呪を紡ぐ

案件受注

 スタジオ収録が終了。雛壇の上段からタレントが観覧客に手を振りながら捌けていく。俺もその順序に従って席を立ち、女性が多くを占めている客席に軽く会釈をして去ろうとする――そこへ、下手末席のタレントが駆け寄って来た。

(この野郎~)

 そんな台詞を声を出さずに口パクだけで放ち、俺に拳を振り回してくる。……至極低速で。

(何くそ~)

 殴られて吹っ飛ばされた演技をしてから、俺もそんな口パクで反撃の拳を放つ。ハエが止まって休憩し、書き置きをしたためてから飛び立つほどの速度の拳を。

 彼は番組の中で弄られ役を与えられたタレントで、俺も未熟ながら番組の盛り上がりの一助となるべく少々とぼけた台詞で彼への攻撃に参加したわけだ。どうやら拙いながらも一般のタレントとは違った切り口で振った俺の言葉は他の出演者の琴線に触れたらしく、その言葉が番組中繰り返して飛び出し、その度に件の彼の泣き顔がアップで抜かれることになった。彼にとってもなかなか「美味しい」タイミングだったらしく、そのお礼のように観覧客へのアピールタイムが俺に与えられているらしい。

 見るからにお遊びと分かるケンカの真似事。映画の殺陣をダンスに例えるなら子供の盆踊り程度ですらないぬるいアクションを数合繰り返した後に、認め合った男が友情を固めるようにがっちりと握手。分かりやすい茶番に観覧客からも軽い笑いが聞こえてきた。

 こういうものは観覧サービスであると同時に、番組スタッフへのアピールにもなる。これでしばらくはテレビの仕事が期待できるというもの、なのだそうだ。

 マニア向けのライター業を細々と営んでいたはずなのだが、そのマニアの中にテレビ局スタッフがいたらしい。「マニアに詳しいライター」としてテレビに取り上げられて以来、こまめにテレビ番組への出演オファーが舞い込むようになった。実際のところネットで検索をかけてあるいはほんのちょっと現地調査を行ってしこしこと記事を書いていただけの身としては、書かずに貰える金というのは恐れ多くも有り難い。というか喉から手が出るほど欲しいし掴んだものは手放したくない。人生におけるボーナスのようなものだと思いつつも、このフィーバー状態がもうしばらく続かないかと期待している。

 既に日も沈んでいる時間だ。他の出演者数人の楽屋に挨拶に回るが、ほとんどのタレントは飛び出しで他の現場へ向かっているらしく空室が多い。けれど特段寂しいなどと言うつもりは無い。タレントと物書きなんてのは別の生物なのだ、それに別に食事に行くような親しい友人が出演者やスタッフにいたわけでも無いのだから。そう納得し、わずかな手荷物を提げて放送局のエントランスへ向かう途中で。

「あの」

 不意に声をかけられた。遠慮気味ながら、よく通る声だ。振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。

 先ほどの番組でメインを張っていたタレント、埋木氏だった。


「どうですか、テレビ出演には慣れましたか」

 俺の稼ぎではなかなか入る勇気が湧きそうにない高級クラブの奥の個室に陣取って十分以上、埋木氏は重い空気をようやく押し退けるように口を開いて――全くどうでも良さそうな話をしてきた。

 いきなり誘われた俺には、彼と共有できるような話題は無い。恐らく彼もそうなのだろう、はっきり言ってこの場は盛り上がっているとも和んでいるとも言える状況とは程遠い。互いに探りを入れているような空気がピリピリと互いの肌を刺しているようだ。

「ええ、まあ。最近ようやく他のタレントさんと絡めるようになってきました」

 バラエティ司会者とは似つかわしくないビルドアップという趣味のために頑強に鍛え上げられた筋肉は鎧となり、向かい合う俺に過剰な緊張感を寄越してくる。

「さっきも見てましたよ。あいつ、世間の好感度の割にけっこう和めるでしょ」

 先ほどスタジオで絡んだ弄られ役のタレントのことだ。なるほど、好感度が低くても番組の成立には欠かせない人物ということなのか。――などということに思いを巡らせる気はさらさら無い。二十分ほどの沈黙を乗り越えてようやく交わした言葉がこんな世間話では、何やら腹の底に抱えているらしい重たそうな本題が出てくるには一体どれほどの時間がかかるのか予想がつかない。

 ここは俺がどうでも良さそうな話題を振りまくり、その中で彼の琴線に触れるのを待つしか無いだろう。どんな話題が良いだろうか? なるべく怪しげな方が良い。俺を話す相手として選んだということは、彼にとっての俺の特殊性――マニアックで怪しげな知識に期待していると考えるべきだろう。


