手だ、難しくもなんともない。


「まだまだだな、アル。ん? ちょっとは重くなったか?」


 空いた片方の手で、わき腹をくすぐってやる。


「ちくしょう! あははははははは!」


 コンフィス伯爵の嫡男アルティバイツ、十歳のやんちゃ盛り。俺がここにいた間は、家庭教師も遊びの相手もしてやった相手だ。師弟であるからには、貴族様とはいえ、俺がへりくだらなければならない必要はどこにもない。遊ぶ時にはむしろ本気で遊んでやるのが誠意というものだ。


「なんで急にいなくなったんだよ!」

「遊んでやれなくて悪かったな、やんなくちゃいけねえことができたんでな」


 逆さまになりながら抗議するアルを、落とさないようにして地面に立たせてやる。


「ウィラード、坊ちゃまに乱暴はやめないか」


 ドスの利いた声で、ずい、と出てきたのは、執事服に身を包んだ老人である。が、その体つきは執事とも老人ともとても思えない。身長は俺よりも高く、その胸も腕も、服がはちきれんばかりにパンパンに筋肉が張りだしている。


 何となく危険を感じたのか、横からイルミナが、俺を老人から庇うように割って入ろうとしたが、その頭を押さえて元通りに座らせる。


 危険といえば危険人物なのだが、直ちに危険というわけでもない、この老人も当然旧知の間柄だ。名前はデンプスター、前職はヴェルルクスの軍人で、将軍級の手前ぐらいまでは出世したらしい。退役後は悠々自適で暮らせる身分なのだが、それは性に合わなかったらしく、遠縁である伯爵家で、アル付きの爺やとして再就職していた。


「デンプスター師匠もお久しぶりです」


 こちらには俺も敬語を使う、なぜなら怖いからだ。しかもここに住み込み始めた当初から、ほとんど強制的に、たぶん暇つぶしの相手として武術の弟子にさせられてもいた。師匠と呼ばなければならない、二重の意味で敬意を払わなければならない相手だった。


「腕は鈍ってはおらんか?」

「……鈍る暇もなく危ない目には遭ってきました」

「それは結構」


 ――いや、結構なことは全然ないぞ。


 迂闊に口ごたえをすれば、ひどい目に遭わされるので言わないが。


「旦那様が帰ってくるまで、まだ間がある、稽古をつけてやってもいいぞ。庭へ出ろ」


 つけてやってもいい、と言っておきながら、庭へ出ろ、だからな。これはもう、俺の返事を聞くまでもなく、絶対にそのつもりだということだ。これもまた、ある意味厚意であることはわかっているのだが、さすがにありがた迷惑というもので、老人による善意の押しつけだ、暴走老人だ。


「いえ、またの機会に――」

「ウィラードばっかりずるいぞ」

「爺さん、あんた強そうだな、俺ともやってくれ」

「ウィラード様、あれを試してみてもいいですか?」


 しかし俺の連れは全員、血の気の多い連中だった。


 ティラガ、ディデューンはもともとこんなのだが、イルミナもネクセルガの使っていた双剣を手に入れてから、剣術にも変に開眼したところがあり、ちょいちょい練習しているのを見かけるようになった。


