第四十七話 告白



 一人だけ、えらく気合の入ったド派手なジジイがいるな、と思っていたら、どうやらそれはババアだったようだ。そのババアがいかにも嬉しそうにして放った、


「あとは若い二人にお任せして、私たち老人は退散することにいたしましょう」


 という言葉とともに、俺たちは二人きりで庭園に送り出された。


 ――あんな見合いの定番の台詞、ほんとに言うんだな、馬鹿じゃねえの。


 そんなことを思えるぐらいには、緊張はほぐれてきている、何にせよ老人どもの話は長かったのだ。ちなみに、この一時間余りの間、俺たちは最初に自己紹介を交わしたきり、一言も喋ってはいない。退屈ではあったが、目の前にはいくら眺めていても見飽きないような美術品のようなものが座っていたわけで、暇つぶしには何の問題もなかった。


 問題があるとすれば、これからである。


 何しろこちらには、セリカ嬢がビムラの歌姫である、という以上の情報はない。その人格については知りようもなかった。向こうも因果を含められている以上、無碍に断ってくるとは思わないが、のちに破棄するための婚約を、そうと悟られないように、取りつけなければならないのだ。


 ――それ以前に、嫌われてるかもわかんねえしな。


 いくらなんでも、彼女がこの縁談を喜んでいるようなことは、まさかあり得まい。


 こちらの情報も、どのように伝わっているかは知れたものではない。さすがに表向きは王立大学院アカデミーのことなどを中心に、いいことばかり教えられてはいるのだろうが、縁談に至った背景を考えれば、調子に乗ってきた傭兵団を抑えるための生贄にされた、ということぐらいは誰かに吹き込まれていてもおかしくはない。彼女は自分の境遇を、これはもう仕方がないと諦めているのか、それともどうにかしてぶち壊しにしたいとでも考えているのか。


 ――向こうから壊してくれるんなら、それならそれで、ありがたい話ではあるんだが。


 とにかく、いつまでも無言で歩いているわけにもいかない、このような場合、やはり男の側から話しかけるのが当然だろう。


「「あ、あの」」


 ――カブった。


 俺たちは、互いに同時に口を開き、そして言葉を続けられなかった。一呼吸おいて、


「「ど、どうぞそちらから」」


 どもるのも含めて、さらに被った。


 ――マジかよ。


 何という定番か、さっきのババアを笑えたものではない。


 俺は一呼吸、二呼吸、さらに余裕をもってもう一呼吸おいて、恥ずかしそうにする彼女に向かって、精一杯紳士的に言った。


「ではセリカ様、よろしければ、どうぞそちらからお話しいただけますか?」

「あ、あ……ああ、あの……ほ、本日はその、あ、ありがとう、ございます」


 ――どういたしまして、ってガチガチじゃねえか。


 いくら美少女で、有名人で、近隣諸国に比類なき歌姫だからといって、五つほども年下の女の子を相手に、なるべくみっともないところは見せないようにしよう、それが男の矜持だ、などと大げさに考えていたが、何やら向こうの方が、ひどく緊張してしまっていた。


 先に変に被ってしまったので、その緊張も余計に増してしまったのかもしれないが、それでもその態度は、大勢を前にして堂々と自らの歌声を披露する、歌姫のものでは到底ありえず、ただの女の子のそれだった。


 ――まあ歌うのと、こんなお見合いとじゃ、勝手が違うんだろうが。


 相手がこれでは、俺も緊張のしようもなくなっている。せめて落ち着いてもらえるように、礼儀正しく、ゆっくりと話をするだけだ。


「こちらこそ、私のような者のために、このようなとんでもないお話に付き合わせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「も、申し訳ないなんて、そんな」

