人食いエスカレーター
帰り道にて
やれやれ。まだ店の開いている時間に帰宅するのは何ヶ月ぶりだろう。
昨日ようやく仕事が一段落したおかげで、久々の定時上がり。駅周辺にも人が多い。
今回のプロジェクトは、なかなか大変だった。設計担当の聞き取りが不十分で客先から矢ぶすまのように飛んでくる修正依頼という名の激昂メールを毎日終電ギリギリまで処理し続け、ようやく納品に漕ぎ着けた。今でも納期が守れたのが不思議なくらいだ。
確かに俺も頑張ったし、チームのメンバーのほとんどは全力を尽くした。
けど、今回の納期達成には明確な功労者がいる。
チームに途中参加した、事務の女の子だ。
プロジェクトが始まって一ヶ月が経ち、追加人員が入るというから新しいプログラマーが来るのかと思いきや。派遣費用をケチった会社は派遣会社を通じて一人の事務の女の子をうちに寄越してきた。
大人しそうだ――それ以外に何の印象も感じ取れない、ただただ地味で活力の無さそうな女の子だった。
期待を裏切られた――そう思ったのはほんの小一時間ほど。
プログラムと併せて事務処理を一手に任されていた俺の細々とした雑務をその小一時間で引き受けてしまった彼女は、大量に積み残されていた経費などの申請書類を瞬く間に処理してしまった。おまけに書類の書き漏らしの指摘なんかも各担当者の業務の隙を狙うように行い、チームメンバーの業務を滞らせることは全くと言っていいほど無かった。
おかげで書類の山に埋まっていた俺のデスクはプロジェクトの設計仕様書だけになり、最初の頃こそ彼女の処理状況が気になっていたものの、ものの数日で彼女を信頼して俺はシステム開発に没頭できるようになった。
そして昨日、プロジェクトの納入完了と同時に――彼女は雇い止め。
そもそも彼女の派遣期間は今回のプロジェクト期間だけの契約だったらしいが、正直もったいないと思う。彼女がいなければ今回の仕事が納期に間に合うはずは無かったし、今後新しいプロジェクトが始まった時も彼女がいれば最初から全員が開発業務に集中できるというものだろうに。
それに、誰も彼女の送別会を言い出すメンバーがいなかったのが、こいつらみんな冷たいな、とも思った。
「ふぅ……飯食って帰るか? ……そうすっか。よし、今日は生姜焼き定食」
話しかける相手もいないが、家に帰って誰が待っているわけでもない。自炊するもカップラーメンで済ませるも、定食屋なりラーメン屋で夕食を済ませるも自由だ。自問自答でこれからの予定を決め、駅近くの定食屋に足を向けようと立ち止まった、その時。
――ドスン。
「きゃっ」
女の子の声。どうやら急に立ち止まったせいで、後ろの女の子とぶつかってしまったらしい。
「ああ、すいません」
「いえいえ、こっちこそちゃんと前見てなくてごめんなさ……あれ、三好さん?」
女の子が、ふいに俺の名前を呼んだ。
「あ……どっかで会ったっけ?」
「はい、昨日まで毎日」
「えっと……誰?」
……雑踏の中、二人の間に沈黙の十数秒間が通り過ぎる。
目の前にいる、カジュアルな服装に身を包んだ元気そうな女の子に当てはまる知人が一切思い当たらない。そもそも今の仕事に就いてから女の子の知り合いなんて総務のおば……お姉さんを除けば昨日まで事務やってくれた子くらいだが。
……ちょっと待て。
「あー、やっぱ通勤の服と違うとイメージ違いますかねえ? 昨日まで事務やらせてもらってた高橋ですよ。あはは」
女は、化ける。
立った今、それを強烈に思い知らされた。
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