第四十八話 出発


 出発の準備は、仕上げに入っていた。


 これまでに稼いだ金は、運びやすいようにそのほとんどを金貨に換え、俺が持っていくことになる。先に伯父貴に断ったとおり、団の金庫はほとんど空っぽの状態になった。


 モグリの商売の痕跡は完全に消し、いずれ再開するのに備えて残しておかないといけない書類は、傭兵ギルドに預けた。


 ソムデンを完全に信用した、などと言うつもりはないのだが、俺が不在の間も、多くのことを頼んでいる。長老会からはすでに、引継ぎの人員は派遣されてきていた。これからの期間、そいつらの監視の目を逃れて、山猫傭兵団ウチの団員に何かをさせようにも限界があるし、そもそも能力的に不可能でもある、俺の計画は、奴を信用しないことには始まらないのだった。


「まあまあ、任せておいてよ。ウチのソムデンくんは、仕事はできるからね」

「……お願いします」


 あれから頻繁に、マイアさんは話しかけてくるようになった。こっちはヤバい橋を渡ろうとはしているわけで、なるべく巻き込まないように計画の詳細は教えていないし、マイアさんの方でも、メイドである分限を超えないようにしているのか、知ろうとはしてこないのだが、そうであるにも関わらず、全てを知るソムデン自身より、よほど信用できてしまう。


 われながら実にチョロいと思わなくもないが、お姉さんというものは強いのだ。


「それよりも、結局ウチには遊びに来てくれなかったね」

「……帰ってきたら、ぜひ」


 そのお誘いは嬉しいことではあったが、残念ながら、とにかく忙しすぎて、その暇を見つけることはできなかった。マイアさんの手料理をいただくのは、またの機会になるだろう。


「しかしまあ、おもしろいこと考えましたね」


 その料理を毎日食っている、うさんくさい旦那が、預けた資料を片付けながら言った。


「作戦としては穴だらけで、実行はいきあたりばったりになってるけどな」

「こんなことをしようと思っただけで、大したものです。何と言いますか、私はもう充分に楽しみましたので、ウィラードさんが失敗しても、逃げるお手伝いぐらいは、お礼をさせていただきますよ」

「縁起でもねえこと言うな!」


 出発を前日に控えても、準備は万全には程遠いように思える。だが誰もしたことのないようなことをするのに、成功の確証を得てからというのは、いくらなんでも虫が良すぎるというものだろう。




 この時点で、俺のしようとしていることを知っているのは、ごくわずかだ。


 婚約発表のときには、伯父貴とソムデンのみ。山猫傭兵団ウチの他の団員たちに対しても、俺は傭兵を辞めて、王立大学院アカデミーに戻ることになっていた。


 団員の中には、団を裏切って自分だけ幸せになりやがった、と思っている奴もいるし、断り切れずに仕方なくそうなった、といいように捉えてくれている奴もいる。だがいずれに対しても、極秘の内容は漏らせない。


 その後、荷物持ちとして俺に同行させる連中にだけは、危険を伴う場所に連れていく以上、納得して付いてきてもらわなければならない、その事情は伝えてあった。


 その人選は難航するかとも思われたが、全くそんなことはなく、どちらかといえば、ほぼ強制的に決められていた。


 イルミナ、ティラガ、ディデューン。代わり映えのしない、要するにいつものメンバーである。


「一緒に行きます」


 イルミナからは、俺が何かを言う前に、そう言ってきた。


「……どこへだよ」

「どこへでもです」

王立大学院アカデミーに戻るだけだぞ」

「違います」


 ――何で断言できるんだよ……。


 能力や、信用できることを別にして、イルミナは連れていきたくなかった。こんな俺のためには死をも厭わないような奴には、なるべく危ない目には遭わせたくなかったのだ。しかしこいつには、俺が何か違うことをしようとしていることと、それが危険なことであることは、とっくに勘づかれていた。


「連れていかないと、バラします」

「何をだよ」

「バラします」


 まさか、バラします、でもないだろうが、怖い言い方をされてしまっていた。こうなれば、諦めさせようとするのは、時間の無駄だった。


「……何してんだよ」

「何って、旅行の準備じゃないか。必要なものがあるのなら、早めに言っておいてくれるとありがたい」


 ディデューンも、勝手に付いてくる用意を始めていた。


「……何でわかんだよ」

「君の顔は、婚約を喜んでいるようでも、人生を諦めたようでもなかったからね、何かをするつもりだということは、わからないほうがおかしい。それがおもしろそうなことなら、つまらなくなりそうなここに残るより全然いい、ぜひ付いていきたいね」