「いえ、ビムラ市民の憧れであるセリカ様のような方が、どなたかの思惑で、見ず知らずの男の妻にさせられるようなことは、決してあってはならないことだと思います」


 自分を卑下したのはまあ謙遜だが、これは一応俺の本心だ。政略結婚なんかよくあることだ、頭ではそう思っていても、いざ生贄に捧げられる少女を目の当たりにしてしまうと、さすがにそんなふうには割り切れない。


 お姫様が相思相愛の相手と添い遂げる、そんなものはお伽噺に過ぎないが、やはり歌姫様には、できる限りそんな未来を用意してやらねば、この世には夢も希望も感じられなくなってしまう。美少女の淡い憧れを摘み取るような悪鬼羅刹の所業に、この俺が加担させられるのは、決して楽しいことではない。


 ――安心しな、この話はどうせ潰れるんだからよ。


 口には出せないが、そう言ってやりたくもある。話がある程度進んだのちに破談になることも、経歴に多少の傷がつくことになるのかもしれないが、それでも意に沿わぬ結婚をさせられて、一生を棒に振るよりは、まだましだろう。


「ですから、ご不満が少しでもおありでしたら、このお話は断っていただいても構いません。いえ、セリカ様の歌声を愛する市民のためにも、このような無法はお断りになられるべきかと存じます。セリカ様の方で、もし断れぬご事情がありますのなら、私が思いがけずご無礼を働きましたと、いくらでも皆様方に頭を下げさせていただきますので、決してご遠慮なさらぬようにお願い申し上げます」


 それに、こちらとしても、ビムラ中央会議への従順な態度を崩さず、それでいて俺の方から断ったわけではない、という体裁さえ整うのなら、この話はさっさと流れたほうが都合はいいのだ。俺の手助けで、向こうが強要された事情を解決できるならば、それもいいだろう。


 それでビムラ中央会議の追及が止むわけではないことは、もちろんわかっている。さすがにセリカ嬢以上の玉を用意することはできないだろうが、別の相手を探してくるか、それとも政略結婚以外の手段をとってくるか、どちらにせよ、時間稼ぎにはなる。


 いずれ決定的な決裂は避けられないだろうが、それが先になればなるほど、こちらの計画にとっては有利に働いてくるのだ。


 しかし、セリカの返答は、予想とは別の方向からのものだった。


「ち、違うんです」

「……何が、でしょうか?」

「あの、見ず知らずの方、っていうところがです、あとそれから……」


 彼女は、その言葉の最後の部分を、何となく濁した。替わって続けられたのは、思いもよらない経緯だった。


「あ、あの、ウィラード様のことは、な、名前まではわかりませんでしたけれど、以前から存じ上げてはいたんです」

「……え?」


 果たして、そのような機会があったとは思えない。


 俺の方は、さほど熱狂的なファンというわけでもなかったが、これまでに二度ほど、ビムラ大劇場へ彼女の歌を聴きに行ったことはある。しかしその時にも、特に何かがあった覚えはない、あったら忘れようもないだろう。俺はあくまで、その他大勢の観客の一人でしかなかった。


「これまでにお会いしたことが、ありましたでしょうか?」

「ブ、ブロンダート殿下の、お見送りの時です、私、あの場所にいたんです」

「……は!?」


 それはもう、俺がビムラに来てすぐ、と言っていいほど前の話だった。


「あの、私、以前、自分の歌を、ブロンダート殿下に褒めていただいたことがあって、それで、せめてお見送りぐらいは、と思って、近くでこっそり見させていただいていたんです。そ、そこにウィラード様はいらっしゃいました」


 もちろんその日のことは、はっきりと覚えてはいる。だが、見送りの人間の一人一人に気を配っているような余裕があったはずもなく、また、その時点で俺の頭の中には、ビムラの歌姫のことは、顔も名前も、存在すら知らなかった。


「は、初めは、護衛の傭兵さんたちの中に、全然傭兵らしくない人がいるな、って思ってたんですけど……」


 あの時は、殿下に安心してもらおうと、ちょっとはマシな格好をしていた。知らない奴からすれば、普通の傭兵には見えなかったに違いない。


「その人は、殿下の前でも、強そうな傭兵さんたちの前でも、すごく堂々としていて……」


 ――そうだったかな?


