第四十三話 金の手枷 紅白の足枷



 新年をまたいで三ヶ月ほどの間、取り立てて大きな事件は起こらなかった。


 ソムデンの来訪も、ビムラ中央会議の呼び出しも、気がかりではあったのだが、その後大きな不都合は起こらなかった。


 むしろ、いくつか割のいい依頼の斡旋などもあり、仕事は驚くほど順調だった。俺としても、常に何かしらの問題を抱えて来たわけで、この期間、これほど平穏な気持ちで過ごせたのは、極めて幸いだった。


 その結果が、


「…………これを、見てくれ……」

「…………すごい……ですね……」


 普段から俺の仕事を手伝っているイルミナに帳簿を見せたところ、さすがにいつもの不愛想な表情も、驚愕へと変化した。


 儲かっていた。


 山猫傭兵団ウチの懐は、想像した以上に潤っていたのだ。


 団の帳簿には、見たこともないような数字が並び、伯父貴から管理を任された金庫には、何千枚かの銀貨、そしてその数十分の一ではあるが、金貨までも貯まり始めていた。


 そもそも、事務長に就任する以前から、傭兵団の経営は儲かるとは思っていたのだ。


 何しろ、常時数百人の人間を動かしているのだ、これほどの人数を雇っているところは、相当の大店でもほとんどない。


 労働力としての傭兵が、代替性が高く、重要なものとして認められていないのは、馬鹿で、すぐサボり、悪いことばかりするからである。普通のところは、そんな危険な連中をわざわざ選ばなくても、少しだけ賃金をはずめば、もう少し真面目で、よく働く人間を雇うことができる。


 しかし、少々素養が悪くても、数がまとまれば、それは充分に力になる。要所を押さえ、喧嘩や博打、犯罪に向かうようなエネルギーを、正業に向けさせることができれば、利益を生みだすことはわかっていた。それが造作もないこと、とまでは言わないが、仕事に集中さえさせてもらえれば、こうするだけの自信はあったのだ。


 それに加えて、芋洗傭兵団から奪い取った利権、これを利用してモグリの商売に手を出していた。これまで、仕事の行き帰りは、空の荷車を引っ張っていることも多かった。これに商人たちからの依頼ではない、自前の荷物を載せるようにしたのだ。


 むろん専門の人間がいるわけではないから、常に安く買い、高く売れるわけでもなかったが、何度も続けていれば、ある程度その呼吸はわかってくるもので、利益を欲張りさえしなければ、大っぴらとはいかないものの、それなりに常連の顧客にはつき始めていた。


 金額だけで見れば、こちらのほうが、儲けとしてはより大きかった。


 しかし、喜んでばかりもいられない。というか、この期に及んでは、喜ぶ気持ちなどは、とっくに過ぎ去ってしまっていて、もうどこにもない。


「やりすぎた、かも知れん」


 儲けようとは思っていたが、その速度が予測をはるかに上回っていた。


 調子に乗ったつもりはないが、単純に仕事がおもしろかったのだ。商工会の力を甘く見ていたわけではない、それが露見しないようには、細心の注意を払っていた。芋洗傭兵団の轍を踏まないよう、伝票の類は全て最終的には俺の手元に集まるよう管理していたし、何かあれば、すぐに焼却処分できるようにも手はずは整えている。誰かを拷問して、自白でもさせない限りは、闇取引の直接の証拠は上がって来ないはずだった。


 むろん、闇取引と言っても、それは違法なものではない、こちらもビムラや近隣諸国の法律は調べている。それは、商工ギルドの意向に反する、という意味で闇なだけである。盗品の故買や、いくつかの禁制品の取り扱いを除いては、基本的に商売は自由だ。それが商工ギルドの掟に反したからといって、それに属さない俺たちがとやかく言われる筋合いはない。


 と、建前を振りかざして、開き直ってばかりもいられなかった。ここはビムラであって、その最高権力者は商工会の代表たるエルツマイユなのだ。このままの好き放題が、許されるわけもなかった。


 どうにも金額が大きすぎた。その正確な数字まではわからないにせよ、儲かっている、というその一点においては、おそらくすでに掴まれてしまっているだろう。その理由においても、予想はつくはずだ。


 それが商工ギルドの権益を侵害していると判断されたならば、現状の友好関係を投げうって、締め上げにかかってくるのも、時間の問題に感じられた。


「これを、どうしますか?」


 イルミナの疑問についても、答えは用意していなかった。ここのところ、仕事自体が、自己目的化していた。儲けた金の使い途は、さらに儲けることに使ってしまっている。そうして蓄財することも、王立大学院アカデミーから与えられた、宿題か実験か、そのようにも感じられていたのだ。


「……この金、全部放り出したい……」


 どう言っていいのか、表現し辛いものがあった。


 莫大な財宝と呼べるほどではないが、人間一人二人が一生に稼ぐ金額としては、『一丁あがり』としてしまってもいいぐらいにはあった。それでも、自分が勝手に使ってもいいようには思えない。俺なくしては決して稼げなかったであろう金だが、あくまでこれは、団の金で、他人の金でしかなかった。


