第四十六話 ウィラード、婚約破棄に挑む



 はじめに縁談の話がもちあがってから、ゆうに二月以上の時間が経過している。


 ムーゼン老の屋敷の広大な庭は、色とりどりの花で埋め尽くされ、そこでようやく、季節が完全に春になってしまっていることに気づかされた。この日が来ることは、可能な限り長引かせてきた。ここに至るまでは、冬は寒いだとか、春になったら暖かくなるだとか、そんなことを考える余裕すらないほどに、忙しかったのだ。


 いや、今も季節のことに気づいたのはたまたまで、余裕などはこれっぽっちもなく、緊張で張り詰めている。なぜなら、本日ここで行われるのは、俺とセリカ嬢との、顔合わせだったからである。そしてそれは、婚約に限りなく近いものになるはずだった。


「付き添いは要らねえのか、付き添いは、見合いだったら家同士の付き合いだ、だったら親代わりに親戚の俺が付いていくのが筋だろう」


 伯父貴はそう言って付いてきたがったが、普段こんなかしこまった場所に来たがらないくせに、その魂胆は見え透いている、単に歌姫様を近くで拝みたいだけだ。


「来るな、馬鹿」

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは」

「孫でもおかしくねえような歳の娘に、鼻の下伸ばしてるような色ボケ爺が、馬鹿でなくて何だ」


 無理やり付いてこようとするのを阻止し、隠れて付いてくるのを撒くのに時間を食ったせいで、約束の時間にはギリギリになってしまっていた。


 お蔭で心の準備などをする間もなく、ムーゼン宅に到着するや否や、慌ただしく庭に面した部屋に通され、その時には、お相手はすでに準備万端整えて待ち構えていた。


 そこで、貝殻亭への使者にもなったマクシムの仕切りで、俺たちはお互いを紹介された。


「はじめまして、ウィラード・シャマリでございます」

「こちらこそはじめまして、セリカ・ハルバンスでございます」


 ――初めの挨拶からしてこれだ。


 向こうにその気はなくとも、機先を制されたように感じられた。その言葉は事態が着々と進行していることを匂わせている。目の前にいるのは、間違いなくビムラの歌姫、セリカ・クォンティである、しかし、このことが公にされているのかどうかまでは知らないが、彼女はこの時点で早くも、長老会筆頭のムーゼンの養女として、ハルバンス家に迎え入れられていたのだった。


 しかし、そのような政治的な事情は抜きにすれば、


 ――可憐だ。


 そのことだけは疑いようもなかった。こうして間近に対面した彼女は、絹のように滑らかに腰まである長い金髪、全ての造形が整った小さな顔、身長に比べてすらりと長い手足と、その存在感は際立っていた。


 それに、わずかに発した自己紹介の声までもが、もはや歌の一節かと思われるようだった。


 ただし、美女、ではなかった。俺が舞台で見たことのあるセリカ嬢は、もっと大人びている感じだった。今日の彼女は、舞台の上とは化粧が違うのか、華やかさよりも、清楚さのほうがより強く感じられる。それは十七、八の年相応の、絶世の美少女だった。


 ……正直に言おう、俺にとっては、圧倒されるような美女よりも、こちらのほうが、はるかに好ましく思えた。


 これは眼福、と言っていいのか、この場に立会人として同席している、長老会の重鎮などと紹介された爺どもが、


「えー、本日はお日柄も良く、絶好のお天気にも恵まれまして」


 などと順番に何かくだらないつまらない死ぬほどどうでもいい話をしているが、少しも頭に入ってこない。そんなことよりも、セリカ嬢の姿を眺めている方が、よほど重要だった。


 向こうも向こうで、俺がどんな奴か気になるのか、時折こちらを窺ってくるのだが、目が合うと、恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう、それがまた、何と言うか、とてつもなくイイ感じだった。


 それと同時に、かなりの後ろめたさと、それよりもやや大きい勿体なさを感じてしまっていた。


 俺はこの後、おそらく彼女と婚約させられる羽目になるのだが、その約束が果たされることは、決してないのだから。




 ソムデンとの打ち合わせの翌日、俺は直ちに、ビムラ中央会議と対決するために行動を開始している。むろん、向こうはこれまであくまで紳士的な対応で来ているわけで、こちらもできれば暴力的な手段で解決したくはない。そうなってもいい用意をしておくだけで、それでようやく、対等な話し合いになるということだ。


 まず初めにしなければならなかったのは、当然のことながら団長の許可を得ることだった。いわばこの町全部を敵に回す以上、いくらなんでも独断はありえない、親分にそのつもりがないのに、子分だけが先走るわけにもいかず、喧嘩にならないのなら、早々に手じまいをし、とんずらをこく算段をしなければならない。


