第四十四話 傭兵ギルドの夫婦



 俺は、団員たちのやっかみやら興味本位の追及やら、そんなものから逃れるためもあって、あれから直ちに、傭兵ギルドのソムデンの部屋に避難してきていた。


 あまりこの男には頼りたくないし、借りも作りたくないのだが、以前より俺自身の姿を俺よりもよく見えていた、そのことは認めなくてはならない。この度のことを相談するには、これ以上の適任者は望みようもない。


 それに、今抱えている荷物はいかにも大きすぎる、この始末を手伝ってもらったところで、それより大きい見返りを求められることもないだろうと、そう思った。


「いや、ウィラードさんに見返りを求めたことは、一度もないと思うんですが」

「……そうだったかな?」


 確かに、何かの代わりにどうこうしてくれ、というような話はなかったようにも思う。そうなる前に、こいつの都合よく動かされてしまっていただけだ。


「それにしても、セリカ・クォンティさんですか。ビムラ中央会議も、とんでもない玉を用意してきましたね」

「……ここまで嫌われてるとは思わなかった」

「そこまで自分を卑下しなくてもいいじゃないですか。自分たちの味方にするためなら、ビムラの歌姫を差し出してもいいなんて、ものすごく評価されてますよ」


 そんなのはあっちの危機感の裏返しで、しかもかなり強烈なものだ。能天気に喜んでいられるどころか、寒気しかしない。


「結婚しちゃうのも、いいんじゃないですか、楽しいですよ、きっと」

「なんであんたに、そんなことがわかんだよ」

「一応、経験者ではありますので。あ、もちろん今も婚姻関係は継続中ですよ」

「……そうなの?」


 いやまあ、年恰好から考えれば、既婚者でも全然おかしくはない。ソムデンは見かけも悪くないし、傭兵ギルドの支部長様であるからには、かなりの高給取りで、安定もしている。こいつにその気がなくても、結婚したがる女はいくらでもいるだろう。


 ただ、この男の普段の飄々として人を食ったような態度が、いかにも生活感がなく、ましてや結婚生活などを想像させなかった。


「ソムデン・ユーラーの家内でございます、主人がお世話になっております」

「へわ!」


 思いがけず背後から、突然に挨拶をされて、思わず変な声を出してしまった。


 慌てて振り返って見れば、その挨拶の主は、いつものメイド。


 ――え? メイド? いや家内? ソムデンの?


 じゃあいくら心の中とはいえ、他人の嫁さんを、その旦那を目の前にしてメイド呼ばわりもマズいのか?


 ……んん、いつものメイドさん、だった。ここに顔を出し始めて結構になるのに、その声を聞いたのは初めてのような気がする。


「だめですよ、マイア、ウィラードさんを驚かせちゃ」

「あらあら、ウィラードくんがここに来るときは、いつも深刻そうだけど、今日はいつにも増して深刻だったから、気分転換にでもなれば、と思ったんだけどね」


 マイア、と呼ばれたメイドさん、というか、ソムデンの奥さんは、そう言っていたずらっぽく笑った。


 ――驚かせたのはわざとかい。そんでウィラードくん、ってのは何だよ。


「……ほんとに驚いた。あんたら、夫婦だったのかよ」

「別に隠してたわけじゃないんだけどね。教えようにも、これまであんまり話す機会もなかったわけだし」

「何で今日に限って、いきなり話しかけてくるんだよ」

「それは仕事の話、というよりも、ウィラードくんの人生相談っぽい雰囲気だったからです。だったらプライベートなわけで、お姉さんも口を挟んじゃってもいいのかな、って」


 それはその通りで、仕事の話にメイドが割り込んできたら、失礼もいいとこだ。傭兵ギルドの優秀なメイドさんは、今まであたりまえに仕事に専念していただけで、本質のところは結構お喋りな人らしい。そう思って見れば、ソムデンとは案外お似合いなのかもしれない。


 ――しかし、お姉さん、お姉さんね。


 まあ悪い感じはしない、ソムデンを兄さんと呼ぶよりは、この人をお姉さんと呼ぶ方が、よほど精神衛生上喜ばしいことではある。普通、いや普通以上にキレイなお姉さんではあるしな。


