契約成立

 今までの依頼者の中にも数人がそんな状態になった、それと同様に埋木氏は具現化した自分の運命から目が離せなくなっている。ただのガラクタの山の素材ひとつひとつが、彼にとっては現実の事象を象徴して見えているようだ。

「実際のところ、私は呪いがかけられる訳ではないんですよ。ただ、近いことが出来るだけで」

 そんな彼に、それでも説明を試みる。

 推測ではあるが、恐らくこの店の店主は光を受け取る人間の眼球のごとく、人の運命を実体として受け取ることが出来るのだと思う。しかしこの男は、その実体を理解することが出来ない。それは眼球がただ眼球でしかなく、脳の視覚野が存在しないとそれを映像として認識することが出来ないのと同じだ。

 そして一方、俺は彼が実体として垂れ流す運命の姿を理解する知覚のようなものを持っているらしい。つまりこの店にいる時、あるいは店主と一緒にいる時だけ、俺は誰かの運命を像として見ることが出来るわけだ。そして俺はその運命の不安定さを含めて、この店に山積しているゴミの山から取り出した様々なものでそれを立体に『スケッチ』する。

「そうやって出来上がったのが、このオブジェです」

「はあ……なるほど」

 他人が見ればただのゴミの山、俺の言葉など何の説得力も無いだろう。けれどこれが自分の運命だと直感で感じてしまった彼にとってはそれは紛れもない真実だ。


「これが俺の運命だということは理解しました。けど……これが何の役に立つんでしょうか」

 至極当然な質問ではある。だが、俺にはそれに対する回答がある。

「俺はね、このオブジェを使うことで貴方の運命を知ることが出来る。けど、貴方の運命そのものを弄ることは出来ないんですね」

「ならばどうやって……!」

 ここまで付き合って運命を変えられないと聞いて声を荒げる彼を制止して、言葉を続ける。

「いや、何も運命を操るのは超常的な力ばかりじゃ無いでしょう。例えば運命的に貧乏だった人はいくらかの金や小さな仕事を得ることで、その運命から脱することが出来るかも知れない。仕事が辛いが逃げられないという人は、外的要因で仕事を辞めることで新しい運命への道が開かれるかも知れない。そんな風に、人の力で運命は変えることが出来るわけです」

「いや、でもそれは誰でもそうじゃないですか? 努力で何かを成し遂げるって話でしょ」

 その言葉への応えの代わりに、俺はオブジェが形成されたテーブルを、とん、と軽く叩く。

 その力がゆっくりと伝わり、オブジェ全体がゆるりゆるりと揺れ始めた。

「わわっ」

 まるで本当に自分の運命が崩されそうになっているかのように、埋木氏が慌て始める。

「慌てなくても大丈夫ですよ。これはただの模型です。壊れたところで貴方の運命がどうなるわけでもない」

「いや、まあ……そうなんですけど」

 落ち着きを取り戻した彼に、ゆっくりと言い含めるように言葉を伝える。

「でもね、埋木さん。私が貴方に対して行おうとしていることは……その、運命の破壊なんです」

 ごくり、と彼が唾を飲む音が、静かな店内にか細く広がった。


「埋木さん。俺のこと、何人くらいから聞かれました?」

「え? 何人って……俺は今日の番組のディレクターから聞いただけなんですけど」

 俺の質問に虚を突かれ、一瞬詰まりながらも彼は応える。

「まあ、そんなもんでしょうね……。実際にはあの番組スタッフ絡みでも片手に余るくらいは関わってたと思うんですけど」

 他の番組なんかの筋を合わせると、埋木氏の両手足を借りても足りないくらいには数をこなしているが。

「なるほど、口外禁止なんですね」

「まあそれは確かに、あまり人に言いふらすのは止めて頂いてるんですけど……問題はもっと根っこのところですよ」

 俺の言葉で、どうやら彼も気付いたらしい。

「ご覧の通り、俺は人の運命を形にすることが出来る。けど俺が特別に出来ることはそれだけ、ただ見るだけなんです。その運命の形そのものを意のままに操ることは出来ないんですよね。ただ、それでも……どんな外的要因があればその運命が崩壊するか。それを読み取ることは可能なんです。こんな風にね」

 そう言いながら、俺は山積みの本の角をトン、と小突いた。それだけで上に積んだ流木が揺らぎ、両端に架かったキーホルダーが揺れ、そのキーホルダーが木箱を叩き、その上のナイフがピン、と振れた。