 だが、


「政府の飼い犬にならなくていいんだったら、なんでもいい」


 ――……なんでもいいことはないだろうが。大事おおごとだぞ、びびんねえのかな、この人は。


 とにかくそれが伯父貴の返事だった。あまりに軽い、頭が足りないとは思わないが、どっかのネジぐらいは、何本かぶっ飛んでいる。


「……じゃあ団の金を使わせてもらってもいいか?」

「ああいいぜ」


 これまた大して考えもせず、その返答も風船のように軽かった。


「……ちょっと待て、何だそれは」

「何を待たなきゃいけねえんだ。使わせてくれって言ったのは手前てめえで、それに許可をくれてやって、他に何の文句がありやがる」

「いや、普通金額とか、使い道とかを訊いてくるところだろうが」

「そんなもん知るか。手前てめえ手前てめえの裁量で稼いだ金なんだから、手前てめえの好きなように使やいいじゃねえか、何で俺が手前てめえの小遣いの使い道まで指図しなきゃいけねえんだ」

「小遣いなわけあるか! そんな金額でもねえ!」


 団の経営状況については、定期的に報告は入れている。毎回適当に聞き流されているのも知っているが、それでもけじめとして、これまでに欠かしたことはない。いくらうわの空で聞いているとはいえ、扱っている金額が、雪だるま式に膨れ上がっていることぐらいは、頭に入っているはずだ。


「……有り金、全部はたくぞ。しばらく芋ばっか食ってろ」


 その言葉に、伯父貴はニヤリと、芋どころか人でも食いそうな顔で笑った。


「我慢してやらあ。大勝負、すんだろ。ここでケチって負けたら、後に残るのはそれこそ後悔だけってもんだ」


 一応は、大体の金額は把握しているようだった。伯父貴がこれまで手にしたことはないだろうひと財産は、自らの懐にいれるでもなく、不意にしても構わない、それぐらいの肚は括っていてくれていた。それともこの人は、俺が悩んだ挙句に思い切らなければできないような、これぐらいの肚でも、簡単に括れるのか、あるいは行住坐臥、常に括っているのだろうか。


「それから、俺はしばらくいなくなる、構わねえか」

「しばらくって、どんくらいだ」

「……ちょっと長い、下手すりゃ、半年ぐらいは戻れねえ」

「半年か……ちと長いな。まあ構わねえっちゃ構わねえが、その間、仕事の方はどうするつもりだ」

「済まねえが、長老会から派遣されてくる奴を、受け入れて欲しいんだ」

「うええ……」


 伯父貴はこんな所で、今までにない渋い顔をした。この人にとっては、大喧嘩をすることや、大金をぶちまけるようなことよりも、付き合いたくない奴と付き合うことの方が、よほど嫌なことらしかった。


「……他の奴じゃ、まだお前の代わりになんねえか?」


 何となく、女々しいことまで言われた。


「ガキどもを寄せ集めりゃ、前任のホーグよりは、たぶん使える。だがそうもいかねえ理由があんだよ、辛抱してくれ」

「……その間は、偉いさん連中の言うことを聞かなきゃなんねえ、ってことか」

「……悪いが、そうなる」

「俺が半年辛抱すりゃ、その後は手前てめえがおもしろいものを見せてくれる、そう思っていいんだな」

「ああ、そのつもりだ」


 半年どころか、一月も保たなさそうな気はするが、少々揉めたところで、俺が帰ってきたときに団がなくなっていなければそれでいい。


 ……なくなってないよな?


 万が一そうなっていれば、段取りが狂って、それこそマイアさんの言うところの、しっちゃかめっちゃかの打つ手なしだ。謝ってももう婿には貰ってはくれないだろうし、それどころか方々から袋叩きだろう、いよいよ逃げるしかなくなるのだが。


「だが、ちょっとの間おもしろいだけかも知れねえぞ。もちろん勝つつもりでやるが、その後がどうなるかは、やってみなくちゃわからねえ」

「やってみなくちゃわからねえか、結構な話じゃねえか」

「結構なのかよ」

「結果がわかりきったことをやっても、しようがあんめえよ」


 そんなことはないとは思うのだが。俺は行きがかり上仕方がない、と思っているからするだけで、こんな地獄と極楽、みたいな博打はなるべくやりたくない。せめて、当たれば極楽、外れても現世、くらいのものに留めておきたい。


