一年経過観察
ようやく仕事が一段落して久々の外出。かといって遊びに行く相手もいないので、結局いつもの雑居ビルに向かう。三階の一番奥、普通なら飲食店があるとは思えない場所にあるバーに入ると、店主は耳を指でほじっていた。何故俺の行きつけの店がこんな店なのかと頭を悩ませるのにも飽きているので、最近では挨拶すらしなくなった店主の背後の冷蔵庫から無言で缶ビールを取り出し、ついでに柿ピーの袋を棚から取り出して客席に着いた。
俺の「テレビ文化人」としてのピークから一年。テレビの仕事は、文化人枠を次のカメラマンだか何だかに譲り渡す形でぱたりと途絶えた。今でもBSや深夜番組などで思い出したように呼ばれることがあるが、それよりもむしろ街中で一般の人に見つかり「最近テレビで見ませんね~?」なんて小馬鹿にされることの方が多い気がする。
しかしまあ、別に構わない。知名度が上がったおかげで小説の仕事を任されるようになり、書いた作品がそれなりにヒット。ライター業で延々記事を書いていた頃と比べると数倍、時間に追い回されつつテレビに出ていた時期と比べても遜色の無い収入が得られるようになったのだ。小馬鹿にして弄ってくる一般人に顔に愛想笑いを浮かべつつ、心の中では(お前等よりはよっぽど幸せに暮らしてるよ)とほくそ笑む生活は、まあ嫌いでは無い。そんな自分を客観視する度に、自分でもそこそこ酷い性格をしているという自覚がより堅固なものになっている。……背後にいる店主ほどでは無い、そんな自負はあるが。
「ウケケケ」
背後から不気味な声が聞こえる。いつもの店主の笑い声だ。こいつは『案件』の対応中は寡黙だが、周囲に俺しかいなくなると途端に饒舌に毒を吐き始める。テレビを見ながら管を巻くことも多いが、数秒前まで会っていた人間の悪口が一番多くて辛辣だ。小心者というか小物なので人前だと萎縮し、それが解放された途端に喉元まで溜まった罵詈雑言を並べ立てるのだ。
「ったく、つまんねえな。この番組」
今日は前者のようだ。考えてみればこんな店に来るのは俺くらいのもんで、あと俺が連れてくる人間以外にこいつが会う人間なんてのは皆無だ。今日の毒吐きのターゲットはたった今映像を垂れ流しているテレビらしい。つまらないと良いながら笑って見ているのは、つまらない番組を見て出演者をこき下ろし、一人喜んでいるのだ。
「やっぱりこんな半端な芸人に司会なんて無理なんだよな。急な交代だからって、もうちょっと良い司会がいるだろうに」
確かに、大御所の居並ぶテレビ番組には不釣り合いに若くて不慣れな司会者ではある。どちらかというと太鼓持ちタイプの司会者が、好き勝手に発言する大物タレント達を制止できずにうろたえている空気がありありと見て取れる。けど――。
「前の司会者を引きずり下ろしたのは俺達だろうが」
「ケッ、『俺達』じゃねえよ。お前だお前。俺はただ見てただけだよ」
まあ、こういう男である。自分の能力を、人が身を持ち崩すシーンをかぶりつきで見るためのチケットくらいに考えている。
「しかしちょっとしたスペクタクルだよなあ、漏れ聞こえてくる噂だけでも」
「まあ……確かになあ」
彼に対して俺が執った運命崩壊への鍵は――契約に示した依頼料を受け取ること、それのみだ。他に怪しげな術だの人を使ったり自分で行ったりするような工作の類いは一切着手していない。彼に対しては、それが必要十分な「呪い」のすべてだったのだ。
これにより運命が総て崩壊することは俺も予想していたが、具体的に何が起きるかの予想までは付かない。俺が持つのはそういう能力だ。
つい先月。俺と埋木氏の契約から十一ヶ月経った日。
埋木氏は、芸能界から姿を消した。
正確には、失踪したのだ。崩壊しきった家庭を後に残して。