「いけませんよ、これからちゃんと仕事の話になりますから、ウィラードさんにコーヒーでも入れてきてあげてください」

「ちぇー。ソムデンくんのケチー」


 マイアさんは、部屋を出ようとして立ち止まり、首だけでこちらを向いた。


「あ、ウィラードくん、ご馳走したげるから、今度ウチに遊びにおいでよ。お姉さんお料理上手いよー」

「ウチにウィラードさんをお誘いするのは賛成ですけど、また後にしてください」

「はいはい、じゃあ仕事の話が終わってからね」


 一旦はソムデンの部屋から姿を消したマイアさんが、次に俺好みのコーヒーを淹れて現れたときは、いつもの黙々と仕事に励むメイドに戻っていた。


「とまあ、こんなふうに、楽しく暮らせるかもしれないわけです」

「……楽しくなさそうなことは、ないな」


 思いもよらない所で、仲睦まじいご夫婦の様子を見せられたわけだが、それで今回持ち込まれた縁談を、ほいほいと受け入れる気になれるわけでもない。


 ただ何となく、この場は妙な駆け引きをせず、腹を割って話せるような気分にはなっていた。


「それで、今さらですけど、ご自身の置かれた状況は、把握されましたか?」

「……できた、と、思う」

「それは良かったです。何でわからないのかは、不思議でしたけれど」

「いや、だって、モグリの商売ぐらいは、ある程度は誰でもやってるようなことだと思ってたし」

「ある程度、ですよ。ウィラードさん、あなた手に入れたものを単にお金に換えるだけじゃなくて、流通とか相場とか、その辺ちゃんと理解した上でやってましたよね、しかも組織的に、継続的に」

「まあ、その方が儲かるわけだし」

「そんなことは、どこの傭兵団も盗賊もしないんですよ」

「商人だったら普通のことだろうが」

「商人がするようなことを、傭兵団がしたらダメなんです」

「………………」


 いやもう、そんな風に叱られなくても、自分でもわかっているのだ。


 ビムラ中央会議が、どの段階でその危険性に気づいたのかまではわからないが、ある時期を境に、山猫傭兵団ウチに対する警戒の目は、単なるモグリの商売に向けられたようなものでは、完全になくなっていた。


 俺のしたことは、端的に言えば、この世界全体の秩序に対する挑戦だったのだ。


 これは決して大げさではなく、俺自身は、監視の目を逃れるためもあって、なるべく物価への影響や、大きな混乱が起きないようにも気を配っていたが、他の傭兵団が、俺がしたような商売を始めてしまえば、おそらく野放図なものになったに違いない。


 俺の行動を許せば、それが嚆矢となって、先々そんな事態を引き起こしかねないということを、公の機関が心配するのは当然だった。


 金銭の力と、物理的な力の棲み分け、とでも言えばいいのだろうか、結局のところ、ビムラの商工ギルドだけではなく、この世界自体が、おそらくは無意識のうちに、傭兵を金銭で隷属させておくことを望んでいた。


 傭兵自体が金銭を産み出す仕組みを手に入れ、自立を目指すことは、国を統治する、あるいは経済活動を支える人間たちにとって、害毒以外のなにものでもなかったのだ。


 俺は世の中における自分の立ち位置に、全く気づいていなかったということになる。


 しかし現状、そんなことをしている傭兵団は、山猫傭兵団ウチ以外にはまだないはずだ。そこで留まっているだけなら、容認とはいかなくても、黙認することぐらいは、できたのかもしれなかった。


「それだけじゃ、ありませんよね」

「…………うん」


 傭兵という暴力装置が、自ら金銭を持って、隷属の立場から逃れようとしても、最終的には、それより強い暴力によって、ねじ伏せることができるのだ。それこそが、正規軍の存在で、そうすることは、今なら容易いことだった。


 しかし俺が集団戦闘の概念を、傭兵の世界に持ち込んだことは、傭兵団と正規軍との力の差を縮めることに他ならず、それは、ゆくゆくは世界の安全装置の破壊に繋がることを意味していた。