 殿下への応対には気を遣ってて、他の連中にはせいぜい行儀よくさせようとしてたかもな。


「それから、殿下を乗せた檻が動きはじめたときも、お見送りのお婆さんたちに、優しい言葉をかけてあげてて、私、その時のことがずっと記憶に残ってて……」


 ――優しくは、したかな。


『ばあちゃん、安心しな、こりゃあ後で必ず殿下にお渡しするし、なるべく不自由させねえようにすっから』


 確か、そんな風に言ったんだったかな。


「そ、それから、後でブロンダート殿下が、無事に脱出されたって聞いて、その時も、あの人が何かやってくれたんだって、そう思いました」


 ――概ね間違ってはいないけれども。


 しかしあの時のことは、山猫傭兵団ウチのビムラでの評判は、まんまと殿下に逃げられたマヌケな悪役、って感じじゃなかったのか。そんないいように受け取られている気配は、どこにもなかったと思うんだが。


「マクシムさんから、今回のお話を持ちかけられたときは、いくら立派な方でも、あ、あの、結婚なんてまだ早くて、それに、やっぱり、傭兵の方となんて、最初はイヤでした。で、でもお話を聞いているうちに、お相手は、あの時の人だ、ってことがわかったんです」


 そして、先ほど濁した言葉の最後に繋がった。


「で、ですから、今日のことは、ご不満とかじゃありませんでした、いえ、あの、嬉しかったです」


 ――………………は?


 理解できない言葉が続いた。


 嘘? 嘘じゃねえよな。さすがにこんな見てきたような嘘はつけねえよな。今言ってたのが全部嘘なら、歌姫じゃなくて女優だ。


「ウィラード様のお嫁さんになるのは、運命じゃないかって、そう思いました」


 さらに理解が追いつかないような言葉が紡がれた。


 ――………………へ? 運命?


 ――…………えええ!?


 ――うおおおおおおおおおおおお!!!


 絶叫していた。


 俺は、声を出さずに、心の中だけで絶叫していた。感動に打ち震えていたといってもいい。


 ――まさかこのような美少女に、そんな風に思われている奴がいるとは!


 ――どうやらそいつはウィラードとかいう名前らしいぞ!


 ――聞いたことあるな、つか俺の名前じゃねえか!!!


 こんな心中の狂騒を表に出してはいけない、その理性はわずかに働いてはいるが、それでもどれほどまでに作用しているのか、今の俺は、誰にも見せられないような顔になっていて、そんなものを一番見られたくない相手に晒してしまっているのかもしれない。


 しかし、嬉しいと思う気持ちの連鎖反応は、しばらく治まりそうにはなかった。


 ――ああああああああああああああ!!!


 そして、逆の意味でも絶叫を禁じえなかった。


 俺が今後為すべきことを考えるならば、この少女の、限りなく愛の告白に近いものを、断じて歓迎するわけにはいかなかったのだ。


 ないのだ、そんな運命などは、存在しないのだ。俺と彼女の運命が繋がる未来などは、この先ありえるはずもないのだ。


 ――最悪だ。


 最悪で、最高で、やっぱり最悪だった。


 どうぞおあがりなさいと用意されたご馳走を、ドブに捨てる覚悟でやってきて、どうせ絵に描いたご馳走だと思い込むようにしていたら、やっぱり本物のご馳走で、しかも俺に食べられたがっていて、それでもドブに捨てなければならなかった。


 飲み込まなければ、口の中に入れて味わうぐらいならいいんじゃないか、そんなさもしい欲求が湧いてくるのも、慌てて打ち消した。


 ――マクシムめ、ムーゼンめ、エルツマイユめ!