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「ねえ、知ってますか」
半年ほど前、俺がまだそこそこテレビの仕事を貰えていた頃。局の廊下で、急に番組のディレクターに呼び止められた。彼は周囲に目配せをしながら、俺に耳打ちする。
「埋木さんの家が荒れてるらしいですよ。なんか埋木さんの金遣いが荒くなったとかで、奥さんが大荒れで」
俺が指示した依頼料のことだろう。だが何も知らない振りをして、ただただ驚いてみせる。
「毎晩、奥さん大暴れらしいですよ。何でもテレビを拳でたたき割ったとか。割れるんですね、人間の手でテレビって」
そりゃテレビなんて液晶のためのガラス板が入ってるわけだから、それなりの力が入れば割れるでしょう。そんな茶々を入れたくなったが少し我慢する。
「もう離婚も秒読みって感じですかね……あっ、おはようございますどーも!」
ディレクター氏は唐突に俺の背後から現れた大物芸能人に挨拶をし、そのままそちらと話し込み始めた。俺にしたのと同じ埋木氏の噂を流しているのか、それとも全く違う話をしているのかは不明だ。まあ仕方ない、ディレクター氏との会話は諦めて勝手に楽屋入りしよう――それは会話もせずにテレビ局の廊下で立ち尽くすことの不格好さを気にした俺の勝手な判断である。
多少気になった俺は、その後もスタッフや芸能人達の会話に耳を傾けるようになった。さすが芸能界でも最高ランクと言える埋木氏が相手だ、箝口令を敷いているわけでも無いのに大声でその噂を言い散らすような連中はいない。けれど、人の口に戸が立てられないのも事実だ。スタジオの隅やメイク室や会議室、番組後に誘われた居酒屋あたりではその噂で持ち切りだった。
曰く、奥さんが埋木氏をグーパンで殴った。
曰く、埋木氏がジョギングに出た隙に奥さんが埋木氏を家から締め出した。
曰く、埋木氏と奥さんの間で口座の封鎖合戦と印鑑の捜索合戦が続いている。
事実として伝え聞く噂話の他に、それらを口伝えにした人々による無数の憶測も雑じる。
暴力団関係者とトラブルを起こして示談金を払っているらしいよ。金のかかる女を囲っているんじゃないか。新興宗教に嵌まって毎月お布施を納めているって誰かが言ってたよ。昔の女との間に子供がいることが発覚したため養育費を払っていると確かな筋からの情報だ。エトセトラ、エトセトラ。
口さがない噂とは言え、新興宗教云々というあたりは俺が請け負った『呪い』のことを微妙に言い当てられているようで腰の座りが悪い。けれどまあ、喋っている連中はこの噂話を共有の遊び場にしてみんなで楽しんでいただけなのだ。どれだけ家庭が揉めていたとしても、いつもテレビの画面の向こうやスタジオその他の収録現場で見る埋木氏の姿が突然に掻き消えるわけでなし、噂は所詮噂でしかない。みんな、そう思っていたのだろう。
それから数ヶ月後――つまり先月の報道までは。
その日、俺は数週間ぶりにBSの番組出演のために放送局に居た。収録はつつがなく終わり、本に関するバラエティということでプレゼント用の本を求められていたため十冊程度の本にサインをしていると、何やら楽屋の外がバタバタと慌ただしくなった。ようやくサインを終えた俺が楽屋のドアを細く開けると、たまたま見知った顔のディレクターが前を通りかかった。
「あの、何かあったんですか」
「あ、あーどうもご無沙汰してます! ……いえね、埋木さんの家でちょっと警察沙汰が……いえ、何でもないです、それじゃ」
彼も噂好きの連中の一人だったはずだが、さすがに噂にするには準備が足りない、いやネタが重すぎると感じたのだろう。俺には詳細を告げずに走り去っていた。あるいは番組の対応など色々と雑務が発生しているんだろうか。
