聴取

 ハブ駅に近いせいで余計に寂れた、各駅停車しか停まらない駅。その駅前、オフィス街と言うにはあまりに貧相な、立ち並ぶ雑居ビルのひとつにタクシーで乗り付け、その三階の一番奥へ。

 以前に案内した数人の依頼者は、この雑居ビルの廊下で不審そうな視線をせわしなく走り回らせていた。今回の埋木氏はそんなことはしない、超然としたものである。それは芸能界の頂点を極めた大物の風格だろうか、それとも貧しかったと聞く幼少期の経験によるものだろうか。

 『BAR DESTINY』と雑に書かれた看板の掛かった、何の変哲も無い事務所の一室に見えるドアを押し開けると、その奥には雑然と物が置かれたバーの店内がちんまりと形作られている。

「……ああ、あんたか」

 バーカウンターの向こうでは無精髭を生やした中年男がいらっしゃいのひと言すらなく、ただただ鼻毛を抜いていた。指にまとわりついた鼻毛を息で吹き飛ばしながら俺を一瞥して「ふん」と鼻を鳴らす彼を余所目に、俺は埋木氏を店内へ導き勝手に席に着いた。

「あ、あの……」

 さすがに普通の店とは違い過ぎる様相に戸惑い始めた彼を落ち着かせるべく、こちらから説明を始める。

「気にしないでください。こんな衛生観念の無い男に酒は入れさせませんから」

 声をかけつつ、再び席を立ってカウンターの奥の冷蔵庫から勝手に缶ビールを二本取り出して一本を差し出す。

「ここはこういう店ですよ。店主は店の格好が保ちたいだけで、客なんて来ませんし来ても客として扱われません」

 そう言ってみたものの、差し向かう彼はためらっているようだ。

「……ああ、そりゃそうですね。この場の説明をする方が先だ。まず言っておきますとカウンターの中の男、こいつに情報を漏らしたところで漏れる心配はありません。こいつはしばらく前までは金の亡者でしたがあることでちょっとした資産家になりまして、その後はこうやってカウンターの中から人の心に潜む闇を垣間見ては喜んでいる。一人で放置しておけばただの変態です」

 はぁ……と曖昧な返事を返す埋木氏。まあ仕方が無い。現段階で説明出来ているのは必要十分条件における十分性、店主がいても構わない理由に過ぎない。店主の必要条件について、改めて付け加える。

「そして、俺はこの男の目の届く範囲にいると、貴方の言う呪いの真似事が出来るというわけです。ですからこの男がどれだけ不快でも、ご希望の呪いのようなことはこの男の目が届く範囲でないと無理なんです。ご理解頂ければ……お話、伺えますか」

 虚勢を張るように全身に力をみなぎらせた彼だが、ぷしゅう、と強く息を吐いて緊張を解き、ぼそぼそと言葉を連ね始めた。


「御贔屓筋って言いますか……仕事で世話になってる社長の紹介で引き合わされて、それで結婚したんですけどね」

 それでも言葉がきちんと聞き取れる。日本一の司会者の一角であるということはそれだけの技術があると言うことなのだろう。そんな心地良いリズムを耳にしながら俺は立ち上がって店内の至る所に置かれている雑多なもの、数学大事典の中途の一冊、同じく通し番号が欠けまくっている大判の子供向け百科事典、様々な単行本新書本文庫本コミックス、こけしや木彫りの熊や通行手形や駅名表示板を模したプレートなど数々の木工品、さらには得体の知れない海外の仮面やら、数々のアニメキャラのフィギュア、果ては空き缶空き瓶流木などゴミにしか見えないものの山の中からいくつかのものをピックアップし、俺たちがついていたテーブルの隣のテーブルの上に積み、あるいは並べ、あるいは重ね引っかけ始めた。

「結婚する前は多少贅沢気味の傾向があるな、とは思ってたんですけどね、結婚したらそれがまたおかしな方向へ……あの、何してるんですか」

「え? ああ、お気になさらず。ご自由に続けてください。こっちはこっちで自由にやってますから相づちも打てませんけどね」

 いぶかしげな表情を浮かべつつも、彼はまた言葉を繋いでいく。

「とにかく、何が何でも嫁の実家に送金しろと。かといって自分の生活レベルは落とそうとしないんです。一方で俺の実家に送金しようとしたら親を甘やかしてるだの何だのと」

 唾を吐くように飛び出してくる言葉を聞き流しながら、俺はテーブルに文庫本を数冊、その上に巨大な子供向け百科事典を不安定に積み上げる。さらに端に辛うじてバランスを維持するような形で、ビニールの外れた骨だけのビニール傘の取っ手を引っかける。恐らく無視されていると感じているんだろう、埋木氏はこちらを不服そうに睨みながら、それでもさらに独白のような語りを再開した。

「多分、結婚してからの送金の額は俺の実家と嫁の実家でゼロがひとつ、もしかしたらふたつ違いましたね。別に嫁の実家に送ることを悪いとは言わんのですよ。ただ俺の実家とか、時には俺自身でさえも嫁の一族から見たら下劣な存在みたいな目で見られるのは我慢ならんのです」

