私はアイドル

ステージが始まる。

 目が覚めると、そこは楽屋だった。

 また眠っていたらしい。実際他のメンバー四人は今も眠っている。最近は毎回毎回そんな感じだ。移動中の記憶すら全くない。直前の記憶を辿ると、事務所のレッスンルームでメンバー五人そろってダンスレッスンしていたように思う。そして「この後はMギグの収録だよー」とドリンクを差し入れてくれたドリンクを飲んで、疲れて寝てしまった。そんな気がする。

 楽屋の時計を見ると、リハーサル開始の十五分前。いけない、他のみんなを起こさないと。

「はいはい、みんな起きてー!」

 パンパン、と大きめの音の手拍子で皆を起こす。うーん、と目をこすりながらメンバー全員が体を起こし……いや、一人まだ夢の中だ。

「ルリちゃん、起きてルリちゃん! もうすぐお仕事!」

 肩を掴んで引き起こし、ゆっさゆっさと体を揺する。普通なら肩を揺する程度から始めるところだけど、この子に限ってはそれが通用しないのだ。下手したらリハーサル開始にも間に合わないかも知れない。

「うええ……アイリちゃん……気持ち悪い……」

「酔うほど揺すぶられる前に起きればいいじゃん?」

 カンナちゃんがウーン、と伸びをしながらたしなめる。っていうかアンタも二分前まで寝てたんだけどね。放っといたら自力で起きられるの?

「ところでさ-、リハーサルいつだっけー?」

 ヤヨイが寝覚めにいきなりケータリングのポテトチップの袋を開けて食べ始めた。

「あと十分くらい。食べてる暇ないよ!」

 ミチルが唐突に立ち上がってヤヨイを脇から抱え上げるように引き摺って行こうとするが、「まだ食べるのー」とヤヨイは駄々をこねている。

「全くもう、アタシは先に行くからねー」

 朝寝坊の朝食風景のような喧騒から逃げるように、カンナがするりと楽屋を抜け出そうとするのを慌てて止めた。

「ちょっと待って! 最後にみんな衣装のチェックしないと!」

 はいはい、とブラブラ戻ってくるカンナ。他の三人も立たせ、いつもの円陣を組む。

「髪型、よし!」

「胸元、よし!」

「スカート、よし!」

「靴、よし!」

「人形、よし!」

「はい、それでは行きましょう!」

『ドールズ、レディ、ゴー!』

 衣装チェックという名の指差し確認を伴うかけ声で、みんなの気持ちが本番に切り替わる。だらけた顔や眠たげな顔が、アイドルの顔に変身するのだ。そしてそんな私達の腰を折るように。

「みんな~そろそろ起きてね~」

 寝覚めのルリちゃんより眠そうな声で、マネージャーの松尾さんが楽屋に入ってきた。みんなでクスクスと笑い始めると、松尾さんは不思議そうな表情を浮かべていた。


 実家のある地方都市を拠点に、普通のバイト代にも劣る程度のギャラでローカルアイドルをやっていた中学生。そんな私に転機が訪れたのは、ある日のショッピングモールでのイベント終了後のことだった。

 いつものように仮設テントでの着替えを終えて表に出ようとすると、マネージャーを兼務する社長が私に声を掛けてきた。私にお客さんらしい。

 現れたのは大人の女性だった。こういう人を妖艶なんて言うんだろうか、と思える背の高い美人さん。彼女はいきなり、こう切り出した。

「ねえ貴方、本当のアイドルをやってみない?」

 彼女は東京で芸能プロダクションをやっている社長さんで、新しく作るアイドルグループのメンバーを探していたらしい。それで私の出ていたステージを目にしてピンと来た、んだそうだ。

 確かに私は受験を控えていて、本気でアイドルを目指すなら東京に行くには良いタイミングだと思っていた。東京の高校に入学すればそういう事務所のオーディションを受ける機会もあると思ったから。けどお父さんはそういうのには反対で、地元の高校への入学を強く勧められていた。そんな私の気持ちと現状をを社長さんにぶちまけると、それを静かに聞いていた社長さんは微笑んで言った。

「じゃあ、私がお父様を説得しましょう」

 その日のうちに我が家――実家にやって来て、社長さんはお父さんを説得してくれた。

「危ない仕事、際どい仕事の類いはうちの方針とも合いませんのでご心配要りません」

「生活は事務所直営の寮に入って貰います。健康管理もご心配なく」

「学業の方もきちんとスケジュール管理させて頂きます」

 そして一番のクリティカルヒットになったのは。

「うちの事務所には、完璧なスキャンダル対策があります。何処の馬の骨とも知れない男どもを近付けることはありませんので」

 お父さんは自分が一番心配していたことの対策がきちんと出来ていることを知ると、どことなく寂しげな表情を浮かべ、応えた。

「娘をよろしくお願いします。娘の夢を叶えてやって下さい」


 無事上京して今のメンバーと引き合わされて、仕事を始めてからも。お父さんの言葉を胸の奥に大事に抱えて、私は仕事をしている。

 レッスンも、ライブやイベントなんかのお仕事本番も、手を抜かない。現場でスタッフさんなんかにアドレスやメッセージアプリのIDを聞かれることもあるけど、社長さんに教えてもらった「男の人をかわすテクニック」を駆使してこちらのIDは教えないようにしている。

 勉強の方は……。なんていうか、お仕事が忙しすぎて楽しすぎて、それ以外の生活はあまり思い出せない。

 学校の制服は何となく覚えている。それを着た自分も、学校の校舎も。けど最近授業でどんなことをやったのか、と聞かれると……答えに詰まる。っていうか、昨日は寮に何時に帰ったのか、そのあたりも怪しい。

 けど、今はそれで仕方ないと思ってる。

 だって、今は人生で一番大事な時期だと思うから。

 社長やマネージャーの松尾さんが頑張ってくれたおかげで、テレビのお仕事も少しずつもらえるようになってきた。それもちょっと前まではロケばっかりだったのに、最近はスタジオにも呼んでもらえる。もっと頑張ればもっといろんなところでお仕事が出来て、もしかしたら大きなホール、さらにはドームなんかでもライブが出来るようになるかも知れない。

 そして、今日はそんな中でも一番大事な日だ。なんと言っても全国放送の音楽番組、少しだけど司会の人とのトークタイムまである。

 そんなことを考えているうちに、もうすぐ本番だ。気合いが入りすぎて体が固くなる。

 ぎゅっ、と手を握られた。両脇に立っていた、アイリとミチルだ。そうだ、私は一人じゃない。そう思うと、肩が少しだけ軽くなった気がする。

 スタッフさんからゴーサインが出た。この階段を上りきった向こうには、大勢の観覧のお客さんと、全国に私達の姿を届ける何台ものテレビカメラがある。

 裏側はローカルアイドル時代に使ったセットとあまり違いのない、木箱で組まれたような安っぽい階段をゴンゴン音を鳴らせて登りつつ、私達の大舞台に向かった。

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