あまりに状況が見えない。見てみると走り回っているのは局の関係者とマネージャー達だけのようだ。この状況ではタレントは放置されているのではないかと思い至り、手当たり次第に楽屋を回り情報を集めることにした。もちろん俺がさっきのスタッフから聞いたことは秘密にして。
何人かと会話することが出来た。
「なんか番組が打ち切りになるって本当ですかね」
「俺は他も何本かレギュラーあるから大丈夫ですけど、相方はこの番組だけなんですよ。あいつ来月から生活出来るかなあ」
「どうしよう、埋木さんに他の番組でもお世話になったのに全部無くなるとか聞いちゃって大丈夫なんでしょうか!?」
「僕、次のMC行けるかな……ちょっとプロデューサーにお願いしてみますわ」
ほとんどの楽屋は自分や仲間の生活を心配する連中、さらにこの事態に直面しても自分のチャンスにしようと貪欲に動く連中であふれていた。先ほど俺が小耳に挟んだ「警察沙汰」ひと言を聞いていればばそんなことを言っている場合じゃない事態だと理解出来るんだが、人間が情報を得ていないというのはなかなかに恐ろしい状況ではある。
彼の身に何が起こったのか気になるところだが、この人混みに本当の情報が流れ始めてパニックが起きればこの場から真っ当に逃げ帰ることが出来るかどうかも怪しい。そう判断した俺はサインを終えた本を携えて番組スタッフのもとへ向かい、直接その本を手渡した。やたら恐縮してみせるディレクターに手早く挨拶を済ませ、俺は早々に放送局の受付を抜けていく。
受付の女性に軽く会釈をして抜けた局のエントランスは血の気の引いた顔の人々や慌ただしく出入りする人々で徐々に冷静さを失いつつあったが、小走りに玄関ドアを抜けていく。おかげで、直後に発生した阿鼻叫喚の渦に乗れること無く放送局を脱出することに成功した。
翌日。報道――芸能ニュースに限らず一般ニュース番組すら、埋木氏の色に染まった。
仕方ないだろう、現役一流芸能人の失踪と一家離散なんて話なら。
奥方は予てより埋木氏に疑心暗鬼だったらしい。
一千万という大金を自分に何も相談せず毎月持ち出しているのだから仕方が無い。彼女自身が夫の所属する事務所やマネージャーにそれとなく聞いてみても彼等すら何も知らされておらず、逆に事務所側からも電撃移籍の疑いさえかけられるような事態となった。
しかしそんなことよりも、奥方にとっては「私の金を勝手に持ち出した」ことだけで発狂するほどの怒りを覚えるには十分だったのだ(実際には総て埋木氏が稼いだ金なのだが)。どうやっても口を開こうとしない埋木氏に激昂した彼女は夫のゴルフクラブを振り回し、そこらの家電や窓ガラスを破壊しただけでは収まらず、壁にも無数の穴を空けたそうだ。身の危険すら感じた埋木氏と子供はようやく彼女を止めに入った。トレイやフライパンを盾にして突っ込もうとしても弾き飛ばされ、カーテンを引きちぎって彼女に被せようとしてもその向こうからクラブの打撃が貫通し、ダイニングチェアを盾にして突っ込んで取り押さえたものの、埋木氏は至近距離からゴルフクラブのグリップで殴られて額を割られた。
このままでは埒が開かないと判断した埋木氏は助けを求めて電話をかけようとした。が、既に暴れた彼女は家庭用電話機もテーブルの上に放置されていた携帯電話までも総て粉砕していた。仕方なく彼は子供に隠れているよう言い聞かせ、自分は着の身着のままで表に飛び出し、近所の交番へ駆け込んだ。
ただの夫婦喧嘩だと取り合わなかった交番勤務の警官に何とか頼み込んで同伴してもらい埋木氏が自宅に帰った頃には、奥方はひとときの静けさを取り戻していた。
クラブの殴打で頸椎を骨折し、ぐったりしている子供を目の前にして。
逮捕されながらも「子供を見ていなかったお前が悪い」と悪態をつき続けているらしい奥方に何の理も無いだろう。彼女は傷害事件の容疑者、後に殺人事件の容疑者となった。