「わわっ」

 ただのオブジェだとしても、自分の運命の形と認識したものが壊れるのは恐ろしいらしい。彼を落ち着かせるよりはむしろ煽るように、言葉を継いでいく。

「とは言え、すべてが予想通りに行くわけでもない。このスケッチが微妙に間違っている場合もあるし、スケッチが正しくても崩れ方の予想が間違っているかも知れない、あるいは崩れ方がランダムだったりした場合は実際に運命を崩壊させないと現象が分からない。だから大抵の人は俺のかけた『呪い』で不幸になったと考えるわけで、人にお勧めできるような優秀な能力者ではないんですね。そして何より……埋木さん」

「……はい」

 神妙な面持ちの彼に、質問する。

「先ほどのお話を伺うに、貴方の希望は離婚……だけじゃない。全くの絶縁ですね」

「そうです」

「そうなると、かなりの広域に渡って埋木さんの運命を崩壊させることになります。現時点で予想はつきませんが、例えば離婚では無くて死別だったり、あるいはお子さんをどちらかが殺したり」

「ちょ……! そんなことあり得ませんよ!」

「あくまで可能性です。埋木さんが殺意を持ってお子さんを手にかけるなんてことは無いでしょうけど、夫婦喧嘩を起こして突き飛ばされた拍子にお子さんを巻き込んで事故を起こしてしまう、なんてことも考えられますからね」

 唇を震わせる彼に、さらに追い打ちをかけるように。

「他にも色々可能性はありますよ。芸能人としてのステータスを失うとか、埋木さんの実家の方にも何か影響があるかも知れませんからね。それでも良いのならお受けしますが……どうしますか?」


 しばらく考え込む間、黒々しく見えるほどに顔を紅潮させ、ぶるぶると小刻みに身を震わせていた彼は、それでもようやく結論を出したようだ。

「……よろしく……お願いします」

 絞り出すような彼の声に、ふぅ、と軽く溜息をつき、俺は手書きで簡単な契約書を二通作成した。

 互いに口外無用。依頼内容の性質上、不成立でも返金には応じない。そして依頼料は毎月一千万円を今月末から来年の今月末まで十三ヶ月に渡って振り込むこと。振り込みの際、銀行担当者以外の誰にも知られないこと。

 それぞれに俺の署名まで入れたところで、埋木氏に双方の書類の確認と署名を促す。

「条件は記載の通りです。これでもよろしければサインを」

「はあ、それは良いんですが……何ですか、この最後の項目。ちょっと待って貰えればこの総額一括で払うことも可能ですけど」

 俺が提示した法外な依頼料をあっさり受け入れた。さすがは日本トップクラスの芸能人か。そんな心中をひた隠しに、言葉と表情では軽く流し、受け応える。

「そこは何とかお願いしますよ。一応この入金方法も『呪い』の一部なので。これを守って頂ければ間違いなく……」

 ビールの空き缶を、オブジェに向かって放り投げると。

 パタン。カラカラ。

 木箱が倒れ、ドミノのように触れては弥次郎兵衛のようにバランスを取っていた流木を押して振り回し。

 回転した流木の端が本の山を崩し。

 一方の支えを失った大判の図鑑が、もう一方に架かった傘の重みで跳ね上がり。

 立ち上がったところから再び倒れた大判の図鑑は、その揺れでとことこと数歩歩き。

 バタン。テーブルの中央に倒れ込み。

 テーブルの上にあったものを跳ね上げ、残っていたコインや木箱、文庫本など総てを足下に散乱させた。

 ぐらりぐらり、大きく揺れながらもすんでのところで転倒を免れたテーブルから図鑑がズルズルと滑り落ち、バタン、と派手な音を立てて床に倒れ。

 綺麗さっぱり、総てのものを振り落としたテーブルだけが、そこに鎮座した。

「貴方の運命は崩れます」

 埋木氏はその光景をしばし呆然と眺めた後。

 そのテーブルにゆらりと近付いて契約書をテーブルの上に置く。

 震える手で二通の契約書に署名を済ませ、ぱたり、と手にしたボールペンをテーブルに転がした。

「どうか、よろしくお願いします」

 かすれた息のような最後のひと言に。

「承りました」

 俺も出来うる限り、簡素に応えた。

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