「軍と戦おうというつもりまでは、全くなかったんだがな」


 俺はあくまで、傭兵同士の喧嘩に勝つためだけに、それを導入したのだ。


「私に向かって言い訳しても、仕方ありませんよ」

「…………うん」


 俺がどう考えていようが、そんなものは、向こうにとっては、どうでもいいことだった。子供同士の喧嘩に、物騒な刃物を持ちだした奴がいる、大人としては、それが誰かを傷つける前に、取り上げなくてはならないだろう。


「とにかく、あんたが前に言ってたことは、すべて理解した」


 やりすぎた、と言ってしまえば簡単だが、究極的には、俺の発想と、傭兵団という概念とが出会ってしまったことが、そもそもの誤りであったのかもしれなかった。


 俺が事務長をやっている以上、どれほど自重しようとも、いずれはこの方向に進んでいた。早いか遅いか、それだけの違いでしかない。


「そんで、あんたはこうなることがわかってて、あの時、というよりも、最初から何も言わなかったわけだな」

「それは少し違いますね、私だって初めからウィラードさんの考えがわかっていたわけではありません。その発想自体は、私の中には決してなかったものですから。ですが、途中からは、無自覚に秩序を破壊していくウィラードさんを、興味深く見せていただいてました」

「止めようとは、思わなかったわけだな。あんた自身、俺の背中を思いっきり押すような真似をしてたわけだし」

「止める理由がありません。傭兵ギルドは、傭兵の利益と、地位向上の為にある組織です。山猫さんの仕事ぶりは、その理念に反するものではありません。応援ぐらいは、したくなります」

「こんな破局を迎えることになってもか」

「別に破局したわけではありません。その答えが出るのは、まだまだこれからで、ウィラードさんの行動次第です。――それで、どうされますか?」


 ――どうするか、か。


 誰も渡らない橋を渡れば、誰も行ったことのない場所に行くしかない。それは以前ソムデンが俺に言ったことだが、俺は今、まさにその橋を渡り終えたところに立ってしまっているのだろう。この先を俺が歩けば、その後には必ず道はできる。そして後に続くものも、現れる。


 ビムラ中央会議からもたらされた縁談は、その道を作らせないためのものだ。俺に、かつて誰かが歩んだ道を歩ませる、それが最も穏便に事態を解決させる方法だった。


「エルツマイユ閣下の考えは、ここ十年、いや、五年ですかね、それぐらいの期間で考えれば、有効だと思いますよ」

「ずいぶん短いな、短絡的だってのか」

「そんなことはありませんよ、それだけの時間を保たせれば、長さとしては充分です」


 世の中自体が、変わり始めています、とソムデンは言った。


「ウィラードさんがここで降りても、あなたがやったことは、いずれ誰かが真似します、あるいは、同じことを考える人が現れます。これはもう、ウィラードさんという前例ができてしまった以上、もうどうすることもできません。あなたのように上手にできるかどうかは別にして、今後は目端の利く傭兵団から順番に、経済活動を始めるところが出てきますし、集団戦闘を取り入れていくでしょう。それが儲かると思えば、ウィラードさんのように、傭兵とは関係ない世界からこちらに足を踏み入れる者も出てくるはずです」

「じゃあ、俺をどうにかしても、後でまた同じことが起こるだけじゃねえか」

「何を言ってるんですか、ここビムラの将来に限って言えば、その時にどうにかするのは、ウィラードさんご自身ですよ」

「…………なるほど」


 毒を以て毒を制す、自分のことを毒だと言うのには抵抗があるが、俺をビムラ中央会議に取り込む、というのはそういう目的もあったのか。しかるべき立場にあって、そんな事態を収拾しろと言われれば、確かに俺なら何とかしそうだ、一石何鳥もよく考えやがる。


「ご自身のことだけを考えるなら、それも悪くない話、ではあると思いますよ」


 ビムラ中央会議長の座。もちろんただで貰えるわけではなく、与えられる職務を十全に果たし、その上で当然現れるであろう政敵に打ち勝ってなお何十年か後の話になるだろうが、そこを目指すのは、人の生き方としては、充分に価値を見出せる。