当初は彼女の実家も離婚したところで変わらず埋木氏を飯の種にする腹積もりにみられたが、彼女の罪状と状況を聞きつけて態度を反転。首根っこを掴んで引き摺るように彼女の身柄を引き受け、芸能ニュースその他からなりを潜めた。「自分の家族の犯罪をネタに加害者が被害者を強請る」という構図が一般に丸見えになろうとしていたことに気付き、今まで貯めておいた埋木夫妻からの仕送りで満足しようと頭を切り換えたのだろう。
それでも財産分与を求めて来るであろう奥方の行動を予測してか、警察での証言を終えた埋木氏は資産のほぼすべてを処分していくつもの慈善団体に寄付を行い。
そのまま、すべての関係者の前から姿を消した。
あまりに周到に用意された資産の寄付までの流れに計画殺人のガセネタをぶち上げる連中もいたが、誰の支持も得られなかったようだ。おそらくは単なる離婚・離縁の備えとして資産処分を準備していたんだろう。
ともあれ初日に一般報道をも騒がせた一流芸能人失踪事件は、その後一週間ほどの間芸能ニュースを騒がせたのちに沈静化。埋木氏が出演していたテレビ番組は随時出演者を差し替え、あるいは番組そのものを再スタートさせ。
ネットの一部を残し、世界は埋木氏を置き去りにして回り始めた。
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「ほんっと、何事も無かったみたいにテレビは普通に流れてるよな。あのおっさんが降りた番組は軒並みつまんなくなってるくらいのもんで」
「それがどうしたよ、そんなつまらないテレビ見て管巻いてるおっさん」
「そんなおっさんの相手してくれて悪いね、おっさん」
うだうだするおっさんが雑居ビルの一室に溜まって下らない話で噛み付き合っている。客観視すれば目も当てられないようなみっともない状況だ。
『お前等、何くだらないことで絡んでんだよ』
一瞬俺達が指摘されたのかと思ったが、どうやらテレビのバラエティで埋木氏の跡を継いだ司会者が雛壇で騒ぎまくる芸人数人をたしなめたようだ。
『何言ってんですか、こっちは一生懸命やってんのに』
『そうだそうだ、司会の仕切りが悪いんだ』
雛壇の芸人達が騒ぎ立てる。観客席から軽い笑い声が上がった。
『埋木さんが草葉の陰で泣いてるぞ』
ざわっ、と観客席に不安のさざめきが波紋となって一瞬広がる。最後の発言で、埋木氏の死が断定されたのではないかという憶測が走ったんだろう。
『う……うるさい! 死んでねえよ! ……多分』
司会者のフォローで、今度は観客席に薄い笑い声が一瞬湧いた。司会者の本心に近い演技で番組の雰囲気はギリギリ持ち直した、というところか。
「ほんと、どうなったんだろうな。あの人」
実は皆が気にしていて、それでも押し殺している気持ちを、店主はとぼけた口調で漏らした。
「知るか。結果として呪いは成ったんだ、もう俺とは無縁の人だよ」
「けど気になるだろ? 今どんな風に落ちぶれてるか見てみたいとか思わないか? っていうかお前、依頼料の最後の支払い分貰えなかったのが悔しいのか? ウケケ」
やっぱりこいつは趣味が悪い。
変に埋木氏のことを回想していたせいだろうか、今日は店主の趣味の悪さがやたらと鼻につく。このままでは埋木氏の奥方のように俺も暴れ散らしてしまいそうだ。
袋の隅に残った柿の種やら割れたピーナッツやらの屑を口の中に流し込み、ビールと一緒に飲み込んだ。
そのままの勢いで財布から千円札三枚ほどを掴み出し、店主のいるカウンターの向こうに投げ込んで店を出た。
「またどうぞ~」
こんな苛立っている時に限って、奴は良い声で送り出しやがる。だから俺は嫌いなんだ、奴が。
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