「あと、半年で戻るつもりだが、もし一年経っても俺が戻んなかったら、死んだと思ってくれ」

「ぶはははは! 逃げたんじゃなくてか」

「逃げるか! 逃げんならとっくに逃げてらあ」


 ここで、伯父貴は今日初めて、真剣な顔になった。


「……危ねえ橋を渡る気か?」

「まあ、危ねえことは危ねえが、前にいっぺん行ったところに行くだけだ、今度だって大丈夫だろ」

「一人で行くのか?」

「あんまりみんなを巻きこみたくねえんで、ほんとは一人で行きてえとこだが、さすがに荷物持ちが要る。何人か借りていくことになると思う」

「そうか、そいつらのことだけは、せいぜい面倒をみてやれ。あと気をつけて行って来い」

「いいのかよ、そんなんで」

「まあ手前てめえのことは、信用してるしな。手前てめえを信じて、それでおじゃんになるんだったら、俺はもう団を畳んだっていいぜ」

「ふざけろ」


 憎まれ口を叩いてはみたが、それは、俺にとって嬉しくもありがたい言葉だった。こうなってしまった経緯について、伯父貴なりに責任を感じているのかもしれない。しかし、モグリの商売も、集団戦闘の導入も、俺が勝手にやったことで、その意味ではやりたい放題以外のなにものでもない、そしてこの上にまだ、さらなるやりたい放題を許してくれているのだ。ならばその信頼には、誠意をもって応じなければならない。


 最後に、もうひとつだけ言っておかねばならないことがあった。


「それから、引き延ばせるだけ引き延ばすつもりだが、対外的には、今回の縁談は受けることにする」

「おう! 歌姫様を嫁にもらうのか、そいつはめでてえ!」

「めでたくねえ! 対外的にっつったろうが! もらわねえよ!」

「もらえよ!」

「ほっとけよ!」


 俺がセリカ嬢と結婚すれば、それはすなわち山猫傭兵団がビムラ中央会議の言いなりになることを意味するのだが、伯父貴の中では、それとこれとはどうやら話は別らしい。


「とにかく、俺の不在は、王立大学院アカデミーに戻って卒業の準備をしている、そういうことになるからよ」

「あいよ、悔いの残らねえようしっかりやんな。…………それから済まねえが、今ちょっと手元が不如意でよ、いくらか融通してくれたらありがてえんだが」

「……いくらでも持ってけ」


 最後のこれさえなければ、きちんと格好がついたんだが、格好じゃなくて、オチをつけやがった。どうにもしまらねえ。


 だが、団の金は団長の金と言い切っても、あながち間違いでもない、本来なら頭ごなしに要求してもいいところだ。それを、融通してくれ、とは可愛げもあるというものだ。


 それに今となっては、団長の小遣いとして、金庫の金が、銀貨の十枚や二十枚、百枚ぐらい減ったところで、全体の計画にあまり影響はなかった。俺が必要とする金額は、桁が二つほども違う、わずか一年にも満たない期間で、俺たちはそれほどまでに遠いところに来てしまっていた。


 善は急げだ、団長の許可を得た以上、もはや俺の行動を遮るものはなかった。


 俺は、長老会からもたらされた縁談の話について、


「前向きにお話を進めさせていただきたく存じます」


 という趣旨の手紙を書き、直ちに長老会のマクシムの所にまで届けさせた。


 昨日の今日だ、その返事の早さに、こちらも大いに乗り気であると思わせることができるだろう。俺が、ビムラの歌姫に目が眩んで浮かれていると、そう思われるぐらいでちょうどいい。向こうが調子に乗って、こちらの足元を見てくるぐらいに舐めてくるようならば、大歓迎だ。


 ただし、伯父貴にも言った通り、実際の顔合わせや、結婚の具体的な段取りについては、可能な限り先延ばしにするつもりでいた。そのことはすでに、ソムデンとの間でも話はついている、俺がどうしても時間の都合がつけられない、その程度の口裏合わせは頼んでいるし、必要なら出張ってもくれると約束してくれていた。


 幸いなことに、俺たちがやっているモグリの商売については、まだ正式に辞めろとも何とも言われたわけではないし、組織だった妨害のようなものも見受けられない。それをいいことに、セリカ嬢との婚約が成立し、王立大学院アカデミーに戻るために俺がビムラを離れる、その時までは、せいぜい稼がせてもらうつもりだ。いかにひと財産あるとはいえ、俺が目標とする金額には、まだまだ到底及んではいないのだ。


 もはや完全にバレているのだ、ならば少々大っぴらにしたところで、何も変わらない。そんなことをしていられるのも今のうちだけで、結婚後の資金でも貯めておけと、大目に見てもらえる可能性があることも、視野に入れていた。




 そうして今、うららかな春の日差しの中、花で一杯になった庭園で、俺が麗しの歌姫と二人並んで、和やかに話をしているのは、単なる偽装工作で、時間稼ぎなのだ。


 雰囲気にあてられて、本気で結婚するつもりになったわけでは、決してないのである。

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