 やつあたりの方向は、これを仕組んだ連中の方に向き、


 ――ソムデンめ! ろくでもない方向に背中を押しやがって!


 やつあたりであることは自覚しつつも、さらにあらぬ方向に向いた。


 心の中の狂奔も未だ冷めやらぬうちに、セリカの追撃は始まった。


「あ、あの、それから」

「………………ん、んんっ、なんでしょうか?」


 最低限、話ができる程度には、自分を取り戻す。


「ウィラード様は、先ほどからそのような喋り方をなさっておいでですが、あの時はそうではなかったと思います。一体どちらが本当のウィラード様なのでしょうか?」


 ――……う。


 何となく、痛くて、鋭い質問だった。少なくとも今日この場では、普段の俺の出番は予定していなかった。よそ行きの俺が、せいぜい上辺を上手に取り繕って、可能であれば向こうからの破談を誘い、それが無理でも無事に婚約成立、というのがもともとの筋書きだったのだ。それが見透かされているわけではないだろうが、少なくとも違和感ぐらいは与えてしまっているだろう。


「……セリカ様に、乱暴な言葉遣いはできません」

「い、いえ、そのようなことではなく、どちらが本当のウィラード様なのですか?」

「……恥ずかしながら、以前に見られた方が、本来の私、になりますでしょうか」


 しかし、普段の俺を知られてしまっている以上、嘘をつき通すこともできない。


「本日は、本来のウィラード様を見せていただけないのでしょうか?」

「ですから、セリカ様にあのような話し方は致しかねます」

「では、いつになればよろしいのですか? 婚約が成立すればですか? それとも私が正式に妻になったら、本来のウィラード様になっていただけるのでしょうか?」


 ――……ぐ。


 この態度は、俺の仮面でもあるのだった。


 偽りというほどでもないが、仮面を被った自分ならば、それほど良心の呵責もなしに、他人を偽れるだろうと、自分が勿体ない、と思う気持ちだけを抑えれば、破ってしまうための婚約をすることなど、造作もないことだと、そう思っていた。


 しかし本来の俺は、人を騙すことも、約束を違えることも、それほど好きではないのだ。


 それでも悪意に対してならば、何ら痛痒を覚えることはない、しかしこのような無垢に対してならば、偽りの俺ですら動揺しているのだ、本来の自分では何もかもを喋ってしまいそうだった。


「あなたも、野蛮な男の妻になりたいわけではないでしょう」

「でしたら私は、偽りのウィラード様の妻にならなければならないのですか? お願いですから、今の間だけでも、本当のウィラード様でいてくださいませんか?」


 ――やめてくれ。


 そんな一目惚れのようなものは、運命などではなく、一時の気の迷いに過ぎないのだ。


 ここにいるのは、さっきのジジイどもと同様の、あんたの存在を利用するような、つまらない男で、


『セリカ様のことはね、最終的にウィラードくんが分捕ることになっちゃってもいいと思うんだよ』


 そんなことを言われていいような、いい男では絶対にないのだ。


 いくらそんな訴えかけるような眼で見つめられても、それが本物だろうが偽物だろうが、あんたをウィラード・シャマリの妻にすることはできないのだ。


「…………あなたさえよろしければ、このウィラード・シャマリが、一生を賭けて添い遂げさせていただきます」


 最後の質問には答えず、剥がれかけた仮面を必死で押さえつけながら、絞り出したのは、そんなろくでもない嘘だった。


「…………ありがとう、ございます……」


 くすんだ笑顔でそう答えた彼女には、それが俺の本心でないことは、丸わかりだっただろう。それは単なる拒絶よりも、彼女を傷つけることになったのかもしれなかった。


 そしてこの日、その仮面が外されることも、お互いの心が通じ合うようなことも、最後までなかった。




 数日後、俺たちの婚約は、それがあたかもおめでたいようなことであるかのように、大々的に発表され、それと同時に、俺がビムラを離れる日も近づいてきていた。

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