 これだけの金を伯父貴に渡してしまえば、博打などで溶かしてしまわない限り、相当の贅沢、例えば美女を二、三人侍らせたところで、死ぬまで遊んで暮らせる。


「それと引き換えに、俺を解放してくれんかなあ」


 ――王立大学院アカデミーに戻りたい。


 我ながら情けないことを言ってしまっているが、それが偽らざる気持ちでもあった。




 やはり、いつまでも泳がせておいてはもらえなかった。このことが、ビムラ中央会議に把握されてしまっていることは、すぐに明らかとなった。導火線に火のついた爆弾、としか呼びようのないものが、山猫傭兵団ウチに対して投げ入れたからである。


 その日、貝殻亭に現れた男は、このところよく出入りしている、ビムラ中央会議の役人に連れられてやって来た。


「長老会の渉外方の、マクシムと申します」


 それは、ムーゼンの懐刀であるのだろうか、小柄ではあるものの、屈強な傭兵団を前にして恐れる様子も見せず、それでいて嫌味のない、五十前の男だった。

 団長室に案内しようとするのを固辞し、マクシムは貝殻亭の食堂で、俺と伯父貴の正面に向かい合う形で座った。


 喧嘩を売りに来た風ではまったくないが、この時点で、俺はすでにイヤな雰囲気をひしひしと感じている。


「この度は、そちらのウィラード・シャマリ様に、おめでたいお話をお持ちいたしました」

「めでたい話……。ふん、縁談か」


 ムーゼンの言葉に、伯父貴がつまらなそうに反応を返した。


 ――やはりか。


 目的が喧嘩でないとすれば、それは懐柔であるに違いなかった。


 他の団員の耳目もあるこの場所で会談を望んだことも、さっさと噂を広めて、既成事実化を図りたい、その目算あってのことだったようだ。


「その通りです。花嫁様の候補は、長老会のムーゼン様の、ご縁者にあられます」

「縁者って言っても、いろいろあらあな」

「確かに直系の方ではございません。それなりに遠縁の方になりますが、一旦はムーゼン様がご自身の養女になされて、それからウィラード様にめあわせたい、と仰っておいでです。形としては長老会筆頭、ハルバンス家の正式な婿、と言っても問題はないかと」


 それほど興味のある話でもないが、ハルバンス家は、貴族というわけではないにせよ、名門と言っていいだろう。もとをただせば、パンジャリーの王族に連なる血筋のはずだ。


「何だそりゃ、体裁だけ整えりゃあ、遠縁の娘なら嫁にやっても惜しくないってか」


 伯父貴はそう言ったが、俺としては、もっともっと不穏な予感がした。


 いろいろあって、俺の方でも情報収集の重要さは痛感している、ビムラ中央会議の情報網には及ぶべくもないが、団員たちを使って、調べられるだけのことは調べていた。


 ムーゼンには、孫も曾孫も何人もいる、その全員について、既婚かどうかまではわからないが、それなりの年恰好の娘もいたはずだ。その全てを手放したくない、というわけでもあるまい。それに有力者なら、ムーゼンでなくてもいいだろう。たかだか俺一人の動きを封じるのに、別にそんな大物を用意する必要もあるまい。


 それをわざわざ遠縁、というのはいかにも臭う。


 それでも、この次の瞬間までは、どうにでもなると思っていた。


 ――まあ俺としても、あのブロンダート殿下の婿になるのを断った男だしな。


 その件は、いささか自分の誇りでもある。むろん半ばは冗談だったとしても、瓢箪から駒は出るものだ。全くその気もないのに、水を向けたわけでもなかっただろう。あの時の好条件に比べたら、どれほどの高待遇を提示されても、心が揺らいだりはしないはずだった。


 マクシムは、満を持して、あるいはとっておきを披露するかのように、その名前を告げた。


「……セリカ様、といえばおわかりになるでしょうか」


 ――!!!


「「マジか!!!」」


 俺より先に、周りの野次馬連中の怒号が響いた。


 セリカという名前など、ありふれたものだが、ただのセリカがこうも勿体ぶられるわけがない。


「あの、セリカ・クォンティか!」


 伯父貴ですらが、その驚きを隠そうともしなかった。


 ここビムラでセリカ様、などと呼ばれるのは、ビムラ大劇場を連日超満員にする、ビムラの歌姫、セリカ・クォンティをおいて他にはなかった。


 俺ももちろん、その顔も名前も、歌声の見事さも知っている。ビムラよりはるかに文化的に進んだヴェルルクスでも、それに対抗できるような歌姫はいなかった。いや、歌声だけなら、それより上手なのは数名いるだろう。だが、それに加えて、若さと美貌を兼ね備えた人物といえば、セリカ・クォンティに匹敵する者は探そうとするだけ無駄だった。