 例え未来においてそうなれなかったとしても、安定した給料と、傭兵をしているよりはるかに平穏な暮らしと、誰もが羨む歌姫と、少なくともそんなものだけは、明日にでも手にすることができるのだ。


 いや、少なくとも、でも、そんなもの、でもない。セリカ嬢を手に入れることだけで、男の一生を賭けるに値する幸運であるかもしれない。


「それとも、全てを捨てて王立大学院アカデミーに戻られますか? そうしたところで、どこからも文句は出ないでしょう」


 もと歩いていた道に立ち返り、この一年ほどの期間はなかったことにする、それもまた、ひとつの考えだった。


 俺がいなくなるのと引き換えに、山猫傭兵団の事務長をビムラ中央会議の方から派遣させる、それだけでも、俺がここに居続ける理由はなくなるのだ。政略結婚などわざわざ回りくどい手段を取らなくても、誰も損はしない。交渉の余地は充分にあるだろう。


 伯父貴だってこの期に及んでまで、ここで意地でも踏みとどまって何とかしろ、などとは言いだすまい。そこまで俺の人生を縛るつもりは、これっぽっちもないはずだ。


 ……セリカ嬢のことは、ちと惜しい気もするが、政略結婚などは人身売買と大差なく、当人の意思を無視して彼女を自分のものにしてしまったとしても、あまり気分のいいものではない。そのことで大勢の恨みを買って、のほほんとできるほど、面の皮は厚くもない。そもそも面識のある人物ではないのだ、もとより違う世界の人間だと、諦めることは簡単だった。


「………………嫌だ」


 考えた末に、口をついて出たのは、否定の言葉だった。


 何が嫌なのか、己を省みて、割とどうしようもない所に行きあたった。


 子供っぽいと思われてもしかたがないが、俺は、一方的に誰か偉い奴の言いなりになるのが、嫌なのだった。だから、唯々諾々とビムラ中央会議の話を受け入れることも、ここから逃げてしまうことも、嫌だった。敵わぬまでも、抵抗ぐらいはしてみせたかった。


 それに、一度決めたことを、不本意な結果で放り出してしまうことも嫌だった。


 伯父貴や仲間たちに、お前はここまでか、そう思われるのも嫌だった。


 傭兵たちの人生は、もうちょっとマシなもんでもいいだろう、そう思ってやってきたことが全くの無駄で、世界は傭兵に対し、これからもクソッたれた人生であり続けることを望んでいる。一旦正道からはじき出された弱者は、延々とその境遇に甘んじなければならず、搾取されるのは当然なのだと、そう諦めなければならないことは、もっと嫌だった。


 しかし、ただ単に嫌だ、それだけは済まされないのだ。


 これまでのことを、笑って水に流してもらえて、過分の褒美まで受け取れる。それができるのは今だけで、これ以上世界の意向に逆らうためには、その代償を支払わなくてはならない、それは一体どれほどのものになるのか。


 ――王立大学院アカデミーには、もう戻れなくなるのか。


 ――立身出世を不意にして、このまま一生、傭兵であり続けなければならないのか。


 ――少なくとも、自分自身と多くの仲間たちを、危険にさらすことだけは間違いない。


 ――そして得られるものは、ただ一時の満足だけで、他に何もないかもしれない。


 それどころか、世界に混乱の種を撒き散らすだけになるかもしれないのだ。


 そんなことをしてまで、俺が意地を張り通す必要は、どこにもないはずだった。


 それでも、このまま引き下がってはいられないと、心の奥底で、誰かが、俺自身が、獣が、群れをなして抗議の叫びを上げていた。


「こら」

「あた」


 いきなり、ぺしん、と頭をはたかれた。


 部屋の隅で待機していたはずのマイアさんが、いつの間にか背後に立っていた。


「ごめんね、これやっぱ仕事の話じゃなくて、ウィラードくんの人生相談でした。だからお姉さんも思わず口を出しちゃいます、いいよね、ソムデンくん?」


 出したのは口じゃなくて、手だ。そんな抗議すら、口を挟むことを許されない、静かな迫力があった。


 マイアさんの行動を黙認したのか、ソムデンは苦笑しただけで、何も言わなかった。

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