 ――あの剣、呪われてたんじゃねえだろうな。


 そんなことまで思ってしまうのだった。


「ウィラード、行こうぜ」


 アルが俺の手を引っ張って、中庭へと誘う。このチビも男の子らしく、こういうことは大好きなのだ。


 ……こうなってはもう、空気を読むしかないではないか。


「……お手柔らかに、お願いします」

「夕食までに、お腹をいっぱい空かせてらっしゃい」


 背中を押すのは、伯爵夫人のそんな言葉だった。




 空が、青から夕焼けに変わりつつあった。


 それから一時間後、怪我をしない程度にまんべんなく全身を打ちすえられた俺は、大の字になって中庭の芝生に寝ころんでいた。


「何だよ、全然ダメじゃないか」


 地面に座ったイルミナの足の間に、抱えられるような格好のアルが顔を覗き込んでくる。俺がえらい目を見ているうちに、こいつらもいつの間にか仲良くなっていた。


「……おかしい、もうちょっとやれると思ったんだが」


 弟子入りさせられた頃は、あんなのに勝てるような奴がいんのかよ、そんなことすら思わされていたが、その後、何人も強者は見てきている、あのジジイは決して世界で一番強いわけではない。ここ一年は俺自身それなりに場数も踏んできた、自分が強くなるのと、向こうが老いて弱くなるのと、そろそろ逆転してもいいのではないかと思っていたが、まだまだ実力には大きな隔たりがあった。


「あいつらは結構やるのにな」

「あんな奴らと比べるな」


 アルが指さす先で、ティラガとディデューンが交代で稽古をつけてもらっている。というか、剣を合わせて少しだけ実力を確かめた後は、もはや稽古ではなく試合に近い。


「大丈夫かよ、あいつら、怪我すんじゃねえぞ」


 こんな所で誰かに抜けられでもしたら困る、今は師匠とディデューンとの間で、二本の木剣が激しく打ち鳴らされ、傍で見てても、その熱気が伝わってくるほどに、互いの本気が増してきていた。


 どちらも軍で正しい剣術を学んできている、それは実戦形式ではあるが、演武のようにも思える美しさがあった。


 師匠の力強くも老練な動きを、ディデューンが何とか躱した時に、しばしば互いの位置取りが変わる。実力的には師匠の方がやや押し気味のようだ。


 やがて、そろそろ勝負どころと見た二人が、気合を込めて体を交差させた。


「「はああああああッ!!」」


 すれ違った後、ディデューンの手からは、稽古用の木剣は失われていた。自分のところに向かってくるくると回りながら飛んできたそれを、ティラガが片手で受け止めた。


「参りました、ご老人、お強い」

「なんの、お主もなかなかやりおる。ウィラードは爪の垢でも煎じて飲むがいい」


 ――ほっとけよ、誰が飲むか、そんなもん。


「よし、次はお前だ」


 呼吸を整えながら、師匠がティラガを指名する。だが指名されたほうは、すでに乗り気ではなくなっていた。


「やめとこうぜ、爺さん」

「なんだ、臆したが」

「や、臆するも何も、爺さん疲れてんじゃねえか、それじゃあ俺の相手は無理だ、また今度にしようぜ、な」


 ……言わんとすることはわからなくもないが、その言い方は逆効果だ。この人はお年寄りではあるけれども、人間の中身としてはお前らとそう変わらんのだ。


「ふざけるな! 貴様らごとき若造の相手で疲れるものか! さっさと用意せんか!」


 ――ほうらな。


 師匠がぶんぶんと木剣を振るって催促をする。ティラガが、ほんとにいいのかよ、という感じで俺の方を見るが、そういうのもやめてほしい。どっちの不幸かはわからんが、そんなことはお前ら同士で勝手にやってくれ、俺を巻き込むな。


 片方はやる気満々で、もう片方は不安そうに構えた次の対戦は、決着にそれほどの時間はかからなかった。


 二、三回剣を交えた後は、やはり師匠の疲れは如実に明らかだった。


 ティラガも手加減はしようとしていたのだろうが、それ以上に、師匠の足の踏ん張りが利いていなかった。本来なら止まるはずのところで体が泳ぎ、空を切るはずの木剣は師匠の兜を叩いた、わりと強めに。


「「やったあ!」」


 俺とアルの声が被った。


 白目をむいて崩れ落ちようとする師匠の体を抱きとめて、ティラガが、やっちまった、という顔をした。


 しかしあの当たり方ならば、おそらく軽く失神しただけで、体に別条はないだろう。ざまあみやがれ、調子に乗った老人にはいい薬だ。あの人はそろそろ年寄りの冷や水という言葉を覚えたほうがいい。