 不安定に積み上げた本の上にさらに細い流木を載せ、その端にキーホルダーや小さなフィギュアの腕を引っかけて弥次郎兵衛のようにバランスを取らせる。さらに本の山とは別に木組みの箱を積んでテーブルの外へ張り出させ、ハンガーを引っかける。ゆらゆらと揺れたハンガーは崩れる寸前で、す、とその揺らぎを止めた。

「自慢するわけじゃ無いですけどね、芸能界で言えばトップクラスの納税者ですよ俺は。俺より稼いでる芸能人なんて片手、多く見積もっても手足の指より多いはずは絶対に無い。その為に相応の努力もしてきたつもりですよ。そんな俺が、家では嫁に『稼ぎが足りない』だの『甲斐性無し』だの言われるわけです。……我慢できると思いますか」

 彼は彼で一人語りに拍車がかかり、言葉が熱を帯び始める。こめかみに血管が浮かび、腕や胸の筋肉が膨らむ。飲みかけのビールをガツンとテーブルの上に叩き付けるように置くと、震える手で柿ピーの袋を破り、はじけ飛ぶ柿の種に目もくれず袋の中に残ったピーナツを口の中に流し込んだ。店を汚されては迷惑と思ったのか、店主が缶ビールを三本、埋木氏のテーブルに置いた。

 俺はそのビールから一本を取り上げ、先ほど積んだ木組みの箱のうち中段あたりに空いたスペースにその缶を横倒しに置いた。さらに最初に積んだ本の山の上に端の欠けたビール会社のロゴ入りグラスを置く。つ、と滑りそうになるが、何度か置き直すとぴたり、と吸い付くようにその位置に留まった。

 埋木氏は地団駄も踏むような勢いでビールを荒々しく掴み、ひと息に半分を飲み下してさらに泣き叫ぶように話し続ける。

「古い言い回しで『子はカスガイ』って言いますよね。うちでもそういう状態です。子供がいるから今の俺の家族は維持できてる。けどね、カスガイっていうのは有無を言わさず柱同士を繋いでるんですよ。俺の意志なんて関係ない。だから本当に正確に言うなら、俺にとっては『子は枷』なんですよ」

 今度こそ大きな振りで地団駄を踏み始めた埋木氏の起こす振動で、俺の積んだオブジェがゆらゆらと揺らぐ。細い流木が、ハンガーが、骨だけの傘が、そして大判の本が。しかしそれでも数々の物どもの山は崩れることなく、しばらくして平静を取り戻した。

「それでもね、子供がその無邪気さで間を取り持ってくれれば心は落ち着くんです。実際後輩タレントの数人は毎月のようにお互い手を挙げるような夫婦喧嘩をしても、子供が仲裁に入ることで関係を保ってたりする。けどね、うちの子は完全に嫁の思想に染められてる。うちの母親が家に遊びに来てもね、子供は小遣い貰ったらそのまま自分の部屋に駆け込むんですよ。それでも困ったような笑顔を浮かべてる母親見てるとね、いたたまれないんですよ」

 泣き崩れそうな彼を横目に、テーブルの上に外国のコインで山を作っていく。その山と木箱の山の間に割り箸で橋を渡し、その上にビー玉を置いた。ビー玉は割り箸の上をふらふら、ころころとゆっくり転がって行き、それをことん、と小さな音を立てて木箱のひとつが受け止めた。ビー玉は木箱の上を所在なげにゆらゆらと揺れ続けている。

「正直なところ……」

 何かを重く発言しようとしたところで、彼はぐっと黙り込んだ。

 俺は何となくその次の言葉を予測し、そこらの棚の引き出しの中を漁る。フォークやら割り箸やら、差し込み式ドライバーの先端部分やらボルトやら、企業ロゴの入ったボールペンやらが乱雑に押し込まれた引き出しの奥から目当てのものをつまみ上げた。

「人の親として間違ってるのは重々承知です。けど、子供がいなかったら、子供さえいなかったら……って思う回数は……最近増えてますね」

 トン。

 俺の手から滑り落ちた折りたたみ式の肥後ナイフが、軽い音を立てて木箱の上に突き刺さり、音叉のようにしばらく震え、そして停まった。


 しばらく待っても、埋木氏の言葉はそれ以上続かないようだ。

「とりあえずは出尽くしましたかね」

「……ええ、まあ。けど貴方、一体何やってるんですか。相談も聞かずに訳の分からないもの積み上げて」

 彼の怒りも尤もだろう。何の説明もしていないのだから。だが……。

「とりあえず見てください。貴方になら分かるはずですよ」

「そんなこと言われてもっ………………ああ」

 声を荒げようとするも、すう、と目を細める埋木氏。

「これは……俺ですね」

 得体の知れない形状でゆらゆらと揺れる雑多なもののわだかまりを見て、彼はつぶやいた。

「ええ、そうですよ。これが今の、貴方の運命です」

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