小さな晩餐

「かんっぱーーい!」

「おいおい、何回目の乾杯だよ」

「いやいや三好さん、楽しいことは何度やっても楽しいんですよっ」

 送別会代わりに居酒屋で酒でもおごる、と声を掛けてみるとあっさりと付いてきた。俺が信用されてるんだか軽視されてるんだか分からないが、まあ一人寂しく飯を食うよりは良いってもんだ。彼女に対しては感謝の気持ちもあるわけだしな。

 そしてこの快活さ。周囲の客もチラチラとこっちを見ている。それが何だか誇らしかったりする。

 だって可愛いんだよ、この子。

 事務やってる時は「地味だな」って程度の印象しか無かったが、そこにこんな生き生きした表情が加わると途端に魅力があふれ出てくる。まるで女子高生みたいな活力に溢れている。

「けどさ、高橋さん」

「ん? ああ、葵でいいですよ」

「んじゃさ、葵ちゃん」

「はい?」

 少し過剰なくらいに、あざとく小首をかしげる葵ちゃん。けどむしろそれが可愛い。やばい惚れそう。ちょっとアプローチかけたくなってくる。


「葵ちゃん、なんであんな地味な恰好で会社来てたの? こんなに可愛いのに」

「もう三好さん、お世辞とか良いですよ別に。っていうか、あんまり女を表に出しとくと色々めんどくさいんですよ。ストーカーとか」

 ちょっと勇み足を踏み留まろうか俺。ストーカー被害とかちょっと重くないか?

「あ……ああ、そりゃ男ばっかりの職場に入ると大変だろうねえ」

「そうなんですよ。歴代の私が行った職場ってセクハラまがいのボディタッチとかラブレターとか、ほんとそういうの多くて。その点、三好さんとこの会社は男性ばっかりの割に良い職場でしたねえ。あたしを完全に仕事オンリーの同僚として見てくれましたから。うんうん」

「セクハラとラブレターとストーカー、全部横並びにすんのかよ」

「興味ない相手だったら私が迷惑被るだけじゃ無いですかぁ。全部おんなじですよ」

 シビアな子だ。そう達観してしまえるくらいには、色々と迷惑行為を受けてきたんだろう。そう思うと何だか親心のようなものを感じてしまう。

「で、そんな迷惑被らないように地味な服で来てたの?」

「はい。なるべく地味なスーツ選んで、声の抑揚も無くして。ずっとやってるとむしろ楽しくなってくるんですよこれが」

「それにしたってさ、見事な変貌ぶりだよな。女優顔負けだよ」

「ふふーん。三好さん、女はみんな女優なんですよ?」


 相当に酒が入っているが、彼女が酒に飲まれている様子は無い。随分酒に強いようだ。それでも肴で腹がふくれているのか、酒を飲むペースは随分落ちている。

「っはーっ、ひっさしぶりに楽しいお酒ですよ。大抵のお酒って職場の飲み会だから気ぃ使うんですよねぇ」

「あ、それじゃ今日みたいな感じの方が良かったって事かな? 俺、職場で送別会やらなくて申し訳ないなって思ってたんだけど」

「ええ、それもありますけど……相手が三好さんだから……かなっ?」

 またしても、あざといアクションでウィンクを投げてくる。けど彼女の話を聞いていると、下手に期待するのは無駄な気がしてきた。楽しい飲み友達、そう思った方が良さそうだ。

「オッサンを勘違いさせんなよ」

「おっさんだなんてとんでもない。っていうかお店替えてもうちょっと飲みたい気分ですよ。この近くに安くて良い店知ってるんでそこでおごらせてください。お礼の意味も込めて」

 何というラッキーな提案。けど駅前の一帯はどの店もけっこう価格帯が高かったように思う。一体どんな店なんだろう。

「その店、どの辺?」

「えっとね、地下鉄の北改札からちょっと東に行った地下街に降りのエスカレーターがあるんです。その向こうの北地下街ですねー」

「へぇ……」

 珍しいところを指定するもんだ。そう声を上げてみる。

「あれ、三好さんも知ってます? あの噂」

「ああ、知ってるよ。『人食いエスカレーター』だろ?」

 ハハハ、と軽く笑ってみせる。


 人食いエスカレーター。この辺で好き者が広めたという噂のひとつだ。

 店がひとつも無い北地下街は実は魔物の胃袋で、エスカレーターに乗った通行人を噛み砕いて飲み込んでしまうというのだ。そのせいでこの駅前エリアでは行方不明者が後を絶たないとか……。

「噂にしたって幼稚というか何というか。もうちょっとそれらしい話の構成ってもんがあると思うよ?」

 鼻で笑った俺を見て、彼女は――静かに微笑む。

 まるでさっきまでとは別人のような。

 例えるなら、そう。「魔女」と呼ばれる存在がいたなら、きっとこんな笑みを浮かべるんだろう。

 そんな表情で、俺を見つめていた。


「あの噂ね……確かに構成が変ですけど、それは事実をありのままに語ってるからなんですよ」

 目の前にいる彼女の口の動きと、耳に届く声がズレて聞こえてくる、そんな気がする。

「だって、そんなことあるわけが」

「ありますよ。だって私、いつも見てますから」

 居酒屋に大勢いるはずの周囲の客が視界から消え、彼女だけがやたら濃い影とともに視界を占める。


「私、その魔物が人を食べてるの、いつも見てますから」

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