 夕食時には、ここの主である、コーディアス・コンフィス伯爵も帰ってきていた。


 この人はヴェルルクスの王宮で、典礼次官として、儀式を司る役職についている。年齢はまだ四十を越えたばかりなので、次の長官も充分視野に入っているだろう。この部門は格式は高いが、政治的にそれほど強い力があるわけではない。逆に堅実にさえ勤めていれば、安全な地位とも言える。あまり強すぎる力を持つ貴族が、下手に王立大学院アカデミーの学生なんかを抱え込むと、野心を疑われて危険視もされる、その点ここはそれほどの懸念もいらない所だった。


「ウィラード、今度はどこへ行くのだ」


 晩餐の席の歓談で、さすがにこれは、訊かれないわけがなかった。


 ミールマリカ先生には隠したが、その目的さえ言わなければ、行先ぐらいは話しても構わないだろう。この人たちは、俺の家族だ。家族ならば、俺のことを知る権利がある。迷惑をかけず、心配もさせない範囲では、話さなくてはならない。いや、話したところで迷惑をかける可能性はあるし、心配に至っては絶対にかけてしまうのではあるが。


「エンダースを越えようかと思います」

「……そうか、また行くのか」


 また、と伯爵が言った通り、そこへ行くのは二回目になる。


 この大陸の北から東側にかけて、エンダース、と呼ばれる天険の山脈が横たわっている。


 地の果てを意味する、その名前の通りに、ここに住まう人々の生活圏は、そこまでだ。


 古代ではそこは確かに、地の果てではあったのだろう、しかし、その山脈を越えた先には、まだまだ大地は広がりをみせ、地の果てのはるか向こう、世界の果てかと思われるような場所にも、俺たちと遜色ない文化、文明を持つ人々が住んでいることは広く知られていた。


 そこに辿りつくまでにももちろん、多くの国々が存在し、あるいは国とは呼べなくても、砂漠や草原、山の中にも、さまざまな形で人間の営みはあった。


 ただし、それらのいずれもが、こちらとの交流をほとんど持っていなかった。


 南方には大きな危険を伴う海の道、そしてエンダースのある北方には、馬車はおろか、馬も通れぬ峻険な道があるだけなのだ。長い道のりを越えてそこを行き来することは、どちら側の民にとっても、労だけが多く、あまり実りのないことだった。


 そうであるにも関わらず、俺は二年ほど前に、長い休みを利用して、その山脈を越えたことがある。


 これといった目的があったわけではない、そこに何があり、どのような人がいて、どんな暮らしをしているのか、興味があっただけだ。いずれどこかの国に仕えたときに、それらと通商することはできないか、それが無理でも、何か取り込めるような道具や文化はないのか、そう考えたためでもある。


 俺がそこで出会ったのは、遊牧の民だった。


 今回も俺はそこを目指す、そして今度ばかりは確たる目的がある


「……気をつけて行って来るがいい、だが私たちはお前のことを息子のように思っている、そのことだけは忘れないでくれ」

「お気遣いは、忘れません」

「まあ無事に戻ってきたところで、伯爵家を継がせるわけにもいかんがな、ふはははは」


 伯爵は、自分の冗談に、自分で笑った。


「それは弟の物です」


 俺も隣に座るアルの頭を、撫でながら答えた。


「ウィラードは賢い子ですからね、伯爵家うちぐらいの家柄なら、自分で何とかしてしまえるわ」


 夫人のこの意見は、謙遜するのも賛同するのも、いかにも微妙なところだった。


 ヴェルルクスで過ごした一日は、とても温かかった。


 コンフィス邸は、外も中も、そこに住まう人も、一年前と何も変わっていなかった。


 ここもまた、俺にとってはかけがえのない大事な場所だった。今日ここに来て、不義理をせずに済んだことは、自分にとっても幸せなことだったのだろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る