 年齢は確か、十七、八歳。嫁に行くなら、少し早いが、早すぎはしない。しかしその伴侶となるには、ビムラの全ての独身男性と、既婚男性の半分ぐらいを競争相手にして、まんまと蹴落としてみせなくてはならないほどの、高嶺の花だった。


 ――めちゃくちゃなことしやがる。


 これはもう、驚きを通り越して、開いた口が塞がらないという類の話だった。


 ムーゼンの直系がどれほどの娘かはわからないが、さすがに女性としてセリカ・クォンティ以上の容姿だとは思えない。


 遠縁、というからには遠縁なのだろうが、なりふりかまわず、俺の縁談の相手として、文句のつけようのない人間をあてがってきたということだ。それほどまでに、この話を進めようとしている者たちは、本気だった。


 これを簡単に袖にすれば、ビムラ中央会議どころか、ビムラ全部を敵に回すことだけは間違いない。


 いや、受け入れたところで、半分ぐらいは敵に回すのではあるが。


 そして我ながら浅ましいことではあるが、こんな話をはいそうですかと受け入れられるか、などと思いつつも、この降って湧いた僥倖に、顔のニヤニヤを隠すことができなかった。


 ――俺も男だ、勘弁してくれ。


 誰に、というわけでもなく、心の中で詫びてしまってもいた。


「ああああ、セリカ様が事務長のものに!」

「許せるか! そんなもん!」


 団員の一部は、早くも殺気立っている。


「…………歌ばっか歌ってるような妻は、いらないんだが…………」


 何を言っても藪蛇になるような気はしたが、せめてもの抵抗を試みた。


「セリカ様は、行儀作法、花嫁修業の一切を修めておいでです」

「よ、傭兵の所になんか、嫁に来れるわけないだろう」

「何をおっしゃいますやら。ビムラの将来を担う王立大学院アカデミーの俊英に、他国にも稀なビムラの歌姫、これ以上にないお似合いのご夫婦になられますかと」

「いや、俺はまだ、王立大学院アカデミーを卒業したわけじゃ――」

「このご縁談がまとまり次第、シャマリ様には、こちらのお仕事を辞めていただきます。王立大学院アカデミーに戻られまして、ご存分に学業をお修めくださいませ。ご卒業後、こちらに帰られましてから御婚礼、ということになりましょうか」

「それじゃ――」

「ご心配は要りません。シャマリ様より優秀な人間とは参りませぬが、長老会の方より、直ちに代わりの人間を派遣いたしますゆえ、後のことは万事お任せいただければ、悪いようにはいたしませぬ」


 外堀は、完全に埋められていた。


 政府の飼い犬になんか絶対なってやるものか、そう思っていたはずの伯父貴にしても、完全に意表を突かれて、二の句が継げなくなっていた。




「近いうちに、ご両所の顔合わせの機会を設けさせていただきます」


 そう言い残して、使者が帰ってからも、貝殻亭の中は騒然としていた。


「事務長、辞めんのか?」

「ちくしょう!」

「死ね!」


 団員たちに詰め寄られ、どさくさ紛れに、何発かは殴られた。この事態を少しも喜んではいないはずなのに、殴られたところは少しも痛くはなかった。


「イルミナのことはどうするんだ」


 ティラガが途方もなくズレた心配をした。


「よかったですね」


 当のイルミナはいつものように不愛想に祝福の言葉をくれたが、何となくいつもよりは不機嫌そうな気はする。


「……何か、怒ってんのか?」

「怒ってませんが」

「代わりの事務長を寄越すと言ったが、山猫傭兵団ここがつまらなくなるのは嫌だな」


 ディデューンが漏らした言葉、それこそが、この度の縁談の肝には違いなかった。


 俺と、山猫傭兵団を切り離す。そうなれば、山猫傭兵団ウチは、ビムラ中央会議の走狗以上のことは、できなくなるだろう。それは悪いことばかりではないが、自由や、誇りといったものは失われる。


 傭兵団の自由も、誇りも、安穏な暮らしの中では決して得られない、それは餓えや野垂れ死にとともにあるものだ。


 ――それでも、方法としては穏便ではあるのか。


 可能性は薄いが、いきなり強硬策でくることも、考えられなくはなかった。


 考えたくもないが、例えば俺を暗殺でもしてしまえば、何も後腐れはない。それが一番手っ取り早い方法とも言える。


 ただし一度失敗すれば、こちらも窮鼠とならざるを得ない。相手が猫だろうが虎だろうが、むざむざと殺されてやるわけにはいかない。何しろこちらは傭兵団だ、ただの一般人よりは、血なまぐさいことには慣れていた。


 ――いきなり全面抗争、ってのも政治家の考えることじゃないわな。


 とにもかくにも、この話は長老会の一存ではないだろう。ビムラ中央会議、そしてエルツマイユの意向も少なからず関わっているはずだ。


 こんな時の相談相手として、俺の脳裏にたった一人の名前しか浮かばないのは、実に不本意な話だった。

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