手すりにお掴まりください

 駅ビルの裏手。あまり通らない通路だが、欲しい本を探して本屋を梯子した時の帰りに利用する階段がある。改札機2台だけの小さな改札に通じる通路に繋がっている。

 今日は久々に遅くまで本屋を回った。スマートフォンで時間を確認すると、既に21時を回っていた。目的の本が見つからなかったのは心残りだが、まあそんな日もあるさ。そんなことを考えながら、あの細い階段にさしかかる。


 ん?

 視界の先に、違和感を感じた。

 大して利用客もいないと思われるこの階段に、登りのエスカレーターが架けられていたのだ。

 俺が利用しない時間帯には、この階段も賑わうんだろうか?通勤客やら何やらで。そんなことを思いながら歩みを進める。

 本屋巡りでそれなりに疲れている。少しでも脚を休めようと、特に意識することなくそのエスカレーターに足が向いた。俺が来た方角とは別の方から現れた小柄な女性が、小走りでエスカレーターに足を架ける。俺もそれに続き、彼女の二段下のステップに足を置いた。


 ゴン…ゴン…ゴン…ゴン…ゴン…。

 重く静かなモーター音を聞き流しながら手すりに身を任せる。

 ギシ…ギシ…ギシ…。

 手すりのベルトか何かのきしむ音が聞こえる。

 実際のところ、手すりを持っていれば終点に近付いた時に感触で判る。そんな難しい技術じゃない、手すりの傾斜が緩やかになるだけだ。それまでは目を閉じていても大丈夫なのだ。ついでにこのエスカレーターは最近付けられたものらしい、ならば終点の平坦なステップは3枚確保してあるはず。降りる時の危険はさらに低い。初めて乗るエスカレーターとはいえ、そんな経験則と知識に基づいて目を閉じ、つかの間の休息を得る。


 ギシ…ギシ…ギシ…。

 ……何かが変だ。

 いや、ごく単純な違和感だ。

 ……長すぎる。

 何だこれ。もう2~3分は余裕で過ぎてる気がするんだが……閉じた目を開き、前方を確認しようとした――その瞬間。


「な、何よこれっ!?」

 悲鳴のような声が上がる。俺のすぐ前にいる女性のものだろう。目を開いて彼女の方、すなわちエスカレーターの上方に目をやると――

 エスカレーターが――果てしなく続いていた。


 女性は俺の方、いや俺の背後に視線を向けて……表情を凍らせていた。

 大体の予想はつく。だが、出来れば普段通り、ごく普通の日常があってほしいという一縷の望みを託しつつ、俺は自分の背後、エスカレーターの下方に目をやる。


 エスカレーターが――果てしなく続いていた。上方と同じように。


「ちょっとあんた、これどういうことよ!ここ、どうなってんの!?降ろしてよ!」

 気持ちは分かる。この状況で、人間的なコミュニケーションを取れるのは、彼女にとっては俺だけなのだ。

 だが。

 無理だろ、普通に考えて。

 応えに窮した俺に、彼女は猶も詰め寄る。襟を掴んでぶんぶんと降り回す。

「ちょ、待て!危ねえ!ここ何処か分かってんのか!」

「分かってるわよ、エスカレーターの上でしょ!」

「だったら暴れたら危ねえってことくらい分かるだろ!ちったぁ大人しくしろ!

 大体だな、俺に怒鳴ったところでどうなる状況でもないことくらい分かんだろ!?」

 彼女の言葉を塞いで、今度は逆に俺が声を荒げる。それで彼女の方も多少は大人しくなったようだ。

 まあ、とは言えこの状況。何が解決したわけでもない。ようやく現状の分析が出来る、といったところか。

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