 などと言っておきながら、断られるとは全く考えてはいなさそうだった。客であるこいつの行動は、もともと俺に縛る権限はない。付いて来ようとするなら、力ずくで止めるしかないのだが、そこまでする理由もあまりない、せいぜい役に立ってもらおうと、同行を許した。


「ちゃんと荷物持ちはさせるぞ」

「それぐらい何てことないよ、いくらでも任せてくれ。……それからウィラード、君の顔色は実にわかりやすい、気を付けたほうがいいと思うぞ」

「……ご忠告、ありがとよ」


 ――お前らが鋭すぎるだけだと思うんだが。


 その証拠に、俺が同行を要請すると、ティラガだけは驚いてくれた。


「マジか! セリカ様と結婚するわけじゃねえのか! そりゃ良かった!」

「しねえよ」

「まあそうだよな、イルミナがかわいそうだしな」

「別にかわいそうじゃねえだろ。お前は何でそう、俺とあいつをくっつけたがるんだ」

「そっちこそ、何でくっつかないんだ」


 ――そんなことは、何の関係もないとは思うんだが。


 信用だの腕っぷしだの、殺しても死ななそうなことを考えてみても、本当に連れていきたかったのはこいつだけなのだが、それについても、団の戦力の低下を招くという意味で、迷いはしたのだ。それでもやはり、選択は外せなかった。


「しかしまあ、あんたなら、何かしてくれるとは思ってた」


 ティラガも、おのれの危険を顧みるような様子はわずかも見せず、承諾をくれた。


 こうして、俺たち四人は、連れ立ってビムラを離れることになった。




 俺の身分は、セリカ嬢との婚約発表ののち、半ば公人となっている。


 その意味はわからないではないのだが、


「こんな大げさにされなきゃいかんのか」


 俺がヴェルルクスへ向けて出立することは、貝殻亭の前から、じゃあいってらっしゃい、はい行ってきます、というわけにはいかなくなっていた。


 仲間内での別れを早々に済ませたその後は、わざわざビムラ中央会議の庁舎に呼び出され、そこで壮行会のようなものに出席させられている。


 庁舎前の広場には、歌姫セリカ・クォンティの婚約者がどんな奴かを見るために、結構な数の野次馬も集まってきていた。その数は、ブロンダート殿下の護送の時を大幅に上回っている。


 あの時は、一応は人目をはばかるような出来事であったにも関わらず、市民から送られる視線は、同情や、温かいものばかりだった。今回は、それに比べればはるかにおめでたい催しであるはずなのだが、俺に対しては主に若い男連中から、殺意のようなものばかりが向けられている。


「はっはっは、大人気だな、ウィラード」


 イルミナ、ティラガは離れて待機しているのに、ディデューンがなぜか俺の傍までついてきていた。本来ならつまみ出されてもおかしくないはずなのだが、妙に気品のあるこいつが、さも当然という風でいると、衛兵もそんな気にならないのかもしれない。


「うるせえ、代わってやってもいいぞ」


 もちろんそんなことができるわけもないが、こいつとセリカ嬢が並べば、文句のつけようもない美男美女のカップルだ、殺意を送ってきている連中も、さすがに溜め息ぐらいしか出てこなくなるだろう。


 庁舎の玄関前には、演台と赤絨毯が設えられ、そこで偉いさんたちからの挨拶やら激励やらを順番に受けた。


「頑張ってきてください」


 エルツマイユの求めに応じて、特に気のない握手を返す。


 この男が、俺が本当に自分の軍門に下ったと信じているのか、その顔色からは読み取れない。ただ、俺がこの町からいなくなり、山猫傭兵団ウチの事務方がビムラ中央会議の支配下に置かれた以上、もはや必要以上の心配はしていないようだった。


「ご卒業後は、シャマリ殿に相応しい役職をお約束いたしましょう」


 それについても、既に腹案があるかのような物言いをした。


「畏れ入ります、きっとこの町のお役に立てますよう、学問を修めてまいります」


 ――……この程度の嘘なら、いくらでも言えるんだが。


 セリカとの顔合わせから二週間、どれほど忙しくしていても、そして今もなお、あの時のことは、ずっと頭を離れないでいた。


 気まずいまま形だけの婚約を果たし、それから今日まで、彼女と会う機会は、一度も与えられなかった。もしその機会があったとしても、どうすればいいのかはわからなかった。


 今日この日、エルツマイユ、ムーゼン、グリッセラー、それらどうでもいい面々に交じって、そこに婚約者であるセリカの姿がないはずもない。


 相変らず美しくはある、ただしそう見せないように努力はしているようでも、その顔色は浮かなかった。もしかすると、あの日からずっと浮かないままなのかもしれなかった。


 このまま一言二言交わすだけで別れたら、俺の計画では半年、彼女が知らされているのは王立大学院アカデミー卒業までの一年の間、会うことはできない。


 いや、俺が帰ってきたとしても、もう会うことはないのかもしれないのだ。


 彼女が俺を慕っていてくれていたことは、想定外も想定外、誤算中の誤算だったわけだが、それでも、初めての邂逅をあのような形で終わらせてしまったことは、やはり痛恨事だった。