「そう言えば宇宙人の干物っていうのが売られてると聞きまして。調べてみたらこれがエイの口周りを切り抜いた乾物でした」

 反応は無い。こっち方面では無さそうだ。宇宙人でも珍品ゲテモノの類いでも。

「遠野の赤河童の画像を見つけたんですよ。見ます? どう見てもコスプレなんですけど」

 愛想笑いとともに彼は俺のスマホを覗き込む。UMAやコスプレも違うようだ。まあ当然といえば当然だろうが。

「先月、高知の新幹線に乗ってきましたよ。路面電車に新幹線風の外装してあるんです」

 ハッ、と鼻でひと笑い。鉄関連も当たり前のようにスルーされた。

「ご存じですか、ジョジョの『何をするだぁー!』ってやつ。あれ文庫版その他で直されたんじゃ無くて、原作コミックでも途中で直ってたそうですよ」

 そもそもその『何をするだぁー』も知らんのですけど、と。……コミック系の話も違うようだ。

「あーそうそう。高知へ行ったって言いましたよね。その時いざなぎ流も取材させて貰いましたよ。陰陽道の流れを汲む、いわゆる呪い師ですよ」

 ぴくん。彼がわずかに身を震わせた。

 なるほど、やっぱりその辺りか。誰かを呪いたい、そういうことか。確かに俺はそういうまじないの類いの『案件』を何件も引き受けている。彼はその噂を耳にして俺にそういった方面の仕事を頼もうとしているんだろう。しかし会ってはみたもののどう話を切り出したものか悩んでいる、といったところだろうか。

 その後の彼は俺が取材したいくつかの呪術関連の話題も素知らぬ振りで聞き流していたが、俺がいくつかの陰陽師や術士の話題を挙げるそのたびに、グラスに細かな波紋が浮かんだ。間違いない。埋木氏は呪術の力を必要としている。それも口にすることを躊躇しているということは――「マジナイ」ではなく「ノロイ」の力だ。

 こうやってダラダラと時間を過ごすのも嫌いじゃないが、共通の話題も話を盛り上げる気力も無いままに続ける会話というのは若干辛いものがある。早々に立ち上げて移動するか――そういった話をするのに適当な場所へ。グラスの中の液体を口に含みながら、そんなことを考えていると。


「あの……」

 彼が、それまでとは比べものにならないほどか細い声を上げた。己の声の弱々しさに驚いた彼は咳払いをし、改めて適度に落とした声で囁いた。

「あのですね……離婚、したいんです」

 密かに周囲に目配せし、店員の気配に気遣いつつ、彼は「離婚」という言葉を初めて口にした。


「つまり、その……「離婚」の話を俺に相談されてるっていう理解で良いですか」

「……ええ」

 この時点で話は見えている。けれど念のため、軽くヒアリングをしておこう。

「何で俺に? 相談相手は他にもいるでしょ、お友達とか弁護士とか」

「いや、別に向こうに不倫なんかの落ち度があるとかそういう話じゃなくてね」

「だったら探偵雇うとか、頼む筋に寄っちゃ証拠の捏造くらい出来るでしょう」

「そういう筋も難しくてね……知り合いでそういうのを狙った連中は大抵途中でバレて強烈な慰謝料請求されてて」

 この人は金が勿体なくて言っているんだろうか? いつもテレビで見るキャラではそういった雰囲気は見られないし、もし隠れた守銭奴なのだとしたら……俺のようにつきあいの無い人間をこんな高級そうな店に連れてくることは無いだろう。

「つまり、その慰謝料が嫌だと?」

「……はい」

「自分が損することじゃなく、相手が得をするのが嫌だと」

「まさにその通りです」

「それで、そのことに俺がお役に立てるとお思いなんですか? ただの物書きのおっさんですよ」

「その……お噂はかねがね」

「噂って。どんな噂なんですかそれ」

「…………呪いをかけてくれるんですよね」

 やれやれ。やっぱりバレてたか。あまり大きな案件を処理すると後々面倒だと考えて、できる限り大物に伝わらないよう注意していたつもりなんだが。少し自棄になって、グラスの中身を一気に胃の中に流し込む。

「埋木さん。ちょっと店替えましょう。次はこっちが持ちますよ……安い店で申し訳ないですけど」

 一瞬戸惑った彼だったが、俺の意を汲んだのだろう。薄く微笑み、席を立った。

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