 俺の選択自体が誤りだったとは思わないが、それでも他にやりようがあったのではと後悔もしていた。


 謝る? 謝ったら、それこそ彼女に対して重ねての侮辱になるだろう。


 俺がしなければならないのは、本来のウィラード・シャマリとして、改めて彼女に真摯に向き合うことだけだった。そしてこれが、それができる最後の機会だった。


「誠に申し訳ございませんが、彼女と二人だけにしてもらえないでしょうか」


 頃合いを見計らって、俺はなるべく大声で、周囲にそう声をかけた。それはおそらく、非礼ではしたない要求ではあったのだろう。


 それでも皆は、初々しい婚約者たちを思いやり、それを温かく受け入れてはくれた。ただ、このまま俺たちだけでどこかへ行かせることもできない。できたのは俺たち二人を残して、少し離れて距離をとっただけである。


「少しだけ、よろしいでしょうか」


 俺はセリカに歩み寄った。


「…………はい」


 セリカは浮かないばかりではなく、怯えてもいた。そうさせていたのは、俺だった。


 彼女はあの時まで、政略結婚の枠を超えて、本気で俺に運命を感じていてしまっていたのだろう。その幻想を叩き壊され、自分はやはり単なる道具に過ぎなかったと、そう絶望させてしまったのも、俺だった。


 今度は自分の何を壊されてしまうのかと、悲しいほどに、警戒していた。


 その警戒を踏み越えて、彼女に思いきり近寄り、強引に肩を抱きながら、顔を寄せた。小さな肩は、さらに恐怖のようなもので強張ったが、構いはしない。声をひそめて、話しかけた。


「今から、ウィラード・シャマリには、行かなければならないところがある」


 その口調に、彼女は、待ちに待っていた王子様が現れたかのような、はっとしたような表情になった。


「それは、王立大学院アカデミーなんかより、はるかに遠いところだ。その道がどこに繋がっているかまでは、俺にもわからない」

「……ウィラード……さま……なのですか?」


 ――そうだ、俺が、ウィラード・シャマリだ。


 王子様などでは決してない、計算高くて、粗忽者で、女心のちっともわからない、そんなくだらない男だ。そんな奴の言葉で良かったら、そのままで聞いてくれ。


「帰ってきても、もう会えないかもしれない。だがもし、会うことができたら、こんな誰かに仕組まれた婚約者なんてものじゃなく、ただの人間同士として、一から始めよう」


 これが、今のウィラード・シャマリに言える、精一杯だった。


 自分でも、不器用だと思う。もっと気の利いたことを言えと、罵ってやりたくもある。だが本当の俺に、嘘の愛などは語れない。語れるのは、自分の中にある言葉だけだった。


「…………ありがとう……ございます」


 セリカは微笑み、そして涙の筋が一条だけ、その頬を伝った。俺の言葉が、二人の間でだけ交わされた、婚約の破棄であることは、はっきりとわかったのだろう。


「……それでも、待っていても、いいですか?」

「好きにしてくれ、俺も、好きにする。運命というものが本当にあるのならば、いずれ互いの道が、交わることもあるかもしれない」

「……では、そのように」


 セリカの細い腕が、俺の首に回された。俺もなすがままにされ、それに逆らうようなことはしない。


 彼女の呼吸や、鼓動を、おのれの物のように間近に感じ、やがて、柔らかく、湿った唇の感触が、俺の頬に熱いものを残した。


「……好きに、させていただきました」

「……ありがとう。これで何が来ても、俺は戦える」

「ご武運を、お祈りいたします」


 俺たちを遠くから見守っていた観客からは、拍手や、怒号のようなものが響いていた。


 彼らから見れば、婚約者同士の、睦み合いにしか見えなかっただろう。しかし、この儀式をもって、俺たちの間では、そんな茶番は完全に終わったのだ。


 ただし、また別の何かは、新たに始まっていたのかもしれない。それがわかるのは、少なくとも半年先のことだった。




 ビムラが見えなくなっても、頬はまだ熱いままの気がした。

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